ジーザス、エブリワン!クリスチャンブロガーのキートンです。
どれくらいの苦痛だったの?
こういった疑問にお答えします。
世の中には様々な残酷な処刑方法がありますが、かつて人々を震え上がらせた恐怖の処刑方法がありました。
それが十字架刑です。
十字架刑といえば、キリスト教の象徴的人物イエスキリストを思い浮かべる方も多いでしょう。
実際、十字架は今やキリスト教のシンボルであり、多くの教会で十字架が掲げられています。
しかし、十字架刑をただ十字架に架けられるだけの普通の処刑だと思っていないでしょうか?
いえいえ、とんでもない!
実は十字架刑は、あなたが思っている以上に恐ろしく残酷で苦痛の伴う処刑方法なのです。
十字架刑の恐ろしさが分かれば、イエスキリストが私たち人間にしてくださったことの大きさも分かるのですが、これを知らない方も多いです。
そこでこの記事では、クリスチャンの僕が、
- 十字架刑とは?
- 十字架刑の苦痛は凄まじい?3種類の苦しみ
- イエスキリストが十字架に架けられた意味
について解説します。
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目次
十字架刑とは?
そもそも十字架刑とはどのような刑なのでしょうか?
まずは十字架刑の概要についてざっくりと見ていきましょう!
- 最も残酷な処刑方法の一つ
- イエスは何の罪で十字架に架けられた?
- 十字架刑の死因
最も残酷な処刑方法の一つ
十字架刑はペルシャやカルタゴ、古代ローマ帝国などで行われた最も残酷な処刑方法の一つです。
特にローマ帝国での十字架刑が有名で、主に反逆罪や奴隷の反乱など、重い罪を犯した犯罪者に対して行われました。
ただし、あまりにも残酷な刑なため、ローマ帝国においては原則としてローマの市民に行うことは禁止されていました。
刑の内容は、罪人を十字架の形をした木に釘打ちしたり縛り付けたりして、ゆっくりと苦しめて死なせるというもの。
十字架刑は他の処刑方法と比べてもすぐに死ぬことができず、受刑者は数時間から数日にわたって苦しみ続けることになります。
また、十字架刑は見せしめとして大勢の人々の前で行われることが多く、恐怖を与えることで支配を強化する目的もありました。
十字架刑といえば紀元1世紀にローマ帝国でイエスキリストが受けたことで有名で、キリスト教において十字架は重要なシンボルになっています。
ただし、4世紀にキリスト教がローマ帝国で公認され、十字架が聖なるシンボルとなってからはコンスタンティヌス帝によって十字架刑は廃止されました。
✅️キリスト教とローマ帝国については、【世界史】ローマ帝国でのキリスト教の歴史をざっくりまとめてみたをどうぞ
イエスは何の罪で十字架に架けられた?
イエスは十字架刑という重い処罰を受けましたが、一体どれほどの罪を犯したのでしょうか?
よっぽどの罪を犯さないと、十字架刑にはならないはずです。
しかし、実はイエスは何の罪も犯していません。
聖書にもこう書かれています。
「キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。」
(ペテロの第一の手紙2:22)
しかし、イエスは当時のユダヤ教の指導者たちやローマの支配者に危険人物と見なされ、
様々な理由をつけて十字架に架けられたのです。
イエスが危険人物と見なされた具体的な理由は、以下の通りですね。
- ユダヤ教の指導者たちを批判した
➡イエスはユダヤ教の指導者たちの形式主義的な教えや態度を批判し、神の愛やゆるしの教えを説いた。
- 自分を神の子と主張した
➡イエスは自分が”神の子”であると主張し、これが神を冒涜する行為と見なされた。
- 人々の支持を集めた
➡イエスは様々な奇跡や教えによって人々に支持された。これは宗教指導者たちの権威を脅かすものだった。
- ローマ帝国への脅威
イエスは”ユダヤ人の王”や”メシア(救い主)”として人々に期待されており、当時ユダヤを支配していたローマ帝国にとって、反乱指導者になりうると見なされた。
こうしてイエスは弟子であるイスカリオテのユダの裏切りもあり、ユダヤ教の指導者たちによって捕らえられ、裁判にかけられました。
これは明らかに不正な裁判であり、最終的にはローマの総督ポンティウス・ピラトに承認され、イエスは十字架に架けられることになったのです。
ちなみに、イエスの十字架の上には、“ユダヤ人の王”と書かれた罪状書きの板が付けられました。
十字架刑の死因
十字架刑による死因は、複数の要因が絡み合っていますが、特に呼吸が困難になることによる窒息が主な死因だと言われています。
なぜなら、十字架に架けられた人の身体は異常な姿勢を強いられ、呼吸をするのが難しくなるから。
意外な死因かもしれませんが、具体的な流れは以下の通りです。
- 十字架に架けられた者は、腕を大きく広げ、体全体が釘や縄で固定される
- 体全体の重みが腕と肩にかかり、胸部や肺が圧迫されることで自然な呼吸ができなくなる
- 息を吸うためには体を持ち上げる必要があるが、その度に手や足の釘の部分に激痛が走る
- 段々疲労によって体を持ち上げられなくなり、呼吸ができなくなることで窒息死
こうして見ると、改めて十字架刑の残酷さが分かりますよね。
他にも十字架刑の死因には、以下のようなものがあります。
- 失血死
➡十字架刑の前の鞭打ちなどの拷問によって大量の出血をした場合、失血死することがある
- 脱水症状
➡長時間にわたって日光にさらされることで、激しい脱水症状を引き起こし、多臓器不全により死亡することも
- ショック死
➡身体への激しい痛みや恐怖、失血などにより、ショック状態に陥り死亡することもある
十字架刑の苦痛は凄まじい?3種類の苦しみ
十字架刑は最も残酷な処刑方法の一つだけあり、その苦痛は凄まじいです。
十字架刑の苦しみを3種類に分けて詳しく見てみましょう。
- 肉体的な苦痛
- 精神的な苦痛
- 霊的な苦痛
①肉体的な苦痛
まずは最もイメージしやすい、肉体的な苦痛です。
十字架刑の前段階として、通常、受刑者はローマ兵によって鞭(むち)打ちを受けました。
イエスも十字架に架かられる前に、鞭打ちを受けています。
「それで、ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。」
(マルコによる福音書 15:15)
ローマの鞭打ちは残酷なことで有名で、イエスを含むユダヤ人の間では鞭打ちの回数は※39回が普通でしたが、
ローマ法ではむち打ちの回数制限はなく、イエスが39回以上鞭打たれた可能性も大いにあります。
※ユダヤの鞭打ちが”39回”とされたのは、ユダヤ教の律法に「鞭打ちの際に40回以上打ってはいけない」と定められていたからです。
「彼をむち打つには四十を越えてはならない。もしそれを越えて、それよりも多くむちを打つときは、あなたの兄弟はあなたの目の前で、はずかしめられることになるであろう。」
(申命記25:3)
これは、罪人に対して過剰な罰を与えないためのルールでした。
鞭打ちというと背中にミミズ腫れができるくらいだろう、と思うかもしれませんがとんでもない!
ローマの鞭打ちは骨や金属の破片が付いた“フラグラム”と呼ばれる特別な鞭で行われ、その威力は、肩や背中の皮膚を裂き、肉をえぐり取るほどのもの。
続いて、受刑者は自分が架けられる十字架の横の木を背負い、処刑場まで運ばされます。
なぜ横の木だけかというと、十字架全体だと重すぎて運べないので、縦の木は既に処刑場に設置されていることが一般的だったからですね。
とはいえ、十字架の横木だけでも充分重くて30〜50kgほどあったとされており、鞭打ちで弱っている体にはベリーハードです。
しかも、鞭打ちの傷がある背中に木を押し付けられるため、痛みも相当なものでしょう。
イエスが十字架を運ぶときも、シモンという人物が代わりに十字架を運んだという記述があるくらいですから、その負担の大きさが分かります。
「そこへ、アレキサンデルとルポスとの父シモンというクレネ人が、郊外からきて通りかかったので、人々はイエスの十字架を無理に負わせた。22そしてイエスをゴルゴタ、その意味は、されこうべ、という所に連れて行った。」
(マルコによる福音書 15:21)
処刑場に到着すると、受刑者は多くの場合、十字架に釘で固定されます。
固定されるといっても直接木に釘を打つという生易しいものではなく、手首と足首に釘を打たれるのです。(ひいいい)
しかも、その釘の長さは13~18cmほどで、非常に太く鋭いものでした
なぜ手のひらではなく手首かというと、手のひらでは体重を支えきれず裂けてしまうから。
手首には多くの神経が集中しており、その痛みはまさに想像を絶します。
この状態で受刑者は死ぬまで放置されるわけですが、その間に以下のような苦しみが襲います。
- 体が異常な姿勢になることで自然な呼吸ができなくなる
- 体を持ち上げて呼吸しようとすると、手足の釘が肉に食い込み激痛状態に
- 処刑は屋外で行われ、炎天下にさらされることが多かったため、体内の水分が失われて脱水症状に
- 傷口から細菌が入り、感染症を引き起こすこともあった
こうして数時間から数日にわたって極限まで苦しんだ後、受刑者は死んでいくのです。
あまりにも辛すぎますね。。
②精神的な苦痛
続いては、精神的な苦痛です。
十字架刑は基本的に公開処刑であり、受刑者はしばしば裸にされて群衆の前でさらされました。
イエスも十字架刑の際に、ローマ兵によって上着や下着がはぎ取られています。
「さて、兵卒たちはイエスを十字架につけてから、その上着をとって四つに分け、おのおの、その一つを取った。また下着を手に取ってみたが、それには縫い目がなく、上の方から全部一つに織ったものであった。」
(ヨハネによる福音書19章23節)
しかも、十字架刑はしばしば都市の主要な通りや高台など、人々が見やすい場所で行われるため、とてつもない屈辱です。
こちらも、イエスが十字架上で通りがかりの人たちに罵詈雑言を浴びせられている様子が聖書に書かれています。
「そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって言った、「ああ、神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ、 30十字架からおりてきて自分を救え」。」
(マルコ15:29,30)
また、十字架刑は恥ずべき処刑方法と見なされており、社会的に完全に切り捨てられるという意味合いもありました。
結果、犯罪者としてだけでなく、社会の裏切り者や異端者として、
- 家族
- 友人
- 社会全体
から否定されることになり、孤独な最期を迎えるのです。
さらに、十字架刑ではすぐに死ぬことができないため、
苦痛の中で徐々に死に向かっていくという強い恐怖や絶望感もあります。
③霊的な苦痛
最後は、霊的な苦痛です。
これはあまりピンとこないかもしれませんが、宗教的な信仰を持つ者にとって十字架刑は霊的にも大きな苦痛でした。
なぜなら、十字架刑は最も屈辱的で忌まわしい処刑方法であり、そんな刑を受けている自分は神から見放された存在だと感じてしまうからです。
実際、聖書には以下のような聖句があり、ユダヤ社会において十字架刑を受ける者は”神に呪われた者”と見なされていました。
「翌朝までその死体を木の上に留めておいてはならない。必ずそれをその日のうちに埋めなければならない。木にかけられた者は神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が嗣業として賜わる地を汚してはならない。」
(申命記 21:23)
神の子であるイエスも十字架に架けられた際に、父なる神から見捨てられたような絶望感を味わい、こう叫ばれました。
「そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。」
(マルコによる福音書 15:34)
周りの人間だけでなく、最も信頼すべき神にまで見捨てられたと感じるならその絶望感はどれほど大きいでしょうか。
また、十字架刑を受ける者の多くは、自分が罪人として処罰されているという意識を持っていました。
そして、多くの宗教では、罪をきちんと償わない者は、死後に永遠の罰を受ける(つまり地獄へ行く)という教えがあったのです。
そのため、十字架刑を受けている自分は、死後に地獄に落ちるのではないかという霊的な恐怖におびえることになるんですね。
イエスキリストが十字架に架けられた意味
では、イエスキリストはなぜ罪を犯していないにも関わらず、十字架に架けられる必要があったのでしょうか。
これはただ、”一人の男が無実の罪で十字架に架けられてかわいそう”というお話ではないのです。
イエスキリストが十字架に架けられたのは、私たち人間の罪を代わりに背負うためです。
人間は本来神に造られた素晴らしい存在であり、神と良い関係を築いていました。
しかし、アダムとイブが神に背いて、食べてはいけないと言われていた木の実を食べてしまったことで罪が入り込み、神との関係が断絶。
罪の影響は全人類に及び、人間は神との関係が断たれた罪人として、生きていくことになってしまいました。
(✅️アダムとイブについては、アダムとイブ(エバ)のあらすじを簡単に解説【人間の始まり】をどうぞ)
罪を持ったままだと、人間は神が存在しない永遠の滅びの場所(地獄)に向かってしまう。。
しかし、神は私たち人間を心から愛しており、人間を罪人のまま放っては置かれませんでした。
神はなんとご自分の独り子であるイエスを人間として地上に送り、
十字架に架けることで私たちの罪を代わりに背負わせてくださったのです。
いくら愛する人間のためとはいえ、普通なら自分のたった一人の子を残酷な方法で死なせてまで、救おうとするでしょうか?
しかし、神は人間を愛しすぎて自分の独り子を犠牲にされたのです。
聖書にもこうあります。
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 17神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。」
(ヨハネによる福音書3:16,17)
そして、イエスは十字架の死から3日目に復活され、死と罪に対する勝利を示されました。
イエスの復活は、私たちにとって死後の復活と永遠の命の象徴であり、イエスを信じる者にも復活と永遠の命が約束されています。
こうしてイエスを信じることで人間の罪が取り去られ、神との良い関係を築けるようになりました。
つまり、永遠の命が与えられ、やがて神がおられる天国に行くことができるようになったのです。
十字架に架かられたイエスキリストを信じるだけで救われる。
これが福音(良い知らせ)であり、私たちの努力や行いによるのではなく、神からの一方的な恵みなのです。
「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。 9決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。」
(エペソ人への手紙2章8、9節)
✅️イエスキリストについては、【完全版】イエス・キリストとはどんな人?その生涯を簡単にまとめてみたをどうぞ
✅️福音については、【キリスト教】福音の意味とは?クリスチャンが簡単に解説しますをどうぞ
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まとめ:十字架刑は肉体的にも精神的にも霊的にも大きな苦痛がある刑!
十字架刑がいかに恐ろしく残酷な刑か、お分かりいただけたでしょうか?
十字架刑は、肉体的にも精神的にも霊的にもとてつもない苦痛を伴う処刑方法です。
そして、十字架刑の残酷は同時に、神がいかに私たちを愛してくださっているかを表しています。
神はご自分の独り子であるイエスキリストにこれだけの苦しみを受けさせてまでも、私たちを罪から救いたかったのです。
ですから、私たちも神の愛にこたえ、イエスキリストを信じてその救いを受け取りましょう。
十字架による救いは、神からの一方的な恵みなのですから!
キートンでした。
👇️参考文献
ありがとうございます。
救われたいけど従うのが苦痛で、神様や地獄が怖いから仕方なく聖書の命令を守ろうとするのであって、悔い改めようにも感情がついてきてくれません。
自我の放棄とか、神様に作りかえて頂くとかを受け入れることができません。単に地獄にさえ行かなければクリスチャンとしての成長などはどうでもいいという考えさえ持ってしまいます。
同じ方がいないかなと考えていて「救われたいけど従うのが苦痛」などというワードで検索していたのですがなかなか見つからなくて…
クリスチャンの方は神様のご命令には喜んで従う事ができるのでしょうか?
また、そうでないと救われないのでしょうか?
いえ、むしろいつも聖書のルールや神様のご命令に喜んで従えるというクリスチャンのほうが少ないかと思います。
もちろん、私もそうで、それが人間の弱さです。
実際、偉大な預言者モーセも最初はイスラエル人たちをエジプトの奴隷から連れ出しなさいという神様の命令に恐れをなして断りましたし、預言者ヨナに至っては神様の命令に従うのが嫌で逃げ出しています。
しかし、それでも神様は怒ることなく彼らを祝福し、導いていかれました。
だから、ゆうなさんも最初は神様に喜んで従えなくても焦らなくていいのではないでしょうか。
1つ覚えておいていただきたいのは、ゆうなさんは洗礼を受けられてもう”神様の子供”だということです。ですから、神様から見たら、ゆうなさんは可愛くて愛おしくてたまらない存在なのです。
そんな愛溢れる父である神様がゆうなさんを罰したり、地獄に落としたりといった酷いことはされません。
ですから、ゆうなさんも少しずつでいいので、神様を父として見上げてみてはいかがでしょうか。そうすれば、そのうち、喜びを持って神様にお仕えできる日が来るはずです!
こんにちは。
クリスチャンと求道者の間をさまよっています。
私は決していい人ではなく罪人であり、このままだと地獄に行ってしまうことも知っています。
私は地獄に行きたくないです。イエス様が私の罪のために十字架にかかって死んで、一度墓に葬られ、3日目に復活したことを信じていますが、聖書の命令を見ているととても厳しくて従うのが苦痛に感じてしまいます。
例えば、受験生なので礼拝に行こうか勉強しようかと葛藤してしまいます。元々占い中毒であったため止めるのに葛藤があります。いじめにあったり逆にいじめたり、もはやいじめがない方が私にとって不自然です。でもいじめは聖書の隣人愛に大いに反します。
聖書の神様が怖くて必死で従おうとしている状態です。
裁かれるのが怖くて。
イエス・キリストを私の救い主としては求めていますが、人生の主として受け入れる勇気がありません。
でも地獄に行きたくありません。
ずっとスマホで夜遅くまでネットで聖書について調べ、「寝ている間に死んだら地獄に落ちるのか」と恐怖で寝るのが怖くて、生活リズムが壊れて健康を害しています。
洗礼自体は受けているのですが、逆に洗礼を受けてしまったがために牧師先生に打ち明けにくいことです。
どうすればいいのでしょうか?良かったら相談に乗っていただけませんか?
ゆうなさん、コメントありがとうございます!
なるほど、それはお辛い状況ですね。。
地獄に行きたくない、自分も行くかもしれないという恐れは、私にも時々やって来る思いなのでそのお気持ちはとてもよく分かります。
一時期は、ゆうなさんのように夜も眠れないほど地獄の恐怖に怯えていた時期もありました。
ですが、ゆうなさんの文面を拝見していて、私はゆうなさんが地獄に落ちるような方だとはとても思えません。
なぜなら、
・自分が罪人だと自覚している
・地獄の存在を信じている
・受験生でも礼拝に行こうとする意志がある
・イエスキリストの死と復活を信じている
・神様を恐れている
・イエスキリストを救い主として求めている
・洗礼を受けている
など、むしろクリスチャンとして素晴らしい考え方をたくさんお持ちだと感じたからです。
本当に信仰がない者には、こういった思いはやってこないでしょう。
きっと現在の苦しみは、ゆうなさんが神様と必死に誠実に向き合おうとされているからこその苦しみなのではないのでしょうか。
もしかしたら、悪魔がそんなゆうなさんと神様を引き離そうと働いているのかもしれません。
ですから、今ゆうなさんがされるべきことは1つだけです。
ぜひ今抱えておられる苦しみや地獄への恐れ、罪の意識などを、包み隠さず神様にお祈りしてぶつけてみてください。
そして、今感じているご自分の罪を告白し、悔い改めてみてください。
ゆうなさんは、ご自身をいい人ではないとおっしゃいましたが、聖書に
「義人はいない、ひとりもいない。」(ローマ人への手紙3章10節)
とあるように、いい人などこの世に1人していません。人間は皆罪人だからです。
もしいい人しか天国に行けないのであれば、天国に行ける人間など誰もいないでしょう。
ですから、本当に重要なのは、自分が罪人だと自覚することです。
そして、ゆうなさんはご自身を罪人だと自覚されています。それはもう神様の御心に近づいている証拠なのです。
イエスキリストを救い主だと信じ、自分の罪を悔い改める人間を神様は必ず救ってくださいます。
急に神様を全て受け入れるのは難しくても、お祈りしつつ少しずつ前進していきましょう!