ジーザス、エブリワン!キートンです。
今回は、“
イエス様は、生きている間に驚くほどたくさんの奇跡を起こされました。
【イエス・キリストの奇跡①】
“カナの婚礼”
➡イエス・キリストが起こされた初の奇跡👼
婚礼の途中でぶどう酒が切れてしまったけど、イエス様が石の水がめに水を入れさせると、水があっという間にぶどう酒に!
この式には、母のマリアや弟子たちも招待されていたよ💡https://t.co/JRAKucVH9t pic.twitter.com/4hoVvb7hfI
— キートン@クリスチャンブロガー (@keaton1992) March 31, 2020
それは、誰もが知っているメジャーなものから、
さあ、皆さんはいくつ知っているでしょうか!
この記事では、
- イエスキリストが起こされた奇跡まとめ(ジャンル別)
- イエスキリストが奇跡を起こされた理由
などについてご紹介します!

Contents
“イエス・キリスト”とは?

そもそもイエス・キリストとは誰かというと、新約聖書に登場する“救い主”のことです。
イエス様は、私たち人類の罪を背負うために十字架にかかり、3日後に蘇られました。
神の子でもあり、人の子でもあります。
そして、イエスキリストは生きている間に様々な奇跡を起こされ、人々を驚かせたのでした。
⬇詳しくは、こちらの記事をどうぞ。

イエスキリスト初めての奇跡
まずは、記念すべき初奇跡から。
多くの絵画の題材にもなっている“カナの婚礼”ですね。
しかし、
カナの婚礼(ヨハネ2章1節〜)

「イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。 8そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。すると、彼らは持って行った。」
(ヨハネによる福音書2章7、8節)
イエス様がカナでの婚礼で、
この婚礼には、
しかし、婚礼の途中で大事なぶどう酒が切れてしまったのです。
当時、式の途中でワインを切らすということは、後の代まで続くような”一家の恥”と言われていたので、これは大変です。
これを聞いたイエス様は、
中身がぶどう酒に変わってしまいました。
これを味見したお世話係は、

と絶賛したんだとか。
いやー、この奇跡が使えたら、一生お酒に困らないですよね。(下心丸出し)

“自然系”の奇跡
人間が抗(あらが)うことのできない自然も、イエス様にとっては手のひらの上です。
魚が大漁にとれる(ルカ5章4節、ヨハネ21章1節)

この奇跡は、2回行われています。
その①ペテロたちをスカウトしたとき
「話がすむと、シモンに「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」と言われた。 5シモンは答えて言った、「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」。 6そしてそのとおりにしたところ、おびただしい魚の群れがはいって、網が破れそうになった。 」
(ルカによる福音書5章4節〜6節)
1回目は、ペトロ、ヤコブ、
上の聖書箇所で書かれている”シモン”というのがペテロのことです。
イエス様が夜通し魚がとれなかった彼らに、もう一度網を下ろすように言われるとおびただしい数の魚がとれました。
その際に、イエス様が言われた口説き文句がこれです。

あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。
。。。このセリフ、かっこよすぎません?(真顔)
これで3人はイチコロにされ、
無理もないですわ、うん。

その②イエス・キリストの復活後
「イエスは彼らに言われた、「子たちよ、何か食べるものがあるか」。彼らは「ありません」と答えた。 6すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」。彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので、それを引き上げることができなかった。」
(ヨハネによる福音書21章5節、6節)
2回目は、イエス様が死から復活されて、
イエス様が弟子たちにアドバイスをすると、
初めて出会ったときと、状況がそっくりなのがぐっときますよね!
岸にいるのがイエス様だと気づいたペテロが、


嵐を静める(マタイ8章23節など)

「するとイエスは彼らに言われた、「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」。それから起きあがって、風と海とをおしかりになると、大なぎになった。」
(マタイによる福音書8章26節)
イエス様が、弟子たちと共に舟に乗っておられた時のこと。
激しい嵐が起こり、弟子たちは慌てふためきます。
助けを求めて、眠っていたイエス様を起こした弟子たちに、

そして、嵐に向かって一喝。
嵐を一瞬で静めてしまいます。(かっこいい)
弟子たちは、これを見て開いた口が塞(ふさ)がらなかったそうな。
パンと魚を増やす(マタイ14章13節、マタイ15章32節)

「そして群衆に命じて、草の上にすわらせ、五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさいて弟子たちに渡された。弟子たちはそれを群衆に与えた。 20みんなの者は食べて満腹した。パンくずの残りを集めると、十二のかごにいっぱいになった。」
(マタイによる福音書14章19、20節)
イエス様は、この奇跡も2度起こされています。
1回目は、5つのパンと2匹の魚で5000人を、2回目は、7つ

その際に、イエス様は天に祈りを捧げてから、パンを裂き、
しかも、全員が満腹しただけでなく、パンが余り、1回目は12の
いやー、この奇跡が使えたら、一生食べ物には困r(以下自粛)
湖の上を歩く(マタイ14章22節など)

「イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。 」
(マタイによる福音書14章25節)
これは、イエス様が舟に乗っている弟子たちのところへ、
弟子たちはこれを見て幽霊だと思っておびえますが、
その後、弟子のペテロも同じように湖の上を歩こうとして、
しかし、強い風が吹き、急に怖くなってしまうと沈んでしまい、イエス様に助けられます。
いまいちカッコのつかない、
主イエスの変容(マタイによる福音書17章1節 – 9節など)

「ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。」
(マタイによる福音書17章2節)
これも有名な奇跡で、イエス様が3弟子(ペトロ、ヤコブ、ヨハネ)を連れて高い山に登ると、
イエス様の姿が変わり、顔は太陽のように輝き、その衣がまっ白に輝きました。
イエス様は弟子たちに、ご自身が十字架に架かって死ぬことを日頃から語っておられました。
ですから、この奇跡によって気持ちが沈んでいる弟子たちに希望を与えようとしたのです。
ちなみに、そのときにイエス様は預言者であるモーセやエリヤとお話をしていたそうな。


いちじくの木を枯れさせる(マタイ21章18節〜)

「朝はやく都に帰るとき、イエスは空腹をおぼえられた。 19そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当らなかった。そこでその木にむかって、「今から後いつまでも、おまえには実がならないように」と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。」
(マタイによる福音書21章18、19節)
ある日、イエス様が、お腹を空かせておられた時のこと。
道の途中で、いちじくの木があることに気づき、
しかし、

と言われ、いちじくの木を枯れさせてしまいました。
私たちから見れば、空腹の怒りからくる単なる八つ当たりです。
しかし、そこは神の子イエス様。
人間には分からない、きっと何か深い意味があるのでしょう。(
他の奇跡と比べると、明らかに異質ですよね。
“病気・障害を癒やす”系の奇跡
このタイプの奇跡は、イエス様が起こされた奇跡の中でも最も数が多いです。
今からご紹介する奇跡もほんの一部にすぎません。
重い皮膚病(ハンセン病)を癒す(マルコ1章40節)

「ひとりのらい病人が、イエスのところに願いにきて、ひざまずいて言った、「みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。」
(マルコによる福音書1章40節)
ある日、重い皮膚病の人がイエス様の前にひざまづいて、
すると、イエス様は彼をかわいそうに思い、触れて癒してあげたのです。
ちなみに、このお話にはちょっとしたオチがあって、
しかし、彼はこのことを色んな人に言いふらしました。

その結果、噂を聞いた人々が集まり過ぎて、
まあ、それだけ嬉しかったということなんでしょうね。
38年間苦しんだ病気を癒す(ヨハネ5章1節)

「イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。 9すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。」
(ヨハネ5章8、9節)
これは、イエス様が、エルサレムの”ベトザタ”という池に行かれ
そこには、たくさんの病気や障害に苦しんでいる人がいて、
しかし、その日は安息日だったため、


12年間の出血を止める(マタイ9章18節など)

「イエスは振り向いて、この女を見て言われた、「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」。するとこの女はその時に、いやされた。」
(マタイによる福音書9章22節)
イエス様が多くの群衆に囲まれている時、12年間も出血が続いて
女性は、
すると、自分の体から力が出ていったことに気づいたイエス様は言われました。

こうして、彼女の病気は完全に癒されたのです。
これは、イエス様自らが働きかけていない、
悪霊を追い出す(マタイ8章28節など)

「そこで、イエスが「行け」と言われると、彼らは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れ全体が、がけから海へなだれを打って駆け下り、水の中で死んでしまった。」
(マタイによる福音書8章32節)
イエス様がガダラ人の地方に行かれた時、悪霊に取り憑かれた人が
その2人は凶暴で、
そこでイエス様は、彼らから悪霊を追い出すと、
すると、豚の群れは暴れて、


盲人の目を癒す(マタイ9章27節〜)

「そこで、イエスは彼らの目にさわって言われた、「あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身になるように」。 30すると彼らの目が開かれた。イエスは彼らをきびしく戒めて言われた、「だれにも知れないように気をつけなさい」。」
(マタイによる福音書9章29、30節)
ある日、2人の盲人が、

と叫びながら、イエス様についてきました。(ちょっと怖い)
これに対してイエス様は、

と2人に尋ねます。
すると2人は、はいと答えたので、イエス様は2人の目に触り、

と言われると、2人は目が見えるようになりました。
イエス様はその後、
さっきの皮膚病の人といい、口軽すぎですよほんと。
耳が聞こえず、口もきけない人を癒す(マルコ7章32節)

「天を仰いでため息をつき、その人に「エパタ」と言われた。これは「開けよ」という意味である。 35すると彼の耳が開け、その舌のもつれもすぐ解けて、はっきりと話すようになった。 」
(マルコによる福音書7章34、35節)
イエス様がガリラヤ湖に来られた時、人々は、
すると、イエス様はその人の両耳に指を差し入れ、
そして、その人に向かって

と言われると(魔法っぽくてかっこいい)、その人の耳は聞こえるようになり、
その後、イエス様は人々に、
しかし。。この後は、もう言わなくても分かりますね?(呆れ顔)
まあ、これだけの奇跡を目の当たりにして、

“死人を生き返らせる”系の奇跡
イエス様の手にかかれば、死者だって復活しちゃいます!
指導者の娘を生き返らせる(マタイ9章18節など)

「「あちらへ行っていなさい。少女は死んだのではない。眠っているだけである」。すると人々はイエスをあざ笑った。 25しかし、群衆を外へ出したのち、イエスは内へはいって、少女の手をお取りになると、少女は起きあがった。 」
(マタイによる福音書9章24、25節)
ある時、

しかし、あなたが娘に手を置いてくだされば、きっと生き返るでしょう。
イエス様は会堂長の家に行って、娘をご覧になると言われました。

人々はイエス様を馬鹿にしましたが、イエス様が娘の手を取ると、
このうわさは地方全体に広がりました。
ラザロを生き返らせる(ヨハネ11章17節〜)

「こう言いながら、大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた。 44すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。イエスは人々に言われた、「彼をほどいてやって、帰らせなさい」」
(ヨハネによる福音書11章43、44節)
ある日、イエス様も以前から知り合いで、
イエス様は、既に死後4日経ってから、
イエス様は、墓石を取り除けるように言われると、

すると、ラザロが全身を布で覆われたまま出てきたのです。
これぞ奇跡!
いやー、イエス様に不可能ありませんね。
“死からの復活”の奇跡(マタイによる福音書28章1節〜など)

「そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』。あなたがたに、これだけ言っておく」」
(マタイによる福音書28章7節)
最も有名な奇跡にして、最も重要な奇跡ですね。
この奇跡なくして、キリスト教は語れません!
イエス様は私たち人類の罪のために死なれてから、3日後に蘇られ
この復活を信じているのがクリスチャンなんですね。
復活されたイエス様は、
その中でも有名なのが、

と言うトマスに、イエス様が十字架にかかられた際についた、
その後、案の定イエス様に、

と叱られてしまいます。
このエピソードのせいで、後々トマスは“疑いのトマス”または“不信のトマス”などという不名誉な名前で呼ばれることになるのです
その後、弟子たちと過ごしたイエス様は、

イエス・キリストはなぜ奇跡を行った!?

それにしても、イエス様は、
それは決して、
インスタのストーリーに載せて友人たちに自慢するためでも、
イエス様が奇跡を起こされた1つの目的は、イエス・キリストが、
実際、イエス様が行われた奇跡は、
自然も支配するわ、病気も癒すわ、死人も生き返らせるわ。
これらの奇跡によって、

ただ、奇跡自体はモーセやエリヤなど、他にも起こせる人物は過去にいました。
ですから、これは本当の目的とは言えません。
イエス様が奇跡を行った最大の目的は、神の国のことを人々に伝えるためです。
つまり、奇跡を通して、イエス様がおられる神の国がいかに凄いパワーに満ちた場所なのかを証明しようとしたんですね。
実際、イエス様はこんなことを語られています。
「しかしイエスは、「わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない。自分はそのためにつかわされたのである」と言われた。」
(ルカによる福音書4章43節)
これは例えるなら、三ツ星レストランからやって来たシェフが、
自分がいたレストランの素晴らしさを伝えるために、人々にそのレストランの極上料理をふるまって見せたみたいな感じです!!(多分)
このように、奇跡を通して地上の人々に神の国のことを伝えるのも、イエス様の大きな目的だったんですね。

イエス・キリストはなぜ毎回口止めした!?
となると、1つの疑問がわいてきます。
なんでイエス様は、
人々からの信頼を得たいのなら、
これには、いくつかの説があります。
説①”奇跡を起こしてくれる超能力者”だと勘違いされたくなかったから

イエス様はあくまでも、
決して、多くの人に奇跡を見せつけて、有名になるために来られたわけではありません。
ですから、“ただ単に奇跡を起こしてくれる人”というイメージがつくことは、

説②宣教の妨げになる恐れがあったから

先程ご紹介した奇跡エピソードでも、人々に奇跡の話が広まり、
このように、イエス様の奇跡が広まり過ぎると、人々にもみくちゃにされて宣教活動がしにくくなります。
これをイエス様は避けたかったのです。
人々に自分が救い主であることを信じて欲しいけど、奇跡のことがあまり広まりすぎても困る。
イエス様も、かなりのジレンマがあったんでしょうね。


まとめ:イエスキリストの奇跡は他にもまだまだある!

いやー、とんでもない奇跡のオンパレードでしたね!
スケールも、大きいものから小さいものまで色々ありました。
ただし、これらのエピソードを見て、聖書=
聖書ではむしろ、イエス様のように奇跡を起こせる人物はまれです。
預言者のモーセやエリヤなど、限られた時代の限られた人物しか奇跡は起こしていないので誤解なきように!
ちなみに、
やれやれ、まったく。
イエス様、奇跡起こしすぎですよ〜。(謎の文句)
ではまた!
