ジーザス、エブリワン!キートンです。
今回は、“ゲッセマネの祈り”についてご紹介したいと思います。
これは、イエス・キリストが行ったお祈りのことで、
「ジーザス・クライスト・スーパースター」や「パッション」
この記事では、
- “ゲッセマネの祈り”とは
- “ゲッセマネの祈り”の内容
などについて分かりやすくご説明しましょう!

Contents
“ゲッセマネの祈り”とは?

ゲッセマネの祈りとは、イエス・
場面としては、12弟子のユダが裏切りイエス・
「それから、イエスは彼らと一緒に、ゲツセマネという所へ行かれた。そして弟子たちに言われた、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここにすわっていなさい」。」
(マタイによる福音書26章36節)
重要だからか新約聖書の”共同福音書”と言われる、マタイ、マルコ、
ゲッセマネというのは、祈った場所の名前で、“オリーブ山の祈り

“ゲッセマネの祈り”の登場人物
まずは、登場人物たちをご紹介!
イエス・キリスト

人類の罪のために地上に来られた救い主。
処刑前に弟子たちを連れたイエス様は、ゲッセマネという場所でとてつもない熱量をお祈りをされます。

12弟子

イエス・キリストに付き従った、12人の弟子たち。
ただし、今回登場する主な弟子はペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人だけです。
イエス様からお祈り中、座って待っているように言われますが。。

“ゲッセマネの祈り”の内容

イエス様とその弟子たちは、エルサレムで最後の晩餐(ばんさん)を終えた後、オリーブ山の“ゲッセマネ”という場所にやって来ました。
イエス様は、弟子たちに言われました。

そして、イエス様はペテロ、ヤコブ、

あなたたちはここにいて、見張っていなさい。
すると、イエス様は、少し先に行って地面にひれ伏し、

できることなら、どうかこの杯(さかずき)を遠ざけてください!
しかし、最終的には、私の望みではなくあなたの望まれる通りになりますように。。
イエス様は、苦しみにもだえ、
そのせいか、イエス様の顔からは、大粒の汗が血のように滴(
イエス様はお祈りを終えると、3人のところに戻って来ましたが、
そうです、寝落ちってやつです。(やらかしたな)
イエス様はこれをご覧になると、ペテロに言われました。

1時間も見張っていられなかったのか?
誘惑に負けないように、ちゃんと見張ってお祈りしなさい。人の肉体は弱いのだから。
すると、イエス様は再び同じ場所に行き、
そして、イエス様が戻ってくると、3人は再び眠りこけています。(学べ)
こんなことをもう一度繰り返した後(また寝落ちしたんかい!)、イエス様は3人に言われまし

時が来た。
見なさい、私を売り渡す者(イスカリオテのユダ)がやって来たようだ。

“ゲッセマネの祈り”中、イエスは血汗症になった!?

上記で、
これは、イエス様が過度のストレスによって、“血汗症”になってい
血汗症というのは、死の危機などによる極度のストレスが原因で、
戦場に出る前の兵士や、
イエス様の場合、
ただし、

杯(さかずき)って何のこと?

イエス様はゲッセマネの祈りの中で、“杯(さかずき)”
「そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。」
(マタイによる福音書26章39節)
では、これは、一体何を意味しているのでしょうか?
もちろん、お酒のことではありませんよ?
杯は、聖書では「自分の体の中に入れる」
では、
それは、主に3つあります。
①人間の罪の杯(さかずき)

そもそも、
それは、“私たちの罪をゆるすため”です。
その罪とは例えば、
- 盗み
- 殺し
- 嘘
- 憎しみ
- 裁き
- 傲慢(ごうまん)
- 暴力
- 怒り
などなど。
こんなのは、ほんの一握りの罪。
私たち人間は、アダムとイブの時代から罪を犯し続けており、罪を犯したことのない人間などいません。
このように、人間が罪によって受けてきた苦しみを、イエス様は1人で背負
しかも、1人や2人分の罪ではなく、人類全員の罪ですから、それはどれほどの重荷でしょうか。
私たちが今、罪から解放されているのは、イエス様が代わりに背負ってくださったおかげなんですね!


②肉体的苦しみの杯(さかずき)

これは言わずもがなですが、十字架にかかって死ぬということは、大きな肉体的な苦しみもあります。
しかし、その苦しみは、私たちが思っている以上に大きいものです。
何しろ、十字架刑は、当時最も重いと言われていた処罰。
ローマ帝国への反逆罪としてしか利用されず、対象も非ローマ市民や奴隷に対してしか行われないほどでした。
イエス様が、十字架で死なれるまでの流れをまとめると、
◎イエス・キリストの十字架刑まとめ
- 骨が見えるくらいに壮絶な鞭打ち(この時点で出血多量で死ぬ人もいる)
- 茨の冠を頭に被せられる
- 自分がかけられる十字架(90キロほど)を受刑地まで運ぶ
- 両手両足を釘で打たれ、十字架にはりつけに
- すぐには死ねず、散々苦しんだ挙句窒息死
という感じ。

もはや苦しいという形容が、生易しく見えてくるレベルですよね。
これは、イエス様が杯を遠ざけようとされたのも無理はありません。

③神の怒りの杯(さかずき)

イエス様が最も恐れていたのは、もしかしたらこの杯かもしれません。
人々の罪を背負うということは、
なにせ、人間たちは今まで神様に背きまくって、罪を犯しまくってきました。
神様の怒りも相当たまっているでしょう。
その怒りを、イエス様が全部1人で受け止めるというのですから、とんでもないことです。
ましてや、相手はイエス様ご自分が愛する天の父。
その父から、めちゃくちゃ怒られて裁かれて突き放されるのですから、イエス様の悲しみは計り知れません。

これがどれほど辛いことか、
実際、イエス様は十字架にかかられる際に、

天の父の怒りを受け、
これは、神の子イエス・

“ゲッセマネの祈り”は、イエスが弱さを見せた唯一のシーン!?

このゲッセマネの祈りは、救い主であり、
それまでの登場シーンを見渡しても、これほどイエス様が苦しんで弱さを見せているシーンは他にないで
それまでは、どちらかと言えば、驚くべき奇跡を起こしたり、
しかし、このゲッセマネの祈りのシーンでは、
人によっては、このシーンを見て、

とがっかりする人もいるかもしれません。
しかし、忘れてはいけません。
イエス・キリストは、神の子であると同時に、人間でもあります。
ですから、弱さを持ち、
でも、だからこそ、
これだけの苦しみと痛みを味わってでも、
このゲッセマネの祈りがあるからこそ、イエス・


イエスは、自分の意志より神様の御心を優先した!?

イエス様は、この杯を遠ざけて下さいと祈りながらも、
最終的には、
これは、まさに私たちが学ぶべき理想的なお祈りです。
私たちは、お祈りするときにどうしても、
しかし、それは正しいお祈りとは言えません。

いつだって最優先なのは、神様の御心なのです。
もちろん、自分の願いをお祈りしてもいいですが、最後に、
そうすれば、神様がより多くの祝福を与えてくださるはずです。

なぜイエスは、弟子を3人だけ連れて行った!?

イエス様は、ゲッセマネの祈りの際に、ペテロ、ヤコブ、ヨハネという3人の弟子だけを連れていきました。
では、なぜイエス様は弟子たち全員を連れていかなかったのでしょうか?
この3人がイエス様から気に入られていたのは間違いありませんが、この場面では別の理由もあります。
聖書には、こう書かれています。
「ふたりの証人または三人の証人の証言によって殺すべき者を殺さなければならない。ただひとりの証人の証言によって殺してはならない。」
(申命記17:6)
このときは丁度、イエス様が死刑にされる前日だったので、証人を3人用意されました。
つまり、イエス様は律法を守るために、3人の弟子を連れて行かれたのですね。
まあでも、その3人に選ばれるということは、やはりペトロ、ヤコブ、ヨハネは愛されてますね!

まとめ:”ゲッセマネの祈り”にイエスキリストの苦しみが見える

イエス・キリストというと、十字架にかかって3日後に蘇られたこ
このゲッセマネの祈りもセットで学ぶと、
とは言え、私たちはイエス・
本当に、人間というのは、何て罪深いんでしょうか。
というわけで。。
さあーて、今日も罪を犯しますか!(開き直るな)
ではまた!
