聖書物語シリーズ

【聖書】イエス・キリストのたとえ話6選!なぜこんなに例えを用いた?

ジーザス、エブリワン!キートンです。

イエス・キリストってたくさんのたとえ話を残しているけど、どんなものがあるの?

それに、なんでイエスはこんなにたとえ話を語ったの?

こういった疑問にお答えします。

 

キリスト教の中心人物として知られるイエス・キリスト。

イエスは生きている間に、人々にたくさんの教えを語られました。

 

その中で、頻繁に登場したのが数々のたとえ話です。

そのたとえはどれも印象的で、一度聞いたら忘れられないものばかり。

 

そして、そのたとえ話の中には現代にも通じる素晴らしい教訓やメッセージが隠されています。

どんなものがあるのか気になりませんか??

 

そこで、今回はクリスチャンの僕が、

  • イエス・キリストの主なたとえ話
  • イエスはなぜたとえ話を用いたのか?

などについてまとめていきます!

イエスについては、【完全版】イエス・キリストとはどんな人?その生涯を簡単にまとめてみたをどうぞ

【聖書】イエスのたとえ話って何がある?主なものを6つまとめてみた

それでは、ここから主なたとえ話をご紹介していきましょう。

分かりやすくあいうえお順でいきますね!

◎イエスのたとえ話まとめ

  1. 99匹の羊のたとえ
  2. 10人のおとめのたとえ
  3. 種をまく人のたとえ
  4. タラントのたとえ
  5. 放蕩(ほうとう)息子のたとえ
  6. 善きサマリア人のたとえ

①99匹の羊のたとえ

「そこでイエスは彼らに、この譬をお話しになった、あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。

(ルカによる福音書15章3、4節)

神様の憐れみ深さがテーマのたとえ話。

内容は、羊飼いが99匹の羊を残して見失った1匹の羊を探しに行くというもの。

 

ここでたとえられているのは、以下の通りです。

  • 羊飼い     

➡神様(イエスキリスト)

  • 99匹の羊   

➡神様と共に歩んでいる正しい人

  • 見失った1匹の羊

➡神様に背いている罪人

私たち人間は非常に弱くて無力な存在であり、その姿をイエスはにたとえられました。

(羊の無力さについては、【羊の性格・性質】羊の無力さを表す5つの特徴とは?【人間は羊です】をどうぞ)

 

すぐに罪を犯して神様からも離れてしまいます。

しかし、神様は罪を犯してはぐれてしまった私たち羊を必死で探してくださるお方です。

 

それがたとえ100匹のうちのたった1匹の羊であろうともです。

何という愛。。

 

そして、その1匹の羊を見つけたときに神様は大喜びして下さいます。

神様の大きな愛、憐れみ深さがよく分かりますね!

 

だからこそ、神様から離れてしまったときは、すぐに悔い改めて神様のもとに帰ることが大切です。

詳しくは、【聖書】”99匹の羊のたとえ”とは?解釈も含めてわかりやすく解説をどうぞ

②10人のおとめのたとえ

「そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。」

(マタイによる福音書25章1、2節)

イエスキリストがこの世の終わりに再び来られるという、キリストの再臨がテーマになっているたとえ話。

 

内容は、5人の賢いおとめと5人の愚かなおとめがそれぞれ灯火を持って花婿を待っていましたが、

愚かなおとめたちは油を用意していなかったため、結果的に婚宴に参加できなかったというもの。

 

ここでそれぞれたとえられているのは、

  • 花婿   

➡イエス・キリスト

  • おとめたち

➡キリストを信じる者(クリスチャン)

  • 婚宴   

天国

このような感じです。

 

つまり、

イエスがいつ来られてもいいように天国に入れる準備しておきなさい。

というメッセージが込められています。

キートン
キートン
準備していなかった人(愚かなおとめ)は天国(婚宴)に入れなかったですからね。。!

 

イエスキリストが地上に来られるのはもしかしたら、今日かもしれません。

既にイエスを信じている人も、その時に備えておくことが必要なんですね。

 

ちなみに、宗派によっては、灯火と油はそれぞれ

  • 灯火➡神の言葉
  • 油 ➡聖霊

を象徴しているととらえることもあります。

 

詳しくは、【聖書】”10人のおとめのたとえ”って?キリストの再臨がテーマ?をどうぞ。

③種をまく人のたとえ

「イエスは譬で多くの事を教えられたが、その教の中で彼らにこう言われた、「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。」

(マルコによる福音書4章2~4節)

“神の言葉の受け止め方”について語られているたとえ話。

内容は、種をまく人が種をまき他の種は実を結ばなかったが、良い土地にまかれた種だけは何十倍にも実を結んだというもの。

 

ここでたとえられているのは、

  • 種まく人➡神様
  • 種   ➡神様の言葉
  • 土地  ➡私たち人間の心

こんな感じです。

 

つまり、神の言葉が私たちの中で実を結ぶかどうかは私たちの受け止め方次第だということですね。

神様の言葉を心から受け取ろうとすれば大きく祝福されますが、頑固になったり誘惑に負けたりすると実を結びません。

 

聖書にも書かれている神様の言葉には、私たちの人生を変えてしまうほどの大きな力があります。

しかし、私たちがそれを心から受け止めなくては意味がないのです。

キートン
キートン
ちなみに、このたとえ話には珍しくイエスによる解説も付いています!

詳しくは【聖書】種を蒔(ま)く人のたとえの意味とは?クリスチャンが解説をどうぞ

④タラントのたとえ

「また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。

(マタイによる福音書25章14、15節)

芸能人の”タレント”という言葉の由来にもなっているたとえ話。

神様への忠実さがテーマになっています。

 

内容は、主人からタラントというお金を預かったしもべたちが、それぞれ商売でお金を増やして主人に褒められるというもの。

しかし、あるしもべだけはお金を増やそうとする努力を怠り、土に埋めておいたことで主人から怒られてしまいます。

 

ここでたとえられているのは、以下の通り。

  • 主人   

➡神様(キリスト)

  • しもべたち

➡神様に仕える者(クリスチャンたち)

  • タラント 

➡才能や能力など(特に霊的賜物)

神様は私たち人間を信頼し、才能や能力など様々な賜物を預けてくださっています。

時間やお金なども全部神様からの贈り物。。

 

だからこそ、それらのタラントを忠実に神様のために増やしたり活かしたりしていく必要があるのです。

そうでなければ、私たちは預かったタラントを土に埋めてしまうことになるんですね。

 

ちなみに、タラントはしもべの能力に応じて預けられたので、後に”talent”という英語が才能を意味するようになりました。

詳しくは【聖書】”タラントンのたとえ”の意味とは?”タレント”の語源!?をどうぞ

⑤放蕩(ほうとう)息子のたとえ

「また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。

(ルカによる福音書15章11~13節)

イエスのたとえ話の中でも特に有名なものの1つ。

99匹の羊のたとえと同じく神様の憐れみ深さがメインテーマとなっています。

 

内容は、父から財産をもらった息子が放蕩をしてお金を使い果たしてしまった後、改心してまた父のところに戻ってくるというもの。

そんなダメ息子を父親は怒るでもなく、温かく迎え入れます。

 

ここでたとえられているのは、以下の通りです。

  • 父親  ➡神様
  • 放蕩息子➡罪を犯した人間

放蕩息子はどうしようもないダメ人間に見えますが、私たちもを犯して神様から離れてしまうダメな存在。

しかし、神様は私たちが罪を犯しても悔い改めれば温かくゆるしてくださるお方なのです。

本当に憐れみ深い。。

 

ちなみに、このたとえ話には罪=神様から離れることという罪の本質も描かれています。

キリスト教でいう罪がどういうものかを知りたい方にも、ぴったりのお話ですね!

 

詳しくは【聖書】放蕩息子のたとえとは?どんな解釈やメッセージがある?をどうぞ

⑥善きサマリア人のたとえ

「ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。

(ルカによる福音書10章33、34節)

“隣人に対する愛”がテーマのお話で、これまた有名なたとえ話の1つですね。

 

内容は、強盗に襲われて半殺しにされたユダヤ人の旅人を、犬猿の仲であるはずのサマリア人だけが助けたというもの。

一方で、同じ民族であるユダヤの祭司やレビ人は、旅人に気づきましたが見て見ぬふりをして行ってしまいました。

 

私たちにとっての隣人というのは、

  • 同じ民族の人
  • 仲がいい人
  • 血が繋がっている人
  • 自分が気に入っている人

などに限定されるものではありません。

助けを必要としている人は例外なく私たちの隣人なのです。

 

そして、そのような隣人を愛しなさいとイエスは語られました。

キートン
キートン
これはまさに、無償の愛アガペーですね!

このように、隣人愛を実践できる人が永遠の命を得ることができるのです。

 

ちなみに、アメリカやカナダではこのたとえ話をもとにした“善きサマリア人の法”という法律が存在します。

詳しくは、善(良)きサマリア人のたとえとは?現代人にも分かりやすくまとめてみたをどうぞ

イエスはなぜこんなにたとえ話を用いた!?

さて、上記に紹介したもの以外にもイエスは様々なたとえを用いて教えを語られました。

では、なぜわざわざイエスはこんなにもたとえ話を使われたんでしょうか?

 

普通に自分の教えだけ語るほうが楽な気もしますよね。

その答えは、イエスご自身が弟子たちに語られています。

「そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。だから、彼らには譬で語るのである。それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。 

(マタイによる福音書13章11〜13節)

つまり、イエスがたとえ話を用いられたのは、

普通の人々にそのまま自分の教えを話しても理解できないからということです。

 

確かに、神についてもよく知らない人たちにいきなり神の国の話などをしても、ピンとこない可能性が高いでしょう。

これでは、医者が一般人に人体の構造について専門用語を使って説明しまくっているのと変わりません!(多分)

チンプンカンプンだにゃ~。

 

ですから、イエスは弟子以外の一般の人々にも理解しやすいように配慮して、たとえ話を語られたということですね。

また、たとえ話を用いたほうが印象的で人々の心に残りやすいという意図もあったかもしれません。

まとめ:イエスキリストはたとえ話の達人!

◎イエスのたとえ話まとめ

  1. 99匹の羊のたとえ
  2. 10人のおとめのたとえ
  3. 種をまく人のたとえ
  4. タラントのたとえ
  5. 放蕩(ほうとう)息子のたとえ
  6. 善きサマリア人のたとえ

イエスは、様々なたとえを駆使して人々に分かりやすくご自分の教えを語られました。

いや、よくこれだけ上手いたとえがポンポン思いつくもんだ。。さすがは神の子。。

 

しかし、今回ご紹介したのもそのほんの一部。

気になった方は、ぜひ聖書を開いて他のたとえ話も読んでみてください!

 

そこには、イエスからの大切なメッセージが込められていますから。

キートンでした。

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キートン
月間12万PVを達成! 信仰生活28年のプロテスタントクリスチャンで、愛称は"キートン"(本名:辻 勇輝)。 キリスト教の面白さを伝えるために、分かりやす~く情報を発信中。 所属教会は”ひばりが丘バイブルチャーチ”です。 趣味は、曲作り、映画鑑賞、読書、筋トレ、散歩など。

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