ジーザス、エブリワン!キートンです。
そもそも偶像っていったい何よ!詳しく教えて!
こういった疑問にお答えします。
今回は、キリスト教においてタブーとされている“偶像崇拝”につ
クリスチャンにとってはなじみのある言葉ですが、
しかし、聖書にはこの偶像崇拝がしょっちゅう出てきます。
なぜなら、偶像崇拝をしてしまう人が聖書の中にもたくさんいるからです。
まったく、人間は罪深いぜ。。!
この記事では、クリスチャンの僕が、
- 偶像崇拝とは何なのか
- なぜ禁止されているのか
- 聖書に登場する具体的な偶像
- 聖書に登場する偶像崇拝の具体例
などについてお話していきます!
目次
偶像崇拝の意味や使い方
偶像崇拝とは、神様をイメージして作られた像(絵画や彫刻など)
身近な例でいうと、お地蔵さんや仏像なんかがそうですね。
つまり、日本は偶像で溢れており、日本人の多くは偶像崇拝をしてしまっているということです。
また、神様以上に絶対視し優先してしまうものがあればそれも偶像崇拝とみなされます。
例えば、”お金こそ全て”だと思っている人は、お金という偶像を崇拝していることになるでしょう。
他にも、以下のようなものは偶像になりやすいです。
- ゲーム
- アニメ
- アイドル
- 音楽
- 名誉欲
- 有名人・偉人
- 恋愛
- 仕事
- お酒
- パチンコ などなど
いやー、どれも強い魅力がありますよね。
このように、偶像崇拝というのは私たちの非常に身近に潜んでいるということが分かりますね。
日常的には、
- 聖書では偶像崇拝は禁止されている。
- 偶像崇拝は神様に失礼な行為だ。
- クリスチャンはお寺で他の神様を拝んではいけない。それは偶像崇拝だからだ。
というように使われます。
キリスト教において偶像崇拝は禁止されており、モーセの十戒にも以下のように書かれています。
「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。 5それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。」
(出エジプト記20章4、5節)
そのため、
偶像崇拝が禁止されている理由とは?
では、なぜ偶像崇拝は禁止されているのでしょうか?
その理由としては、以下のようなものがあります。
- 人間の手で造られたものだから
- 神様は唯一のお方だから
- 偶像自体に何の力もないから
- 神様を制限しているから
- 神様の存在に対する不安があるから
実際、聖書には偶像崇拝を禁じる箇所がいくつも出てきます。
例えば、
「10だれが神を造り、またなんの役にも立たない偶像を鋳たか。 11見よ、その仲間は皆恥を受ける。その細工人らは人間にすぎない。彼らが皆集まって立つとき、恐れて共に恥じる。」
(イザヤ書44章10、11節)
「4さて、偶像への供え物を食べることについては、わたしたちは、偶像なるものは実際は世に存在しないこと、また、唯一の神のほかには神がないことを、知っている。」
(コリント人への第一の手紙8章4節)
などなど。
キリスト教は一神教であり、真の神様は1人だけ。
そのため、木や鉄などで造られた偽物の神様を拝んではいけない!というのがキリスト教の考え方なんですね。
ちなみに、カトリックの教会ではマリア像やキリスト像などが置いてあることがありますが、
あれは崇拝の対象ではなく、シンボルとして置かれているそうです。
一方で、僕が所属しているプロテスタントの教会では、偶像を置かないことを徹底していることが多いですね!
詳しくは、【Q&A】偶像崇拝が禁止の5つの理由って?クリスチャンが答えてみたをどうぞ
聖書に登場する偶像は?
実は、聖書の中にもたくさんの偶像が登場します。
聖書に登場する代表的な偶像たちを見てみましょう。
- ダゴン
- アシュラ
- バアル
- アシュタロテ
ダゴン
ペリシテ人によって信仰されていた神。
雨や穀物の神と言われており、旧約聖書の”士師記”や”サムエル記”に登場します。
特に、怪力の士師サムソンのエピソードが有名で、サムソンは敵であるペリシテ人に捕まり、ダゴンの神殿で見世物にされていました。
「さてペリシテびとの君たちは、彼らの神ダゴンに大いなる犠牲をささげて祝をしようと、共に集まって言った、「われわれの神は、敵サムソンをわれわれの手にわたされた」。」
(士師記16章23節)
しかし、最終的にサムソンは、その圧倒的パワーで神殿の中心柱2本を手で崩し、3000人のペリシテ人を道連れにしました。
サムソンについては、“サムソン”とは?聖書1の怪力の持ち主!?【3分で分かる】をどうぞ
アシュラ
“神々の母”とされる神。
カナンの地において穀物を豊富に実らせてくれる“豊穣(ほうじょう)の女神”として崇拝されていました。
聖書の中では、
- 出エジプト記
- 士師記
- 列王記
など様々な場面で登場し、次にご紹介するバアルの次に登場回数が多いです。
イスラエル人たちもかつては、真の神に背いてこのアシュラを信仰してしまったときがありました。
「こうしてイスラエルの人々は主の前に悪を行い、自分たちの神、主を忘れて、バアルおよびアシラに仕えた。」
(士師記3章7節)
バアル
カナンの各地で信仰されていた神。
天候を操る“嵐と慈雨の神”とされ、聖書の中でも最も有名な偶像ですね。
聖書には、このバアルを信仰したことで失敗した人たちがたくさん出てきます。
なぜバアルがカナンで熱心に信仰されたのかというと、カナン人の生活に最重要な農作物の収穫に関わっているからです。
雨が降らないと農作物は育ちませんからね!
イスラエル人たちもその代表格で、バアルを信仰するたびに神様から罰を受けました。
「ギデオンが死ぬと、イスラエルの人々はまたバアルを慕って、これと姦淫を行い、バアル・ベリテを自分たちの神とした。」
(士師記8章33節)
アシュタロテ
“豊穣多産の女神”で、バアルとともにカナンの地で熱心に信仰されました。
バアルとアシュタロテは、男神と女神の関係で、お互いがセットになることで子供や家畜、作物が反映すると考えられていたのです。
こちらも、イスラエルの民や王たちによって信仰されていた時代がありました。
ちなみに、かの有名なソロモン王が、晩年に信仰してしまったのもこのアシュアロテです。(後述)
「これはソロモンがシドンびとの女神アシタロテに従い、アンモンびとの神である憎むべき者ミルコムに従ったからである。このようにソロモンは主の目の前に悪を行い、父ダビデのように全くは主に従わなかった。」
(列王記上11章5、6節)
聖書に登場する偶像崇拝の例は!?
先ほども言いましたが、聖書にはたくさんの偶像崇拝の例が出てきます。
その主な例を見てみましょう!
金の子牛事件
「アロンがこれを彼らの手から受け取り、工具で型を造り、鋳て子牛としたので、彼らは言った、「イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である」。」
(出エジプト32章4節)
これは、モーセが神様から十戒を受け取りに山に登っているときのこと。
イスラエルの人々は、
そこで人々は、モーセの兄であるアロンに、
これを聞いたアロンは、人々から金の耳輪を集め、若い雄牛の像を造りました。
そして、
その後、山を降りて来たモーセはこれを見てブチ切れ。
持っていた十戒の石板を叩き割ってしまいます。
偶像崇拝を禁じた十戒を受け取っている間に人々が偶像崇拝をする、という何とも皮肉な出来事でした。
この事件によって神の怒りに触れ、イスラエルの人々は3千人ほど
士師記時代
「イスラエルの人々は主の前に悪を行い、もろもろのバアルに仕え、 12かつてエジプトの地から彼らを導き出された先祖たちの神、主を捨てて、ほかの神々すなわち周囲にある国民の神々に従い、それにひざまずいて、主の怒りをひき起した。 」
(士師記2章11、12節)
旧約聖書の士師記の時代は、
その度に神様は人々の行いを正すため、
しかし、人々が悔い改めて神様に助けを求めると、
士師たちは、
ところが、士師が亡くなると、人々は
士師の時代が数百年以上も続いたのは、
詳しくは、【聖書】士師とはどんな人?その意味や主な人物まで分かりやすく解説をどうぞ
預言者エリヤ時代
「彼らは与えられた牛を取って整え、朝から昼までバアルの名を呼んで「バアルよ、答えてください」と言った。しかしなんの声もなく、また答える者もなかったので、彼らは自分たちの造った祭壇のまわりに踊った。」
(列王記上18章26節)
預言者エリヤが生まれた時代も、
なにしろ、一般の人々だけでなく、
そこで、エリヤは”バアル”や”アシェラ”といった異教の神様を信じる預言者たちを集めて、どちらが信じる神が本物かを決める対決をしました。
それは、お互いが神様の名前を呼んで、薪(たきぎ)
もちろん、これにエリヤは圧勝。
“バアル”や”アシェラ”といった神様は、彼らの声になにも答えてはくれなかったのです。
その後、相手の預言者たちは皆、殺されました。
詳しくは、預言者”エリヤ”とはどんな人物?神様からの超お気に入り!?【3分で分かる】をどうぞ
ソロモンの失敗
「そしてソロモンはモアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた。」
(列王記上11章7節)
イスラエルの全盛期を築いた王様ソロモンは、
しかし、段々とその信仰は薄れていき、
そして、神様から2度も忠告を受けていたのに、
これは、ソロモンが犯した最大の失敗でした。
これに神様は怒り、
イスラエルが分裂した原因は、ソロモンの偶像崇拝にあったのです!
詳しくは、【聖書人物】”ソロモン王”とは?聖書界NO.1頭脳の持ち主!?をどうぞ
まとめ:キリスト教で偶像崇拝はNG!
偶像崇拝と聞いてもあまりピンとこなかったかもしれませんが、
この日本には当たり前にある文化だということが分かりましたね。
神社やお寺など、周りを見渡せば偶像だらけですからね。。
本当の神様は目には見えませんが、確かに私たちの心の中におられます。
ただ真実の神様を信じていきましょう!
キートンでした。
偶像崇拝で、音楽などがいまいち理解できないのですが、
具体的にどんな感じなのでしょうか?
作り話でもなんでもいいのでわかりやすく教えていただけると幸いです。
Aoさん、コメントありがとうございます!
音楽が偶像崇拝になる場合は、主に2つ考えられると思います。1つ目は、音楽を演奏しているミュージシャンに心酔してしまう場合です。単なるファンを越えて崇拝するくらいになると、それは偶像崇拝と言えるでしょう。2つ目は、音楽そのものにのめり込む場合です。”NO MUSIC NO LIFE”なんてフレーズがありますが、音楽こそ私のすべて!みたいになってしまうと、神様を横に置くことになり偶像崇拝になるといえるかと思います。
これで伝わりますでしょうか?
ありがとうございます!とてもわかりやすいです!
今まで音楽は好きでしたが、音楽だけでなくどのジャンルにおいても
そもそもファンになったことがなかったので、音楽の偶像について本当に分かりませんでした。
ゲーム等も実はいまいち理解していなかったのですが、
引きこもってゲームをすること??課金とか??と解釈したりしてました。
何かあっても神様にお祈りすることですね。
ありがとうございます!!