ジーザス、エブリワン!クリスチャンブロガーのキートンです。
どんなお話なの?
こういった疑問にお答えします。
あなたは「なぜこの世界には苦しみがあるんだろう?」と考えたことはありませんか?
自分が何か悪いことをしたならまだしも、それなりに正しく生きているはずなのに苦難が絶えない。
と思わず叫びたくなるようなときもあるかもしれません。
実は聖書にも、理解できない様々な苦難にあって、神に叫び続けた男の話が書かれています。
それが”ヨブ記”です。
ヨブ記の主人公ヨブは、正しい人であるにも関わらず、一度に家族や財産、健康などを全て失いました。
では、ヨブはなぜこれほどの苦難にあわなくてはいけなかったのでしょうか?
ヨブ記には、理由のわからない苦難に苦しむ現代の私たちにも通じる大切なメッセージが込められているのですが、これを知らない方も多いです。
そこでこの記事では、クリスチャンの僕が、
- ヨブ記とは?内容がひどい?
- ヨブ記のあらすじ
- ヨブ記が伝えたいことは?2つの教訓
- ヨブ記の名言
について解説します。
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目次
ヨブ記とは?内容がひどい?
内容がひどいと思われがちな”ヨブ記”ですが、そもそもどのような書物なのでしょうか?
概要や著者などについてざっくりと見ていきましょう。
- ヨブ記の概要
- ヨブ記の著者
ヨブ記の概要
“ヨブ記”は旧約聖書に収められている書物の一つで、”詩編(しへん)”や”箴言(しんげん)”などと並んで「知恵文学」の中に分類されています。
内容は難しいですが、詩的な表現や哲学的なテーマもあり、世界最高の宗教文学と評価されていますね。
そのため、キリスト教のみならず、宗教を超えて多くの人に読み継がれています。
主な内容は、ヨブという正しい人物が、財産や家族一度に失うといった様々な苦難に襲われるというもの。
と思われがちですが、本書では“正しい人がなぜ苦しみにあうのか?”という普遍的なテーマが扱われているのです。
ヨブは苦難の中でも神への信仰を失わず、神が何を考えているのかを求め続けます。
最終的に、神はヨブに語りかけ、彼の忍耐と信仰を評価して以前よりも大きな祝福を与えるのでした。
ヨブ記の著者
ユダヤ教の伝統では、ヨブ記はモーセが執筆したとされていますが、実際の作者は不明です。
なぜなら、ヨブ記は匿名で書かれているからですね。
ただ、その内容から、古代イスラエル人によって書かれた可能性が高いと考えられています。
書かれた時期に関しても、紀元前600年頃~紀元前300年頃までのどこかで書かれた可能性が高いと言われていますが、
こちらも確かなことは分かりません。
ヨブ記のあらすじ
では、ここからは聖書をもとにヨブ記のあらすじを見ていきましょう。
- ヨブの試練①
- ヨブの試練②
- ヨブと友人たちの議論
- エリフの登場
- 神の答えと結末
ヨブの試練①
「彼がなお語っているうちに、またひとりが来て言った、「神の火が天から下って、羊およびしもべたちを焼き滅ぼしました。わたしはただひとりのがれて、あなたに告げるために来ました」。」
(ヨブ記1:16)
昔々ウツという地に、ヨブという人が住んでいました。
ヨブは神を恐れる正しい人で、息子7人と娘3人がおり、多くの財産を持った東の国No.1のお金持ちでした。
まさに非の打ち所がない人生ですよね。
あるとき、神は言われました。
ところが、神に対して悪魔(サタン)が言いました。
持っているものを失えば、ヨブもたちまちあなたのことを呪い始めるでしょう!
すると、神が答えました。
ただし、彼自身には決して手を出すな。
これを聞くと、
- 牛やロバをシェバ人に奪われる
- 羊と羊飼いが神の火(雷のこと)によって焼け死ぬ
- ラクダがカルデア人に奪われる
- 大風によって家が倒れ、子どもたちが全員死ぬ
普通なら、どれも気が狂ってもおかしくないほどの災いです。
しかし、これだけの災いを受けてもヨブは決して神を責めず悪を行いませんでした。
ヨブの試練②
「サタンは主の前から出て行って、ヨブを撃ち、その足の裏から頭の頂まで、いやな腫物をもって彼を悩ました。 8ヨブは陶器の破片を取り、それで自分の身をかき、灰の中にすわった。」
(ヨブ記2章7、8節)
またある日、神はサタンに言われました。
お前はヨブを破滅させようとしたが、彼は決して罪を犯さなかった。
しかし、サタンは答えました。
ヨブの肉体に災いを下せば、今度こそあなたを呪うでしょう!
サタンは次に、ヨブの持ち物ではなくヨブ自身に狙いを定めたのです。
神は言われました。
ただし、命だけは奪うな。
サタンは飛び出していくと、
ヨブは、あまりのかゆさに陶器の破片で体中をかきむしります。
しかも、当時の社会では、皮膚病は社会的な死を意味しており、その意味でも大きな苦しみでした。
さらに、ヨブの様子を見たヨブの妻に
とえげつない暴言まで吐かれてしまいます。(鬼か)まさに踏んだり蹴ったりです。
しかし、ヨブはこの災いに対しても神を責めず、罪を犯しませんでした。
こうして、ヨブは財産、家族、健康、名誉をすべて失ってもなお、神への信仰を失わなかったのです。
ヨブと友人たちの議論
「時に、ヨブの三人の友がこのすべての災のヨブに臨んだのを聞いて、めいめい自分の所から尋ねて来た。すなわちテマンびとエリパズ、シュヒびとビルダデ、ナアマびとゾパルである。彼らはヨブをいたわり、慰めようとして、たがいに約束してきたのである。」
(ヨブ記2章11節)
ヨブが災いによってどん底の状態にあったとき、
3人の友人(エリパズ、ビルダデ、ゾパル)が彼を慰めるためにやって来ました。
しかし、ヨブのあまりにもみじめな姿を見た彼らは、この災いはヨブが何か罪を犯した結果ではないかと考えます。
いわゆる、”悪いことをして罰が当たった”という考え方ですね。
そのため、友人たちはヨブを慰めるどころか責め始め、
だから、早く罪を告白しなさい!
と罪の告白と悔い改めを迫ったのです。
しかし、友人たちがヨブを責めるほど、ヨブは自分は何も罪を犯していないと無実を主張して、一歩も引きません。
実際、ヨブは罪を犯していませんから、友人たちの考え方はヨブには当てはまりません。
そして、ヨブは、
人生とは一体何なのか?
と自分が生まれた日を呪うのでした。
エリフの登場
「その時ラム族のブズびとバラケルの子エリフは怒りを起した。すなわちヨブが神よりも自分の正しいことを主張するので、彼はヨブに向かって怒りを起した。」
(ヨブ記32:2)
ヨブと友人たちの議論が平行線をたどる中、若い男エリフが登場します。
彼はヨブとその友人たちを非難すると、以下のような主張をしました。
- ヨブは「神が自分の叫びに答えない」と言うが、神は沈黙されることもある
- そもそも神は様々な方法で語っているのに、人間がそのことに気づかないのだ
- ヨブの苦しみは罪に対する罰ではなく、神の懲らしめ・訓練である
- 神は人間よりも偉大で、罪や不正をしない完全な存在である
- ヨブの神への態度は傲慢で反抗的である
- 人は神の考えの全てを理解できないが、それでも神に信頼すべき
このように、エリフは友人たちともまた違った、新たな視点を持っていました。
ただ、エリフの主張も友人たちと同じく、いくつかの真実もあるものの、間違った内容もある不完全なものでした。
神の答えと結末
「この時、主はつむじ風の中からヨブに答えられた、 2「無知の言葉をもって、神の計りごとを暗くするこの者はだれか。」
(ヨブ記38:1、2)
すると、ついに神ご自身がつむじ風の中からヨブに語りかけられました。
しかし、神はどのヨブの質問にもお答えになりませんでした。
なぜなら、ヨブの質問はどれも本質的なものではなかったからです。
その代わりに神は、以下のようなことを語られました。
- 神が造られたこの世界には人間の知らないことがたくさんある
- 神の力と知恵は人間の理解を超えている
- 神の計画や行いを人間は完全には理解できない
- 友人たちは間違った思い込みや批判でヨブをより苦しませた
神は、ヨブが自分中心に物事を考え、神さえも批判の目で見ようとしていたヨブに強く語られたのです。
ヨブは神の言葉を聞き、神にできないことはなく、神の計画は全て実現することを知りました。
また、神の偉大さと自分の小ささを認めて、悔い改めました。
結果的に、ヨブは神から以前と同じ10人の子と、かつての2倍の財産が与えられたのです。
ヨブは以前にもまして、大きく祝福されたんですね。
ヨブ記が伝えたいことは?2つの教訓
ヨブ記は、「ヨブさんがひどい目にあったけどハッピーエンドで良かった!」という単純なお話ではありません。
大切な教訓やメッセージが込められているのです。
以下で2つ見ていきましょう。
- 人間は神の考えを完全には理解できない
- 忍耐強い信仰の先に希望がある
人間は神の考えを完全には理解できない
ヨブ記が伝えたいことの一つは、人間は神の考え(目的や計画など)を完全には理解できないということです。
なぜなら、神の考えは、ちっぽけな人間の理解をはるかに超えているからですね。
当然ですよね、天地を造られ全てを支配しておられる神は、人間よりはるかに偉大で大きな存在なのですから。
神は聖書でもこのように語っておられます。
「天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。」
(イザヤ書55:9)
つまり、”なぜ善人にも苦しみがあるのか”というヨブ記の大きなテーマの答えは、神しか分からないというのが正解なのです。
ヨブの友人たちは、ヨブの苦しみは罪を犯した罰だと主張し、エリフは訓練のためだと主張しました。
もちろん、それらが苦しみの理由であることもありますが、必ずそうであるわけではありません。
実際、ヨブは神から認められるほど正しい人物であり、友人たちの考え方は今回の場合、明らかに間違っていますよね。
このように、人間の苦難の理由を、私たちが完全に全てを理解することはできません。
モヤモヤするかもしれませんが、これが真実です。
忍耐強い信仰の先に希望がある
一方で、忍耐強い信仰の先に希望があることもヨブ記は教えてくれます。
つまり、神を信頼するなら、苦しみはただ苦しみのまま終わらないということです。
なぜなら、神は良いお方であり、私たちを心から愛してくださっているからですね。
「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」
(エレミヤ書29:11)
ヨブは理解ができないような苦しみにあいながらも、神への信仰を捨てずに忍耐し続けました。
その結果、ヨブは以前よりもさらに大きな祝福を受けることができたのです。
私たちにも、
と思うような苦難がやって来ることがあります。
実際僕も、周りの身近な人が急に亡くなったり、大きな災害が起こったりするのを見ると、「神様なぜなんですか!?」と叫びたくなるときはあります。
コロナウィルスが世界中で流行したときもそうでした。
しかし、どんな苦難も神のご計画と支配の中にあります。
ですから、苦難の意味は分からなくとも、天地の全てを支配しておられる神を信頼しましょう。
良いお方であり、私たちを愛してくださっている神を信頼しましょう。
神は私たちを決して悪いようにはしません。
苦難の中でも神を信頼し続けていれば、必ず神が祝福してくださいますよ!
「わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。 3あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。 4だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。」
(ヤコブの手紙1:2-4)
ヨブ記の名言
最後に“ヨブ記”の名言をいくつかご紹介しましょう。
- 主は与え主は取り去る(ヨブ記1:21)
- たとえ彼が私を殺そうとも(ヨブ記 13:15)
- 計り知れない神の知恵と力(ヨブ記38:4-6)
主は与え主は取り去る(ヨブ記1:21)
「そして言った、「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。」
(ヨブ記1:21)
ヨブが財産や子どもたちを失った直後に語った言葉で、ヨブ記の中でも特に有名な聖句です。
これだけの悲劇が起きたら、怒りや不満、絶望の言葉が出てくるのが普通ではないでしょうか。
しかし、ヨブが口にしたのは文句ではなく、神への揺るぎない信頼でした。
つまり、
と語り、神をたたえたのです。
「持っているものを奪えばヨブは神を呪うだろう」というサタンの企みが失敗した瞬間ですね。
たとえ彼が私を殺そうとも(ヨブ記 13:15)
「見よ、彼はわたしを殺すであろう。わたしは絶望だ。しかしなおわたしはわたしの道を彼の前に守り抜こう。」
(ヨブ記13:15)
ヨブが友人たちとの議論の中で語った言葉。
ヨブは、神が自分を殺しても神を待ち望むと語りました。
自分の命さえ奪われるかもしれない試練の中でも、ヨブは神への強い信仰を失わなかったのです。
計り知れない神の知恵と力(ヨブ記38:4-6)
「わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。 5あなたがもし知っているなら、だれがその度量を定めたか。だれが測りなわを地の上に張ったか。 6その土台は何の上に置かれたか。その隅の石はだれがすえたか。」
(ヨブ記38:4-6)
神がヨブに語られた言葉。
神は自分が天地を造られた存在であり、ヨブは天地創造に関して何も知らないことを示されました。
なぜなら、ヨブは神によって造られた被造物に過ぎないからです。
人間には計り知れない神の無限の知恵と力が分かる箇所ですね。
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まとめ:”ヨブ記”には現代にも通じる大切なメッセージがある!
ヨブ記は、「ヨブさんが災いにあってかわいそう!」というだけのお話ではありません。
そこには、苦難の中にいる私たちにも通じる大切なメッセージがあるのです。
私たちがどんなに良い生き方をしようと、苦難は必ずやって来ます。
私たちは、その苦難の意味を完全に理解することはできません。
しかし、どんな苦難の背後にも、全てを支配し私たちを愛しておられる神がいます。
ですから、苦難の中でも神を信頼しましょう。その先には、大きな希望と祝福があるのですから!
キートンでした。
👇️参考文献
ヨブの息子や娘は何を想うのでしょうね。
自分ならヨブの息子にはなりたくないです。そして貴方なら?
それなのになぜ、神を信頼できるのか。「神を試みてはならない」としながら、人を試みる神を、なぜ信頼することができるのか。
信頼できるひとは、すなわち神に選ばらた方なのだろう。私にはとてもできない。永遠の業火に焼かれたいと思います。