ジーザス、エブリワン!キートンです。
皆さんは、どうしてもゆるせない相手がいますか?


などなど1人くらいは、そういう相手がいるかもしれませんね。
そこで、今回は”ゆるし”というテーマでお話をしたいと思います。
キリスト教は”愛の宗教”と呼ばれると同時に、“ゆるしの宗教”と呼ばれることがあります。
それは、イエスキリストが私たちの罪のために十字架で死なれ、罪をゆるしてくださったからです。
また、イエスご自身も、ゆるしについての教えを説いておられます。
「そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。」
(マタイによる福音書18章21、22節)
ここでいうゆるしというのは、相手に許可を与えるという意味の”許し”ではありません。
“罪の赦し”のことです。
このゆるしというのは、キリスト教特有の教えですが、そもそもなぜ人をゆるすことがそれほど大切なのでしょうか?
そこで、今回は、私たちが人をゆるすことが大切な理由について語っていきたいと思います!

赦(ゆる)しとは?

赦(ゆる)しとは、相手の罪などを免除してなかったことにすることです。
キリスト教において最も重要な言葉の1つですね。
一方で、私たちが日常的に使う“許す”という言葉は、相手の言うことを聞き入れるといった意味。
全く別物なので、間違えないようにしましょう!

人をゆるすことが大切な3つの理由
それでは、人をゆるすことが大切な3つの理由を見ていきましょう!
◎人をゆるすことが大切な3つの理由
- 神様にゆるされているから
- 心が解放されるから
- 感動を与えるから
①神様にゆるされているから

神様は、2000年ほど前に独り子であるイエスキリストを地上に送られました。
そして、これはアダムとエバ以降、罪に苦しむ私たちを救うためでした。
つまり、イエスキリストの死をもって神様は私たちの罪をゆるされたのです。
神様でさえも、私たち人間の罪をゆるしてくださった。
それならば、私たち人間も他の人の罪をゆるしてあげるのは自然なことではないでしょうか。
聖書にもこうあります。
「互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。」
(エペソ人への手紙4章32節)
自分の罪がゆるされているのに、他人の罪をゆるさないというのがどれくらい酷いことか分かりますか?
それは、人の弁当のおかずだけもらって自分のおかずはあげないくらい酷いことなのです!!

。。。はい、これに関してはイエス様がもっと分かりやすいたとえを語られているので、そちらを見てみましょう。(最初からそうしろ)
それは、仲間をゆるさない悪い家来のたとえです。
「それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。」
(マタイによる福音書18章23~25節)
あるとき、1万タラント(約6000億円)もの借金を背負ったしもべがいました。
もちろん、こんな大金を返せるはずもなく、しもべは主人にひれ伏してお願いしました。

すると、そんなしもべをかわいそうに思った主人は、彼の借金を帳消しにしてあげました。
ところが、そのしもべは外に出るなり、自分が100デナリ(約80万円)を貸している仲間を見つけると、首を絞めてこう言いました。

それに対して、仲間は答えました。

しかし、しもべはこれを聞き入れず、その仲間を借金を返せるまで牢屋にぶち込んでしまいました。
このことを知った主人は、しもべを呼びつけると言いました。

私がお前をゆるしたように、お前も仲間をゆるすべきではなかったか!!
こうして、ぶち切れた主人は、借金が返せるまでしもべを牢屋にぶち込んでしまいました。
さて、このお話を聞いてどう思いましたか?

たった80万円の仲間の借金を大目に見てあげないなんて、このしもべありえない!!
と思いますよね。
でも、私たちが他人の罪をゆるさないというのは、このしもべと同じことをしているということなんです。
私たちが人から受ける罪は、神様がゆるしてくださった罪に比べたら微々たるもの。
だから、私たちが人をゆるしてあげるのは、当然のことなのです!
このたとえ話の後に、イエスキリストはこう語られています。
「あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」。」
(マタイによる福音書18章35節)


②心が解放されるから

ゆるすというと、どうしても相手のためにしてあげることというイメージがあります。
しかし、人をゆるすことは自分のためでもあるのです。
なぜなら、人をゆるすということは怒りや憎しみから解放されることだからです。
だって、考えてもみてください。
ずっと相手に対して怒りや憎しみを抱き続けるって、めちゃくちゃ苦しくないですか?
それで相手も苦しむならまだしも、相手には何のダメージもありません。
つまり、相手をゆるさないのは、ただただ自分を苦しめるだけの自滅行為なんです!

でも、人をゆるすと怒りや憎しみは過去のものとなり、心は自由になります。
精神衛生的にも、人の罪は早くゆるしてしまったほうがいいんですね!
③感動を与えるから

人が人をゆるす姿というのは美しく、ゆるされた人はもちろん、他の人にも大きな感動を与えます。
なぜなら、ゆるすという行為には強い愛のパワーがあるからです。
僕がとっても好きな聖書のお話に、“ヨセフ物語”があります。
ヨセフはあるとき、お兄さんたちに奴隷としてエジプトに売られてしまいます。
しかし、エジプトで成功をしたヨセフは、王様の次に偉い宰相(さいしょう)の位にまで上りつめることができました。
そして、あるとき、お兄さんたちと再会する場面がやって来るのですが、皆さんならどうしますか?

とばかり、自分の地位を使って復讐を果たしますか?
確かに、ヨセフはそれくらいの酷い仕打ちをお兄さんたちから受けています。
しかし、ヨセフはお兄さんたちのことをゆるしたのです。
「ヨセフは兄弟たちに言った、「わたしに近寄ってください」。彼らが近寄ったので彼は言った、「わたしはあなたがたの弟ヨセフです。あなたがたがエジプトに売った者です。しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。」
(創世記45章4、5節)
すごく感動的なシーンだと思いませんか??
僕はこの箇所を読むたびに、思わずうるっと涙ぐんでしまいます。
人をゆるすということは、こんなにも感動を与えてくれるものなのですね!

まとめ:人をゆるすことは難しい

◎人をゆるすことが大切な3つの理由
- 神様にゆるされているから
- 心が解放されるから
- 感動を与えるから
ゆるしの大切さを語ってきましたが、人をゆるすというのは簡単なことではありません。
それくらい、人の怒りや憎しみのパワーというのは強いんですね。
でも、だからこそ人をゆるすことができたときに、人間は大きく成長し、心が解放されていきます。
ぜひ、神様にお祈りしつつ、自分のにっくき相手をゆるせるように前進していきましょう!
キートンでした。
