ジーザス、エブリワン!キートンです。
その歴史について詳しく終えて!
こういった疑問にお答えします。
今回は、“日本におけるキリシタン弾圧の歴史”についてご紹介します。
今でこそ何の制約もありませんが、かつての日本ではキリスト教は弾圧されていました。
皆さんも、日本史でキリスト教について学んだことがあるかもしれませんが、
どうせ、フランシスコ・
ザビエルは、確かに日本にキリスト教を伝えましたが、
その後順調にキリスト教が広まっていったかというとそうではありません。
日本の歴史において、キリスト教はかなりの苦難を通ってきているのです。
そこでこの記事では、クリスチャンの僕が、
- 日本の隠れキリシタン弾圧の歴史
- 日本のキリスト教弾圧を描いた作品
についてまとめていきます!
目次
【キリシタン狩り】日本のキリスト教弾圧の歴史とは?簡単にまとめてみた
もっと前から日本に伝わっていたんじゃないかという説もあります
この記事では最も一般的な歴史をご紹介します。
フランシスコ・ザビエルの来日〜キリスト教が日本に初上陸〜
一般的に、日本におけるキリスト教の歴史は、皆さんおなじみのフランシスコ・ザビエルによって始まったと言われています。
フランシスコは元々、イエズス会というカトリック修道会メンバーの1人。
マラッカでヤジロウという日本人と出会ったのがきっかけで、
そして、1549年に他の宣教師たちと共に日本の鹿児島にやってきて、2年3ヶ月もの
言葉や文化の違いに苦しみながらも、結果的に700名ほどに洗礼
これがキッカケで、
フランシスコが日本に来て以降、10年間のキリスト教改宗者は約6000人であり、その後も、
- 1569年:約2万人
- 1579年:約13万人
- 1601年:約30万人
と信徒は年々増大していきました。
最新の人口統計学によると、江戸時代初期の日本総人口は1000万人に満たず、
キリスト教(カトリック)の人口比率は総人口の約3%にも達していたそうです。
3%というと少なく感じるかもしれませんが、
現在の日本にはキリスト教徒が1%もいないので、それに比べると3%でも多いですね。
ちなみに、当時キリスト教徒はクリスチャンではなく“キリシタン”と呼ばれていました。
ただし、キリスト教は当時の日本では、
- 天竺(てんじく)教
- 南蛮宗(なんばんしゅう)
な
フランシスコ・ザビエルについては、カトリックの聖人の名前一覧!有名な人物を12人まとめてみたでも詳しく書いています。
豊臣秀吉によるキリスト教弾圧〜キリスト教苦難の歴史の始まり〜
こうして日本にやってきたキリスト教。
あの織田信長も宣教師たちを好意的に見ており、キリスト教を認めました。
織田信長がキリスト教を認めた理由としては、以下のような説が挙げられます。
- 説①弾圧していた仏教に対抗するため
➡比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)を焼き討ちするなど、仏教を弾圧していた。
- 説②そもそも興味がなかった
➡仏教以外の宗教も特に禁止していなかった。
- 説③軍事的なサポートを受けていたから
➡イエズス会は日本での宣教を認めてもらう代わりに、武器や弾薬などを提供していた
- 説④西洋文化を取り入れたかったから
➡ポルトガルやスペインとの”南蛮貿易”をするには、宣教師たちとの交流が不可欠だった
しかし、その後を継いだ豊臣秀吉の時代になると、大きく状況が変わってきます。
豊臣秀吉も最初はキリスト教に好意的でしたが、
キリスト教宣教を禁じ、宣教師の国外追放を命じるといった内容の、“バテレン(
ただ、
キリスト教への信仰も禁じられていなかったのです。
この状況が変わり始めたのは、
彼らはイエズス会とは違い日本文化に適した宣教方法を取らず、
そして、これが決定的になったのが“サンフェリペ号事件”でした。
これは、
その際に、国内にいるポルトガル人が、
という根も葉もない情報を、豊臣秀吉に告げ口してしまいます。
これを聞いた豊臣秀吉は、
その象徴となるのが、“二十六聖人の※殉教(じゅんきょう)”と呼ばれるものです。
これは、6人の外国人宣教師と20人の日本人クリスチャンの計2
長崎まで数千キロ歩かされたあげく、
1597年2月5日
二十六聖人の殉教1596年、スペイン船のサン・フェリペ号が浦戸に漂着。この時、船員が「スペインは宣教師を領地征服の手先にしている」と発言した。これを受けて豊臣秀吉はキリシタン取締りの強化を決意。この日、京・大坂で捕縛された26名の宣教師・信者らが長崎で磔刑に処された。 pic.twitter.com/867CQjT3KS
— 今日は何の日 (@kyouhanannda) February 4, 2020
その後、徳川家によってもキリスト教は迫害され、
ここから、およそ300年にも及ぶキリシタンにとって苦難の時期が続くことになります。
※殉教➡自分が信じている宗教(この場合はキリスト教)のために、命を捨てること。
島原の乱( 島原・天草一揆)が起こる〜キリシタン激減〜
そんな頃、1637年に、
これは日本最大の※一揆と言われており、合計3万人以上が参加し
この事件によって一揆の参加者はほぼ皆殺しにされ、
また、この事件によってカトリック国のポルトガルとの関係を断つことになり、
※一揆➡支配者の圧政に対して、農民や信者などが要求・反対の意志を示すために立ち上がること。
“隠れキリシタン”の登場〜踏み絵をさせる〜
島原の乱によって全滅したかのように見えたキリシタンですが、
隠れてキリスト教を信仰する“隠れキリシタン”と呼ばれる信者た
この辺りは、
幕府にバレてしまったら最後、殺されてしまうんですから。
幕府は、キリシタンかを確かめるために、“踏み絵(絵踏み)”
他にも幕府は、
- キリシタンを訴え出た者には、多額の賞金を出す(訴人褒賞制)
- 5人組を組ませてお互いにキリシタンの監視をさせる
- 日本人は必ずどこかの寺の檀家(特定の寺院に所属して寺を支援する家)になることを強制する(寺請制度)
などのキリシタン禁教政策を次々と発表していきました。
鎖国が終わりを告げ開国〜キリスト教解禁〜
しかし、
キッカケとなったのは、鎖国の解禁です。
鎖国を終わらせたのは、黒船でおなじみのペリーさんですね。
開国したことでアメリカといくつかの条約を結ぶようになると、
開講当初こそまだキリスト教弾圧があったものの、
開国から20年経った頃、
こうして、300年にも渡るキリシタンの苦難の歴史に終止符が打
ちなみに、前述したように、現在のクリスチャン人口はおよそ1%程度。
弾圧が終わったとはいえ、相変わらず日本のキリスト教徒は少ないままなんですね。
なぜそんなに日本のクリスチャンが少ないかは、【Q&A】キリスト教が日本に広まらない5つの理由とは?【クリスチャンが答えます】をどうぞ
日本のキリスト教弾圧を描いた作品は?【沈黙】
実は、日本のキリスト教弾圧を描いた作品があります。
その作品の名前は、「沈黙」です。
沈黙は、クリスチャンの作家である遠藤周作によって書かれた小説で、映画化もされていますね。
本作では、日本のキリスト教弾圧を通して、
- 信仰とは何か?
- なぜ神は苦しみを与えて沈黙したままなのか?
といったキリスト教の根本的な疑問をテーマにしています。
ただ、内容が内容だけに全体的に重く、触れるのにはかなりの労力を要します。
特に、クリスチャンたちが拷問されるシーンは結構メンタルにきますね。。
ただ、日本のキリスト教弾圧の様子や雰囲気を知りたい方にはおすすめです!
【必読】有名なキリスト教文学作品を8つまとめてみたでも詳しく書いています。
まとめ:日本のキリスト教の歴史は苦難の連続!
本当にざっくりですが、
こうしてみると、
実際、300年ほどのキリシタン弾圧の歴史の中で、記録に残らない人も含めると、
殉教者の数は4万人にも及ぶんだそうです。
僕も時々、もし自分がキリスト教が弾圧されていた時代に生まれていたらどうしただろう?と考えることがあります。
例えば、”絵踏み”とかを強要されたら、
神様に謝ってから、2秒で踏みますね。(不信仰者)
キートンでした。
👇参考文献