ジーザス、エブリワン!キートンです。
今回は、
イエス様が語られた中でも、有名なたとえ話の1つですね。
ジーザス、エブリワン!👼
イエス様のたとえ話に、“善きサマリア人”のたとえってあるよね??
実は、このたとえを元にした”善きサマリア人の法”というのがアメリカやカナダにあるんだよ!
これは「急病人などへの救済行動が失敗しても罪に問われない」というものなんだ!https://t.co/vpNDfTQKc5 pic.twitter.com/SzjKmE3oEf
— キートン@クリスチャンブロガー (@keaton1992) April 14, 2020
短いお話ですが、とても印象に残るお話です。
この記事では、
- “善きサマリア人”のたとえのストーリー
- “善きサマリア人”のたとえに込められたメッセージ
などについてまとめていきます!

Contents
“善きサマリア人のたとえ”とは?

“善きサマリア人のたとえ”は、イエス・キリストが語られたたとえ話の1つです。
“善いサマリア人のたとえ”と呼ばれることもあります。
内容は、強盗に襲われて死にかけているユダヤ人を、当時ユダヤ人に嫌われていたサマリア人だけが助けてあげたというもの。
“隣人に対する愛”や”永遠の命”がテーマとなっています。

“善きサマリア人のたとえ”の登場人物
短いお話ですが、登場人物を紹介しておきましょう!
ユダヤ人の旅人

エリコへ旅をしていたユダヤ人。
途中で強盗に襲われて、半殺しにされてしまいます。
ユダヤの祭司

通りかかる人その①。
ユダヤ人の旅人とは、同じ民族のはずですが。。
レビ人

通りかかる人その②。
ユダヤ人の旅人には気づきますが。。
サマリア人

通りかかるその③。
前の2人のように、ユダヤ人の旅人を見て見ぬ振りをするかと思いきや。。?
聖書箇所
ルカ10章25節〜37節
“善きサマリア人のたとえ”のストーリー
では、ストーリーに入っていきましょう!
ユダヤ人の旅人、襲われる

あるところに、
しかしある日、そのユダヤ人は強盗に襲われ、

通りかかった3人の人たち

しばらくすると、
ふと見ると、そこに旅人が倒れています。
ところが、面倒なことに巻き込まれたくないと思ったのか、
またしばらくすると、今度は※レビ人が通りかかりました。
しかし、彼もまた旅人には気づいたものの、
さて、さらにしばらくすると、今度は当時ユダヤ人に軽蔑(
彼は旅人に気づき、また見て見ぬ振りをして通り過ぎる。。
彼はボロボロに横たわっているユダヤ人がかわいそうに思い、
そして、自分のロバにユダヤ人を乗せ、

翌日になり、サマリア人は宿屋の主人に銀貨を2枚手渡すと言いま

お金が足りなかったら、私が帰りに寄って払いますので。
※レビ人➡古代ユダヤ教の祭司の一族。元々は、古代イスラエル12部族の1つであったと言われている。

ユダヤ人とサマリア人は、犬猿の仲だった!?

このたとえ話の中には色んな民族が出てきますが、
元々、サマリア人はユダヤ人と同じ民族で、
しかし、
“サマリア五書”という独自の書物を聖典にしており、ユダヤ人はサマリア人を純血と見なさなくなりました。
こうして、ユダヤ人はサマリア人のことを嫌い始め、

その結果、当時はユダヤ人とサマリア人は口をきくことさえもNGになっていたのです。
このたとえ話以外にも、
この背景を知っていなければ、

善きサマリア人のたとえのテーマは、”無条件の愛”!?

イエス様がなぜこのお話を語られたかというと、
イエス様が普段から、”神様への愛と隣人への愛の大切さ”を大衆に語られていたからですね。
するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。彼に言われた、「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。
(ルカによる福音書10章25~29節)
その問いに答えるために、イエス様はこのたとえ話を語られたのです。
では、このお話のテーマは一体何でしょうか?
このお話には、今日まで様々な解釈がなされていますが、代表的なものをご紹介します。
解釈①無条件の愛(アガペー)を実践せよ!
解釈の1つ目は、助けを必要としている人がいたらそれがどんな相手でも愛を持って助けなさいというものです。
つまり、無条件の愛“アガペー”のことを語っているということですね。
最初に通りかかったユダヤ人は、同じ民族にも関わらず、
「するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。」
(ルカによる福音書10章31節)
これは、まさに当時のユダヤ人たちのことを表しています。
つまり、彼らは自分と同じユダヤ人のことしか隣人として見ていなかったのです。
一方で、最後に通りかかったサマリア人は、
「ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。」
(ルカによる福音書10章33、34節)
つまり、このお話でイエス様が語られたのは、
民族感情を超えたこのサマリア人の行動こそアガペーであり、あなたたちもこのようにしなさいということです。
そして、そのような隣人愛を実践できる人が、永遠の命を得ることができるんですね!


解釈②サマリア人は、イエス様!
一方で、このサマリア人は、イエス様ご自身のことを例えているのではないかという解釈もあります。
実際、当時のイエス様も、一部のユダヤ人たちから嫌われ、サマリア人と呼ばれることもあったそうです。
また、ユダヤ人から嫌われながらも、隣人愛を実践しているという意味でもこのサマリア人とイエス様はそっくりですね。
そうなると、ボロボロになっている旅人は私たち人間のことだとも取れます。
つまり、そんな私たちを愛し助けてくれるイエス様こそ隣人であり、そのイエス様を愛しなさいというメッセージですね。
どれが正解かは分かりませんが、イエス様が”愛”についてお話をしたかったというのは間違いないでしょう。
“善きサマリア人の法”が存在する!?

皆さんは、“善きサマリア人の法”というものがあるのを知っていますか?
これは、アメリカやカナダなどで実際に存在する法律で、
急病人などへの救済行動は、それが失敗したとしても罪に問われないというもの。
責任を恐れて、急病人を助けるのをためらってしまうことを防止することが目的のようですね。
そして、この法律は”善きサマリア人のたとえ”が由来となって作られました。

イエス様のたとえ話は意外なところにも影響を与えているんですね!
善きサマリア人の絵画
では、最後に善きサマリア人をテーマにした絵画を見てみましょう!

『善きサマリア人』(ピーテル・ラストマン)
*「〝善きサマリア人〟のエピソードは何を意味するのか?」
…「善きサマリア人」でも、イエスと律法学者の話でも、聖書には劇的な対決の場面が多い。
これは、聖書が教育を受けていない庶民に向けて書かれた書物だからだ。 pic.twitter.com/a3Q1gyzb3e
— Hiroshi Matsuura (@HiroshiMatsuur2) October 2, 2019
サマリア人がケガをしたユダヤ人の旅人を介抱しようとしている場面。
何というかかなり生々しいですね。
っていうか、これってユダヤ人生きてるのか。。?

『善きサマリア人』(フィンセント・ファン・ゴッホ)
…然るに或るサマリヤ人、旅して其の許(もと)にきたり、之を見て憫み、近寄りて油と葡萄酒とを注ぎ、傷を包みて己が畜(けもの)にのせ、旅舍に連れゆきて介抱し、…
(ルカ 10:33-34)*フィンセント・ファン・ゴッホ『善きサマリア人』1890年 pic.twitter.com/nQU1ytAUZt
— IZU (@m2o123) September 9, 2020
これは、サマリア人がユダヤ人の旅人を介抱するために馬に乗せようとしているシーン。
あのゴッホが自殺した年に描いた作品だと言われています。
この独特の世界観は、まさにゴッホという感じですね!

まとめ:”善きサマリア人のたとえ”は隣人への無条件の愛を教えてくれる!

このように、イエス様のたとえ話は理解が難しいものも多く、解釈も分かれます。
しかし、そのメッセージは深くてとても考えさせられますね。
私たちも隣人に無条件の愛をもって接していきたいですね!
それにしても、ボロボロになっていてなおかつ嫌っている相手を、
僕なら、すぐに携帯で救急車呼びますね。(現代人思考)
ではまた!
