ジーザス、エブリワン!

これって何が原因なんだろう?解決方法はあるのかなあ?
こういった疑問にお答えします。
皆さんは普段、どんな言葉づかいをしていますか?
中には、普段からここには到底かけないようなおぞましい言葉ばかりを使っている方もいるかもしれません。
つまり、
- 誹謗中傷
- 悪口
- 暴言
などですね。
確かに、イラっとしたときはついつい汚い言葉を吐きたくなりますよね。
大切に取っておいたシュークリームを勝手に食べられたときとか。(理由がくだらない)
ところが、汚い言葉は私たちの人生を破滅へと導きます。

言葉の持つ力を侮ってはいけません!!
もし幸せな人生を送りたいなら、自分の言葉づかいをコントロールすることが大切なのです。
実は、大ベストセラーの聖書にも言葉づかいの大切さが書かれています。
そこでこの記事では、クリスチャンの僕が、
- 人はなぜ汚い言葉を使うのか?
- 汚い言葉を使ってはいけない理由
- 汚い言葉を使わなくなる方法
などをお届けします!
聖書については、【最強の書物】キリスト教の”聖書”とは?永遠のベストセラー!?をどうぞ
目次
人はなぜ汚い言葉を使うのか?【心の状態が悪いから】

そもそも、人はなぜ汚い言葉を使ってしまうのでしょうか。
もちろん、機嫌が悪かったり、人生が上手くいかなかったりしたときなどは思わず汚い言葉が出てくるということはあるでしょう。
ただ、本質的なことを言えば、汚い言葉を使ってしまう原因は心の中にあります。
なぜなら、私たちの心の状態が言葉となって出てくるから。
イエスはこのように語られました。
「33木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も悪いとせよ。木はその実でわかるからである。 34まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。」
(マタイによる福音書12章33、34節)
つまり、心が良いもので満ちているなら口から良い言葉が出て、心が悪いもので満ちているなら口から悪い言葉が出てくるのです。
例えば、
- 心が愛で満ちている
➡愛や励ましの言葉が出る
- 心が不満で満ちている
➡愚痴や不平不満が出る
- 心が怒りで満ちている
➡暴言や罵りが出る
みたいな感じですね。
これは僕自身も心当たりがあり、以前極度のうつ状態になったときは、口から汚い言葉があふれ出まくっていました。

マジで〇〇で、○○!!
んでもって、○○で○○で。。j,jifh×vnakbcyg%’”$#’viatb8oo\ip(#^ω^)(#^ω^)(#^ω^)!!!!
みたいな感じで。
テレビだったら、ずっとピー音が鳴っているような状態ですね。(完全に危ないやつ)
これはまさに僕の心の中が闇で覆われ、荒れ果てていたということを表しています。
もちろん、うつがよくなってからはほとんどなくなりましたが。。
つまり、汚い言葉が出てくるのは心の状態が良くないというサインなのです。

イエス・キリストについては、【完全版】イエス・キリストとは?その生涯を簡単にまとめてみたをどうぞ
汚い言葉を使ってはいけない3つの理由【クリスチャンが語る】
では、具体的に汚い言葉を使ってはいけない理由を見ていきましょう!
- 他の人を傷つけるから
- 自分にも悪影響だから
- 神様をも侮辱する行為だから
①他の人を傷つけるから

これはもはや言うまでもありませんね。
悪口や暴言、罵りといった汚い言葉は他の人を深く傷つけます。
しかし、皆さんは言葉というものの破壊力を甘く見ていませんか?
古代の日本では”言霊(ことだま)”なんてものが信じられていましたけど、言葉の持つ力って良くも悪くも半端ではないですよ!
聖書には、このように表現されています。
「5それと同じく、舌は小さな器官ではあるが、よく大言壮語する。見よ、ごく小さな火でも、非常に大きな森を燃やすではないか。 6舌は火である。不義の世界である。舌は、わたしたちの器官の一つとしてそなえられたものであるが、全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自らは地獄の火で焼かれる。 7あらゆる種類の獣、鳥、這うもの、海の生物は、すべて人類に制せられるし、また制せられてきた。 8ところが、舌を制しうる人は、ひとりもいない。それは、制しにくい悪であって、死の毒に満ちている。 」
(ヤコブの手紙3章5~10節)
舌というのは、私たちが言葉を発するためには必要不可欠な器官です。
ここでは舌は、
- 火であり
- 悪であり
- 毒である
とまで語られています。
つまり、口から出る軽い一言でもとてつもない破壊力をもたらすことがあるということですね。
皆さんにも、昔誰かに言われた何気ない一言に傷つき、それを長い間引きずったみたいな経験がありませんか?
ああいう言葉ってまさに毒のように、私たちの心をむしばんでいくんですよね。

また、イエスも山上の説教(垂訓)でこのように語られました。
「昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 22しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。」
(マタイによる福音書5章21、22節)
なんと兄弟に対して”愚か者”、”ばか者”などの罵倒の言葉を浴びせると、神の裁きがあるというのです!
なぜなら、このような言葉を発する人の心には怒りや憎しみがあり、それは神の目から見れば殺人にも等しいから。
実際、たった1つの言葉が相手の命を奪うことがあります。
現実にもそういう事件は増えていますし、最近ではSNSなどでの誹謗中傷の問題も大きくなっていますよね。
なんと恐ろしいことでしょう!!
このように、口から出る言葉は水鉄砲のような生易しいものではなく、
ピストルのように相手の心を撃ち抜き破壊する武器にもなり得るのです。

また、聖書には他にも、汚い言葉を発することに対する警告がいくつも書かれています。
「悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。」
(エペソ人への手紙4章29節)
「しかし今は、これらいっさいのことを捨て、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を、捨ててしまいなさい。」
(コロサイ人への手紙3章8節)
大切なのは、相手を傷つける言葉ではなく高める言葉を使うことなのです!
②自分自身も傷つくから

実は、汚い言葉を使うのは、相手だけでなく自分自身にも良くない影響を与えるんです。
なぜなら、その言葉を1番よく聞いているのは自分自身だから。
そりゃあそうですよね、自分の口から出てきている言葉なのですから!!
脳には、主語を理解できないという性質があります。
例えば、相手に向かって汚い言葉を吐いたつもりでも、脳はそれを自分が言われた言葉だと解釈してしまうんです。
ですから、もし普段から、

みたいな言葉を使っていたとしたら、

と言っているのと違いはないということです。
つまり、普段から汚い言葉ばかりを発している人は、自分自身に呪いの言葉をかけ続けているようなものなのです。
まさに不毛!不毛すぎます!!
こんなことを続けていたら、私たちの心は傷つき、自己肯定感もみるみるうちに下がっていくことでしょう。
そうなると、
- ますます心が汚れる
- 心が汚れるので言葉づかいもさらに悪くなる
- その言葉を聞いて自分の心がもっと汚れる
という負のループに突入してしまうのです!
こんな自分をもイジメるドM的なプレイは今すぐやめるべきです!!
③神様をも侮辱する行為だから

汚い言葉や悪い言葉を使うのは、神様も悲しまれる行為です。
なぜなら、私たちは神様にかたどって造られた神の作品だからです。
聖書にはこうあります。
「わたしたちは、この舌で父なる主をさんびし、また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間をのろっている。 10同じ口から、さんびとのろいとが出て来る。わたしの兄弟たちよ。このような事は、あるべきでない。」
(ヤコブの手紙3章9、10節)
私たちは、神様がご自分に似せるほど愛情たっぷりに造られた素晴らしい作品。
となると、その作品に汚い言葉をぶつけるというのは、神様を侮辱する行為にも等しいのです。
だって、考えてみてください。
もし皆さんが、自分が作り上げた超お気に入りの絵画を見て誰かが、

マジで価値ないわ!!
と吐き捨てるように言ったらどう思いますか?
恐らく、脳の血管が全て破裂するくらいぶち切れるのではないでしょうか??
神様は、私たちのことを死ぬほど愛しておられます。
だからこそ、愛する人間同士が罵り合ったり、暴言をぶつけ合うことをとても悲しまれるのです。
聖書には、悪い言葉を発することで聖霊を悲しませてはいけないとも書かれていますね。
「悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。 30神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのである。」
(エペソ人への手紙4章29、30節)
このように、汚い言葉を使うということは、
- 相手を傷つけ
- 自分自身も傷つけ
- 神様を侮辱し悲しませる
可能性があるということなのです。
あなたはそれでもまだ汚い言葉を使いますか?
汚い言葉を使わなくなる方法3選
では、汚い言葉を使わないようにするにはどうしたらいいのでしょうか?
その方法を具体的に3つご紹介します!
- 神様に心を清めてもらう
- 言葉を発する前に吟味する
- お祈りをして気持ちをぶつける
①神様に心を清めてもらう

悪い心の状態から、悪い言葉は出てくるというお話をしましたよね。
それなら、心を良い状態にしてやればもう悪い言葉は出てこなくなるはずです。
では、どうすれば心を良い状態にできるのか。
それは神様に心を清めていただくことです。
かつてのイスラエル王ダビデは、自分が大きな罪を犯したときにこのようにお祈りしました。
「神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。」
(詩編51編10節)
私たちの心の中には罪などの汚れがあり、それが悪い言葉を生じさせます。
ですから、自分の罪などを告白し、内側から神様に清めていただきましょう!
そうすれば、神様は全ての罪をゆるし、心をキレイキレイしてくださいます。
「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」
(ヨハネの第一の手紙1章9節)
罪については、キリスト教の”罪”とは何?本質は1つだけです【クリスチャンが回答】をどうぞ
②言葉を発する前に吟味する

皆さんの中に、頭に浮かんだ言葉を反射的に出してしまう方はいませんか?
口と脳が直結していて、
- 「バカじゃないの」という言葉が脳内に思い浮かぶ
- そのまま「バカじゃないの!」と口にしてしまう
みたいな。
まあ、政治家や芸能人でもそういうタイプの人が結構いますよね。
普段から考えなしにしゃべって、失言しまくってるみたいな人。。
しかし、それでは自分の舌をコントロールすることはできません!
言葉を発する前に頭の中できちんと吟味をすることが大切です。
聖書にはこう書かれています。
「いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい。そうすれば、ひとりびとりに対してどう答えるべきか、わかるであろう。」
(コロサイ人への手紙4章6節)
塩は重要な調味料であり、適度に加えてあげることでおいしい料理が出来上がります。
なんの味付けもされていない料理をどん!と出されても、食べる気がしないですよね?
同じように、言葉も脳内で吟味して、食べやすい味付けを加えてから口から出す必要があるのです。
そうすれば、相手も自分もハッピーですよね!
間違っても、激辛ハバネロソースをぶっかけて提供するなんてことがあってはなりません!
聖書屈指の賢者ソロモンもこう言っています。
「つるぎをもって刺すように、みだりに言葉を出す者がある、しかし知恵ある人の舌は人をいやす。」
(箴言12章18節)

③お祈りをして気持ちをぶつける

それでもどうしてもイライラが収まらず、汚い言葉が口から溢れ出そうになるときもあるかもしれません。
そんなときは、その胸に抱えた愚痴や不満を神様にぶつけてみましょう。

と思うかもしれませんが、大丈夫です。
なぜなら、神様は私たちの心の中など全てお見通しだから。
隠したところで意味はないし、上辺だけ取り繕ったようなお祈りを神様は喜ばれません。
ですから、愚痴や不満も素直に神様にぶつけてしまえばいいのです!
実は、あのイスラエルの英雄ダビデも、”詩編”という書物の中で何度も神様に愚痴や不満をぶつけています。
「神よ、彼らの口の歯を折ってください。主よ、若いししのきばを抜き砕いてください。 7彼らを流れゆく水のように消え去らせ、踏み倒される若草のように衰えさせてください。 8また溶けてどろどろになるかたつむりのように、時ならず生れた日を見ぬ子のようにしてください。」
(詩編58編6~8節)
「主よ、いつまでなのですか。とこしえにわたしをお忘れになるのですか。いつまで、み顔をわたしに隠されるのですか。」
(詩編13編1節)

ここでのポイントは、人にではなく神様にぶつけたということです。
汚い言葉は人にぶつけると罪になりますが、神様にぶつけると立派なお祈りになるのです。
神様はあなたのどんなネガティブな思いも受け止めてくださいますよ!
お祈りの仕方については、【祈り方】お祈りの方法って?クリスチャンが3ステップで教えます!をどうぞ
まとめ:汚い言葉を使わないように心がけよう!

◎汚い言葉を使ってはいけない理由
- 他の人を傷つけるから
- 自分にも悪影響だから
- 神様をも侮辱する行為だから
言葉というのは、私たちにとってあまりにも身近過ぎるため軽く見られがちです。
しかし、人の言葉には良くも悪くもとてつもない力があります。
人を励まし力づけることもできるし、傷つけて破壊することもできる。
どうせなら、私たちにとっても神様にとってもハッピーな言葉を使っていきたいですね!
聖書にはこう書かれています。
「もし、言葉の上であやまちのない人があれば、そういう人は、全身をも制御することのできる完全な人である。」
(ヤコブの手紙3章2節)
言葉で過ちのない完全な人に近づいていきましょう!
キートンでした。


コメント失礼します。タイムリー過ぎてビビりました。
高校時代の友達に貴方なんていない方が良かった〜的なことを言ったあとこの記事が目に入ったので…
神様が私に読ませたのかもしれないですね…(笑)
私は一応クリスチャンなのですが、これってクリスチャンがノンクリスチャンに酷い言葉を使うのもだめなのでしょうか?
ゆーさん、コメントありがとうございます!
なるほど、それはすごいタイミングですね(笑)
そうですね、本記事の内容は基本的にクリスチャンやノンクリスチャンといったことは関係なく、人間全てに当てはまることだと思います。なぜなら、汚い言葉を使うことが人や自分を傷つけ、神様を悲しませることに変わりはないからです。
ですので、もしゆーさんの心の中に罪悪感やモヤモヤしたものがおありなら、神様にその思いを打ち明けてみるといいかもしれません。