ジーザス、エブリワン!クリスチャンブロガーのキートンです。
いくつかの種類に分けられているって本当?
こういった疑問にお答えします。
あなたは地獄というと、どんなイメージを持っているでしょうか?
閻魔大王がいて、舌を抜かれる?
グツグツと煮えたぎったマグマの中に入れられる?
いずれにせよ恐ろしい場所で、お願いされても行きたくはない場所というのは、共通認識としてあるのではないでしょうか。
だからこそ、死んだ後に地獄に行かないように、なるべく良い生き方をしようとする人たちもいます。
そして、実際に地獄は存在します。
なぜなら、永遠のベストセラー“聖書”に地獄の存在について書かれているから。
地獄の恐ろしさが分かれば、私たちの生き方も変わってくるのですが、これを知らない方も多いです。
そこで今回の記事では、
- 【キリスト教】地獄とは?いくつかの種類がある?
- 地獄はどんな場所?主な3つの特徴
- なぜ愛の神が人を地獄に送る?
- 地獄に行かないたった一つの方法
について解説します。
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目次
【キリスト教】地獄とは?いくつかの種類がある?
地獄といっても、キリスト教ではいくつかの種類に分けられることがあります。
宗派によっても各種類の考え方は異なりますが、それぞれ見ていきましょう!
- ハデス
- ゲヘナ
ハデス
ハデスは、キリストを信じていない者が死後に行く場所です。
旧約聖書のヘブライ語では、”シェオール”という言葉で登場し、どちらも日本語では”よみ”と訳されますね。
ハデスは、死んでから最終的な裁きが行われるまでの一時的な待機場所であり、苦しみの場所であるとされています。
いわば、犯罪者が判決を待つ“留置所”のような場所ですね。
聖書には、神に逆らって生きた裕福な男が、死後にハデスで苦しんでいる様子が描かれています。
「この貧乏人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。 23そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。 24そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。」
(ルカによる福音書16:22-24)
この箇所では、神を信じて死後”アブラハムのふところ”に行った貧乏人ラザロと、神を信じずに死後”ハデス”に行った金持ちが対比されていますね。
“アブラハムのふところ”というのは、キリストを信じた者が死後に行く安息と慰めの場所のこと。
イエスの十字架での死と復活以降は、この概念がより明確になり、“パラダイス”として理解されるようになりました。
つまり、
- キリストを信じている者の魂 ➡死後パラダイスへ
- キリストを信じていない者の魂➡死後ハデスへ
それぞれ行くということですね。
そして、どちらも神(キリスト)の最終的な裁きである、最後の審判のときを待つのです。
そのため、ハデスはあくまでも一時的な状態であり、
最後の審判の後ハデスは次でご紹介する火の池(ゲヘナ)に投げ込まれるとされています。
「海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。 14それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。」
(ヨハネの黙示録20:13、14)
ゲヘナ
ゲヘナは、キリストを信じていない者が最終的に行く場所です。
“火の池”のイメージと結び付けられており、罪人が最終的に罰せられる場所だとされています。
つまり、ハデスにいる罪人は、最後の審判によってこのゲヘナに投げ込まれるということですね。
ゲヘナの火は決して消えず、その苦しみは永遠です。
「もし、あなたの片手が罪を犯させるなら、それを切り捨てなさい。両手がそろったままで地獄の消えない火の中に落ち込むよりは、かたわになって命に入る方がよい。」
(マルコによる福音書 9:43)
元々ゲヘナというのは、旧約聖書に出てくる“ヒノムの谷”あるいは“ベン・ヒノムの谷”が由来の言葉です。
ヒノムの谷は、エルサレムの南にある谷で、旧約聖書において異教の神モレクへのいけにえが捧げられた場所として知られています。
南ユダ王国のユダの民はこの谷で自分の子供たちを火の中で焼き、いけにえとして捧げるという忌まわしい儀式を行っていました。
「主は言われる、ユダの民はわたしの前に悪を行い、わたしの名をもってとなえられる家に、憎むべき者を置いてそこを汚した。 31またベンヒンノムの谷にあるトペテの高き所を築いて、むすこ娘を火に焼いた。わたしはそれを命じたことはなく、またそのようなことを考えたこともなかった。」
(エレミヤ書7:30、31)
しかし、後にヨシヤ王はこの忌まわしい行いを止めさせるために、ヒノムの谷を汚しました。
つまり、ヒノムの谷を
- 町の汚物を捨てる場所
- 動物の死骸や罪人の死体が焼かれる場所
にすることで、宗教的にも儀式的にも使用できない状態にしたんですね。
こうして、ヒノムの谷は神の裁きと滅びの象徴になり、ゲヘナは罪人の永遠の滅びの場所、地獄を指す言葉として使われるようになったのです。
地獄はどんな場所?主な3つの特徴
地獄というと、人によって様々なイメージがあると思いますが、聖書にはどのような場所として描かれているのでしょうか?
地獄に関する具体的な記述はあまり多くはないですが、3つの特徴をまとめてみましょう!
- 神から完全に切り離された場所
- 永遠の苦しみが続く場所
- サタン(悪魔)たちが行く場所
①神から完全に切り離された場所
1つ目の特徴は、神から完全に切り離された場所ということです。
これこそ地獄の最も恐ろしい特徴ですね。
なぜなら、神から切り離されるということは、神の愛や恵み、希望などあらゆる良いものから切り離されるということだから。
聖書にはこうあります。
「そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。」
(テサロニケ人への第二の手紙 1:9)
「あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。」
(ヤコブの手紙 1:17)
全ての良いものは、神から来ます。
この世にいる間は、善人も悪人も神からの恵みや祝福を受けることができますが、神がいない地獄ではそうはいきません。
つまり、神がいない世界というのは、絶望や苦しみ、孤独といった負のものに満ちた恐ろしい場所だということです。
まさしく地獄ですよね。
②永遠の苦しみが続く場所
2つ目の特徴は、永遠の苦しみが続く場所ということです。
どんなに苦しい場所でも、終わりがあるならまだ救いがあるかもしれません。
しかし、地獄での苦しみは永遠に続きます。
なぜなら、地獄とは神への罪に対する永遠の刑罰だから。
「そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」。」
(マタイによる福音書25:46)
終わりのない苦しみほど辛いことはないですよね。
実際、地獄は”消えない火”として描かれ、その火は永遠に燃え続けるとされています。
「地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。」
(マルコによる福音書 9:48)
ただし、地獄の火が比喩なのか実際に地獄で火が燃えているのかについては、宗派によっても解釈が異なります。
いずれにせよ、それだけ地獄が苦しみに満ちた場所というのは間違いなさそうですね。
神がいない世界で昼も夜も永遠に苦しみ続ける、それが地獄の正体なのです。
③サタン(悪魔)たちが行く場所
3つ目の特徴は、サタン(悪魔)たちが行く場所ということです。
キリスト教の伝統によると、サタンは神に反逆して天を追放された堕天使であり、人間を惑わして罪に導く、悪のボス的存在ですね。
しかし、この世の終わりにサタンは神に滅ぼされ、地獄に落とされると聖書には預言されています。
「そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。」
(ヨハネの黙示録 20:10)
つまり、地獄は今まで散々神と人に敵対してきたサタンたちが、神の裁きを受ける場所でもあるのです。
聖書にも、地獄はサタンとその手下たち(つまり悪霊)のために用意された場所だと書かれています。
「それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。」
(マタイによる福音書 25:41)
つまり、元々地獄は、神が私たち人間を罰するために造られたのではないということです。
しかし、神ではなくサタンに従ってしまうなら、結果的にサタンたちと共に永遠の火に投げ込まれてしまうということですね。
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なぜ愛の神が人を地獄に送る?
地獄の話になると、よくある疑問が、
なのにその神様が人間を地獄に送るっておかしくない?矛盾してない??
というものです。
確かに、聖書にも神は愛と書かれていますし、神は私たち人間のことを心から愛してくださっています。
それなら地獄なんて送らず、全ての人を無条件で天国に入れてくれればいいじゃないかと思いますよね。
以下でこの疑問にお答えしていきましょう。
- 正義の神でもあるから
- 人間の自由意志を尊重しているから
正義の神でもあるから
神は愛の神であると同時に、正義の神でもあります。
そのため、罪に対して公正な裁きを行わずにはいられません。
もし神が罪を犯した人間を罰しないのであれば、それは正義ではなく、神のご性質に反するんですね。
「神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。 7すなわち、一方では、耐え忍んで善を行って、光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ、 8他方では、党派心をいだき、真理に従わないで不義に従う人に、怒りと激しい憤りとが加えられる。」
(ローマ人への手紙2:6-8)
もちろん、神は私たち人間のことを心から愛してくださっており、全ての人間が滅びから救われることを願っておられます。
実際、聖書にはこのような有名な聖句がありますね。
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 17神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。」
(ヨハネによる福音書3:16、17)
しかし、だからと言って、神に背いて罪を犯し続けている人間を感情だけで無罪放免にするわけにはいきません。
例えば、もし裁判官が、自分の気に入った人間だけを無罪にしていたらどう思うでしょうか?
そんなのとても正義とは言えないですし、信用できないですよね。
神は人間を愛すると同時に公平な裁きをされるお方なのです。
人間の自由意志を尊重しているから
そもそも神が人間を地獄に送る、というのは正確な表現ではありません。
なぜなら、人間は自分の意志で神を拒み、地獄を選ぶからです。
人間には、神から自由意志というものを与えられています。
つまり、人間は自分の意志で選択し、行動する能力を持っているということです。
そして、神を受け入れるか神を拒むかは、人間の選択にゆだねられているんですね。
「わたしは、きょう、天と地を呼んであなたがたに対する証人とする。わたしは命と死および祝福とのろいをあなたの前に置いた。あなたは命を選ばなければならない。そうすればあなたとあなたの子孫は生きながらえることができるであろう。」
(申命記 30:19)
それが愛ってもんじゃないの??
と思うかもしれませんが、強制的に神に従わせるのは本当の愛ではなく、神のご性質に反します。
なぜなら、自由意志を無視して強制することは、その人の人間性を否定することだから。
例えば、遊園地がいくら楽しい場所でも、親が自分の子供を無理やり遊園地に連れて行こうとするなら、
それは価値観の押し付けであり、本当の意味で愛とは言えません。
同じように、天国で神と永遠に過ごすことを望まない人間を無理やり天国に連れて行くのは、愛ではないのです。
そのため、もし私たち人間が神から離れる道(地獄)を選ぶなら、神はその意志を尊重せざるを得ないんですね。
それに私たち人間側からしても、自分の意志とは関係なく強制的に神に従ったとして、そこに神への本当の愛はありません。
なぜなら、いくつかの選択肢がある中で自分の意志で選ぶからこそ、そこに本当の愛があるから。
だからこそ、神は自分に強制的に従う機械のようにではなく、自由意志を持つ存在として人間を造られたのです。
地獄に行かないたった一つの方法
では、これだけ恐ろしい地獄に行かないためには、どうしたらいいでしょうか?
その方法は善い行いを積み重ねることでも、超人的な努力をすることでもありません。
自分の罪を悔い改めてイエスキリストを信じることです。
なぜなら、イエスを救い主と信じることで私たちの罪は取り去られ、神の裁きを受けなくて済むからですね。
「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。 10なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」
(ローマ人への手紙10:9、10)
元々、私たち人間が神に背き始めたのは、最初の人間アダムとイブが神に背いて食べてはいけないと言われていた木の実を食べてからです。
しかし、このままだと、人間は罪を持ったまま神に裁かれ、地獄の滅びに向かってしまいます。
そこで何とか愛する人間を救いたいと思った神は、ご自分の独り子であるイエスを地上に送り、
十字架に架けることで人間の罪を代わりに背負わせてくださったのです。
そして、イエスは十字架の死から3日目に復活されました。
そんなイエスを信じることで、私たちは罪から救われ、神の裁きを受けなくて済むようになるのです。
つまり、永遠の命が与えられ、神がおられる天国に行けるということですね。
私たちは自分たちの行動によってではなく、神の恵みにより、キリストへの信仰によって救われるのです。
「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。 9決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。」
(エペソ人への手紙2章8、9節)
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まとめ:地獄は神がいない恐ろしい場所!
地獄は神がおらず、苦しみが永遠と続く恐ろしい場所です。
地獄など本来はないほうが良いものであり、神は人間が地獄に行くことを望んではおられません。いやむしろ、憎んでおられます。
しかし、刑務所が犯罪者を罰するために必要なように、地獄も神に背いた人間を罰するのに必要な場所なんですね。
そして、本来すべての人間は神に背いている罪のゆえに、この地獄に行くはずでした。
しかし、神は私たちへの愛ゆえに、イエスキリストを通して救いの道を用意してくださったのです。
何という恵みでしょうか!
ですから、この神からの恵みを素直に受けとり、イエスキリストを救い主として信じていきましょう。
その先には、地獄とは反対に神がおられる素晴らしい場所(天国)が用意されているのですから。
キートンでした。
👇️参考文献
それでも神は実在するのか? 聖書の「神」を調べたジャーナリストの記録