ジーザス、エブリワン!キートンです。

何をした人なのか、生涯などについても知りたいなあ。。
こういった疑問にお答えします。
今でこそ世界で最も信徒の多く、多大な影響力を持つキリスト教。
しかし、元から現在ほどの地位を獲得していたわけではありません。
そして、聖書の中にはキリスト教を世界的な宗教に押し上げるのに多大な貢献をした人物がいます。
その人物こそ、今回ご紹介する“使徒パウロ”です!
パウロは偉大な伝道者であるばかりか、新約聖書の多くの手紙を書くなどキリスト教に大きな影響を与えたすんごい人物。
しかし、実はパウロ、元はクリスチャンを迫害していたかなりのワルでした。
では、そんな彼が一体なぜ神様を信じるようになったのでしょうか?
そこでこの記事では、クリスチャンの僕が、
- パウロはどのような人物か
- パウロの生涯
- パウロのキリスト教における功績
などにについて見ていきたいと思います!
目次
“パウロ”とは?

パウロは、新約聖書の”使徒言行録”に登場するキリスト教史上最も偉大な使徒の1人で、
“異邦人の使徒”とも呼ばれます。
その貢献度は、パウロがいなかったらキリスト教はここまでの世界宗教にはなっていなかったかもしれないと言われるほど。

しかし、元はバリバリのユダヤ教徒で、律法に従わないキリスト教徒を敵視し迫害していました。
そんな時にイエスの声を聞いたことがキッカケで、熱心な伝道者へと変えられたのです。
ただし、イエスが亡くなってから信者になったためいわゆる1
12弟子については、【完全版】イエスの12使徒(弟子)って誰がいるの?超個性派集団!?をどうぞ
パウロの生涯
では、そのドラマチックな生涯を見ていきましょう!
ユダヤ教徒時代

「3ところが、サウロは家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に渡して、教会を荒し回った。」
(使徒行伝8章3節)
パウロは裕福な家庭で生まれ、
大変恵まれた環境で育ったわけですね。
また、パウロは熱心なユダヤ教徒で、律法を軽んじるキリスト教徒を嫌い、
ですから、キリスト教徒からは恐れられる存在だったのです。
職業は、テント職人だったと言われています。
イエスとの出会い

「3ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。 4彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。 5そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 6さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。」
(使徒行伝9章3~6節)
パウロはある日、イエスの弟子たちを捕らえるためダマスコへと向かっていました。
しかし、目的地に近づいた頃に突然天からの光がパウロの周りを照らしました。
そして、倒れたパウロの耳に声が聞こえてきたのです。

パウロは答えました。

その声は答えました。

立ち上がって町に入りなさい。そうすれば、あなたのするべきことが知らされるだろう。
これを聞いてパウロは立ち上がって目を開きましたが、
パウロは周りに助けてもらいながらダマスコに入りますが、
イエスついては、【完全版】イエス・キリストとはどんな人物?その生涯をまとめてみた【5分で分かる】をどうぞ
パウロの回心

「22しかし、サウロはますます力が加わり、このイエスがキリストであることを論証して、ダマスコに住むユダヤ人たちを言い伏せた。」
(使徒行伝9章22節)
さて、ダマスコにはアナニヤというクリスチャンが住んでおり、イエスは彼に語られました。

そして、手を彼の上において再び目が見えるようにしてやるのだ。
しかし、これを聞いたアナ二ヤは渋い反応を見せます。
何しろ、パウロといえばクリスチャンを迫害していることで悪名高い人物であり、いわば自分たちの敵です。
その意味では、アナニアの反応は自然なものでした。
しかし、最終的にはアナニヤはイエスの言うことを受け入れてパウロと会い、彼の頭に手をおいて祈りました。
するとその瞬間、パウロの目からは鱗(うろこ)のようなものが落ちて、
その後、パウロは身を起こして洗礼を受け、
パウロはそれからというもの、
そして、あちこちの会堂でイエスが神の子であるということを語り始めました。
さあ、これを聞いて驚いたのは、周りの人々です。

ここへ来たのも、クリスチャンたちを捕まえるためだと聞いていたんだがなあ。。
しかし、
パウロはすっかり生まれ変わったのです。
詳しくは、【聖書物語】パウロの回心とは?わかりやすく内容をまとめてみたをどうぞ
パウロ、イエスの弟子たちと出会う

「28それ以来、彼は使徒たちの仲間に加わり、エルサレムに出入りし、主の名によって大胆に語り、 29ギリシヤ語を使うユダヤ人たちとしばしば語り合い、また論じ合った。」
(使徒行伝9章28、29節)
しばらく経ったのち、ユダヤ人指導者たちはパウロの寝返りを聞き、パウロを殺すことに決めました。
この情報はパウロの耳にも入り、パウロは町を出るとエルサレムへと向かいました。
そこでパウロは、
しかし、今までのこともあり、周りの人間は誰もパウロのことを信用せず、会わせてくれません。

そんなときに現れたのは、バルナバという人物。
彼が弟子たちにこれまでの事情を説明してくれたおかげで、
こうして、パウロは弟子たちと行動を共にし、イエスのことをたくさんの人々に伝えるようになっていったのです。
パウロは、新約聖書の手紙を書きまくった!?

新約聖書には“パウロ書簡”と呼ばれる書物があり、ここには13
それは以下の通りです。
- ローマの信徒への手紙
- コリントの信徒への手紙一
- コリントの信徒への手紙二
- ガラテヤの信徒への手紙
- エフェソの信徒への手紙
- フィリピの信徒への手紙
- コロサイの信徒への手紙
- テサロニケの信徒への手紙一
- テサロニケの信徒への手紙二
- テモテへの手紙一
- テモテへの手紙二
- テトスへの手紙
- フィレモンへの手紙

これらの手紙は、様々な教会や個人に向けて書かれたものでした。
では、なぜこの名前が付いたかというと、これらの手紙は使徒パウロが書いたと言われているから。
まあ、近年では、本当にパウロが書いたのか疑われている手紙もいくつかあるようですが。。
ここからも、パウロのキリスト教への貢献度の高さが分かりますよね!
そして、これらの手紙に書かれている内容が、後のキリスト教神学にも大きな影響を与えていきます。
聖書の作者については、聖書の作者って誰なの?【書物ごとの書き手のまとめ付き】をどうぞ
パウロの伝道旅行は、超ハードだった?

パウロはその生涯で3度
しかし、特筆すべきは回数ではなくその距離です。
パウロの宣教旅行の合計距離はなんと2万キロ(!)で、
うん、控えめに言っても頭おかしいですよね。
また、パウロはこう語っています。
「彼らはキリストの僕なのか。わたしは気が狂ったようになって言う、わたしは彼ら以上にそうである。苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。 24ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、 25ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。 26幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、 27労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。」
(コリント人への手紙Ⅱ 11:23-27)
パウロの宣教旅行は距離だけでなく、内容も超ハード。
- 投獄される
- ムチに打たれる
- 石で打たれる
など、命を落としてもおかしくないような目に何度もあっています。

しかし、これだけの苦難に遭いながらも、パウロは決してくじけず神様のことを伝え続けました。
この不屈の精神があったからこそ、パウロはこれだけの偉業を成し遂げることができたのでしょう。
ちなみに、3度の宣教旅行を終えた後、パウロはローマにて殉死(じゅんし)したと言われています。
パウロは恵まれた環境で育った!?

キリスト教において多大な功績を残したパウロですが、彼はかなり恵まれた環境で育ちました。
その結果、
- ユダヤ教の学者のもとで培った高い教養や強い信仰を持つ
- ヘブル語とギリシャ語をどちらも話せるバイリンガル
- ユダヤ人でありながらローマの市民権を保持
という普通の人が持っていない能力や権利を持っていたのです。
そして、だからこそ、パウロはこれだけの実績を残すことができたとも言えます。
「37パウロが兵営の中に連れて行かれようとした時、千卒長に、「ひと言あなたにお話してもよろしいですか」と尋ねると、千卒長が言った、「おまえはギリシヤ語が話せるのか。」
(使徒行伝21章37節)
例えば、高い教養は新約聖書の手紙で活かされていますし、
当時世界の国際語であったギリシャ語を話せることが、世界宣教の役に立ったのは間違いありません。

また、ローマ市民権を持っていたことで、ローマに行った際にパウロはローマの保護を受けることができました。
「27そこで、千卒長がパウロのところにきて言った、「わたしに言ってくれ。あなたはローマの市民なのか」。パウロは「そうです」と言った。 28これに対して千卒長が言った、「わたしはこの市民権を、多額の金で買い取ったのだ」。するとパウロは言った、「わたしは生れながらの市民です」。」
(使徒行伝22章27、28節)
このように、パウロが持っていた強みを神様は全て用いられたということが分かります。
いやー、こんな人物が元々は敵だったと考えると、恐ろしいですね。。
パウロは元々、”サウロ”という名前だった!?

上記のお話では最初からパウロと書きましたが、実は元々パウロは“サウロ”という名前でした。
しかし、クリスチャンへと生まれ変わってからは、パウロという名で呼ばれるようになったのです。
「サウロ、またの名はパウロ、は聖霊に満たされ、彼をにらみつけて 10言った、」
(使徒行伝13章9、10節)
迫害者から使徒へと生まれ変わった感があっていいですよね!
ちなみに、聖書で名前が変わった例は他にもあり、
などが同じく名前を変えられています。
パウロを描いた映画【パウロ 愛と赦しの物語】
実は、パウロの生涯を描いた映画が近年制作されています。
その作品の名前は『パウロ 愛と赦しの物語』。
これは、2018年にアメリカで上映された作品で、これを観ればパウロがどのような人物なのかがおおよそ分かります。
パウロが迫害者だった過去に苦しむシーンなども描かれており、胸に迫りますよ。

興味のある方は、ご覧あれ!
その他のキリスト教系映画については、【おすすめ】聖書が学べるキリスト教映画7選まとめ【動画あり】をどうぞ
まとめ:パウロはキリスト教界の超重要人物!

いかがでしたか?
パウロの偉大さが伝わりましたでしょうか?
パウロがいなければ、キリスト教の歴史は大きく変わっていたでしょう。
それに、クリスチャン迫害者から神様と出会って熱心なクリスチャンになるというドラマチックな体験をしているのがいいですよね。
生まれたときからクリスチャンだった僕からしたら、少しうらやましい部分もあります。
僕も今からクリスチャン迫害しようかな。(逆パターン)
キートンでした。

