ジーザス、エブリワン!キートンです。
詳しい内容を教えて!
こういった疑問にお答えします。
今回は、“ゲッセマネの祈り”についてご紹介したいと思います。
これは、イエスキリストが行ったお祈りのことで、
「ジーザス・クライスト・スーパースター」や「パッション」
とはいえ、どんな祈りなのか名前を聞いただけでは、よく分からないですよね?
そこでこの記事では、クリスチャンの僕が、
- “ゲッセマネの祈り”とは
- “ゲッセマネの祈り”の内容
などについて分かりやすくご説明しましょう!
目次
“ゲッセマネの祈り”とは?
ゲッセマネの祈りとは、イエスキリストが十字架に架けられる前日に祈ったとされるお祈りのこと
場面としては、12弟子のユダが裏切りイエスキリストを連行する直前ですね。
重要だからか新約聖書の”共同福音書”と言われる、
- マタイによる福音書
- マルコによる福音書
- ルカによる福音書
の全てにこのシーンが描かれています。
ゲッセマネというのは、祈った場所の名前で、“オリーブ山の祈り
“ゲッセマネの祈り”の登場人物
まずは、登場人物たちをご紹介!
イエス・キリスト
人類の罪のために地上に来られた救い主。
処刑前に弟子たちを連れたイエスは、ゲッセマネという場所でとてつもない熱量をお祈りをされます。
詳しくは、【完全版】イエス・キリストとはどんな人物?その生涯をまとめてみた【5分で分かる】をどうぞ
12弟子
イエス・キリストに付き従った、12人の弟子たち。
ただし、今回登場する主な弟子はペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人だけです。
イエスからお祈り中、目を覚まして待っているように言われますが。。
12弟子については、【完全版】イエスの12使徒(弟子)って誰がいるの?超個性派集団!?をどうぞ
“ゲッセマネの祈り”の内容
「それから、イエスは彼らと一緒に、ゲツセマネという所へ行かれた。そして弟子たちに言われた、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここにすわっていなさい」。」
(マタイによる福音書26章36節)
イエスとその弟子たちは、エルサレムで最後の晩餐(ばんさん)を終えた後、オリーブ山の“ゲッセマネ”という場所にやって来ました。
イエスは、弟子たちに言われました。
そして、イエスはペテロ、ヤコブ、
あなたたちはここにいて、私と共に目を覚ましていなさい。
するとイエスは、少し先に行くとうつ伏せになり、
しかし、最終的には、私の望みではなくあなたの望まれる通りになりますように。。
イエスはお祈りを終えると、3人のところに戻って来ましたが、
そうです、寝落ちってやつです。(やらかしたな)
イエスはこれをご覧になると、ペテロに言われました。
誘惑に負けないように、目を覚まして祈っていなさい。心が燃えていても、人の肉体は弱いのだから。
すると、イエスは再び同じ場所に行き、
そして、イエスが戻ってくると、3人は再び眠りこけています。(学べ)
イエスは彼らをそのままにしておくと、3度目も行って同じ言葉で祈られました。
祈り終えると、イエスは3人のもとに帰ってきて言われまし
時が来た。
見なさい、私を裏切る者(イスカリオテのユダ)がやって来たようだ。
“ゲッセマネの祈り”中、イエスは血汗症になった!?
上記でご紹介した”マタイによる福音書”には書かれていませんが、
実は、”ルカによる福音書”のゲッセマネの祈りの描写を見ると、イエスが血のように、大粒の汗をかいているシーンが出てきます。
「44イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。」
(ルカによる福音書22章44節)
これは、イエスが過度のストレスによって、“血汗症”になってい
血汗症というのは、死の危機などによる極度のストレスが原因で、
過去には、
- 戦場に出る前の兵士
- 死刑宣告を受けた人々
などが過去にこの血汗症になったというお話もあ
イエスの場合、
ただし、
杯(さかずき)って何のこと?
イエスはゲッセマネの祈りの中で、“杯(さかずき)”
「そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。」
(マタイによる福音書26章39節)
では、これは、一体何を意味しているのでしょうか?
もちろん、お酒のことではありませんよ?
杯は、聖書では“自分の体の中に入れる”という意味で使われています。
では、
それは、主に3つ考えられます。
- 人間の罪の杯(さかずき)
- 肉体的苦しみの杯(さかずき)
- 神の怒りの杯(さかずき)
①人間の罪の杯(さかずき)
そもそも、
イエスご自身が、それほどの大罪を犯したから?
いいえ、イエスは罪を犯したことのない完全なお方でした。
「22キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。」
(ペテロの第一の手紙2章22)
イエスが十字架にかかられたのは、“私たちの罪をゆるすため”です。
その罪とは例えば、
- 盗み
- 殺し
- 嘘
- 憎しみ
- 裁き
- 傲慢(ごうまん)
- 暴力
- 怒り
などなど。
しかし、こんなのは、ほんの一握りの罪。
私たち人間は、アダムとイブの時代から罪を犯し続けており、罪を犯したことのない人間などいません。
このように、人間が罪によって受けてきた苦しみを、イエスは1人で背負
「22キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。 23ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。 24さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。」
(ペテロの第一の手紙2章22~24節)
しかも、1人や2人分の罪ではなく、人類全員の罪ですから、それはどれほどの重荷でしょうか。
私たちが今、罪から解放されているのは、イエスが代わりに背負ってくださったおかげなんですね!
キリスト教のいう罪については、キリスト教の”罪”とは何?本質は1つだけです【クリスチャンが答える】をどうぞ
②肉体的苦しみの杯(さかずき)
これは言わずもがなですが、十字架にかかって死ぬということは、大きな肉体的な苦しみもあります。
しかし、その苦しみは、私たちが思っている以上に大きいものです。
何しろ、十字架刑は、当時最も重いと言われていた処罰。
ローマ帝国への反逆罪としてしか利用されず、対象も非ローマ市民や奴隷に対してしか行われないほどでした。
イエスが十字架で死なれるまでの流れをまとめると、
◎十字架刑の流れ
- “
フラグラム”という特殊な鞭で39回ほど背中をズタボロに引き裂かれる(この時点で死ぬ人も) - 茨の冠を被せられ、唾を吐きかけられながら「ユダヤ人の王、万歳」と馬鹿にされる
- 約70〜90kgの十字架を背負って1.6Km先のゴルゴダの丘まで歩かされる
- 全裸で十字架の上に寝かされ両手足に30cmほどのぶっ
とい釘を打たれる - 呼吸困難になって2、3日もだえ苦しみながら死に至る
という感じ。
もはや苦しいという形容が、生易しく見えてくるレベルですよね。
これは、イエスが杯を遠ざけようとされたのも無理はありません。
「39そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。」
(マタイによる福音書26章39節)
十字架刑の残酷さについては、【閲覧注意】十字架刑がいかに残酷で苦痛な刑なのかまとめてみた【キリストの愛を知れ】をどうぞ
③神の怒りの杯(さかずき)
イエスが最も恐れていたのは、もしかしたらこの杯かもしれません。
人々の罪を背負うということは、
なにせ、人間たちは今まで神様に背きまくって、罪を犯しまくってきました。
神様の怒りも相当たまっているでしょう。
その怒りをイエスが全部1人で受け止めたというのですから、とんでもないことです。
「 9わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。」
(ローマ人への手紙5章10節)
ましてや、相手はイエスご自分が愛する天の父。
その父から裁かれて突き放されるのですから、イエスの悲しみは計り知れません。
これがどれほど辛いことか、
実際、イエスは十字架にかかられる際に、
「34そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。」
(マルコによる福音書15章34節)
天の父の怒りを受け、
しかし、これらは全て私たち人間が味わうはずだった苦しみです。
にも関わらず、代わりに全ての苦しみを背負ってくださったのがイエスというお方なんですね。
“ゲッセマネの祈り”は、イエスの人としての弱さが垣間見えるシーン!?
このゲッセマネの祈りは、救い主であり、
それまでの登場シーンを見渡しても、これほどイエスが苦しんで弱さを見せているシーンは他にないで
ですから、人によってはこのシーンを見て、
とがっかりする人もいるかもしれません。
しかし、忘れてはいけません。
イエスキリストは、神の子であると同時に、人間でもあります。
「6キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、 7かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、 8おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。」
(ピリピ2章6~8節)
ですから、弱さを持ち、
でも、だからこそ、
人間に共感するには、自分も人間を経験する必要があったんですね。
「17そこで、イエスは、神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって、民の罪をあがなうために、あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった。 18主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。」
(へブル人への手紙2章17、18節)
このゲッセマネの祈りのシーンを見るときに、私たちはイエスのへりくだった姿を見るのです。
イエスは、自分の意志より神様の御心を優先した!?
イエスは、この杯を遠ざけて下さいと祈りながらも、
最終的には、
「39そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。」
(26章39節)
これは、まさに私たちが学ぶべき理想的なお祈りです。
なぜなら、人はお祈りするときに、自分の願いごとばかりをお祈りしてしまいがちだから。
ほら、神社やお寺でのお祈りなんかまさにそうですよね。
しかし、神様は私たちの願いを都合よく叶えてくれる、流れ星やランプの魔人のような存在ではありません!!
もちろん、自分のお願い事を言うのも、立派なお祈りです。
しかし、それだけだと、自分勝手で一方的なお祈りになってしまいます。
ですから、イエスのようにお祈りの最後に、
と付け加えましょう!
そうすれば、神様がより多くの祝福を与えてくださるはずです。
詳しい祈り方については、【祈り方】お祈りの方法って?クリスチャンが具体的な3ステップで教えます!をどうぞ
“ゲッセマネの祈り”の絵画
では、最後にゲッセマネの祈りを描いた絵画をいくつか見てみましょう!
『ゲッセマネの祈り』(ジョルジョ・ヴァザーリ)
「ゲッセマネの祈り」 1570年頃 #art #アート #美術 #絵画
ジョルジョ・ヴァザーリ pic.twitter.com/310miFR9lh
— 絵画ファン (@kaigafan) August 8, 2019
イエスと弟子たちの対比が印象的な作品。
イエスは苦悩の中で祈り、天使によって励ましを受けています。
一方で、弟子たち3人(左からペテロ、ヨハネ、ヤコブ)はすっかり眠りこけていますね。
ちなみに、左側に見えるのは、イエスを裏切るイスカリオテのユダたちです。
『ゲッセマネの祈り』(コッラード・ジアキント)
コッラード・ジアキント『ゲッセマネの祈り』⁽1754⁾pic.twitter.com/Ocxm4UwQew
— 天使の絵画bot (@art_of_angel) May 30, 2021
こちらは、お祈りをしているイエスにフォーカスされている作品。
イエスの弱々しげな様子が印象的ですね。
左側では、天使が杯(さかずき)を持っています。
まとめ:”ゲッセマネの祈り”にイエスキリストの苦しみが見える
ゲッセマネの祈り、短いシーンでしたが、とても印象に残る場面でしたね。。!
イエスキリストというと、十字架にかかって3日後に蘇られたこ
しかし、ゲッセマネの祈りもセットで学ぶと、
イエスがしてくださったことへの感謝をいつも忘れずにいたいですね!
キートンでした。