ジーザス、エブリワン!キートンです。
7とか12とかやたら出てくるし。。
こういった疑問にお答えします。
皆さんは、聖書を読んだことがあるでしょうか?
もしかしたら、まだ聖書を読み始めたばかりだという方もいるかもしれませんね。
しかし、聖書を読みこんでいくと、何度も同じような数字が出てくることに気付くでしょう。
もちろん、その数字は単なる数字でしかない場合もありますが、象徴的に使われる場合も少なくありません。
皆さんも、死を連想させる4という数字を避けたり、7をラッキーセブンとしたりと数字に意味を持たせることがありますよね??
そこで今回はクリスチャンの僕が、聖書でよく使われる象徴的数字の意味をざっとご紹介したいと思います!
聖書については、【最強の書物】キリスト教の”聖書”とは?永遠のベストセラー!?をどうぞ
目次
【キリスト教】聖書の数字に隠された意味とは?6や8など解説します
それでは、各数字を見ていきましょう!
- 1:唯一の神、一致
- 3:三位一体の神
- 4:神が造られた全地・全世界
- 6:聖なるものの衰退
- 7:完全なる数
- 8:イエスキリストや救い
- 12:神様お気に入りの象徴的数字
- 40:試練、準備期間
1:唯一の神、一致
1は、唯一なる神様を表す神の数字です。
日本では、”八百万(やおよろず)の神”といった多神教的な考え方が主流ですが、
本当の神様はお一人だけであり他に並ぶ存在などありません!
そのため、唯一の神様以外のものを神とするのは偶像崇拝であり、絶対にしてはいけないことです。
聖書にもこう書かれています。
「イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。」
(申命記6章4節)
(神のご性質については、【キリスト教】神とは誰か?何者か?聖書から7つの性質を挙げてみたをどうぞ)
そしたら、神様が2人ってことになるんじゃ。。
と思うかもしれませんが、キリスト教には三位一体という考え方があります。
つまり、神様には
という3つの位格(人間でいう人格)があるという考え方ですね。
(詳しくは、【徹底解説】”三位一体”の意味とは?わかりやすくまとめてみたをどうぞ)
そのため、あくまでも神様はお一人であり、矛盾しません!
また、1は一致を表す数字でもあります。
見ても分かる通り、この世界には
- 善と悪
- 光と闇
- 神と人間
などたくさんの分裂や対立がありますよね。
人々の争いや不仲も絶えることがなく、それは本来1つになるべき家族の中でさえ例外ではありません。
しかし、キリストの力によってこうした分裂や対立は和解させられ、1つになっていくのです。
やがてキリストがこの地上に再び来られてこの世が終わるとき、その一致の世界は完全に実現していきます。
イエスは、このように語られました。
「わたしはもうこの世にはいなくなりますが、彼らはこの世に残っており、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。」
(ヨハネによる福音書17章11節)
「わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。」
(ヨハネによる福音書17章23節)
3:三位一体の神
3は、先ほども説明した三位一体である神様を表します。
神様はお一人でありながら、3つの位格を持っておられるのです。
そして、それぞれの位格に別々の役割や働きがあるんですね。
まあ正直、この概念は人間の常識をはるかに越えているので、完全に理解するのは難しいかと思いますが。。
イエスも十字架で死なれた後、3日目に蘇られました。
「人々はこのイエスを木にかけて殺したのです。 40しかし神はイエスを三日目によみがえらせ、 41全部の人々にではなかったが、わたしたち証人としてあらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。」
(使徒行伝10章39~41節)
これは、イエスが神の子で、救い主であることが証明された超重要な出来事です。
ちなみに、旧約聖書には、預言者ヨナが魚に飲み込まれて3日3晩を過ごすシーンが出てきますが、
これは後のキリストの復活を暗示していると言われています。
「主は大いなる魚を備えて、ヨナをのませられた。ヨナは三日三夜その魚の腹の中にいた。」
(ヨナ書1章17節)
「すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。」
(マタイによる福音書12章40節)
他にも、聖書には、
など人が3人1組で登場することもちらほらあります。
4:神が造られた全地・全世界
4は、神が造られたこの全地や全世界を表します。
この世の全ては、創造主なる神様によって造られました。
実際、聖書の冒頭には、神様がこの世界を6日間でお造りになった様子(天地創造)が描かれていますね。
「はじめに神は天と地とを創造された。 2地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。 3神は「光あれ」と言われた。すると光があった。」
(創世記1章1~3節)
4はそんなこの被造物世界を表す数字なのです!
例えば、この世の中を見ても、
- 季節(春・夏・秋・冬)
- 方位(東・西・南・北)
などは全て4つであり、どれもこの世界を表していますよね。
また、聖書の中を見ても、地上の楽園(エデンの園)には4つの川が流れていたと書かれていますし、
(【聖書物語】人間の始まり!?”アダムとエバ(イヴ)”の内容を解説を参照)
「また一つの川がエデンから流れ出て園を潤し、そこから分れて四つの川となった。」
(創世記2章10節)
旧約聖書の”エレミヤ書”や新約聖書の”ヨハネの黙示録”の以下の聖句には、
世界を象徴する4という数字が連続で出てきます。
「わたしは天の四方から、四方の風をエラムにこさせ、彼らを四方の風に散らす。」
(エレミヤ書49章36節)
「この後、わたしは四人の御使が地の四すみに立っているのを見た。彼らは地の四方の風をひき止めて、地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。」
(ヨハネの黙示録7章1節)
ちなみに、新約聖書には、イエスの生涯や教えなどが書かれている”福音書”というキリスト教において特に重要な書物がありますが、
実はその書物の数も、
- マタイによる福音書
- マルコによる福音書
- ルカによる福音書
- ヨハネによる福音書
の4つなのです。
これも福音書が、キリストの救いを全世界に伝える書物ととられることができないでしょうか??
いやー、そう考えると鳥肌が立ちますね!
6:聖なるものの衰退
6は、次でご紹介する完全数の7に1つ足りない不完全な数字であり、聖なるものや神的なものの衰退を象徴します。
例えば、天地創造の6日目に神様に似せて造られた人間は、元々は聖なる存在でした。
しかし、ヘビ(悪魔)の誘惑によってアダムとエバが罪を犯したことで堕落し、エデンの園から追い出されてしまいました。
「神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。」
(創世記3章24節)
「すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、」
(ローマ人への手紙3章23節)
こうして、人間は聖なる神様から離れた罪深い存在になってしまったのです。
しかし、聖なるものを失った最大の存在は、人間を堕落させた張本人である悪魔(サタン)でしょう。
サタンは元々神に仕える高位の天使であり、とっても聖なる存在でした。
しかし、次第に高慢になったサタンは、神のようになろうとして神に反逆し天から投げ落とされてしまいました。
「12黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。 13あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、 14雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。 15しかしあなたは陰府に落され、穴の奥底に入れられる。」
(イザヤ書14章12~15節)
こうして、サタンは聖さを失い、神の敵対者になってしまったんですね。
(詳しくは、【悪魔】”サタン”って何者?聖書に登場する悪の大ボス!?をどうぞ)
実際、6は悪魔的な数字と言われることが多いです。
なぜなら、サタンは神になろうとしてもなれない不完全な存在だからですね。
サタンは、完全数である7にはなれないのです。
最も有名なのが、ヨハネの黙示録に書かれている”666″という数字でしょう。
「ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。」
(ヨハネの黙示録13章18節)
ここで666は獣の数字と書かれていますが、獣というのは神に敵対する“反キリスト”のことです。
反キリストは人間であり終末に登場すると言われていますが、その正体については様々な議論がなされています。
そして、当然反キリストはサタン側の人間であり、だからこそ666という数字で表されているのです。
サタンについては、【悪魔】”サタン”って何者?聖書に登場する悪の大ボス!?をどうぞ
7:完全なる数
7は聖書の中でも特に重要な数字であり、完全数を表します。
そのため、聖書でも数えきれないほど7という数字が使われていますね。
例えば、神様による天地創造は7日間で完全に成し遂げられました。
神様は7日目に休まれ、その日を特別な日として祝福し聖別されたのです。
「神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。 4これが天地創造の由来である。」
(創世記2章3、4節)
また、神様がモーセに与えた律法の中にも7が頻繁に出てきます。
「あなたは安息の年を七たび、すなわち、七年を七回数えなければならない。安息の年七たびの年数は四十九年である。 9七月の十日にあなたはラッパの音を響き渡らせなければならない。すなわち、贖罪の日にあなたがたは全国にラッパを響き渡らせなければならない。」
(レビ記25章8、9節)
「七日のあいだ種入れぬパンを食べ、七日目には主に祭をしなければならない。 7種入れぬパンを七日のあいだ食べなければならない。種を入れたパンをあなたの所に置いてはならない。」
(出エジプト記13章6、7節)
「そしてあなたの神、主のために七週の祭を行い、あなたの神、主が賜わる祝福にしたがって、力に応じ、自発の供え物をささげなければならない。」
(申命記16章10節)
何だか7が多すぎて、頭がごっちゃになりそうですね。。
さらに、ヨシュアがジェリコの町にある城壁を崩す有名なエピソードがありますが、これは
- 7日目に
- 7人の祭司が契約の箱をかつぎ
- 7つの角笛を吹き鳴らしながら
- 町を7周した
ことで成し遂げられたことでした。
(詳しくは、【聖書】”ジェリコ(エリコ)の壁”の意味とは?ストーリーもご紹介!をどうぞ)
「七人の祭司たちは、おのおの雄羊の角のラッパを携えて、箱に先立たなければならない。そして七日目には七度町を巡り、祭司たちはラッパを吹き鳴らさなければならない。(中略)20そこで民は呼ばわり、祭司たちはラッパを吹き鳴らした。民はラッパの音を聞くと同時に、みな大声をあげて呼ばわったので、石がきはくずれ落ちた。そこで民はみな、すぐに上って町にはいり、町を攻め取った。」
(ヨシュア記6章4~20節)
さらにさらに、1番弟子のペテロがイエスに兄弟の罪を何度ゆるせばいいか尋ねた際、
イエスは、7の70倍までもゆるしなさいとお答えになりました。
「そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。 22イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。」
(マタイによる福音書18章21、22節)
これはもちろん、
と意味ではありません。(それでもすごいけども!)
完全数7の70倍ですから、”何度でも無限大にゆるせ”ということをイエスは語られたのです。
このように、7という数字が出てくる箇所を挙げればキリがありませんが、
聖書の最後の書物“ヨハネの黙示録”にも7が多用されています。
例えば、
- 7つの祝福の言葉
- 7つの教会
- 7つの封印
- 7つのラッパ
- 7つの鉢
など7のオンパレードであり、他にもたくさんあります。
これはもう意図的としか思えません!
「わたしはまた、御座にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。」
(ヨハネの黙示録5章1節)
いやー、もはや7に関することだけで、1つの記事が書けてしまいそうですね!
ちなみに、キリスト教の伝統においても7という数字は受け継がれ
などの教えや儀式がありますね。
8:イエスキリストや救い
8は、イエスキリストや救いを表します。
例えば、イエスはエルサレム入城後から8日目の朝に復活されました。
「さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。(中略)5この御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、 6もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。」
(マタイによる福音書28章4~6節)
この出来事により、キリストを信じることで救いを受け取れる時代が幕を開けたのです!
また、かつて神様は大洪水によって人類を滅ぼそうとされましたが、
正しい人であったノアの家族8人だけは方舟によって救われました。
「さて洪水が地に起った時、ノアは六百歳であった。 7ノアは子らと、妻と、子らの妻たちと共に洪水を避けて箱舟にはいった。」
(創世記7章6、7節)
さらに、預言者のモーセは80歳で神様によって召され、イスラエル人たちをエジプトから救い出しています。
「彼らがパロと語った時、モーセは八十歳、アロンは八十三歳であった。」
(出エジプト記7章7節)
くわえて、イエスは山上の説教で、神の国における“幸いな人”として、
- 心の貧しい者
- 悲しむ者
- 柔和な者
- 義に飢え渇いている者
- あわれみ深い者
- 心のきよい者
- 平和をつくる者
- 義のために迫害されている者
という8つがいると語られていますし、
「そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。 3「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。 4悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。」
(マタイによる福音書5章2~4節)
イエスキリストの先祖であるダビデは、エッサイの8番目の息子でした。
「エッサイは七人の子にサムエルの前を通らせたが、サムエルはエッサイに言った、「主が選ばれたのはこの人たちではない」。 11サムエルはエッサイに言った、「あなたのむすこたちは皆ここにいますか」。彼は言った、「まだ末の子が残っていますが羊を飼っています」。
(サムエル記上16章10、11節)
ちなみに、
うーん、ここまでくるとすごいや。。
12:神様お気に入りの象徴的数字
12は7に負けないくらい重要な数字であり、神様がお気に入りの象徴的数字です。
実際、聖書には12という数字が多用されています。
例えば、ヤコブの息子たちから出た、聖書の救いの歴史を作っていくイスラエルの部族は、
◎イスラエル12部族
- ルベン族
- シメオン族
- レビ族
- ユダ族
- ダン族
- ナフタリ族
- ガド族
- アシェル族
- イッサカル族
- ゼブルン族
- ヨセフ族
- ベニヤミン族
の全12部族ですし、(詳しくは、【聖書】”エサウとヤコブ”のお話とは?壮絶な兄弟ゲンカ開始!?を参照)
「すべてこれらはイスラエルの十二の部族である。そしてこれは彼らの父が彼らに語り、彼らを祝福したもので、彼は祝福すべきところに従って、彼らおのおのを祝福した。」
(創世記49章28節)
イエスが特別に選ばれて権威を与えられた弟子たちは、
◎イエスの12使徒(弟子)一覧
- ペトロ(シモン)
- アンデレ
- ヤコブ(ゼベダイの子)
- ヨハネ
- トマス
- マタイ
- 熱心党のシモン
- ヤコブ(アルファイの子)
- ナタナエル(バルトロマイ)
- イスカリオテのユダ
- タダイ
- フィリポ
の12人であり、12弟子(使徒)と呼ばれます。
(詳しくは、【完全版】イエスの12使徒(弟子)って誰がいるの?超個性派集団!?を参照)
「十二使徒の名は、次のとおりである。まずペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、それからゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、 3ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、 4熱心党のシモンとイスカリオテのユダ。このユダはイエスを裏切った者である。」
(マタイによる福音書10章2~4節)
しかも、イエスを裏切ったイスカリオテのユダが自殺をし、
12使徒が11人になったときは、弟子たちはわざわざマティアという新しい弟子を加えて12人に戻しています。
「それから、ふたりのためにくじを引いたところ、マッテヤに当ったので、この人が十一人の使徒たちに加えられることになった。」
(使徒行伝1章26節)
このエピソードは、12という数字がいかに重要視されているかを物語っていますね!
また、最終的な神の国(天国)である“新天新地”の描写でも、12が使われまくっています。
(新天新地については、【聖書】天国とはどんな場所?その特徴や行き方まで全て教えます!を参照)
「その都の輝きは、高価な宝石のようであり、透明な碧玉のようであった。 12それには大きな、高い城壁があって、十二の門があり、それらの門には、十二の御使がおり、イスラエルの子らの十二部族の名が、それに書いてあった。 13東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。 14また都の城壁には十二の土台があり、それには小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。」
(ヨハネの黙示録21章11~14節)
「都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。」
(ヨハネの黙示録22章2節)
つまり、最終的に神様と暮らすことになる神の国では、
- 門
- 門にいる天使
- 門に書かれている部族の名前
- 都の城壁にある土台石
- 城壁の厚さ
- 門にある真珠
- 都に流れる川の両岸にあるいのちの木が実らせる実の種類
など全てが12なのです。
これは果たして偶然でしょうか??
いやー、12という数字はまさに神様に好んで使われている数字なんですね!
40:試練、準備期間
40もまた聖書で度々登場する数字であり、試練や準備期間を表します。
例えば、ノアの大洪水の際は、神様は地上に40日40夜雨を降らせ続きましたし、
「それはノアの六百歳の二月十七日であって、その日に大いなる淵の源は、ことごとく破れ、天の窓が開けて、 12雨は四十日四十夜、地に降り注いだ。」
(創世記7章11、12節)
預言者モーセは神様から“十戒”を受け取る際に、40日40夜断食をしました。
「わたしが石の板すなわち主があなたがたと結ばれた契約の板を受けるために山に登った時、わたしは四十日四十夜、山にいて、パンも食べず水も飲まなかった。」
(申命記9章9節)
また、出エジプトの際に、イスラエル人たちは神様への不信仰が原因で荒野を40年間さまよいましたし、
「あなたがたは、かの地を探った四十日の日数にしたがい、その一日を一年として、四十年のあいだ、自分の罪を負い、わたしがあなたがたを遠ざかったことを知るであろう」。」
(民数記14章34節)
預言者ヨナは神に背いていたニネベの人々に対し、40日後に神の裁きがありこの町が滅びることを語り伝えました。
「ヨナはその町にはいり、初め一日路を行きめぐって呼ばわり、「四十日を経たらニネベは滅びる」と言った。」
(ヨナ書3章4節)
巨人ゴリアテがイスラエル軍の前に朝と夕方に立ちはだかったのも、40日間ですね。
「あのペリシテびとは四十日の間、朝夕出てきて、彼らの前に立った。」
(サムエル記上17章16節)
試練というとどうしても嫌なイメージがありますが、それを乗り越えた先には必ず希望があります。
上記の試練も、最終的には神様によって全て希望へと変えられていきました。
新約聖書でもイエス絡みで40という数字が度々出てきますが、こちらは準備期間の意味合いが強いです。
例えば、イエスは世に出て公生涯を開始される前に、荒野で40日間断食をして悪魔(サタン)の誘惑を受けられましたし、
「さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。 2そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。」
(マタイによる福音書4章1、2節)
十字架の死からの復活後は、40日間弟子たちの前に姿を現してから昇天されました。
「イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。」
(使徒行伝1章3節)
こられは、神の時が来るまでの準備期間と捉えられますよね。
まとめ:聖書では特定の数字が象徴的に使われる!
◎聖書の数字の象徴的意味
- 1:唯一の神、一致
- 3:三位一体の神
- 4:神が造られた全地・全世界
- 6:聖なるものの衰退
- 7:完全なる数
- 8:イエスキリストや救い
- 12:神様お気に入りの象徴的数字
- 40:試練、準備期間
いかがでしたか?
こうやって聖書の数字だけに注目してみると、共通する意味合いがあることに気付いて面白いですよね!
聖書は神様が人間を通して書かれた書物です。
「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。」
(テモテへの手紙二 3:16)
そのため、何度も出てくる数字に関しても、そこに何かしらの神様の意図があるのではないでしょうか。
まあもちろん、最初にも述べたように数字を妄信するのは危険ですけどね!
他にも何か象徴的な数字に気付いた方は、ぜひ教えてください!!
キートンでした。
☟参考文献