ジーザス、エブリワン!キートンです。

用語を聞いても全くピンとこないんだけど、詳しく知りたいなあ。。
こういった疑問にお答えします。
キリスト教の用語に“福音(ふくいん)”という用語があります。
一般の方には、あまりなじみのないことばでしょう。
中には、

とうっかり読んでしまう方もいるかもしれません。
しかし、この用語はキリスト教にとって、非常に重要な言葉です。
なぜなら、私たち人間の“救い”に関するワードだからですね。
実際、新約聖書にある
- マタイによる福音書
- マルコによる福音書
- ルカによる福音書
- ヨハネによる福音書
という4つの福音書は、聖書の中でも特に重要な書物とされています。

そこで今回は、クリスチャンの僕が福音の意味について分かりやすくご紹介したいと思います!
目次
【キリスト教】福音の意味とは?クリスチャンが簡単に解説します
福音とは本来、“喜ばしい良い知らせ”を意味する言葉です。
では、キリスト教における良い知らせとは何でしょうか?
それは、簡単に言うと、
“イエスキリストを信じれば、あなたの罪がゆるされて救われるよ~!”というお知らせです。
イエスキリストとは、2000年以上前に地上に来られた神の子のことですね。
そして、イエスは私たち人間の罪のために十字架で死んでくださったのです。
☟福音をもっと具体的に言うと、こんな感じ。
◎福音とは?
- イエスキリストは私たち人間の罪のために死なれた
- その後、お墓に葬られた
- しかし、3日目に蘇られた
- 上記の事実を受け入れ、イエスを救い主だと信じる者は永遠の命を得て天国に行ける
この中の①~③のことを、“福音の三要素”といいます。
使徒パウロが、聖書でこのように語っているからですね。
「1兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。 2もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである。 3わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、 4そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、 5ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。」
(コリント人への第一の手紙15章1~5節)
いやー、これぞ良い知らせですね!!やっほーい!!!
。。。え?これのどこが良い知らせなのかピンとこないって??
すみません、勝手に盛り上がってしまいました!
確かに、前提として、
- 人間の罪の歴史
- イエスキリストとは何者か?
などについて知らなければ、福音の素晴らしさは伝わらないでしょう。
というわけで、ここからは先ほどご紹介した福音の4つのポイントを深堀りしていきまっす!
◎福音とは?
- イエスキリストは私たち人間の罪のために死なれた
- その後、お墓に葬られた
- しかし、3日目に蘇られた
- 上記の事実を受け入れ、イエスを救い主だと信じる者は永遠の命を得て天国に行ける
①イエスキリストは私たち人間の罪のために死なれた

福音のお話をするには、まず人間の罪の歴史からご説明する必要があります。
そもそも、キリスト教のいう罪は、犯罪のこと指すわけではありません。
神様に背くこと、離れてしまうことを”罪”と呼ぶのです。
その意味で、人間は全員罪人ということになります。
そして、人間に罪が入り込んでしまったのは、最初の人類アダムとエバが罪を犯してしまったからでした。
その罪とは、神のようになろうとして”禁断の果実”に手を出してしまったことです。
この事件によって、アダムとエバはエデンの園から追い出され、神様と離れることとなってしまいました。
「23そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。 24神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。」
(創世記3章23、24節)
これこそが、人間の罪の始まりであり、神と人間の関係が壊れてしまった原因です。
そして、罪というのは、人に死をもたらし、永遠の滅びへと導きます。
聖書にもこう書かれています。
「23罪の支払う報酬は死である。」
(ローマ人への手紙6章23節)
ああ、このまま人間は滅びてしまうのか。。と思ったそのとき、そこに救世主が現れます。
その人物こそ、イエスキリストです。
神様は私たち人間を愛するがゆえに、自分の独り子であるイエスを人間として地上に送られたのです!

何のために?
イエスの死をもって、私たち人間の罪をゆるすためです。
イエスは罪のない神の子であり、その汚れのない血を流すことで、人間の罪を帳消しにされたんですね。
つまりは、人間が受けるはずの罪の苦しみを、全て代わりに受けてくださったということです。
こうして、イエスは無実の罪で十字架に架かられて、私たち人間のために死なれました。
「35彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いて、その着物を分け、 36そこにすわってイエスの番をしていた。(中略)50イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。」
(マタイによる福音書27章35~50節)

②その後、葬(ほうむ)られた

十字架上で死なれたイエスは、その後、お墓に葬られました。
「58この人がピラトの所へ行って、イエスのからだの引取りかたを願った。そこで、ピラトはそれを渡すように命じた。 59ヨセフは死体を受け取って、きれいな亜麻布に包み、 60岩を掘って造った彼の新しい墓に納め、そして墓の入口に大きい石をころがしておいて、帰った。」
(マタイによる福音書27章58~60節)
まあ、人間なら死んだ後に葬られるというのは、ごく当たり前のことですよね。
ただ、イエスのことを救い主だと期待していた人たちは、さぞガッカリしたことでしょう。
イエスが、無抵抗なまま殺された無力な男にしか見えなかったからです。
十字架上で何か奇跡を起こすわけでもなく、あっけなく死んで、お墓に入れられてしまった。

多くの人がそう思ったのではないでしょうか。
イエスの死の意味を、当時の人たちは理解していなかったんですね。
このままイエスはお墓に葬られて終わり、ほとんどの人はそう思っていました。

③3日目に蘇(よみがえ)られた

ところが、イエスの死から3日目になったとき、とんでもない奇跡が起こりました。
イエスは死から復活されたのです。
「5この御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、 6もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。」
(マタイによる福音書28章5、6節)
これこそが、イエスは救い主だということが証明された瞬間でした。
また、この復活によって、イエスを信じる者も死に打ち勝ち永遠に生きるということを示されたのです。

イエスの復活なくして、福音は成り立ちません!
④上記の事実を受け入れ、イエスを救い主だと信じる者は永遠の命を得て天国に行ける

さて、ここまでが”福音の三要素”でしたが、このお話を聞いただけでは不十分です。
最後に、これらの事実を受け入れ、イエスがキリスト(救い主)だと信じる必要があります。
では、イエスが私たちの救い主だと信じたら何が起こるのでしょうか?
まず、私たち人間はもう罪によって滅びることはありません。
そして、永遠の命が与えられ、神様と共に永遠に天国で生きることができます。
しかも、その権利はどんな人に対しても例外なく与えられているのです!

聖書にもこうあります。
「16わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。」
(ローマ人への手紙1章16節)
こうして、アダムとエバ以来、罪によって壊れてしまった人間と神様との関係は回復されるのです!
最後にもう一度まとめると、福音とはこういうものです。
◎福音とは?
- イエスキリストは私たち人間の罪のために死なれた
- その後、お墓に葬られた
- しかし、3日目に蘇られた
- 上記の事実を受け入れ、イエスを救い主だと信じる者は永遠の命を得て天国に行ける
どうですか?
とんでもなく良い知らせでしょう??
だって、キリストをただ信じるだけで救われるんですよ??
救いというのは、私たちの行動や努力によって得られるわけではありません。
神様からの一方的な恵みなのです!
「8あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。 9決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。」
(エペソ人への手紙2章8、9節)
完全に無償です。

あるんです。(食い気味)
なぜなら、神様はそれほど人間のことを深く愛しておられるからです。
神様は人間に誰一人として、罪によって滅んで欲しくないのです。
聖書には、このような有名な言葉があります。
「16神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」
(ヨハネによる福音書3章16節)
福音とはすなわち、神様の人間への愛の証。
さあ、今すぐ素晴らしい福音の恵みを受け取っていきましょう!
“ゴスペル音楽”は福音から生まれた!?

皆さんは、”ゴスペル”という音楽を知っていますか?
アメリカで生まれたパワフルな音楽で、僕も大好きです。
実はこのゴスペル、英語で”福音”を意味する言葉で福音から生まれた音楽なんです!
これは、まだアメリカで奴隷制度が合法化されていた時代。
あるアフリカ人たちが、奴隷としてアメリカ大陸に連れて行かれようとしていました。
しかも、彼らが元々持っていた言語や宗教も奪われてしまっていたのです。

しかし、そんな絶望の状況下で、彼らはキリスト教の福音と出会いました。
そして、彼らはキリスト教に改宗し、神様に感謝を込めて賛美を捧げ始めたのです。
その結果、彼らが元々持っていたアフリカ独自の音楽とヨーロッパの賛美歌などの音楽が合わさって、ゴスペルが生まれていきました。
こうして、ゴスペルは黒人教会で歌い継がれ、発展していったんですね。
ゴスペルがあれほど喜びと力強さに溢れているのは、福音のパワーによるものなのかもしれませんね!
福音はギリシャ語で”エヴァンゲリオン”?
福音は英語で”ゴスペル”だと述べましたが、ギリシャ語ではなんというか知っていますか?
正解は、エヴァンゲリオンです。

そう、あの人気アニメ”新世紀エヴァンゲリオン”のエヴァンゲリオンというワードは、福音のギリシャ語からきているのです!
作中ではエヴァンゲリオンは、主人公たちが乗る”巨大人型決戦兵器”のことを指しています。
果たして作者は、どのような意味を込めてこの名前を付けたのでしょうか。。?
ちなみに、本作には他にも、
- アダム
- 知恵の実
- 生命の実
- 使徒
などキリスト教や聖書に関する用語がたくさん登場することが知られていますね。
ですので、キリスト教や聖書の知識を付けてから見ると、より本作を楽しめるかもしれません!


まとめ:福音は神様からの大きな恵み!

◎福音とは?
- イエスキリストは私たち人間の罪のために死なれた
- その後、お墓に葬られた
- しかし、3日目に蘇られた
- 上記の事実を受け入れ、イエスを救い主だと信じる者は永遠の命を得て天国に行ける
いやー、福音って素晴らしいですね!
“キリストを信じれば救われる”。
これほどハッピーなニュースが他にあるでしょうか。
ただし、注意しなければならないことがあります。
それは、1度福音を信じたからといって、

どうせ天国に行けるし!!
となってはいけないということです。
福音を信じた後も神様に繋がり、その教えに従って生き続ける必要があります。
イエスもこのように語られました。
「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。」
(マタイによる福音書7章21節)
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。 6人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。」
(ヨハネによる福音書15章5、6節)
福音は神様からの贈り物ですが、だからといって罪にまみれて堕落した生活を続けてはいけません。
むしろ、罪をゆるされたからこそ私たちはもう罪を犯さないように心がけ、神様のために生きるのです!
ですから、福音の恵みを受け取りつつ、神様と繋がって生きていきましょう!
Gospel is amazing(福音は素晴らしい)
キートンでした。


キートンさん、早速の対応、そして誠実な回答誠に感謝します。
私は聖書のアプローチについてはリベラルですが未だに福音派に強くシンパを感じている部分も多いですので(教会でのエネルギーや神への熱心な愛と伝道への思いなど)、これからも応援しています。
こんにちは。初めてコメントさせていただきます。
私はリベラル派のクリスチャンですが、リベラルを「聖書を人間の理性や感覚によって理解しようとします」という説明には納得いかないですね。これはリベラルのクリスチャン自身が言っているのでしょうか?それかリベラルについて書いてあるサイトか何かから適当にとったものでしょうか?こういう批判は福音派の方からよく受けるので。
あたかも福音派が「人間の理性や感覚によって理解しようと」しないかのような傲慢な言い方に聞こえます。聖書を「そのまま」読んで受け入れるということ自体が不可能で、誰しも教派の教えに影響されて解釈するものです。このブログも、聖書をそのまま引用せず、自分の教会の教えを伝えるために聖書をブツ切りにしているところが多々ありますよね。地獄の説明で、黙示録20章の火の池の部分をから、その永続性を示すためになぜかイエスの言葉に戻ったりしていますし(続けて黙示録を読めば火の池で滅んだはずの人たちが都の門の外にいるんですけどね)。何派であってもそのような聖書の使い方は多少はしますし、それに自覚的になりながら聖書をより正しく理解・引用できるように努めていくべきでしょう。
リベラル派は「神の霊感」がどこまで及ぶかということで福音派と考えが異なります。人間が神の息によって造られていても誤りがないとは言えないのと似ています。つまり、霊感されていても「誤りがない」とは捉えないということです。
例えば聖書には明らかな内部矛盾が沢山ありますが、福音派はそれを「聖書の現象」と捉え、矛盾を解消する仮説を敷いたり(その仮説自体に根拠がない場合が多いですが)、解消しない場合は「これは我々人間の目で矛盾に見えているだけだ」というレトリックを使ったりします。しかしリベラル派は、勿論簡単に説明できそうな矛盾は解消しますが、解消できないものは、片方が細部で誤ったか、双方で視点が違うか、何らかの人間的な意図が働いたと考えます。無理矢理矛盾を解消する必要がないのです。
リベラル派のアプローチに同意するかはキートンさん次第なので、「リベラルが行き過ぎると」などは別に構わないと思います。ですが「聖書を人間の理性や感覚によって理解しよう」と自分たちで思っているリベラルのクリスチャンは、一人もいないと断言できますので、そこのところだけ修正していただければありがたいです。
失礼しました。
bonoboさん、コメントありがとうございます。
そうでしたか、それは申し訳ございません。僕は福音派の教会で育ったため、リベラル派への理解が足りず、誤解を招く表現をしてしまいました。
該当の部分は削除させていただきました。貴重なご指摘をありがとうございます。今後も、当ブログをよろしくお願いいたします。