ジーザス、エブリワン!キートンです。
現代で使われている意味とは違うのかな?
こういった疑問にお答えします。
あなたは、“狭き門”という言葉を聞いたことがありますか?
受験生や就活生には特におなじみの言葉かと思いますが、実はこれ、聖書が由来の言葉なんです。
具体的には、イエスキリストが山上の垂訓(説教)で語られた言葉ですね。
しかし、現在使われている狭き門の意味と、イエスが語られた狭き門の意味は同じではありません。
では、イエスが語られた“狭き門より入れ”とはどのような意味なのでしょうか?
そこで今回は、クリスチャンの僕が、
- “狭き門より入れ”の意味とは?
- 【聖書】”狭き門より入れ”の本来の意味は?
について解説します!
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✅聖書由来の言葉については、聖書に由来する言葉・ことわざを10個まとめてみた【キリスト教】をどうぞ
“狭き門より入れ”の意味とは?
“狭き門より入れ”とは一般的に、
自分自身を高めたいなら簡単な道よりも困難な道を選ぶほうがよいという意味で使われる言葉です。
確かに、困難な道を選ぶとそのときは苦しいですが、結果的に大きく成長できることが多いですよね。
受験勉強なんかは分かりやすい例かと思います。
また、単に狭き門といった場合、競争者が多くて就職や入学などが難しいという意味で使われますね。
ただし、この言葉は新約聖書のイエスキリストの言葉に由来があり、一般的な意味とは異なります。
具体的にいうと、以下の”マタイによる福音書”の箇所ですね。
「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。 14命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。」
(マタイによる福音書7章13、14節)
【聖書】”狭き門より入れ”の本来の意味は?
では、イエスキリストはどのような意味で、”狭き門より入れ”という言葉を使われたのでしょうか?
まず、ここで語られているテーマは、天国に行ける道です。
つまり、どの道を選べば天国に行けるかが語られているんですね。
私たち人間の前には2つの門があり、イエスはそれらを対比的に用いられています。
それが、
- 滅びへの門
- 命への門
の2つであり、中間はありません。
滅びへの門
「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。」
(マタイによる福音書7章13節)
滅びへの門は大きくその道は広いです。
だからこそ、多くの人が深く考えずに、楽に入れるこの門から入ってしまいます。
しかし、その先にあるのは滅びであり地獄です。
これは比喩ではなく、文字通りの地獄ですね。
この門から入った人には希望などなく、やがて悪魔(サタン)と共に火の池に投げ込まれることになります。
「このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。」
(ヨハネの黙示録20章15節)
当時は、ファリサイ派や律法学者といったユダヤ教指導者たちの教えに従うことこそが、天国への道だと信じられていました。
しかし、
- 人間のルール
- 人間の努力
- 偽の宗教
などに頼った先にあるのは、滅びなのです。
命への門
「命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。」
(マタイによる福音書7章14節)
滅びへの門とは対照的に、命への門は狭く道は細いです。
しかし、これはただ単に幅が狭く、入れる人数が少ないという意味ではありません。
ほとんどの人が門の存在に気付かない、という意味で狭いと表現されているのです。
多くの人は、滅びに至る大きな門のほうに入ってしまいますからね。
命への門の先には天国があり、そこで神と共に永遠に生きることができます。
では、一体どうしたら命への門に入り、天国に行くことができるのでしょうか?
それは、
- 修行をすることでも
- 大きな成功をおさめることでも
- 善い行いを積み重ねることでも
なく、イエスキリストを信じることです。
自分の罪を悔い改めてイエスを信じることだけが、天国への唯一の道なのです。
なぜなら、イエスは私たちの罪のために十字架で死んでくださったから。
イエスもこのように語っておられます。
「イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」
(ヨハネによる福音書14章6節)
もちろん、いつもイエスを信じて従っていく生き方は、決して楽な道ではありません。
この世では人間を滅ぼそうとする悪魔(サタン)の力が働いていますし、たくさんの誘惑や苦難がありますから。
しかし、その先には、神と永遠に天国で生きることができるという大きな祝福が待っているのです。
✅【完全版】イエス・キリストとはどんな人?その生涯を簡単にまとめてみた
✅【キリスト教】福音の意味とは?クリスチャンが簡単に解説しますも参照
まとめ:キリストを信じて狭き門から入ろう!
私たちの前には、滅びへの門と命への門があり、選べるのはどちらか1つです。
狭き門から入れ!と言われると、
と思いがちですがそうではありません。
命への門に入る方法は、ただ1つ。
イエスキリストを信じて共に歩むことです。
キリストだけが道であり、真理であり、命なのですから。
ぜひキリストを信じて、滅びへの大きな門ではなく、命への狭き門から入っていきましょう!
キートンでした。
👇参考文献
伝道活動お疲れ様です!
確かに日本なんかは神様、霊的世界、真理を見出そうとしても高確率でスピリチュアル、引き寄せ、新興宗教、占い、ヨガ、寺神社巡り等に行き着いてしまう社会システムが出来てしまいました↓
恥ずかしながら私も求道者時代はスピリチュアリズムに傾倒してました。
スピリチュアリズムは最初は色々と上手く行くんですが数年たつと幻聴や精神的な不均衡、体調不良に見舞われこれは何かがおかしいと感じ色々調べたら近代スピリチュアルはキリスト教の異端的な思想(グノーシス主義、ニューソート思想)が元になっていると気付きました。
スピリチュアルと関係が強い神智学なんかはモロに蛇のマークですから、今振り返ると恥ずかしい限りです。
賢者は歴史から学ぶと言いますが、もとを辿るとキリスト教に行き着くんですよね。
そしてクリスチャンに回心したら、物理現象では不可能な奇跡的な治療がバンバン起こるようになり心身も絶好調になりやはりイエス様が真理だと確信したのです。
私は、伝道もしますが論より証拠じゃないですけど求道者や迷える人にキリスト様が真理だと完全に証できるレベルの癒やしや奇跡(重症患者さんを一瞬で完治させる等)の賜物も求めて、毎日祈ってます。
キートン様はキリスト教の神様が真理だと確信したエピソードや体験談はありますでしょうか?
子羊さん、コメントありがとうございます!
そうですね、確かに日本には異教的で良くない文化や風習などが非常に多いなと感じます。それが福音宣教の働きを妨げている部分は大いにありますね。だからこそ、日本のリバイバルのために祈り続ける必要があるのではないでしょうか。
今回も素敵なお証をありがとうございます!僕は子羊さんほどのド派手なエピソードはありませんが、経済的にギリギリなときに臨時収入がふっと入ったり、進路に困っているときにベストな道筋が開かれたりすることが今までに何度もあり、そんなときに主の存在を強く感じますね。また、聖書を読み深めてその内容を知れば知るほど、キリストこそ真理だと思えます。聖書の預言通りに世界が動いているという事実も、主の存在を強く証していると感じますね。