ジーザス、エブリワン!キートンです。

毎月払わないといけないものなの?
こういった疑問にお答えします。
キリスト教には、献金というものがあります。
しかし、一部のカルト的な宗教の影響もあり、何やら怪しいものみたいなイメージがあるかもしれません。
信徒からがっぽり献金を絞り上げて、ぐへへへ。。みたいな感じですね。
では、実際のところ、キリスト教における献金とはどのようなものなのでしょうか?
毎月払わないといけないものなのでしょうか?
そこでこの記事では、クリスチャン歴28年の僕が、
- 教会の献金とは?【いくつかの種類あり】
- 献金って払わないとダメなの?【強制ではありません】
- 献金はいくら払えばいいの?相場は?【大切なのは気持ちです】
- 【体験談】献金をささげると、人生が豊かになる話
について詳しく解説します!

目次
教会の献金とは?【いくつかの種類あり】

教会の献金というのは、神様のためにささげるお金のことです。
毎週の礼拝の中では、この献金の時間がありますね!
そして、献金と一言に言っても、実はいくつか種類があります。
- 集会献金
- 月定献金(10分の1献金)
- 特別献金
それぞれ見ていきましょう!
①集会献金
集会献金は、礼拝や集会などでささげる献金のことです。
細かく分けると、
- 礼拝献金
- 伝道会献金
- 祈祷会献金
- 特別集会献金
といったものがあり、毎週の礼拝や集会の中にこの献金の時間が組み込まれています。
1度でも教会で礼拝を受けたことがある方は、イメージしやすいのではないでしょうか。
集められた献金は、教会の経済的運営のために使われます。

✅僕の教会生活については、【完全公開】クリスチャンの僕が教会生活を全て暴露しますをどうぞ
②月定献金(10分の1献金)
月定献金(10分の1献金)とは、その名の通り毎月収入の10分の1をささげる献金のことです。
この献金も、教会運営を支える大切なものですね。
多くの教会では、月定献金袋(封筒)に入れてささげます。
月定献金袋には、献金の種類や額を書く欄があり、領収の印が押されますね。
聖書にもこのように書かれています。
「わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。 」
(マラキ書3:10)

一般の方にはそう思われるかもしれません。
確かに、収入の10分の1というのは一般的な感覚だと決して軽い負担ではありません。
しかし、クリスチャンは月定献金(10分の1献金)をささげることで神への信頼や感謝を表します。
大切な収入の一部をささげるほどの感謝がある、あるいはささげた以上の祝福を神様は下さると強く信じているんですね。
③特別献金
上記以外の献金のことを全部ひっくるめて、特別献金といいます。
例えば、
- 感謝献金
➡結婚や就職、バプテスマ、誕生などに対する感謝をささげる献金
- 祝節(しゅくせつ)献金
➡イースター、クリスマス、ペンテコステなどのお祝いの際にささげる献金
- 指定献金
➡国外宣教のため・海外の困っている人々のためなど目的が指定されている献金
- 特別用途献金
➡特別伝道、会堂建築、災害救済、神学校援助のための献金
などがこれにあたります。
まあ正直、僕もあまりなじみのない献金が多いですが。。

献金って払わないとダメなの?【強制ではありません】

献金という話をすると、

やっぱり宗教は怖い。。!
と拒絶反応を示す方もいますが、これは誤解です。
なぜなら、献金は決して強制ではないからです。
献金は、月謝や入場料、牧師さんや神父さんの説教に対するお金とは違います。
あくまで神に対する感謝のささげ物なのです。
「あなたの神、主が賜わる祝福にしたがい、おのおの力に応じて、ささげ物をしなければならない。」
(申命記16章17節)
感謝なんて、誰かに強要されるものではないですからね!
だから、仮に献金をしなかったからとしても、
- 十字架にはりつけにされたり
- 教会の地下室に監禁されたり
- 牧師さんや神父さんから引っぱたかれたり
- 神からの天罰が下ったり
といったことは一切ありません!!

ですから、教会に行く際に、献金を払わなきゃ殺される!!とおびえる必要は全くありませんよ!
礼拝のときに献金袋が回ってきても、スルーしてももらって結構です。
ただ、これは裏を返せば、
献金を強制してくる教会は危険な可能性が高いということです。
実際、色んなもっともらしい理由を付けて、お金を請求してくるカルト的な教会もあります。
そういう教会に捕まってしまうと、お金を搾り取られてしまうかもしれません。
ですから、教会に行って献金を強制されたらすぐに逃げましょう!
マッハで逃げましょう!!光の速度で逃げましょう!!
そんなのは、聖書の教えに反していますからね。

✅やばい宗教については、【警告】絶対に関わるな!やばい宗教の特徴5選【クリスチャンがご紹介します】で詳しく書いています。
献金はいくら払えばいいの?相場は?【大切なのは気持ちです】

では、献金にいくら払えばいいという基準はあるのでしょうか?
ここまでの流れを見ると分かるかと思いますが、献金にいくらという決まりはありません。
私たちがささげたいと思うだけのお金を、ささげればいいのです!
むしろ、金額よりも大切なことがあります。
それは、心から献金をささげられているかです。
聖書にも、こうあります。
「各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。」
(第2コリント9章7節)

ほら、皆さんだって、他の人からすっごい渋々誕生日プレゼントをもらっても嬉しくないですよね??

ってなるはずです。
そして、これは神様も同じです。
私たちには、嫌々ではなく、自分から進んで献金をささげて欲しいと思っておられるんですね!
ちなみに、このことがよく分かるエピソードが、実は聖書には書かれています。
それが、“レプトン銅貨二枚”のお話です。
「イエスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。 42ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントに当る。 43そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。 44みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」。」
(マルコによる福音書12章41~44節)
このエピソードに登場するやもめ(未亡人のこと)は貧乏で、お金をほとんど持っていませんでした。
ですから、他のお金持ちがささげる献金よりも、その額ははるかに少なかったのです。
しかし、イエスはこのやもめこそが最もたくさんのお金を入れたと語られました。
なぜなら、イエスは彼女の献金に対する姿勢をご覧になっていたからです。
自分の生活費の全てさえささげる彼女の心は、他の誰よりも神様に対して敬虔(けいけん)だったに違いありません。
このように、献金に大切なのは、値段ではなく心なのです!!

【体験談】献金をささげると、人生が豊かになる話

献金というと、多くの人は抵抗を感じます。
自分が稼いだ大切なお金をささげるということですから、それも無理はないことでしょう。
しかし、献金をささげると私たちの人生は豊かにされます。
これは、今まで何十年と献金をささげてきた僕の実感として、間違いないことだと断言します。
確かに、正直今でも、

献金ささげる余裕あるかなあ。。
と思ってしまうときはあります。
しかし、それでも、なけなしのお金の中から献金をしたときに神様はすごい祝福を与えてくださるのです。
まさに、さっきのレプトン銅貨のお話ですね!
実際、僕は今まで献金をささげた後、不思議な方法でそれ以上のお金が返ってきたことが何度もあります。

もうダメだー!!
というときでも、ふっと臨時収入が入ってきたりするのです。
うさんくせー!と思うかもしれませんが、本当なんです!
どうしても信じられないなら、皆さんも実際に献金をささげてみてください。
神様も聖書で、こうおっしゃっています。
「わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。」
(マラキ書3章10節)
聖書では基本的に、神様を試すことは禁じられていますが、
なんと献金だけは神様自らが試してみろとおっしゃっているんです。
献金をささげることで、神様からの恵みが私たちに注がれるかどうか試してみろと。
これって、すごい自信ですよね。
だから、献金を疑っているそこのあなた!
献金をささげてみて、神様からの恵みが与えられるか試してみようではありませんか!!
絶対に後悔はしませんよ!(ステマではありません)
まとめ:献金はささげたいという気持ちが大事!

いかがでしたか?
献金のイメージが変わりましたか?
そもそも献金の根底には、

だから、少しでも献金という形でお返ししよう。
という考えがあります。
ですから、教会側が無理やりお金をむしり取っているわけではなく、クリスチャンが自ら進んで献金しているんですね!
献金をささげなくても、誰も責めません。
とはいえ、ささげたほうが、人生は豊かになるのでおすすめしますけどね!
キートンでした。


👇参考文献
クリスチャンの意見聞けて嬉しいです。
私は、信仰持ってから32年かな。途中教会離れました。15年間離れて、シャブ中でシャブの売人を10年やり刑務所、また捕まりの繰り返し、2016年1月31日、悔い改めました。9日間、禁断症状でもうダメだ、その時心に語る神の声を聞きました。祈り疲れて眠り、起きると別人になってました。翌年49歳で全寮制の神学校に入学、ガキばかり。足かけ5年この春卒業、今は伝道師です。
献金はたまに10分の10やります。神にかけてます。毎日死ぬ覚悟を確かめてます。何も怖くない?いざとなりゃ怖くないよね。
バッタ(むし)が怖い。
シドさん、コメントありがとうございます!
素晴らしいお証も感謝いたします。確かな神様のお導きが、シドさんの人生にあることを感じます。
献金、10分の10はすごいですね!それだけ神様にご自分の全てをささげていらっしゃること、尊敬いたします。これからのシドさんの信仰生活に、ますますの主の豊かな恵みと祝福が注がれますように。
わたしは、Christianになると決めて家から近い、ある教会へ通い始めたばかりのヒヨコクリスチャンです。
通って、2回目の時に洗礼の聖書勉強を勧められ、断られず勉強をしていくうちに、献金のところまで来て、献金をしないと、とにかく損が生じる、家電が壊れるとかなどどんな形でも献金しない分より損失とかみたいな話で、
私は少し怯えてしまいました。まさに、脅迫のように聞こえました、私には。献金したら献金より大きい益があって、献金しないと例えなにかが壊れたりまでして損になるよ、と。私は少額ですが毎回礼拝の時に1000円ずつ献金していました。でも、この日献金にたいしてのいろんな話を聞いてからは教会へ行く意欲というか…薄くなったきがします。私を自由にほっておいて欲しいです。神様と真正面で静かに信仰して生きたいです。まだ洗礼を受けてもないのにも、いろんな献金の名がズラリと書いてある献金封筒を見せて来る牧師がもうしつこくて嫌いになりました。どうか、アドバイスをおねがいいたします。
エメラルドさん、コメントありがとうございます!
なるほど、それは辛い経験をされましたね。。本記事でも書いていますが、献金というのは本来強制されるものでもなければ、払わないと天罰が下るようなものでもありません。あくまでも本人の裁量に委ねられています。
カルト的な宗教はしばしば「〇〇しなければ地獄に落ちるぞ!」「〇〇しなければ悪いことが起こるぞ!」などと恐怖を煽ることで信徒をコントロールしようとしますが、エメラルドさんが通われている教会にもその要素を感じます。当然、このような教えは聖書的とは言えません。
ですから、もし今のような状態が続くのであれば、神様にお祈りをしつつ、別の教会を探してみてはいかがでしょうか。幸い教会は他にもたくさんありますし、色々と教会をまわってみて自分が通いたいと思える良心的な教会を見つけることも大切かと思います。
たった1つの教会によって、エメラルドさんの新しく喜びに満ちたクリスチャン生活が壊されてしまうのは非常に悲しいことです。ぜひ良い教会に導かれるように、神様に祈り求めてみてください。
エメラルドさんの信仰生活が祝福され、素敵な教会と巡り会えますように。。!
献金の件で検索してこのサイトに来ました。
教会の視点でまとまっていて参考にさせていただきます。
私としては旧約の律法と十字架以後のものとは大きな違いができているようにおもっています。
イエス様は寡婦を誉めた後で、宮の中で暴れて商人たちを蹴散らされました。その商人たちとは市場のような商いをしていたのでしょうか?ましてや宮の中で、、またその宮も崩されると預言され、それは実現されました。そこに2レプタの意味を考えてみたいと思います。
ありがとうございました。
HIKO 1954さん、コメントありがとうございます!
献金についても様々な意見があるかとおもいますが、私の記事が何かの参考になれば幸いです。今度も拙ブログをよろしくお願いいたします。