ジーザス、エブリワン!クリスチャンブロガーのキートンです。
自分のことを助けてもくれないし、世の中にはたくさんの悪や苦しみがあるし。。
こういった疑問にお答えします。
「神の存在を信じていますか?」と聞かれたら、あなたはどう答えるでしょうか?
即答できる人もいれば、迷った挙げ句、「分からない」と答える人もいるでしょう。
国際宗教調査2023によると、日本人で聖書やコーランなどの聖典に記されている神を信じている人はわずか3%でした。
これは対象となる主要26カ国の中でも、ずば抜けて低い数値です。
一方で「聖典に記された神は信じていないが、高次の力や霊は信じている人」は16%いましたが、
こちらも世界平均の61%に比べるとかなり低く、26カ国の中で最低という結果でした。
もしかしたらあなたも、「神なんているわけがない!」と考えているかもしれません。
確かに神は目には見えないですし、この世の悪や苦しみなどを見ると神などいるとは思えないのも分かります。
しかし、実は神が存在しているという証拠は、私たちの日常の中にも溢れているのです。
神を信じていない人はそれに気づいていないか、気づいても見て見ぬふりをしているだけです。
そこでこの記事では、クリスチャンの僕が
- 神様はいるわけない?いると言える5つの証拠
- 神を信じない人の主な理由
について解説します。
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目次
神様はいるわけない?実在すると言える5つの証拠【クリスチャンが語る】
神がいると言える証拠はたくさんありますが、その中でも主な証拠を5つご紹介します。
ちなみに、僕が言う神というのは、聖書に登場するこの天地や私たち人間を造られた神のことです。
- 自然界の美しさ
- 人間の善悪の意識
- 聖書の統一性と預言の成就
- イエスキリストの復活
- 多くの人の体験談がある
①自然界の美しさ
神がいる証拠の一つ目は、自然界の美しさです。
なぜなら、自然界には、偶然生まれたとは思えないほどの秩序や調和があるから。
聖書にもこう書かれています。
「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。」
(ローマ人への手紙 1:20)
神は私たち人間を含めて、この世界の全てを造られました。(天地創造)
そして、私たちは自然界の美しさを見るときに、それが偶然生まれたものではなく、神によって計画的にデザインされたものだと知ることができるんですね。
例えば、地球を見てみると、
- 適度な気温を保つ絶妙な位置に太陽があり、少しでもずれていたら生命は存在できない
- 地球の大気は、窒素や酸素、アルゴン、二酸化炭素の絶妙な割合で構成されており、生命を維持している
- オゾン層が宇宙からの隕石や紫外線などの有害な物質をブロックし、地球の気温を一定に保たせている
- 水や酸素などの循環システムによって、地球の環境が常にきれいに保たれている
- 生命の誕生や維持に不可欠な”水”が豊富に存在する太陽系で唯一の星
など、生命が存在するために必要な条件が奇跡レベルでそろっていることが分かります。
こうして見ると地球は、私たち生き物が快適に生きていけるように神によって設計された星のように思えないでしょうか?
実際、21世紀現在、地球と同じような環境の星や生命体がいる星は他に見つかっていません。
また、自然界に存在する生物の精密さも信じられないものであり、多くの日本人が信じている「偶然生まれた」という考え方では説明がつきません。
その最高峰とも言えるのが、私たち人間でしょう。
人間は神に似せて造られた最高傑作であり、その存在自体が神の存在を示しています。
「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。(中略)神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。」
(創世記 1:27-31)
例えば、人間には以下のような性能が備わっています。
- 脳
➡約860億個以上の神経細胞(ニューロン)が複雑にネットワークを形成しており、膨大な情報を処理している。
- 目
➡約1000万の色を区別可能で、片目で約135度、両目で約200度の視野を持つ。
- 細胞
➡人体は約37兆個の細胞で構成されており、各細胞には人間の体を作り、維持するための設計図であるDNAが含まれている。
- 骨
➡同じ重量の鋼鉄の約4倍の強度を持ち、骨折しても数週間から数ヶ月で完全に再生する。
- 心臓
➡人間が生きている間休むことなく動き続け、1日に約10万回鼓動し、約7,000リットルの血液を全身に送り出す。
果たしてこれほど精密で高性能な生き物が、偶然できたとでも言うのでしょうか。
例えば、もし誰かがパソコンを持ってきて、「これは偶然できたんだよ」と言ってきたらどう思いますか?
誰かが作ったに決まっているやん。気でも狂ったのか。
と思いますよね。
それなら、パソコンよりもはるかに精密で高度な存在である人間の陰には、それをお造りになった神の存在があると考えるのは自然ではないでしょうか。
実際、科学者や研究者の間では、生命が偶然生まれる確率は事実上ほぼゼロだということが分かっています。
ビック・バンの名付け親であり、世界的に有名な天文学者だったフレッド・ホイル博士は、
最も単純な単細胞生物でさえ自然に誕生する確率は、10⁴⁰⁰⁰⁰分の1と計算しました。
つまり、10×10×10×10。。。を4万回繰り返した分の1の確率という、まさに天文学的数字なのです。
人間のような複雑な生命体なら、もっと確率は下がるでしょう。
数字だけだとピンとこないと思いので、よく使われるもっと分かりやすい例えをご紹介します。
生命が偶然生まれるのは、
- 宝くじの1等を何千回、何万回も連続して当てる
- 地球上のすべての砂浜にある砂粒の中から、特定の1粒を目隠しをして選び当てる
- チンパンジーがランダムにタイプライターを叩いてシェイクスピアの戯曲『ハムレット』を完璧に書き上げる
ようなものです。
先ほどご紹介したフレッド・ホイル博士も、このように表現しています。
生命が偶然に誕生する確率は、竜巻がスクラップ置き場を通過してジャンボジェット機を組み立てる確率に等しい。
「いや、絶対不可能だろ!!」って感じですよね。
また、ノーベル賞を受賞したフランシス・クリックもこう語っています。
生命体誕生に必要な条件があまりにも多く、奇跡のなせる業と思わされる。
他にも、自然界には驚くほど様々な種類の生物が存在し、それぞれが独自の役割を果たしています。
どんなに小さな虫にも非常に精密なデザインや機能、役割があるのを見ると、感動すら覚えますね。
自然界の美しさをみるとき、私たちは神の存在を感じざるを得ないのです。
②人間の善悪の意識
神がいる証拠の二つ目は、人間の善悪の意識です。
人類は文化や地域を問わず、多くの共通する善悪の意識を持っています。
例えば、
- 人を殺してはいけない
- 盗んではいけない
- 嘘をついてはいけない
- 弱者は助けるべき
- 愛は良いもの
などの感覚は、古くから多くの人々が共有してきたものです。
もちろん一部の例外はありますが、基本的な道徳観が一致してきたというのは驚くべきことですよね。
そして、こうした普遍的な人間の善悪の意識のルーツを辿ると、個人や文化を超えた何か、つまり、神に行き着きます。
神は人間を造られた際に、道徳的な感覚を人の心に刻まれました。
「彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現し、そのことを彼らの良心も共にあかしをして、その判断が互にあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである。」
(ローマ人への手紙 2:15)
私たち人間には”良心”というものがあり、正直で親切な行動をすると喜びを感じ、嘘をついたり誰かを傷つけたりすると罪悪感を感じます。
これも神の律法が人間の心に刻み込まれている証拠なんですね。
と思うかもしれませんが、それだと社会や文化を超えて人間が同じような道徳観を持っていることが説明できません。
また、一部の人間が自分の利益を完全に捨てて、他者のために行動するのはなぜでしょうか?
社会的にはとても合理的とは言えない行動ですよね。
確かに人間の善悪の意識は、社会や文化の中で発展してきた部分はあると思いますが、
そのルーツを辿ると神の存在があるのです。
③聖書の統一性と預言の成就
神がいる証拠の三つ目は、聖書の統一性と預言の成就です。
“永遠のベストセラー”と呼ばれる聖書の存在も、神の存在を示す証拠の一つですね。
なぜなら、聖書は単なる人間によって書かれた書物ではなく、神が人間の書き手を用いて書かれた書物だから。
「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。」
(テモテヘの第二の手紙 3:16)
そう言える代表的な理由が、聖書の統一性と預言の成就なんですね。
まず統一性ですが、伝統的に聖書は約40人の著者によって、約1600年間をかけて書かれた書物だとされています。
聖書の著者には
- 王様
- 預言者
- 漁師
- 取税人
- 医者
など様々な立場の人がおり、そんな人たちが1600年もかけて一冊の本を書いたら、まとまりのないカオスな書物になりそうですよね?
彼らが生きた時代背景も職業もバラバラなのですから。
しかし、聖書全体には驚くべき一貫性と統一性があり、”神の愛と救い”という中心的なメッセージは同じです。
これは聖書全体に神の力が働いている証拠でしょう。
また、聖書には様々な預言が書かれていますが、それらはことごとく実現してきました。
しかも、その出来事が起こる数百年も前に、正確で具体的な預言がされていたのです。
世界中を探しても、こんな書物は他にありません。
例えば、『バートン・ペイン版 聖書預言百科事典』によると、旧約聖書には、救世主に関する預言(メシア預言)が191あり、
- 救い主が生まれる家系
- 救い主の生誕地
- 救い主が処女から生まれること
- 救い主の最期
など非常に細かく具体的な預言が書かれていますが、これらはイエスキリストの生涯を通して実現しました。
「しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る。その出るのは昔から、いにしえの日からである。」
(ミカ書5章2節)
また、ユダヤ人の歴史を見ても、聖書の預言がいかに実現してきたかが分かります。
例えば、聖書はユダヤ人が、
- バビロン捕囚にあい、後にエルサレムに帰ってくること
- 全世界に散らされて迫害にあうこと
- イスラエルが再建されること
などを預言しており、全て成就させたのです。
特に、1948年にユダヤ人が約1900年ぶりにイスラエル国を建国したのはまさに奇跡であり、
これを預言していた聖書のすごさが改めて証明されることになりました。
「あなたは彼らに言え。主なる神は、こう言われる、見よ、わたしはイスラエルの人々を、その行った国々から取り出し、四方から彼らを集めて、その地にみちびき、 22その地で彼らを一つの民となしてイスラエルの山々におらせ、ひとりの王が彼ら全体の王となり、彼らは重ねて二つの国民とならず、再び二つの国に分れない。」
(エゼキエル書37:21,22)
他にもまだ実現していない預言があり、これから成就していくはずです。
人間がする予言なら外れるものがあってもおかしくないですが、外れていない。
となると、聖書の預言は神からのものだと言うことができるわけです。
④イエスキリストの復活
神がいる証拠の四つ目は、イエスキリストの復活です。
イエスは約2000年前に実在したユダヤ人ですが、彼は十字架で死なれた後、3日目に復活したとされています。
「さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。(中略)5この御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、 6もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。」
(マタイによる福音書28:4-6)
これはイエスが起こされた最大の奇跡であり、イエスが神であるということを証明しました。
なぜなら、人間は死から復活することはできないからです。
聖書に書かれた作り話でしょう。
と思うかもしれませんが、イエスが復活したことを示す証拠はたくさんあります。
例えば、
- ローマ兵が墓を厳重に守っていたにも関わらず、墓が空だった
- 当時イエスを知る人がまだ生きていて、復活したという嘘をつくのは難しい状況だった
- イエスの復活を目撃した人々は非常に多く、その証言が記録されている
- 臆病な弟子たちが、イエスの復活を目撃してから命をかけてイエスのことを伝えるようになった
などですね。
✅️詳しくは、【真実】イエスは本当に復活したのか?5つの根拠をクリスチャンが力説をどうぞ
⑤多くの人の体験談がある
神がいる証拠の五つ目は、多くの人の体験談があることです。
今まで世界中の様々な人たちが、神との出会いや導き、奇跡を体験してきました。
いや、世界に目を向けずとも、僕の周りの人たちだけでも数え切れないくらい神による奇跡体験はあります。
例えば、僕が聞いた実際の体験には以下のようなものがありますね。
- 医学的に絶対に治らないと言われた病気が祈りを通じて癒された
- お金に困っていたが、祈りの後に予期せぬ形でお金が、しかも必要な分ぴったり入ってきた
- 飛行機事故や地震などの絶望的な状況から奇跡的に助けられた
- 結婚相手の条件を書いて祈っていたら、それらの条件がぴったり当てはまる相手が現われた
- ある受験生のために祈っていたら、祈ったその時間ぴったりにその受験生が答案のミスに気づいて合格できた
これらもほんの一部であり、全ての体験をまとめていたら本が書けてしまうレベルですね。
もちろん、僕も神の様々な奇跡を体験してきた一人です。
上で挙げた癒やしやお金の体験もしていますが、中でも特にすごいと思った体験は、今通っている教会に導かれた体験ですね。
高校三年生の頃、僕は今後どの教会に通ったらいいかについて悩んでいました。
しかし、とある事情で大学生になるまでに決めなきゃいけない、というギリギリのタイミングで驚くべきことが起こったのです。
僕の最寄り駅の教会に、僕が幼い頃からお世話になっていた牧師が赴任して来られるというお話を聞いたのです。
- タイミングといい
- 場所といい
- 人といい
全てがあまりにも奇跡的にそろい過ぎており、神の導きを感じた僕は現在の教会に通うことになったんですね。
そして、この教会でたくさんの仲間と出会い、たくさんの奉仕をさせていただくようになり、僕の人生が大きく変わりました。
このような神の奇跡としか思えない体験を歴史上様々な人たちが味わっており、それらは単なる偶然や思い込みでは説明できません。
神を信じない人の主な理由
神が存在するという証拠について熱弁してきましたが、神を信じないという人たちにも様々な言い分があるでしょう。
僕自身もよく聞く、神を信じない人の主な理由とそれに対する反論をを以下で挙げてみます。
- 目に見えないから
- 助けてくれないから
- 悪や苦しみが存在するから
目に見えないから
一つ目の理由は、目に見えないから神を信じないというものです。
確かに神は霊的存在であるため、私たちが物理的に見ることはできません。
「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。」
(ヨハネによる福音書4:24)
しかし、目に見えないからといって、神の存在を否定するのは合理的ではありません。
だって、私たちは空気や重力などは目に見えないですけど、その存在を信じていますよね?
なぜなら、その働きを日常生活で体感しているからです。
愛や喜びといった感情も目に見えませんが、確かに存在することを知っています。
同じように、神の存在も目には見えなくても、自然界や人々への働きなどを通して感じ取ることができるのです。
また、目に見えない神を信じることにこそ、信仰の核心があります。
「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」
(ヘブル人への手紙 11:1)
なぜなら、神が目に見えたら誰でも信じるのが当たり前で、信仰も何もなくなってしまうからです。
助けてくれないから
また、助けてくれないから神を信じないという意見も多いです。
確かに、苦しみや困難の中にいるのに何の助けもないと、「神なんかいるわけがない!」という気持ちになるのは分かります。
神を信じている僕自身も、神がすぐに助けてくれないとき、不満や疑問を感じることがありますから。
ただ、神は私たちを愛しているからこそ、あえてすぐに助けないときもあります。
なぜなら、苦しみや困難はときに、人間が成長し、信仰を深める機会になるから。
「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 4忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。」
(ローマ人への手紙5:3,4)
いつでもすぐに神が助けてくれる状態なら、甘ったれのダメ人間が育つだけで、私たちに成長はないでしょう。
すぐに助けることが私たちにとってベストではないとき、神は助けを遅らせることがあるのです。
また、神は人間の自由意志を尊重しており、人間の意志を無視して強制的に助けることは神の愛の性質に反することです。
そのため、人間が自分の意志で神から離れ、自分勝手な生き方を選んで苦しんでいる場合、その意志を尊重して助けないということもあります。
しかし、これは見捨てたということではなく、私たちが自分の意志で神に立ち返るのを待っておられるのです。
目に見える形で神の助けを感じられなくても、神は確かに私たちを見守り、共に歩んでおられます。
「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。」
(詩篇 23:4)
✅️神に助けてもらう方法については、「神様助けてください!」と叫ぶあなたへ【神に助けてもらう3つの方法】をどうぞ
悪や苦しみが存在するから
神を信じない人の最もよくある意見の一つは、悪や苦しみがあるから神を信じないというものでしょう。
確かに、この世界には数え切れないくらいの悪があり、苦しみで満ちています。
何の罪もなさそうな人たちや子どもたちが、飢えや病気で死んでいく。
この状態を見れば、「神なんかいるわけない!」と思ってしまってもおかしくないでしょう。
ただ、逆に考えてみてください。
愛の神がいないのなら、なぜこの世界には愛や喜びといった良いものがあるのでしょうか?
この世の悪いものにだけフォーカスする人が多いですが、この世の良いものにも目を向けないと神の存在は語れません。
また、悪の存在は神の不在を証明しないですし、むしろ神がいる証拠にすらなります。
どういうことかというと、悪が存在するためには「善」の基準が必要だからです。
神が実在しなければ、悪を悪と判断する善の基準はどこから来たのでしょうか?
さらに、そもそもこの世界に悪や苦しみがあるのは、神が生み出したからではなく、人間が罪を犯した結果です。
「このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。」
(ローマ人への手紙 5:12)
神はもともと人間を神に似せた良いものとして造られたのですが、
最初の人間アダムとイブが神に背いた結果、罪が世界に入り、悪や苦しみがもたらされました。
悪や苦しみが存在するのは、人間自らの選択の結果なのです。
この状態を放置してるのはおかしいよ!
と思うかもしれませんが、神は何となく今の状態を放置されているわけではありません。
神は全ての人が罪を悔い改めて、神のもとに来るのを忍耐強く待っておられるのです。
「ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。」
(ペテロの第二の手紙 3:9)
もし今すぐに全ての悪を取り除いたとしたら、神の救いを受けていない人々も裁かれてしまいますからね。
(✅️【ヨハネの黙示録】最後の審判とは?いつ来るのかなど解説【聖書】の記事も参照)
しかし、神は永遠に今のまま放置されるわけではありません。
やがて神は全ての悪を裁き、悪や苦しみのない新しい世界(新天新地)をもたらされます。
そして、自らの意志で神を選んだ人々は最終的に、この新天新地で永遠に神と共に生きられると約束されているのです。
「また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、 4人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。」
(ヨハネの黙示録21:3,4)
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まとめ:神が実在する証拠はたくさんある!
「神なんているわけない!」と否定するのは簡単です。
何も考えず、心を閉ざしてしまえばいいのですから。
しかし、一度立ち止まって、自分や周りの世界をじっくりと見渡してみてください。
私たちの何気ない日常の中にも、家族や友人との絆、美しい自然、たくさんの生命などを通して、確かに神の存在を感じることができます。
そして、何よりも私たち人間の存在が、神の存在を証明しています。
私たちは偶然では決して生まれない、神に似せて造られた奇跡の存在なのですから。
キートンでした。
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