ジーザス、エブリワン!キートンです。
それぞれ詳しく知りたいなあ。。
こういった疑問にお答えします。
素晴らしい人格を持っていたり、称賛されるような行動をしたりする人のことを、聖人と呼ぶことがありますよね。
例えば、
- 貧しい人々に寄付をする
- 積極的に人を助けようとする
- 決して怒らず寛容な心を持っている
などの性質を持ってる人は、聖人と呼ばれたりします。
実は、キリスト教の世界にも聖人と呼ばれて尊敬されている人たちがいるのです。
しかも、彼らは一時的なノリでそう呼ばれているわけではなく、きちんと教会に認められて現在まで尊敬され続けています。
では、一体どんな人たちがいるのでしょうか??
実は、皆さんが知っているであろう有名人も結構いたりするのです!
そこでこの記事では、クリスチャンの僕がカトリック教会の聖人に絞って、
- 聖人とは?
- カトリックの聖人の名前一覧!有名な人物を12人まとめてみた
という内容でお届けします!
カトリック教会については、【解説】カトリック教会とは?12の特徴をわかりやすくご紹介しますの記事で詳しく解説しています。
目次
聖人とは?
聖人とは、信徒の崇敬の対象となっている人たちのことです。
キリスト教では主に、カトリックや正教会などで存在する概念ですね。
その中には、
- イエスキリストの弟子
- ローマ帝国がキリスト教を迫害していた時代の殉教者
- 命がけでキリスト教を伝えた宣教師
など様々な時代や国の様々な人たちがいますが、宗派によってどの人物が聖人かは異なりますね。
ただし、教会が正式に認定しなければ聖人として認められることはありません。
その認定もかなり厳正なものであり、死後数100年の審査でようやく認められることもあります。
カトリックには聖人暦(聖人カレンダー)というものがあり、
ほぼ毎日のように誰かしらの聖人の記念日が祝われていますね。
ちなみに、カトリックや正教会では、洗礼を受けた者は聖人にちなんだ洗礼名を付けられることになっています。
カトリックの聖人の名前一覧!有名な人物を12人まとめてみた
では、上からあいうえお順に12人ご紹介していきます!
- イエス・キリストの12弟子(イスカリオテのユダを除く)
- 使徒パウロ
- ジャンヌ・ダルク
- 聖母マリア
- 洗礼者ヨハネ
- ナザレのヨセフ
- (聖)二コラオ
- (聖)バレンチノ
- フランシスコ・ザビエル
- マグダラのマリア
- マザー・テレサ
- ルカ
①イエス・キリストの12弟子(イスカリオテのユダを除く)
イエス・キリストの12弟子は、イエス・キリストに付き従った代表的人物たちで、”使徒”とも呼ばれます。
彼らはイエスに選ばれて弟子になりましたが、元々は特に優秀でもない普通の人たちでした。
しかし、イエスが昇天されてからは生まれ変わり、その教えをまとめて広めていったのです。
こうして、キリスト教が誕生していくんですね。
驚くべきなのは、イスカリオテのユダ以外の12弟子全員が聖人として認められているということ。
やはり、イエスの弟子というブランドは最強だということでしょうか!(言い方)
一応メンバーを挙げると、以下の12人になります。
- ペトロ(シモン)
- アンデレ
- ヤコブ(ゼベダイの子)
- ヨハネ
- トマス
- マタイ
- 熱心党のシモン
- ヤコブ(アルファイの子)
- ナタナエル(バルトロマイ)
- イスカリオテのユダ
- タダイ
- フィリポ
- マティア
の12人です。
ではなぜ、イスカリオテのユダだけが除外されているかというと、
まさか、そんな人物を聖人扱いするわけにはいかないですからね!
まあ、厳密に言うと、他の弟子たちも1度はイエスを裏切ってるんですけどね。。
詳しくは、【完全版】イエスの12使徒(弟子)とは?殺され方が残酷だった?をどうぞ
②使徒パウロ
使徒パウロは”異邦人の使徒”とも呼ばれ、キリスト教史上で最も偉大な使徒と称される伝道者です。
ただし、イエスの死後にクリスチャンになったため、12使徒に
パウロは元々キリスト教徒を迫害するワルでしたが、ダマスコに向かう途中で天のイエスと出会い回心。
熱心なキリスト教徒へと変えられていきました。
その後、パウロは3回の大きな伝道旅行を行い、
当時は民族宗教に過ぎなかったキリスト教を世界宗教に押し上げるほどの活躍をしていきます。
また、新約聖書に残されている手紙の中にも、パウロが書いたものが多くありますね。
ちなみに、パウロは、ネロ帝時代にローマで捕らえられて命を落としました。
詳しくは、【聖書】使徒パウロとはどんな人?悪人から聖人になった!?をどうぞ
③ジャンヌ・ダルク
さあ、こちらも大物ですね!
フランスの国民的スターであり、代表的ヒロインのジャンヌ・
ジャンヌ・ダルクは15世紀に活躍したフランスの軍人で、“オ
元々はフランスの貧しい農家に生まれた少女でしたが、ある日、
という啓示を受けます。
その後、フランス軍に入って指揮をすることになったジャンヌは、騎兵の姿で馬に乗り
イギリス軍に包囲されていたオルレアン城を解放しました。
こうして、イギリスとの百年戦争に勝利したことで、
一躍フランスのスターに上り詰めたジャンヌでしたが、
宗教裁判で魔女の宣告を受けたジャンヌは、火あぶりの刑に処せられ、
ちなみに、ジャンヌ・ダルクが聖人として認められたのは死後489年(!)経って20世期に入って
ここからも、カトリックの聖人認定には時間がかかることが分かります。
④聖母マリア
聖母マリアは、イエス・キリストの母であり、同じく聖人である”
プロテスタントでは、単なる”イエスの母”扱いですが、
実際、聖母マリアは他の全ての聖人や天使以上の地位が与えられているんだとか。
確かに、カトリック教会ではマリア像なんかが置かれていたりして、
聖母マリアと言えば、天使ガブリエルからイエスの誕生を告げられる、“受胎告知”が有名。
マリアはその信仰によって、聖霊の力で救い主を生むという信じがたい知らせを受け入れたのです。
この信仰深い姿勢も、マリアが尊敬される要因ですね!
ただし、知名度の割には、意外と聖母マリアの聖書登場シーンは多くありません。
詳しくは、聖母マリアとはどんな人?その生涯をご紹介します【イエスの母】をどうぞ
⑤洗礼者ヨハネ
洗礼者ヨハネは、イエス・
“バプテスマのヨハネ”や”洗者ヨハネ”などとも呼ばれ、祭司ザカリアとその妻エリザベトの間に生まれました。
人々に罪の悔い改めを説き、“イエス・キリストの先駆者”なんて称されるほど、偉大な人物です
“サロメ”という娘が、
詳しくは、【聖書人物】洗礼者ヨハネとは?イエスとの関係や生涯についてご紹介をどうぞ
⑥ナザレのヨセフ
ナザレのヨセフは、イエス・キリストの父であり、聖母マリアの夫です。
ただし、マリアは聖霊によって身ごもったことから、
職業は、大工だったと言われています。
神に忠実な人物として知られ、
ヨセフはマリアとイエスに看取られて平安の内に亡くなったとされ、安らかな死の床の守護者とされています。
妻のマリアと同じく、聖書の登場シーンは少なめです。
詳しくは、【聖書】ナザレのヨセフって?イエスキリストとの関係は?をどうぞ
⑦(聖)二コラオ
二コラオは、世界で最も愛されている聖人の一人です。
なぜなら、クリスマスでおなじみのサンタクロースのモデルとなった人物だと言われているから。
実際、英語の”聖二コラオ”をオランダ語読みすると”サンタ・クロース”になるんですね。
二コラオは後に司教となった人物で、両親から莫大な財産を受け継ぎましたが、それらを貧しい人々に分け与えました。
他にも、死んだ子供や学生をよみがえらせたという伝説もあり、その生涯はかなり神格化されています。
ちなみに、サンタクロースが”夜中に家に入り靴下の中にプレゼントを入れる”という現代のイメージも、
二コラオが貧しい家族を救うために窓から金貨を投げ入れたところ、それが暖炉の靴下に入ったというエピソードからきているそうです。
それにしても、二コラオ良い人過ぎる。。!これぞ聖人!!
【キリストの生誕祭】クリスマスの意味とは?クリスチャンが解説しますの記事も参照
⑧(聖)バレンチノ
バレンチノは、ローマの司祭であり、バレンタインデーの由来にもなった人物です。
今やバレンタインデーは、女性が男性にチョコを贈るというけしからn。。ごほんごほん、
素敵な日になっていますが、元はバレンチノ司教の記念日なんですね。
バレンチノは、ローマの教会で活躍した司祭で、人々を助け導き強く信頼されていました。
ところが、当時のローマ皇帝クラウディウス2世はキリスト教を迫害しており、バレンチノは逮捕されてしまったのです。
しかし、バレンチノは最後まで信仰を捨てなかったために、拷問をされて命を落としました。
その日が、270年の2月14日のことだったのです。
その後、バレンチノを慕う人々が彼が亡くなった場所に聖堂を建てて、毎年2月14日に記念日として祝うようになったんですね。
ちなみに、バレンチノは生前に子供のひきつけやてんかんを治したという伝承があり、
子供を病気から守る守護聖人とされるようになったんだとか。
詳しくは、【起源】バレンタインデーとキリスト教の関係は?由来も解説をどうぞ
⑨フランシスコ・ザビエル
フランシスコ・ザビエルは、
そのため、日本における”福音宣教の父”とも呼ばれます。
皆さんにとっては、日本史でおなじみでしょう!
フランシスコは、熱心なカトリックの家庭で生まれ育ち、18歳のときにパリ大学に留学。
そこでイグナチオ・デ・ロヨラという学生と出会い、
彼の創設したイエズス会のメンバーとして東洋宣教を行うようになります。
フランシスコは、インドのゴアを拠点として布教活動を行い、1549年には日本の鹿児島に到着。
フランシスコは鹿児島で1年間キリストの教えを説き、結果的に大名や庶民など150人もの人が洗礼を受けました。
こうして、フランシスコは2年間日本に滞在しましたが、日本文化に影響を与えた中国に関心を抱いて、
中国に布教しに行くことを決意します。
しかし、その途中の上川(サンシアン)島で病に倒れて、1552年に亡くなりました。
フランシスコの来日以来、日本でのクリスチャンの数は増加していき、40年足らずの間に20万人にも達したんだとか。
いやー、これはすごい功績ですね!
だから、もうハゲとか言っちゃダメですよ皆さん!!(←言ってた
日本のキリスト教の歴史については【まとめ】日本の隠れキリシタン弾圧の歴史とは?ざっくり解説をどうぞ
⑩マグダラのマリア
マグダラのマリアは、イエス・
“マグダラ”という町出身のため、こう呼ばれています。
7つの悪霊にとりつかれていたところ、それらを追い出してもらったことをきっかけにイエスに従うように。
イエスの死と復活のどちらにも立ち会うなど、
一方で、娼婦(しょうふ)を意味する”罪深い女”という異名を持
イエスの遺体に塗ろうと、お墓に香油を持ってきたことから、絵画では
詳しくは、【聖書】マグダラのマリアとは?イエスと結婚していた娼婦?をどうぞ
⑪マザー・テレサ
マザーテレサは、カトリック教会の修道女であり、修道会“神の愛の宣教者会”の創立者です。
2016年に聖人認定されたばかりであり、ジャンヌダルクとは対照的に、なんと死後19年という異例の短さで聖人に認められました。
“マザー”は修道女への敬称、”テレサ”は修道名です。
マザーテレサは、1910年にユーゴスラヴィアのスコピエで生まれ、10代で貧しい人たちに奉仕するためにインドにやってきました。
その後、カルカッタに修道会である”神の愛の宣教者会”を設立し、
- 行き倒れの人のために”死を待つ人の家”
- 孤児のために”聖なる子どもの家”
- ハンセン病とその家族のために”平和の村”
なども設立し、献身的に活動していったのです。
こうした活動は、世界的に知られるようになり、1979年にはノーベル平和賞を受賞しました。
マザーテレサは他にも、
- テンプルトン賞
- バーラト・
ラトナ賞(インドで国民に与えられる最高の賞) - 優秀修道会賞
- アメリカ合衆国名誉市民
など、様々な名誉ある賞を受賞しています。
その後、マザーテレサは、1997年にカルカッタのマザー・ハウスにて87歳で亡くなりました。
ちなみに、彼女が亡くなる頃には、”神の愛の宣教者会”のメンバーは4000人にも達していたそうです。
⑫ルカ
ルカは、新約聖書の
- ルカによる福音書
- 使徒行伝
を書い
ルカは、シリアのアンティオキアで医者をしていましたが、使徒パウロなどの導きによって洗礼を受けます。
その後、パウロと共に宣教旅行に参加し、ギリシア語で福音書を書きました。
実際、パウロが宛てた手紙(フィレモンへの手紙、
ただ、ルカについての情報にも様々な意見があり、謎の多い人物と言えますね。
詳しくは、【聖書】ルカってどんな人?福音書使徒行伝を書いた医者?をどうぞ
まとめ:カトリックの聖人には有名人もたくさんいる!
◎カトリックの主な聖人12選
- イエス・キリストの12弟子(イスカリオテのユダを除く)
- 使徒パウロ
- ジャンヌ・ダルク
- 聖母マリア
- 洗礼者ヨハネ
- ナザレのヨセフ
- (聖)二コラオ
- (聖)バレンチノ
- フランシスコ・ザビエル
- マグダラのマリア
- マザー・テレサ
- ルカ
いやー、そうそうたるメンバーでしたね!
皆さんは、どれくらい知っている人物がいたでしょうか?
自分は聖人たちのようにはなれない!と思ってしまいがちですが、彼らの生き方から学ぶことは多いです。
多くの人の模範となるような立派な生き方ができたら、こんなに素晴らしい人生はないでしょう!
ちなみに、ここで挙げたのはカトリックの聖人の極々一部です。
他にもまだまだたくさんの聖人がいるので、知りたい方はぜひ調べてみてくださいね!
キートンでした。
👇参考文献