ジーザス、エブリワン!キートンです。
理由が知りたい!
今回は、こんな疑問にお答えします。
宗派によっても差はありますが、キリスト教では基本的に偶像崇拝は禁止されています。
偶像崇拝とはつまり、神様をイメージして作られた像(絵画や彫刻など)などを拝むことですね。
聖書にも、以下のように偶像崇拝を禁じている箇所がたくさんあります。
「4あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。 5それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。」
(出エジプト記20章4、5節)
キリスト教と同じ一神教である、ユダヤ教やイスラム教でも偶像崇拝は禁止されていますね。
しかし、これは
- 仏像
- 地蔵
など、あちこちに偶像がある日本では理解しがたいことかもしれません。
恐らく、多くの方が一度はこうした偶像を拝んだことがあるでしょうから!
では、キリスト教ではなぜ偶像崇拝が禁止されているのでしょうか?
そこで、今回はクリスチャンの僕が、
- 偶像崇拝とは?
- 偶像崇拝が禁止の理由
- なのに教会に偶像が置いてあるのはなぜ?
などの内容について解説していきます!
目次
偶像崇拝とは?
繰り返しになりますが、
偶像崇拝とは神様をイメージして作られた像(絵画や彫刻など)
奈良の大仏なんかを思い浮かべていただければ、イメージしやすいのではないでしょうか??
日本人には、偶像というのはとてもなじみ深いものなんですね。
また、
- お金
- アイドル
- 名声
- ゲーム
といった神様以外のものを拝んだり最優先してしまったりすると、それも偶像崇拝になります。
例えば、”お金が全てじゃい!”と思っている人は、お金という偶像を崇拝してしまっているわけです。
詳しくは、【聖書用語】”偶像崇拝”の意味とは?キリスト教徒がわかりやすく解説をどうぞ
【キリスト教】偶像崇拝が禁止なのはなぜ?5つの理由を教えます
偶像崇拝が禁止なのは聖書に書かれているからですが、より具体的な理由を5つ挙げてみました!
それぞれ見てみましょう。
- 人間の手で造られたものだから
- 神様は唯一のお方だから
- 偶像自体に何の力もないから
- 神様を制限しているから
- 神様の存在に対する不安があるから
①人間の手で造られたものだから
キリスト教では、私たち人間を含めたこの世のあらゆるものは、創造主なる神様によって造られたと考えます。
なぜなら、聖書にこう書かれているからです。
「こうして天と地と、その万象とが完成した。 2神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。 3神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。 4これが天地創造の由来である。」
(創世記2章1~4節)
そして、クリスチャンはこの神様を唯一の存在として崇拝します。
(詳しくは、【聖書】”天地創造”の意味とは?この世界は6日間で造られた!?を参照)
一方で、偶像というのは人間の手で造られたものであり、
それを崇拝するというのはキリスト教の考えからすれば決して許容できないものです。
なにしろ、真の神様がいるのに人間が勝手に神を造ってそれを拝んでいるのですから。
これほどの真の神様への侮辱はありません。
身近な例で例えると、結婚して奥さんがいるのに恋人を作って浮気しまくっているみたいなものですね。
こんなの奥さんはぶち切れです!
つまり、まとめると、
- 人間が造った神様を拝む
➡偶像崇拝
- 人間を造った神様を拝む
➡キリスト教
ということです。
聖書にもこう書かれています。
「10だれが神を造り、またなんの役にも立たない偶像を鋳たか。 11見よ、その仲間は皆恥を受ける。その細工人らは人間にすぎない。彼らが皆集まって立つとき、恐れて共に恥じる。」
(イザヤ書44章10、11節)
人間の手で造れるほど、神様はちっぽけなお方ではないということですね!
②神様は唯一のお方だから
日本では多神教的な考え方が根付いており、たくさんの偶像が日本中にあります。
“八百万(やおよろず)の神”という考え方もあるため、もはやその数は把握しきれないほどでしょう。
しかし、前述したようにキリスト教は一神教であり、本当の神様はただ一人です。
天地を造られ私たち人間を造られた創造主であり、この世界で唯一の存在なんですね。
「4さて、偶像への供え物を食べることについては、わたしたちは、偶像なるものは実際は世に存在しないこと、また、唯一の神のほかには神がないことを、知っている。」
(コリント人への第一の手紙8章4節)
ですから、キリスト教からすれば、それ以外の神様は全て偽物です。
その意味では、クリスチャンから見れば、日本には偽物の神様で溢れているということになりますね。
皆さん、これだけは覚えて帰ってください。
キリスト教において、神様はいつも1つ!!(コナン風に)
神様のご性質については、【キリスト教】神とは誰か?何者か?聖書から7つの性質を挙げてみたをどうぞ
③偶像自体に何の力もないから
先ほども言ったように、偶像というのは所詮人間の手で造られたもの。
そのため、キリスト教では偶像自体には何の力もないと考えます。
これは、自分がこねた粘土に何の力もないのと同じですね。
当然、人間のお祈りや願い事を叶える力もありません。
実際、聖書でも偶像に人々が願い求めても何も起きないシーンが描かれています。
「彼らは与えられた牛を取って整え、朝から昼までバアルの名を呼んで「バアルよ、答えてください」と言った。しかしなんの声もなく、また答える者もなかったので、彼らは自分たちの造った祭壇のまわりに踊った。」
(列王記上18章26節)
(【預言者】”エリヤ”とはどんな人物?神様からの超お気に入り!?を参照)
また、聖書は偶像についてこう語っています。
「彼らの偶像はしろがねと、こがねで、人の手のわざである。 5それは口があっても語ることができない。目があっても見ることができない。 6耳があっても聞くことができない。鼻があってもかぐことができない。 7手があっても取ることができない。足があっても歩くことができない。また、のどから声を出すこともできない。」
(詩編 115:4-7)
まとめると、偶像は、
- しゃべれず
- 目が見えず
- 耳が聞こえず
- 匂いもかげず
- 歩くこともできない
ということですね。
。。。って、
そんな無力な神様がどこにおるんじゃい!!人間以下やないかい!!!(怒)
。。。はっ!すみません、つい取り乱しました。
とまあ、聖書にも偶像の無力さがはっきりと書かれているんです。
本当の神様というのは全知全能なるお方であり、偶像とは似ても似つかないということですね。
「27イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。」
(マルコによる福音書10章27節)
④神様を制限しているから
キリスト教からすれば、偶像を造るというのは、神様という存在を人間が制限していることに他なりません。
あんなにちっぽけな像に、神様を閉じ込めているんですから。
これは、巨大なゾウを小さなカップに押し込もうとするようなものです。
また、例えば、日本なら神様にも、
- 縁結びの神様
- 長寿の神様
- 受検の神様
- 商売繫盛の神様
などそれぞれの役割があったりしますよね。
しかし、これは、神様は特定の分野でしか力を発揮できないと言っているようなもの。
ところが、キリスト教では神様は全知全能であり、神様が働くことのできない分野などありません!
つまり、真の神様ならたったお一人でも、
- 恋愛を成就させることも
- 寿命を伸ばすことも
- 受験を成功させることも
- 商売繫盛させることも
すべて朝飯前ということ。
「19また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。」
(エペソ人への手紙1章19節)
ですから、偶像によって、勝手に神様という偉大な存在を制限してはいけないのです!
⑤神様の存在に対する不安があるから
人間はそもそも、なぜ偶像を造りたがるのでしょうか。
その大きな理由の1つは、神様を目に見える存在にしておきたいからでしょう。
何しろ、本当の神様は目には見えません。
だから、それが人間にとっては不安でたまらないのです。
旧約聖書の“出エジプト記”には、指導者のモーセが山に登っている間に、
イスラエル人たちが勝手に金の子牛を造り、拝んでしまうシーンが出てきます。
「7主はモーセに言われた、「急いで下りなさい。あなたがエジプトの国から導きのぼったあなたの民は悪いことをした。 8彼らは早くもわたしが命じた道を離れ、自分のために鋳物の子牛を造り、これを拝み、これに犠牲をささげて、『イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である』と言っている」。」
(出エジプト記32章7、8節)
これもモーセが中々帰ってこず、イスラエル人たちが不安になったから起こった事件でした。
このように、人間には神様を目に見える形にしたいという欲求があります。
しかし、キリスト教からすればこれは神様に対する不信仰な態度です。
神様は目には見えずとも確かに存在している。
だからこそ、それを信じられるかが試されているということですね!
偶像崇拝禁止なのに、教会に偶像が置いてあるのはなぜ!?
ここまで見てきて、
と思った方は鋭いです!
確かに、プロテスタントでは偶像を置かないことを徹底している教会も多いですが、
カトリックではマリア像やキリスト像があったり、
では、これらの教会は偶像崇拝をしているんでしょうか?
実はあれは偶像崇拝しているわけではなく、その偶像を通して神様をイメージしやすくするために置かれているようです。
例えば、教会に十字架が置いてあれば、それを見るたびにキリストが私たちの罪のために死なれたことを思い出すことができます。
つまり、
ただ、プロテスタント教会からは、こうした像に対しては批判的な声が多いです。
キリスト教の主な宗派については、【解説】キリスト教の主な宗派は?3つをわかりやすくまとめてみたをどうぞ
まとめ:キリスト教で偶像崇拝は禁止されている!
◎偶像崇拝が禁止な5つの理由
- 人間の手で造られたものだから
- 神様は唯一のお方だから
- 偶像自体に何の力もないから
- 神様を制限しているから
- 神様の存在に対する不安があるから
色々と偶像崇拝がダメな理由を述べてきましたが、簡単にまとめると、
偶像崇拝は真の神様に対してとっっっても失礼な行為なのです。
キリスト教は基本的に1人の神様だけを信仰する一神教。
そのため、偶像崇拝のような浮気行為はご法度なんですね。
そして、最後にこれだけは言わせてください。
神様はいつも1つ!!(言いたいだけ)
キートンでした。