ジーザス、エブリワン!キートンです。
皆さんは教会での献金というと、どんなイメージを持っているでしょうか?
もしかしたら、

とか

みたいなイメージがあるかもしれません。
はい、これは大きな誤解です。
気持ちは分かりますけどね。
ジーザス、エブリワン!👼
経済的にきつくて、献金を捧げるのがきついって時あるよね??
でも、そんな時こそ捧げるべきだよ!
なぜなら、そうやって貧しくても心から献金を捧げる人のことを、神様は祝福してくださるから!
結果的に、豊かになっていくんだね!https://t.co/04fkeHiYXQ pic.twitter.com/YfrKaSRJwn
— キートン@クリスチャンブロガー (@keaton1992) February 4, 2020
献金って実際は、怪しくも何ともないです!
むしろ神様に対する美しい行為なんです!イッツソービューティフォー!!
というわけで、この誤解を解くために今回は、
- 教会における献金とは何か
- 献金にはどのような種類があるのか
- 献金は強制なのか
などの疑問について詳しくご説明していきたいと思います!

Contents
教会の献金とは?

献金というのは、神様のために捧げるお金のことで、教会の礼拝の中で毎週この献金の時間があります。
献金のときは、全員で賛美歌を歌いながら担当の人が献金袋を回すのが一般的です。
ちなみに、政治の世界で使われる献金は”政治献金”と呼ばれ、政治家や政党のために提供されたお金のことをいいます。


献金にも種類がある!?
献金と一言に言っても、実はいくつか種類があります。
それぞれ見ていきましょう!
①一般献金

一般献金は、礼拝や集会などで捧げる献金のことです。
皆さんが思い浮かべる一般的な献金がこれですね。
礼拝や集会が行われるごとに献金の時間があり、感謝を込めて神にお捧げします。

②十一献金

十一献金というのは、毎月収入の十分の一を捧げる献金のことです。
聖書にもこう書かれています。
「わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。 」
(マラキ書3:10)

一般の方にはそう思われるかもしれません。
確かに、収入の十分の一というのは一般的な感覚だと決して軽い負担ではありません。
しかし、クリスチャンは十一献金を捧げることで神への信頼や感謝を表します。
大切な収入の一部を捧げるほどの感謝がある、あるいは捧げた以上の祝福を神様は下さると強く信じているんですね。
僕も何度も体験していますが、実際に神様は十一献金で捧げたお金以上の祝福を与えて下さいます!
もちろん、見返りを求めて捧げているわけではないですが。

③特別献金

上記以外の献金のことを全部ひっくるめて、特別献金といいます。
例えば、
- 「感謝献金」➡結婚や就職などに対する感謝を捧げる献金
- 「会堂献金」➡教会のローン返済のために集められる献金
- 「指定献金」➡国外宣教のため・海外の困っている人々のためなど目的が指定されている献金
などがこれにあたります。
他にも、「クリスマス献金」や「イースター献金」などがあります。


献金って払わないとダメなの?【強制ではありません】

これはよくある誤解なんですが、どの献金も強制ではありません。
献金とは、月謝や入場料、牧師さんや神父さんの説教に対するお金とは違います。
あくまで神に対する感謝の捧げ物です。
ですから、金額も決まっておらず自分が捧げたいと思う額だけでいいのです。
献金をしなかったからといって、
十字架にはりつけにされたり、教会の地下室に監禁されたり、
牧師さんや神父さんから引っぱたかれたり、神からの天罰が下ったりといったことは一切ありません!!(どんなイメージだ)
あくまでも、大切なのは金額ではなく捧げたいという気持ちなのです。
聖書にも、
「各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。」
(第2コリント9章7節)
と書かれています。
心からの献金を捧げれば神様が祝福してくださるということですね!
逆に言えば、どんなに大金を献金してもそこに心が伴(ともな)ってなければ、神様は喜ばれません。

このように教会での献金は強制ではないので、
もし教会に行って献金を強制されたらカルト教団か危ない集団の可能性があるので、すぐに逃げてください!

献金の本質が分かる”レプトン銅貨二枚”のお話とは?

“献金は額ではなく、気持ちが大切”ということを、具体的に教えてくれている聖書箇所があります。
それが、以下の箇所です。
「イエスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。 42ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントに当る。 43そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。 44みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」。」
(マルコによる福音書12章41~44節)
このやもめ(未亡人のこと)は他の人よりも貧乏で、お金をほとんど持っていませんでした。
しかし、そのなけなしのお金を全て、彼女は献金として神様のために捧げました。
金額自体は、他の人よりも圧倒的に少なかったはずです。
ただ、その献金を捧げる気持ちの強さで言えば、誰よりも勝っていました。
皆さんは、献金のために自分の全財産を捧げることができるでしょうか?
恐らく、無理でしょう。
自分の全財産も惜しみなく捧げるやもめの誠実な心を見て、イエス様はそのやもめを絶賛されたのです。
献金をするときは、このやもめのように心からお捧げしていきたいですね!

神様にもお金が必要!?

献金というと、

と思うかもしれませんが、神様にお金など必要ありません。
しつこいようですが、神様が求めておられるのは私たちの感謝と信仰です。
その気持ちを”お金”という形で捧げているに過ぎないのです。
だからこそ、金額は大して重要ではないんですね。

献金を捧げるとお金に縛られなくなる!?

神様は、献金を捧げることで、私たちがお金から自由になることを望んでおられます。
なぜなら、お金に執着しているうちは献金を捧げることなどできないからです。

と感じてしまいますからね。
聖書にはこう書かれています。
「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。 20むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。 21あなたの宝のある所には、心もあるからである。」
(マタイによる福音書6章19節〜21節)
人間は自分が興味のあるものにお金を使います。
本や服、CDや食事、恋愛にスポーツ。
ですから、神様以外にお金を使えば使うほど私たちの心は神様から離れていくのです。
しかし、逆に献金を捧げれば私たちの心も神様に向いていきます。
お金というのは私たちが死んだら何の役にも立ちません。
積極的に献金を捧げて天に富を積んでいきましょう!
まとめ:献金は捧げたいという気持ちが大事!

いかがでしたか?
献金のイメージが変わりましたか?
そもそも献金の根底には、

だから、少しでも献金という形でお返ししよう。
という考えがあります。
ですから、教会側が無理やりお金をむしり取っているわけではなく、クリスチャンが自ら進んで献金しているんです!
皆さんが教会に行くときは、捧げたくなったら献金を入れるというスタンスで大丈夫です。
入れなくても誰も責めませんから!
ではまた!
