ジーザス、エブリワン!キートンです

聖書の詳しい内容やストーリーも知りたいなあ。。
こういった疑問にお答えします。
今回は旧約聖書に記されている有名なお話、“アダムとエバ”をご
映画や本、曲の歌詞など色んなところに出てくるので、
しかし、知っているのは、
- 禁断の果実
- エデンの園
などの断片的な情報だけで、

という方もいるのではないでしょうか。
そこで、今回はクリスチャンの僕が、
“アダムとエバ”のお話をできるだけ分かりやすくご紹介していきたいと思います!
吹き出しなどもたっぷり使っていくので、頭に残りやすいはずですよ!
目次
“アダムとエバ”とは?

“アダムとエバ”は、旧約聖書の“創世記”に書かれたお話のことで、初の人間であるアダムとエバについて描かれています。
大まかな内容は、神様によって造られた男女”アダムとエバ”が、
ヘビの誘惑により神様から禁じられていた木の実を食べてしまい、エデンの園から追い出されてしまうというもの。
これが人類初めての罪と言われており、キリスト教における“原罪”という考え方にも繋がっています。(後述)

アダムとエバの登場人物
まずは、登場人物のご紹介から。
神

天地創造を行ない、人間を造られた全知全能の神様。
アダムとエバをエデンの園に住まわせます。
アダム

アダムの適切な画像が無かったため、男であることがすぐに分かる画像にしました。(※男子トイレではありません)
初めての人類であり、初めての男性。
神によって土で造られた。
アダムは、ヘブライ語で「人」という意味で、930歳まで生きたらしい。

エバ(イブ)

エバの適切な画像が無かったため、女であるk(以下省略)。
神様がアダムのあばら骨で造られた、人類初の女性。
エバは、ヘブライ語で「生命・いのち」という意味です。
ヘビ

大変ずる賢い野の生き物。
エバに中央の“善悪を知る木の実”を食べるように誘惑します。
その他の動物たち

神様が、アダムの助け手を見つけようとして造られた動物たち。
アダムによって、それぞれに名前が付けられました。
人間の始まり?アダムとエバ(イヴ)のあらすじを簡単に解説【聖書】
まずは、全体の大まかなストーリーを追っていきましょう。
アダムとエバの誕生

「22主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。 23そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。」
(創世記2章22、23節)
これは神が”天地創造”を行なっているときのお話。
神は土のちりから人を造り、命の息をその鼻に吹き入れました。
すると、土は生命を持つようになり、動き始めました。
アダムの誕生です。(あっさり)
そして、神は“エデン”という園を作って、
また、神は園に美しい木々を生やし、
- “命の木”
- “善悪を知る木”
という2本の木を生やされました。
そこには川も流れており、神はアダムにこの園を耕(たがや)し守らせることにしました。
神はアダムに言われました。

ただし、“善悪を知る木”からは絶対取って食べてらならぬ!
食べると君、死ぬよ?
と。
さらに、神は言われました。

あいつにぴったりの助け手を造ってやろう!
そして、
すると、アダムはその生き物たちに次々と名前を付け始めました。
それは、そのまま生き物たちの名前となりました。
こうして、全ての生き物に名前を付け終わりましたが、
そこで、神はアダムを深く眠らせ、
エバの誕生です。
それを見るとアダムは言いました。

いいっすよね、神様!
こうして2人は結ばれ、夫婦の関係になりました。
この時、2人は裸でしたが、
アダムとイブの誕生については、【疑問】アダムとイブはどうやって生まれた?クリスチャンが答えますをどうぞ
ヘビの誘惑と人類初の”罪”

「6女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。」
(創世3章6節)
ところで、神が造った野の生き物で1番ずる賢いのは、
ヘビはエバに言いました。

エバは答えました。

ただ、中央の木の実だけは食べちゃいけないの。
食べたら死ぬと神様はおっしゃっているのよ!
ヘビは言いました。

中央の木の実を食べると、目が開けて神様みたいに善悪が分かるようになるのさ。
ほら、こんなに美味しそうじゃないか!
エバが中央の木の実を見てみると、確かにその実は美しく、
すると、神様のようになりたいと思ったエバはついにその実を手に取って食べてしま
さらに、
すると、どうでしょう。
2人の目は開け、

アダムとエバ、神から隠れる

「9主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。 10彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」。」
(創世記3章9、10節)
そこにふと、神の足音が聞こえてきました。
すると、アダムとエバは、慌てて木の間にその身を隠しました。
神は呼びかけて言われました。

アダムは答えました。

神は言われました。

さては。。食べてはならないと言ったあの木の実を食べたな?
アダムが言いました。

あなたがお造りになったあの女が、私に木の実を食べさせたんです!
神は言いました。

エバは言いました。

ずる賢いヘビが私をだましたから食べてしまったのです!
(すごいなすり付け合い。。)
アダムとエバ、エデンの園を追い出される

「23そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。 24神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。」
(創世記3章23、24節)
神はヘビに言いました。

一生腹ばいで歩き、ちりを食べて生きることになる。
また、エバに言いました。

そして、夫からの支配を受け続けることになる。
続いて、アダムに向かって言いました。

そして、最終的には土に帰ることになるだろう。
この時に、アダムは女のことをエバ(命)と名付けました。(
これは、彼女が“全ての生きた者の母”となったからです。
そして、神はこの2人に皮の着物を着せた後、言いました。

今度は”命の実”も食べて永遠の命を手にしてしまうかもしれん。
そうなる前にここを出て行くのだ!
こうしてアダムとエバはエデンの園から追い出されてしまい、2度と帰ってくることはありませんで
どんなメッセージが込められている?
このお話の大きなテーマは、
では、その罪とは一体どんな罪でしょうか?
キリスト教のいう”罪”の意味については、キリスト教の”罪”とは何?本質は1つだけです【クリスチャンが答える】をどうぞ
①神に近づこうとした罪

まず1つ目は、
もちろん、神様の言いつけを守らなかったことも問題ですが、それ以上に問題だったのは、その傲慢(ごうまん)さです。
エバは、ヘビに誘惑されたことで、

と考えてしまいました。
「4へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。 5それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。 6女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。」
(創世記3章4~6節)
これは高ぶった悪い心であり、神をもおそれぬ大きな罪です。
この罪は、“バベルの塔”のお話とも、似ていますね。
②人のせいにした罪

また、責任転嫁、つまり、犯した罪を誰かのせいにしようとしたことも罪でした。
アダムはエバのせいにし、エバは蛇のせいにしました。
「人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。 13そこで主なる神は女に言われた、「あなたは、なんということをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」。」
(創世記3章12、13節)
しかし、当然全知全能の神には、2人がしたことなど全てご存知でした。
じゃあなぜあえて問いかけたかというと、2人が悔い改めるのを期待していたからです。
ところが、2人はその期待に応えられず、結局神様に謝罪の1つもしないままに終わってしました。

そして、これらのエピソードが、キリスト教における“原罪”という考え方に結びついています。
アダムとエバが”原罪”の由来!?

原罪というのは、
アダムとエバの罪以来、子孫である我々人類は生まれながらに罪人であり、
という考え方のことです。
つまり、アダムとエバが罪を犯した影響で、後の人類も罪を背負わなくてはいけなくなってしまったということですね。
しかも、この罪の影響で人類は、
- 男は働かなくては食べていけない
- 女は苦しんで子供を産まなくてはいけない
- 人はいずれ必ず死ぬ
という運命まで背負わなくてはいけなくなってしまいました。
ただし、実は私たちは、もうこの原罪からは解放されています。
なぜなら、この罪を私たちの代わりにイエスキリストが背負ってくださったからです。
「23すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、 24彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。」
(ローマ人への手紙3章23、24節)
とは言え、人間が罪深い存在なのは変わりないので、その度に悔い改める必要はありますけどね!
イエスキリストについては、【完全版】イエス・キリストとはどんな人物?その生涯をまとめてみた【5分で分かる】をどうぞ
禁断の実はりんごじゃなかった!?【何の実かは不明です】

アダムとエバと言えば、“禁断の実”ですよね。
結果的に2人はこれを食べてしまうわけですが、イメージ的にこの実って”りんご”だと思っていませんか?
確かに、絵画などでも、りんごが描かれることが多いです。
しかし、
「6女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。」
(創世記3章6節)
ただ、”実”としか書かれていないんですね。
ですから、それはもしかしたら、バナナだったかもしれないし、ブドウだったかもしれない。
今でも、

ちなみに、アダムとエバが裸を隠そうとした時に腰に巻いたものは、“いちじくの葉”だと聖書にはっきりと書かれています。
「7すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。」
(創世記3章7節)
のどぼとけは英語で、“Adam’s apple”!?

皆さんは、のどぼとけのことを、英語で何というか知っていますか?
正解は、“Adam’s apple”です。
では、なぜこのような表現を使うのかというと、
アダムがエバから果実をもらって食べた時に、のどにつっかえたことでのどぼとけができたという言い伝えがあるから。
そして、その果実が”りんご”だと信じられているために、このような表現が生まれたんですね。

まとめ:アダムとエバは、初の人類で初の罪人!

いかがでしたか?
知っているようで、知らない内容もかなりあったのではないでしょうか。
アダムとエバは初の人類でもあり初の罪人でもあるという悲しい歴史が分かりましたね。
キリスト教にとって大事な概念である“罪”もここから始まったわけです。
それにしても、これから登場する聖書の人物たちも、全てこのアダムとエバの子孫だと考えるとすごいですよね!
全ての原点であるこのお話をぜひ頭に入れておいて下さい!
キートンでした。


世界平和統一家庭連合の教えです。
イエスは「口に入るものは人を汚すことはない。かえって口から出るものが人を汚すのである」と言われた。
飢えてもいなかったアダムとエバが食物などのために、死を覚悟してまで、かくも厳重な神のみ言葉を犯したとは到底考えられないのである。
それゆえに、善悪を知る木の実は何かの物質ではなく、生死に関わることさえも問題視しないほどの強力な刺激を与えることのできる、他の何者物かであるに相違ない。
聖書の多くの主要な部分が、象徴とか比喩でもって記録されていることは事実である。
では善悪を知る木の実を比喩であると見るならば、それは果たして何を意味するのであろうか。
生命の木→創造理想を完成した男性→完成したアダム
善悪を知る木→創造理想を完成した女性→完成したエバ
蛇→黙示録一ニ章9節「巨大な龍、すなわち悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、(天より)地に投げ落とされた」天にいたその古い蛇とは、霊的存在物でなくて何であろうか。蛇として比喩されているこの霊的存在は、元来善を目的として創造されたある存在が、堕落してサタンとなったものであるとみなさなければならないのである。ヘビはその舌先が二つに分かれている。したがって、それは一つの舌を持って二つの言葉を話し、一つの心をもって二つの生活をする者の表象となるのである。
→天使(ペテロⅡ二章4節、神は罪を犯したみ使たちを許し給わず、地獄に投げ入れられた)
このことについて、どのようにお考えですか?
素朴な疑問ですが・・・
1、善悪を知る木の実を食べたから人間に罪が宿ったのか?
2、食べようとした時点で罪が生じたのか?
例えば、二人が木の実にかぶりつこうとした瞬間、手から実が滑り落ちて、その辺の穴にでも落ちてしまって、結局、実を食べなかったとしても、すでに神様の命令に背いているわけですよね。
よく善悪を知る知識の実を食べたから原罪が宿ったと言われるのですが、罪と木の実は関係なかったとも考えられます。
この記事では2の説をとっているように思えます。
追伸。
わからないのは、木の実と罪は関係なさそうに思えるのですが、神様は「善悪を知る木の実を食べたら死ぬ」とおっしゃっていることです。
志度ミューラーさん、コメントありがとうございます!
なるほど、難しいご質問ですね。。これはあくまでも僕の考えですが、人間から見れば1のように実を食べた時点で罪が生じたように見えますが、神様から見れば食べようとした時点で罪は生じていたのではないかと思います。ですので、神様視点から厳密に言えば、2のように実を食べようとした時点で罪が生じたのではないでしょうか。
これで答えになっているでしょうか。。?ご参考になれば幸いです。
今創世記を読んでおります。
2年前から教会に通っています。
わかりやすい記事ありがとうございます!
気になったのはそんなやばい実なのにちょっと頭の弱い(知恵の実たべてないので)連中の手の届くところに置いていた
蛇みたいな不審人物をうろうろさせる(セキュリティがばがば)
神様も悪いんじゃないかと思いました^^;
よしさん、コメントありがとうございます!こちらこそ、拙記事を読んでいただき感謝です。
なるほど、それは多くのクリスチャンが抱く疑問ですよね。色んな解釈があると思いますが、僕は神様が人間の”自由意志”を尊重しておられるからこそ、あえて善悪を知る知識の実を置き、ヘビもそのままにしておいたのではないかと考えます。
つまり、いくつかの選択肢や誘惑があっても、アダムとエバが自分たちの意志で神様を選んでくれることを神様は願っておられたのではないかと。強制的に自分を選ばせるようなやり方を神様は好まれませんからね。結果的に、アダムとエバは神様を選べなかったわけですが。。