ジーザス、エブリワン!キートンです。
内容についてわかりやすく教えて!
こういった疑問にお答えします。
今回は、キリスト教を代表するお祈り文“主の祈り”についてご
これは僕の教会でも毎週唱えられるくらい、重要なお祈りです。
あまりにも唱えすぎて、
しかし、だからこそちゃんと意味を理解していないで、お祈りしている人も少なくないでしょう。
主の祈りの内容には、ちゃんとした意味があるのです!
そこでこの記事では、クリスチャンの僕が、
- “主の祈り”とは
- “主の祈り”の詳しい解説
- 主の祈りの覚え方
などについてご紹介します。
目次
“主の祈り”とは?
主の祈りは、イエス・
キリスト教のほとんどの宗派で唱えられるくらい、
なぜ重要かというと、イエスがお祈りの仕方を語られたのはこれが最初で最後だったからです。
「だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。 10御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。 11わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。 12わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。 13わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。」
(マタイによる福音書6章9~13節)
イエスは、お祈りの仕方が分からない私たちのために、
ちなみに、主の祈りは新約聖書の”マタイによる福音書”と”ルカによる福音書”どちらにも書かれていますが、
教会で伝統的に祈られているのは、“マタイによる福音書”のほうです。
イエス・キリストについては、【完全版】イエス・キリストとは?その生涯を簡単にまとめてみたをどうぞ
宗派ごとの主の祈りの違い
主の祈りと言っても、実は宗派によって訳が異なります。
それぞれ見てみましょう!
キリスト教の主な宗派については、【解説】キリスト教の主な宗派は?3つをわかりやすくまとめてみたをどうぞ
カトリック
カトリックにおける主の祈りは、以下の通りです。
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖〔せい〕とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を
今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。
[アーメン]
カトリックは2000年までは、独自の文語訳・口語訳を使用してしましたが、
2000年以降は上記の共通口語訳を使用するようになりました。
正教会
日本の正教会における主の祈りは、以下の通りです。
天に在す我等の父よ。
願は爾の名は聖とせられ。
爾の國は來り。
爾の旨は天に行はるるが如く、
地にも行はれん。
我が日用の糧を今日我等に與へ給へ。
我等に債ある者を我等免すが如く、
我等の債を免し給へ。
我等を誘に導かず、
猶我等を凶惡より救ひ給へ。(蓋し國と權能と光榮は爾父と子と聖神゜に歸す、今も何時も世々に。「アミン」。蓋し國と權能と光榮は爾に世々に歸す「アミン」)
正教会は、主の祈りを“天主経(てんしゅけい)”と呼び、”教会スラブ語”という言語から生まれた文語体を使用しています。
食事や集会の始めなどでも、この天主経を唱えることがあるそうですよ!
ただし、カッコでくくった部分は、基本的に司祭がいるときにしか読まれません。
プロテスタント
最後に、僕が所属するプロテスタントの訳は以下の通りです。
「だからこう祈りなさい。
『天にまします我らの父よ。願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。御国(みくに)を来たらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を今日も与えたまえ。我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試(こころ)みにあわせず、悪より救いいだしたまえ。国と力と栄えとは、限りなく汝(なんじ)のものなればなり。アーメン。』」
(マタイによる福音書6章9節〜13節 新共同訳)
プロテスタントでは、賛美の歌集にも使われている文語訳が一貫して使われています。
主の祈りの意味とは?わかりやすくクリスチャンが解説【天にまします我らの父よ】
何やら聞き慣れない言葉もいくつかあると思うので、
※今回は、プロテスタントの訳で進めます。
天にまします我らの父よ。
これは、神様への呼びかけですね。
皆さんも、誰かに話しかけるときはその人の名前を呼びますよね?
あれと同じ感覚です。
急に名前も呼ばず、話を一方的にされたら、
また、
つまり、父と子の関係です。
親子ということですから、それだけ私たちと神様の間には強い繋がりがあるということを表明しているんですね。
しかも、ここでの”父よ”という言葉は、アラム語では”アバ”という幼児語にあたり、
- パパ
- お父ちゃん
みたいなニュアンスに近いのです。
当時は、神に対してこのような子供っぽい言葉で語りかけることはなかったため、画期的だったんだとか。
それまでは遠い存在だった神様がぐっと身近な存在に感じられますよね!
このように、主の祈りに限らず、クリスチャンがお祈りするときは、
ここが、導入部分です!
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。
御名というのは、その人の人格やその人そのものを表します。
また、あがめるというのは、聖としてほめたたえるということ。
つまり、神様を他の存在と区別してほめたたえますということです。
神様の名前というのは、非常に尊いもの。
モーセの十戒にも、
「7あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。」
(出エジプト記20章7節)
と記されています。
だから、敬意を持ってその名前をあがめる必要があるんですね!
決して神様を軽んじてはいけないのです。
まとめると、
みたいな感じですね。
人間相手なら絶対使わないようなフレーズですが、
もし人間相手に使ったら、
御国(みくに)を来たらせたまえ。
御国というのは、神様の国のこと。
では、それが来るというのは、どういう意味でしょうか?
①”キリストの再臨”について述べている
1つ目は、“キリストの再臨”のことを言っているという考え方。
“キリストの再臨”というのは、いずれイエス・キリストが再び地上に来られ、
悪を裁いた後、神の国を確立されるという教えのことです。
イエスはこのように語られています。
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。 2わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。 3そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。 4わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。」
(ヨハネの黙示録20章6節)
イエスが再臨されるときを、クリスチャンは心待ちにしているのです!
つまり、
と祈っていることになりますね。
②イエス・キリストを心にお迎えする
そして、2つ目は、私たちの”心の中”に御国が来るように願っているという考え方。
それは、私たちがイエス・キリストのこと、
そうすることで心の中が神様によって支配され、神の国が実現することになります。
支配というと何やら嫌なイメージですが、神様からの支配はむしろ歓迎すべきもの。
なぜなら、イエスキリストを受け入れることで私たちの罪がゆるされていくからです。
「17神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。 18彼を信じる者は、さばかれない。」
(ヨハネによる福音書3章17、18節)
自分も含めて、多くの罪人が悔い改めて、イエスに立ち帰ることをここでは祈っているんですね!
キリスト教における”罪”については、キリスト教の”罪”とは何?本質は1つだけです【クリスチャンが答える】をどうぞ
御心(みこころ)の天になるごとく、地にもなさせたまえ。
御心というのは、“神様の目的や計画”のこと。
つまり、
ということですね。
人間というのは、自分勝手な生き物。
気が付けば、神様の御心とは正反対の行動を取ってしまいます。
しかし、
ですから、私たちはお祈りをしてその御心を教えていただく必要があります。
そして、神の御心を行う者となっていくことが求められているのです。
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を今日も与えたまえ。
ここで言う日用の糧(かて)というのは、何を意味するのでしょうか?
主に以下の2種類のとらえ方ができます。
- 毎日のご飯(身体的な食糧)
- 神様の御言葉(霊的な食糧)
もちろん、毎日食べるものはとても重要ですが、ここでフォーカスされているのはむしろ2つ目のほうでしょう。
なぜなら、イエスはこのように語られているからです。
「31だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。 32これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。 33まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」
(マタイによる福音書6章31~33節)
ここでイエスは、神の国と義を求めれば(簡単にいうと神様を喜ばせることを第一にすれば)、
必要な食べ物は満たされるんだよと語っておられます。
また、こうも語られています。
「イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。」
(マタイによる福音書4章4節)
このように、聖書には身体的な食べ物よりも、霊的な食べ物の大切さを教える箇所がとても多いのです。
私たちはどうしても物理的にお腹を満たすことにのみに注目しがち。
しかし、人が生きるために本当に必要なのは、食べるパンではなく神様の御言葉という名のパンなのです。
ですから、神様の御言葉を求めて、日々聖書を読むことが重要ですね!
我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、 我らの罪をも 赦したまえ。
“ゆるし”というのは、キリスト教における大きなテーマの1つですね。
なぜなら、私たち人間の罪はイエス・
にも関わらず、私たちが他の人のことを、
なんて言っていたら、神様はとっても悲しみます。
私たちがイエスによって罪ゆるされたのと同じように、私たちも他の人をゆるしていく必要があるのです。
聖書にもこう書かれています。
「もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。」
(マタイによる福音書6章14節、15節)
私たちは、本来なら償(つぐな)いきれないほどの罪をゆるされました。
これは、返しきれないほど多額の借金を帳消しにして頂いたようなものです。
その分、他の人の罪や失敗にも寛容に生きていきたいですね!
ゆるしについては、【キリスト教用語】”赦(ゆる)し”の意味とは?なぜ人を赦す必要があるの?をどうぞ
我らを試(こころ)みにあわせず、悪より救いいだしたまえ。
“試み”というのは、一般的な意味だと試練のことを指します。
しかし、これはただ単に
ということではありません。
なぜなら、神様は私たちのためにあえて、
それは、私たちの信仰を試したり、成長させたりするためです。
実際、どんなに祈っても試練が全くない人生などあり得ません。
はい、ですからここでいう試みは“
誘惑といえば、サタン(悪魔)の得意技。
サタンは、この得意技によって私たち人間に罪を犯させ、神様から引き離そうとしてくるのです。
つまり、
というほうが、正確ということですね。
人間は誘惑に弱く、1人では到底サタンの力に打ち勝つことはできません。
だからこそ、私たちは神様に祈ってそのサタンの攻撃から守っていただく必要があるんですね!
「7そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。」
(ヤコブの手紙4章7節)
サタンについては、【悪魔】”サタン”って何者?キリスト教における悪の大ボス!?をどうぞ
国と力と栄えとは、限りなく汝(なんじ)のものなればなり。 アーメン。
締めの部分ですね。
汝というのは、あなたということ。
と最後に神様をたたえているんですね。
そして、1番最後はもちろん、クリスチャンの必殺フレーズアーメンです。
これは、”その通り”、”まことに”などの同意を意味する、お祈りの最後に付ける言葉ですね。
おめでとうございます、これであなたの祝福は約束されました!!ハレルヤ!
主の祈りの覚え方【何度も唱えましょう】
主の祈りは、イエスが教えてくださった素晴らしいお祈りですが、
そこそこの長さがあって中々覚えづらいですよね。
そこでおすすめなのは、主の祈りをとにかく何度も音読して唱えてみることです。
主の祈りを覚えたいなら、間違いなくこれが一番早いですね。
実際、僕の教会でも、毎週主の祈りが唱えられているせいか、ほとんどの方は暗記してしまっています。
ただ、1つ注意点があります。
それは、主の祈りを覚えると段々ただの作業になってしまいがちだということです。
何も考えなくても、スラスラ口から出てきてしまいますからね。
多分、教会の方々のほとんどが何となく唱えてるんじゃないかしら。。(小声)
しかし、主の祈りは呪文とは違います。
ですから、いつも主の祈りの内容をかみしめることを忘れないようにしましょう!
ただ唱えるだけでは、意味がありませんからね。
まとめ:主の祈りはイエスキリストが示してくださったお祈りのお手本!
「だからこう祈りなさい。
『天にまします我らの父よ。願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。御国(みくに)を来たらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を今日も与えたまえ。我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試(こころ)みにあわせず、悪より救いいだしたまえ。国と力と栄えとは、限りなく汝(なんじ)のものなればなり。アーメン。』」
(マタイによる福音書6章9節〜13節 新共同訳)
主の祈りは、イエスが唯一教えてくださったお祈りのお手本。
参考にして、どんどんお祈りしていきたいですね!
ただ、先ほども言ったように、ただ何となく暗唱してはいけません。
できるだけ、毎回意味をかみしめてお祈りしていきたいですね!
意味を考えない祈りなんて、主の祈りじゃなくて、
死の祈りですから。(怖い)
ではまた!