ジーザス、エブリワン!キートンです。
聖書が由来って本当?
こういった疑問にお答えします。
私たちにとってなじみのあることわざの1つに、豚に真珠というものがあります。
日常的に使うとは言わないまでも、恐らく多くの方が耳にしたことのある有名なことわざでしょう。
しかし、豚に真珠の由来が聖書にあると知っている方は、意外と少ないのではないでしょうか。
そもそも日本人にとって、聖書があまり身近ではないので無理はないですが。。
では、本来聖書で”豚に真珠”とはどのような意味合いで使われたのでしょうか?
そこでこの記事では、クリスチャンの僕が、
- 【聖書】豚に真珠の意味と由来
- 豚に真珠の類語は?猫に小判との違い
について解説します。
【聖書】豚に真珠の意味と由来
豚に真珠とは、価値あるものをその価値を知らない者に与えても意味がなく無駄であることを意味することわざです。
豚に高価な真珠を与えても、豚にはその価値が分からないですからね。
そして、この言葉の由来は、イエスキリストが語られた有名な説教“山上の垂訓”にあります。
山上の垂訓の中で、イエスはこのように語られました。
「聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。」
(マタイによる福音書7章6節)
ここでいう豚と真珠はたとえであり、それぞれ
- 豚 ➡神の国の教えの価値を知らない人
- 真珠➡神の国の教え
を表しています。
ここで豚がマイナスな使われ方をしているのは、当時、豚というのは神の律法により汚れた動物とされていたからです。
「豚、これは、ひずめが分かれており、ひずめが全く切れているけれども、反芻することをしないから、あなたがたには汚れたものである。 8あなたがたは、これらのものの肉を食べてはならない。またその死体に触れてはならない。これらは、あなたがたには汚れたものである。」
(レビ記11章7、8節)
神は全ての人がキリストの救いを受け、天国に行くことを望んでおられます。
イエスもその生涯で、人々に神の国についての教えや救いを何度も語られました。
しかし、ユダヤ教の指導者たちを中心にその教えを理解しようとせずに踏みにじり、かみついてくる人たちがいました。
イエスは、このような人たちに対して
それ以上聖なる神の教えを語ることは無意味だから止めておきなさいと語られたのです。
イエスは、弟子たちを人々のところに遣わす際にこのように語られたこともありました。
「もしあなたがたを迎えもせず、またあなたがたの言葉を聞きもしない人があれば、その家や町を立ち去る時に、足のちりを払い落しなさい。」
(マタイによる福音書10章14節)
足のちりを払い落とすとは、キリストを拒絶した人たちから自分を切り離すことを意味します。
※当時、敬虔なユダヤ人は非ユダヤ人の町を出るときに、
非ユダヤ人やその習慣が自分とは切り離されていることを示すために、足のちりを払い落とすことがありました。
つまり、
ということを表しているんですね。
実際、クリスチャンはキリストの救いを多くの人に伝えようとしますが、全ての人がその救いを受け入れるわけではありません。
むしろ、馬鹿にしたり拒絶したりしてくる人もたくさんいるでしょう。
そのことでクリスチャンは失望して落ち込むこともありますが、無理に教えを語り続ける必要はないということですね。
豚に真珠の類語は?猫に小判との違い
豚に真珠と同じような意味の言葉に、猫に小判があります。
どちらも、価値あるものをその価値を知らない者に与えても意味がないことを意味しますが、その違いはなんでしょうか?
それは由来の違いです。
豚に真珠は聖書由来の言葉ですが、猫に小判は日本由来の言葉なんですね。
猫に小判という言葉は江戸時代から使われており、江戸後期には“いろはかるた”に採用されて、さらに一般的に普及しました。
実際、”上方いろはかるた”の”ね”の札は猫に小判になっています。
当時から、猫は人間にとって身近な存在だったみたいですね。
ちなみに、豚に真珠に似たような他の言葉としては、
- 馬の耳に念仏
- 犬に論語
- 牛に経文(きょうもん)
- うさぎに祭文(さいもん)
などがあります。
まとめ:”豚に真珠”は聖書のイエスキリストの言葉が由来のことわざ!
“豚に真珠”の由来に、これだけ深い意味が込められているとは意外でしたね!
聖書が由来ということも知らない人が多いと思うので、ぜひお友達に教えてあげましょう。
ただし、人に対して使うとかなり失礼な表現になるので、使い方には注意しましょうね!
最後に豚に真珠の例文をご紹介します。
僕はファッションなどにあまり興味がないので、
ルイヴィトンのバッグとかプレゼントされても豚に真珠ですね。(自虐)
キートンでした。
👇参考文献