ジーザス、エブリワン!キートンです。
ってかなんで礼拝なんてする必要があるの??
こういった疑問にお答えします。
キリスト教において、非常によく使われる“礼拝”というワード。
教会においても、毎週のように礼拝が行われています。
しかし、そもそも礼拝とはどういうものなのか皆さんはご存じですか??
もしかしたら、何やら怪しい集団が怪しい儀式をしているというイメージをお持ちの方もいるかもしれません。
しかし、実は誰しもが何かを礼拝しているんですよ!!
自分では気づいてないだけでね!!
ですから、このお話は誰にとっても決して無関係なことではないのです。
なにしろ、普段何を礼拝しているかで、
そこでこの記事では、クリスチャンの僕が、
- 礼拝とは?
- 主な礼拝の種類
- なぜ神様を礼拝をする必要があるの?
などについて、分かりやすく解説していきたいと思います!
目次
礼拝とは?
礼拝とは、お祈りや賛美などによって神様を拝むことです。
原語のギリシャ語では”プロスキュネオー”といい、
- ひれ伏す
- ひざまづく
といった意味があります。
実際、聖書でも、ひざまづいたりひれ伏したりして神を礼拝している人の姿が描かれていますね!
「そこでモーセとアロンは会衆の前を去り、会見の幕屋の入口へ行ってひれ伏した。すると主の栄光が彼らに現れ、 7主はモーセに言われた、」
(民数記20章6節)
「二十四人の長老は、御座にいますかたのみまえにひれ伏し、世々限りなく生きておられるかたを拝み、彼らの冠を御座のまえに、投げ出して言った、」
(ヨハネの黙示録4章10節)
ちなみに、英語で礼拝は“worship(ワーシップ)”といい、これは、
“価値あるものとみなす(to ascribe worth to)”という意味の古い英単語”weorthscipe”に
逆に言えば、神様以外のものを第一にして価値あるものとみなしてしまうと、それは偶像礼拝になってしまいます。
普段何を礼拝しているかで、その人の価値観が分かるのです!
ただし、礼拝というのは主にプロテスタントでの呼び方で、
という呼び方をします。
キリスト教の主な宗派については、【解説】キリスト教の主な宗派は?3つをわかりやすくまとめてみたをどうぞ
主な礼拝の種類
一言に礼拝といっても、いくつかの種類があります。
主なものをまとめると、以下の通りです。
- 公同礼拝
- 個人礼拝
- 家庭礼拝
- オンライン礼拝
それぞれ詳しく見ていきましょう!
公同礼拝
公同礼拝とは、人々が集まって共に行う礼拝のことです。
教会堂での礼拝はまさにその代表的なものですね。
皆さんも礼拝と聞くと、真っ先に教会の建物を思い浮かべるのでは??
共に集まって礼拝することの大切さは、聖書にも書かれています。
「ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。」
(へブル人への手紙10章25節)
集まって礼拝することで、私たちはお互いに励まし合うことができ、1人とは別の喜びを味わえます!
また、イエスもこのように語られました。
「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。」
(マタイによる福音書18章20節)
つまり、共に集まって礼拝する場所に、イエスの特別な臨在(存在)があるということですね!
多くの教会では、イエスが死から復活されたとされる日曜日に公同礼拝を行っています。
(安息日である土曜日に礼拝を行う教会もありますが。)
公同礼拝の主な内容や流れは宗派や教会によっても異なりますが、僕の教会ではこんな感じ。
詳しくは、【完全公開】クリスチャンの僕が教会の生活(礼拝)を全て暴露しますをどうぞ
個人礼拝
個人礼拝とは、読んで字のごとく個人(一人)で行う礼拝のことです。
いわゆるデボーションなんかも、これに当てはまりますね。
人によっても礼拝内容は異なりますが、主な内容としては
- お祈りをする
- 聖書を読む
- 賛美歌を歌う
などが挙げられるでしょう。
はい、今、
だるくない??
と思った方!それは大きな間違いです。
なぜなら、公同礼拝だけでは礼拝の頻度が少なすぎるから。
だって、教会に行っていない時間のほうが圧倒的に長いわけですからね!
教会だけを礼拝の場としてしまうと、礼拝の時間はほとんど取れなくなってしまうでしょう。
しかし、私たちはいつでもどこでも神様に礼拝をささげることができます。
この地上の全ての場所が礼拝の場になり得るのです。
「イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。」
(ヨハネによる福音書4章21節)
ですから、公同礼拝、個人礼拝はどちらか片方だけではなく、どちらも行うことが大切なんですね!
家庭礼拝
家庭礼拝とは、生活を共にする家族と共にささげる礼拝のことです。
僕の周りでも、家族内で定期的に家庭礼拝を行っているクリスチャンファミリーがチラホラおられますね。
主な内容は個人礼拝と変わらないことが多いですが、複数人でやる分お互いに
- 聖書の内容や感想を共有したり
- お互いのために祈り合ったり
- 励まし合ったり
することができるという点が大きな魅力ですね。
また、個人では礼拝が続かない家族メンバーが、礼拝の習慣を身に付けるきっかけになるかもしれません!
ちなみに、家族ではなく、クリスチャンたちがスモールグループを作って行う礼拝もあります。
オンライン礼拝
オンライン礼拝とは、
- youtube
など、ネットサービスを通じて行われる礼拝のことです。
ただ録画したものを流すのではなく、リアルタイムでライブ配信をするのが一般的です。
新型コロナウィルスの流行によって、急速にこの礼拝方法が普及しましたね。
もちろん、教会に直接行って礼拝するのがベストですが、
- いつでもどこでも公同礼拝に参加できる
- 礼拝を見返すことができる
- 教会に行く労力がカットできる
- コメントを共有できる
といったオンライン礼拝ならではのメリットもあります。
まさにテクノロジーが発達した現代ならではの礼拝という感じですね!
聖書の時代の人たちが現代の礼拝を見たら、目ん玉飛び出るのでは??
今後は、もっとハイテクな礼拝形式が現れるのかも。。
なぜ神様を礼拝をする必要があるの?
さて、ここまで見てきて、
礼拝なんてしなくても生きていけるし、別に困らないじゃん!!
と思う方もいるでしょう。
確かに、クリスチャンでない方からすれば、なぜクリスチャンがこんなに毎週礼拝しているのか不思議に思えるかもしれませんね。
ましてや、個人でも礼拝している人を見たら、何か狂気じみたものすら感じる方もいるかもしれません。
しかし、
とドン引きするのは少し待ってください!
礼拝をするのには、いくつかの理由があるのです。
そこで、ここからはなぜ神様を礼拝する必要があるのかについてご説明していきましょう!
- 理由①人間は神様によって造られたから
- 理由②神様との関係を深められるから
- 理由③神様に似た姿に変えられるから
理由①人間は神様によって造られたから
さて、そもそもですが、神様と私たち人間の関係はどのようなものだと思いますか?
それは、創造主と被造物の関係です。
そうです、私たち人間は創造主なる神様によって造られたのです!
(詳しくは、【聖書】”天地創造”の意味とは?この世界は6日間で造られた!?を参照)
「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」
(創世記1章27節)
ですから、被造物の人間が創造主の神様を拝み礼拝するのは自然なことなんです。
むしろ、
というくらい自然なことです。
ほら、アニメとかでも魔王によって生み出された魔物たちは、自然と魔王のことを拝んで仕えているでしょ??
あんなイメージです!(あんまりいい例えじゃないけど)
神様も人間が礼拝をささげることを望んでおられますしね。
聖書にもこう書かれています。
「われらの主なる神よ、あなたこそは、栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた。あなたは万物を造られました。御旨によって、万物は存在し、また造られたのであります」。
(ヨハネの黙示録4章11節)
神様がいなければ、私たち人間は存在すらできていません!
そんな偉大な創造主の存在を知ると、私たちは思わず礼拝せずにはいられないのです。
礼拝する気になれない方は、まだ神様という存在をよく分かっていないだけなんですね。
そう考えると、なぜ偶像礼拝をしてはいけないのかが分かってきます。
だって、
- 人間を造った真の神様
- 人間が造った偽物の神様
のどちらを礼拝すべきかって聞かれたら、どう答えますか??
そんなの前者に決まっているじゃないですか!
偶像にはなんの力もありません。
私たち人間が礼拝すべきなのは創造主なる神様ただお一人なのです!
浮気はダメ、絶対!!
偶像礼拝がダメな理由については、【Q&A】偶像崇拝が禁止の5つの理由って?クリスチャンが答えてみたをどうぞ
理由②神様との関係を深められるから
礼拝は、神様との関係を深める行為でもあります。
具体的には、
- お祈りをしたり
- 賛美歌を歌ったり
- 聖書を読んだり
といった行為ですね。
こうした行為を普段からしていると、それだけ神様と親密な関係になれます。
ほら、皆さんだって仲良くなりたい相手がいたら、
- 会話をしたり
- 食事をしたり
- 一緒に遊んだり
して関係を深めようとするでしょう??
神様との関係も同じです。
普段から一切接触をせずに、関係は深まらないですからね!
しかし、中には、
別に深めたいとも思わないんだけど。。
という方もいるでしょう。
ところが、それは非常にもったいない考え方です!!
なぜなら、神様との深い関係の先にあるのは、とてつもない愛や恵み、祝福に溢れた世界だからです。
何しろあらゆる良いものは神様から来るのですから。
「あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。」
(ヤコブの手紙1章17節)
この世界は、神様から離れて罪まみれの生活をしていたら絶対に見られないものですね。
いやー、こればかりは言葉では表現しきれません!!
なので、悔しかったら神様との関係を深めてみるんですな!ふははは!!
理由③神様に似た姿に変えられるから
冒頭でも言ったように、人は誰しもが無意識に何かを礼拝しています。
つまり、何かを神様として拝んでいるということですね。
例えば、
- お金
- 有名人
- ギャンブル
- ブランド品
- ポルノ
- 趣味
などなど。
中には、
しかし、自分が普段から何を礼拝しているのかは、
なぜなら、人は自分が礼拝しているものと似た者になるから。
聖書にはこうあります。
「彼らの偶像はしろがねと、こがねで、人の手のわざである。 そ
(詩篇115:4-8)
これって何だかゾッとしませんか??
下手なホラー映画よりもよっぽど怖いがな!!
例えば、有名人なんかは分かりやすいですよね。
もし自分のお金や時間の多くを費やすほど憧れている有名人がいるなら
- 服装
- 言動
- 生き方
などから大きな影響を受けるはずです。
そして、結果的に段々とその有名人に似た者となっていきます。
しかし、逆に言えば、真の神様を礼拝すれば神様に似た者となれるということです。
これはとんでもなくスゴイことですよ!
だって、神様は、
- 清く正しく
- 愛に溢れ
- 罪のない
まさにパーフェクトな存在。
(神様の性質については、【キリスト教】神とは誰か?何者か?聖書から7つの性質を挙げてみたを参照)
そんな神様と似た者となれるなんて、これほど光栄なことはありません!
まあ元々人間は神に似た者として造られたんですけどね。
「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」
(創世記1章27節)
つまり、礼拝をすることで神様に造られた人間本来の姿を徐々に取り戻せるということです!
ですから、礼拝をする対象を間違えてはいけません。
神様以外の被造物を礼拝しても、私たちは不完全な者になっていくだけなのです!
正しい礼拝の姿勢とは?
では、実際に神様に礼拝をささげる際に、どのようなことに気を付ければいいのでしょうか?
聖書に書かれている2つのポイントを見てみましょう!
- 自分自身をささげる
- 霊とまことによって礼拝する
①自分自身をささげる
「兄弟たちよ。そういうわけで、
(ローマ人への手紙12章1節)
まず、礼拝は自分自身をささげる必要があります。
自分自身というのはつまり、自分の
- 肉体
- 命
- 時間
- お金
- 賜物(才能)
- 心
など人生の全てです。
なぜなら、キリストを信じた者は罪ゆるされて、今や神様のものとされているから。
クリスチャンの体はもはや自分自身のものではないのです!!
「あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。 20あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。」
(コリント人への第一の手紙6章19、20節)
旧約聖書に登場するアブラハムなんて、まさに究極ですよ。
なにしろ、自分の最愛の息子であるイサクさえも神様にささげようとしたのですから!(やばい)
「彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。」
(創世記22章9節)
さすがは、”信仰の父”ですよね!
まあ、結局神様の使いによってストップがかかって、未遂に終わりましたが。。
時々、
- 礼拝を受ける
- 礼拝を守る
という言い方をクリスチャンがすることがありますが、これは正確な表現ではありません。
礼拝は本来、神様に何かを求めるものではなくささげるものなのです。
先ほど礼拝をすると恵みや祝福などを得られるというお話をしましたが、
このような利益を求めて礼拝するようになると、礼拝の本質を見失ってしまいますので注意!
②霊とまことによって礼拝する
「しかし、まことの礼拝をする者たちが、
(ヨハネによる福音書4章23、24節)
次に、礼拝は霊とまことによってする必要があります。
なぜなら、神様ご自身が霊的な存在であり、真実なお方だからです。
そのためにはまず、キリストを信じて聖霊によって生まれ変わらなくてはいけません。
そして、聖霊に満たされて神様を礼拝するのです。
初めて教会が生まれたときも、
(聖霊については、【神の位格】聖霊とは?その10の働き・役割をクリスチャンが解説!を参照)
「すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。」
(使徒行伝2章4節)
また、私たちはまこと、つまり真理を持って礼拝をする必要があります。
真理というのはイエスのことであり、イエスを通して初めて私たちは神様に近づき礼拝することができるのです。
なぜなら、本来、私たちは罪深すぎて聖なる神様に近づくことなどできないから。
イエスはご自身でこう言われました。
「イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」
(ヨハネによる福音書14章6節)
旧約聖書の時代、人は動物などのいけにえをささげることで初めて神様に近づき礼拝することができました。
そのいけにえの血によって、一時的に罪がゆるされていたからです。
しかし、イエスが自らをいけにえとして十字架に架かられてからは、もう礼拝にいけにえは必要なくなりました!
なぜなら、罪なきイエスの血は全人類の罪を取り去ってくださったからです。
ですから、現代を生きる私たちは
- 聖霊と
- 真理なるキリスト
によって神様を礼拝していきましょう!
イエスキリストについては、【完全版】イエス・キリストとは?その生涯を簡単にまとめてみたをどうぞ
まとめ:人間が礼拝すべきなのは神様だけ!
礼拝の大切さ、お分かりいただけましたか??
礼拝は決して、一部のやばい人たちだけがする怪しい行為ではないんです!
誰もが普段から何かを礼拝しています。
ですが、本当に私たちが礼拝すべきなのは創造主なる神様ただお一人です。
礼拝の対象を間違えないようにしましょうね!!
キートンでした。
☟参考文献