ジーザス、エブリワン!クリスチャンブロガーのキートンです。

あんまりイメージ湧かないなあ。。
こういった疑問にお答えします。
日本にはキリスト教の人口が少なく、全人口の1%未満だと言われています。
実際、あなたの学校や職場などを見渡してみても、クリスチャンはかなりレアな存在なのではないでしょうか。
日本では、仏教や神道のほうが一般的ですからね。
しかし、その一方で、実はキリスト教を信仰する有名人も少なくありません。
しかも、そのジャンルは国民的アニメの作者や人気スポーツ選手、大企業の創業者まで様々です。
その中には、「え、あの人も!?」と驚くような大物も数多くいますね。
とは言え、一般的にはあまりクリスチャンだと知られていない人物も少なくありません。
そこでこの記事では、クリスチャンの僕が、キリスト教を信仰する日本の有名人を一覧でご紹介します。

目次
日本のクリスチャン有名人9選
それでは、日本のクリスチャン有名人を9人に厳選してご紹介します。
- アグネス・チャン(歌手)
- 井深大(ソニー株式会社の創業者)
- 加藤一二三(元プロ棋士)
- 飯島延浩(山崎製パン社長)
- ディーン・フジオカ(俳優)
- 村田諒太(元プロボクサー)
- 森永太一郎(森永製菓の創業者)
- つるの剛士(タレント)
- 長谷川町子(作家)

(※以下、敬称略)
①アグネス・チャン(歌手)

アグネス・チャン(本名:陳 美齡)は、香港出身の人気歌手です。
彼女は、1972年に代表曲の一つである「ひなげしの花」で日本で歌手デビュー。
透明感のある歌声や可愛らしいルックス、つたない日本語を一生懸命歌う姿などが受けて、清純派アイドルとして大人気となり、その後も
- 草原の輝き(1973年)
- 小さな恋の物語(1973年)
- 美しい朝がきます(1974年)
などヒット曲を連発しました。
また、教育学の博士号を持ち、歌手としての活動に加えて、ユニセフの大使としても知られています。
さらに、多くの本を出版しており、2017年の著書「スタンフォード大学に三人の息子を合格させた50の教育法」が大ヒットするなど、
作家としての地位も高めていますね。
アグネス・チャンは母親が教会に通っていた影響で、生まれてすぐにカトリックの洗礼を受けています。

香港のミッションスクールにも通っており、在学中にYCS(キリスト教救済事業団)に入って、ボランティア活動をしていました。
歌を通して、チャリティーコンサートにも参加したそうです。
アグネス・チャンは特に新約聖書が好きだと語っており、イエスキリストの教えである愛や隣人愛の重要性を強調しています。
彼女は、インタビューでこのように語っていますね。
「私はクリスチャンです。神様の愛は『弱い者を愛すること。決して見捨てないこと』。これをしないなら、私はクリスチャンではないです」
実際、彼女の信仰は、ボランティア活動やチャリティーコンサートなど、社会貢献活動にも表れています。
例えば、1998年から日本ユニセフ協会の初代大使として活動。
2016年からはユニセフ・アジア親善大使に任命され、
- 紛争地域を訪問し、困難な状況に置かれている子供たちの現状を伝える
- 世界中の子供たちの権利や福祉を守るために働く
などの活動を行っています。
②井深大(ソニー株式会社の創業者)

井深 大(いぶか まさる)は、日本の実業家・技術者であり、ソニー株式会社の共同創業者です。
彼は1946年、盛田昭夫(もりた あきお)とともに「東京通信工業株式会社」(後のソニー)を設立。
井深大は技術革新を重視し、ソニーを国際的な企業へと成長させるために、海外進出も積極的に推し進めました。
結果的に、ソニーは
- テープレコーダー
- トランジスタラジオ
- トランジスタテレビ
- ビデオテープレコーダー
- ウォークマン
など日本初、世界初となる革新的な商品を次々と発売。
特に彼の提案から生まれた”ウォークマン”は、ポータブル音楽プレーヤーの先駆けとなり、世界中で大ヒットしました。
こうしてソニーは、戦後の日本における高度経済成長を象徴する世界的な大企業へ成長していったのです。
井深大は、大学時代にクリスチャンの恩師の影響でキリスト教に触れ、教会に通うようになります。
また、彼の親戚には
- 井深梶之助(いぶか かじのすけ):日本基督教会の指導者であり、明治学院の2代目総理を務めた牧師
- 井深八重(いぶか やえ):生涯をハンセン病患者の看護に捧げた、日本カトリック看護協会(JCNA)初代会長
などのクリスチャンがおり、彼らのすすめもあり、洗礼を受けてプロテスタントのクリスチャンになりました。
日曜学校の先生を務めるなど、クリスチャンとして熱心に奉仕活動を行っていたそうです。

③加藤一二三(元プロ棋士)

加藤一二三は、日本の元プロ将棋棋士であり、将棋界のレジェンドの一人です。
独特のプレースタイルと明るくユーモラスなキャラクターで、「ひふみん」の愛称で親しまれています。
彼は当時の史上最年少記録である中学生(14歳7ヶ月)で天才少年棋士としてプロ入り。
“神武以来(じんむこのかた)の天才”と呼ばれ、名棋士たちと数々のタイトルを争い、一時代を築きました。
2017年の77歳まで60年以上現役を続け、”史上最年長現役棋士”の記録も更新。

加藤一二三がキリスト教と出会ったのは、30歳の頃でした。
当時、将棋のキャリアの中で行き詰まりを感じており、タイトル戦からも遠ざかり、将棋仲間からも「加藤の将棋はつまらない」と言われていたそうです。
「将棋とは何か?」を問い直し、人生においても「確かなもの」を追い求めていました。
そんなときに出会ったのが、キリスト教です。
実は、彼は以前から西洋の芸術などを通してキリスト教に親しみを感じており、キリスト教系の本も読んでいました。
そこで、人生における答えを求めて、教会の門を叩くことにしたのです。
カトリック教会で洗礼を受けた加藤一二三は確信が与えられ、人生の迷いだけでなく、将棋の迷いからも抜け出し、
多くの勝利を収められるようになりました。
本人も後に、

と語っており、キリスト教の信仰が彼の棋士人生に大きな影響を与えたことが分かります。
その信仰の熱心さはかなりのもので、
- 自身の異名の1つである「1分将棋の神様」という呼び方を嫌う
- 教会活動にも積極的に参加し、ローマ教皇庁から「聖シルベストロ教皇騎士団勲章」を授与される
- 対局の前日には長い時間をかけてお祈りをする
- 対局中の合間に別室や庭で聖歌を歌うこともある
- 片柳弘史(かたやなぎひろし)神父と対談し、洗礼後の将棋への影響や祈りの重要性について語る
など様々なエピソードがあります。
また、自身の信仰と将棋人生について語った『だから私は、神を信じる』という本まで出版していますね。

④飯島延浩(山崎製パン社長)

飯島延浩(いいじま のぶひろ)は、日本の実業家であり、
山崎製パン株式会社(ヤマザキパン)の社長として知られています。
彼は同社の創業者である飯島藤十郎(いいじま とうじゅうろう)の息子で、1979年に社長に就任すると、
1,000億円台にすぎなかった山崎パンの売り上げを1兆円規模にまで拡大。
同社は、製パン業界のトップ企業として成長を遂げました。
飯島延浩は山崎製パンの社長以外にも、
- 日本パン工業会 会長
- 株式会社不二家 取締役相談役
- ヤマザキナビスコ株式会社 会長
- 株式会社デイリーヤマザキ 会長
など多くの企業で役職を持っており、日本の食品業界で多大な影響力を持っています。
それにしても凄い肩書ぞろいですよね。。!
飯島延浩はプロテスタントのクリスチャンで、信仰を持った経営者として知られています。
そのきっかけは、創業者である父の藤十郎が病気になり、経営を巡って社内で争いが起こったことです。
その混乱から救いの道を求めて向かったのが教会であり、1973年に家族と共に洗礼を受けました。
しかし、それから11日後に主力工場であった武蔵野工場が全焼するという事故が起こります。
中には「キリスト教なんかに入ったからだ」などと言ってくる人もいたそうですが、
飯島延浩は家族とともに翌日教会に行き、こう祈ったそうです。
「この火災は、ヤマザキがあまりにも事業本位に仕事を進めてきたことによる神の戒めです。これからヤマザキは神の御心にかなう会社に生まれ変わります。」
1979年になると、父・藤十郎の後を継いで、飯島延浩が新しい社長に。
経営の神様と呼ばれる“ピーター・ドラッカーの教えと聖書の教えを融合した経営方針”を貫きました。
もちろん様々な困難もありましたが、結果的にヤマザキパンは現在、日本の製パン業界で圧倒的な売上を記録し続けていますね。
まさに神が彼の思いに答え、働いてくださった結果なのではないでしょうか。
彼はこんな言葉を語っています。
「ビジネスの仕組みは、キリスト教文化から切り離せません。だから、神の教えに忠実に経営すればよい結果が得られる。知っておいて損はありません。」

⑤ディーン・フジオカ(俳優)

ディーン・フジオカは、俳優、ミュージシャン、モデル、映画監督など幅広く活躍するマルチタレントです。
日本国内だけでなく、アジアを中心に国際的な活動をしていますね。
彼はアメリカ留学後、香港でスカウトされ、ファッションモデルとして活動開始。
台湾に拠点を移して俳優デビューすると、台湾、中国、香港のドラマや映画に出演し、アジアで人気を獲得します。
その後、日本でもNHK連続テレビ小説『あさが来た』にて、五代友厚(ごだい ともあつ)役を演じてブレイク。

ディーン・フジオカは、結婚した中国系インドネシア人の妻の影響で信仰を持つようになり、
キリスト教の洗礼を受けたとされています。
実際、InstagramといったSNSでも食事前に祈る様子や聖句が書かれた投稿をすることがあります。
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また、撮影の合間にも教会に通っているようで、出席した礼拝の写真を撮ることもありますね。
ちなみに、彼は小麦アレルギーを公言しており、僕も小麦アレルギーなのでめちゃくちゃシンパシーを感じます。

⑥村田諒太(元プロボクサー)

村田諒太(むらた りょうた)は、日本の元プロボクサーで、日本のボクシング界を代表する選手の一人です。
彼は2004年に全日本選手権で初優勝し、2011年には世界ボクシング選手権大会で銀メダルを獲得。
2012年には、ロンドンオリンピックのミドル級で金メダルを獲得するという、日本ボクシング史上初の快挙を成し遂げました。
その後、2013年にプロデビューを果たし、2017年にWBA世界ミドル級王座を獲得しています。
ちなみに、オリンピックの金メダルとプロ世界チャンピオンの両方を達成した日本人ボクサーも、村田諒太が初めてです。

村田諒太は、アーサー・ホーランド牧師から洗礼を受けたクリスチャンです。
👇️二人がトークをしている動画もあります。
実際、彼は試合前や試合後に神に感謝するために十字を切る姿が見られたり、インタビューでも聖書の言葉を引用したりしています。
また、自身の長男に宛てた手紙で、新約聖書でイエス・キリストが語った「タラントのたとえ」を引用し、
自分の才能を見つけて活かすことの大切さを教えたというエピソードもありますね。

(✅️タラントのたとえについては、【聖書】タラントンのたとえの意味とは?わかりやすくまとめてみたをどうぞ)
⑦森永太一郎(森永製菓の創業者)

森永太一郎(もりなが たいちろう)は、森永製菓の創業者として知られる日本の実業家です。
彼は1899年に「森永西洋菓子製造所」を創業し、日本で初めて本格的な西洋菓子を製造・販売しました。
また、1910年には「森永製菓株式会社」を設立し、日本で初めてチョコレートやキャラメルの大量生産に成功。
特に「森永ミルクキャラメル」が大ヒットし、国民的なお菓子になりました。
当時はまだ、西洋菓子が日本にはなかった時代でしたが、森永太一郎はアメリカでの経験を活かし、日本に初めて本格的な西洋菓子の製造技術を導入。
それまで和菓子が中心だった日本のお菓子業界に革命をもたらし、日本における西洋菓子のパイオニアとなったのです。

彼がキリスト教への信仰を持ったきっかけは、24歳のときです。
陶器の販売を目的にアメリカへ渡ったものの、商売は思うようにいかず、経済的にも苦しい日々を送っていました。
そのときにキャラメルと出会い、西洋菓子の製造に目を付けますが、当時は人種差別も強く、日本人を雇ってくれる菓子工場は見つかりません。
しかし、そんな中で出会ったのが、親切なクリスチャンの老夫婦でした。
森永太一郎は、彼らがアジア人である自分を差別せず暖かく接してくれることに感動。
キリスト教に関心を持ち始め、26歳のときに洗礼を受けてクリスチャンとなりました。
日本に帰国した森永太一郎は、屋台を始めてキャラメルやマシュマロを売り始めますが、その屋根には、
「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」という聖書の言葉が掲げられていたそうです。
森永太一郎は、商売が成功する中で信仰から離れたこともありましたが、2人目の妻を亡くしたのをきっかけに深く悔い改め、信仰を取り戻します。
そして、社長を引退した後は、キリストのことを伝えるために全国を回っていたそうです。
⑧つるの剛士(タレント)

つるの剛士は日本のタレントで、他にも俳優やミュージシャン、YouTuberなどマルチで活躍している人物です。
“ウルトラマンダイナ”の主人公アスカ役で一躍有名になると、2007年から『クイズ!ヘキサゴンII』に解答者として常連出演。
珍回答を連発する”おバカタレント”として、バラエティ番組でも大ブレイクしました。
また、歌唱力の高さからソロ歌手としても活躍し、彼のカバーアルバムは大ヒットを記録しています。

つるの剛士はカトリックのクリスチャンであることを公言しており、洗礼名は”アントニオ”です。
彼はTwitter(X)で、家族の影響で幼い頃から毎週土日に教会に通っており、
毎晩寝る前にはロザリオを持ってお祈りをしていたと語っています。
(´3`)oO(僕は小さい頃、土日は教会へ行き、毎晩寝る前はロザリオ持ってお祈りしていた。今でも嘘をついたり悪いことすると神様が見ていると思っているし子供にもそう言って聞かせてる。神社にだって参拝するし、初詣だって墓参りだって必ず行く。信じること素敵だと思う。きっと神様は心の中☆
— つるの剛士 (@takeshi_tsuruno) February 12, 2017
また、聖書を題材としたオーディオ・ブック聖書アプリ『聴くドラマ聖書』で、イエスの弟子であり福音書記者であるマタイ役を演じました。
その際に、このように語っています。
「どういう気持ちでマタイは福音書を記録したのかを考えながら読みました。納得がいかなかった時には、翌日に再度録音をお願いしたこともありました。
聖書には生きる上でのヒントやいろいろなものが隠されています。どんなことがあっても神様は全部赦(ゆる)してくださるということを聖書を通して感じました。
今はアプリで聖書に触れることができる素晴らしい時代なので、子どもたちにも聴かせてあげたいです」
(引用:CHRISTIAN PRESS 「聴くドラマ聖書」18日から無料ダウンロード開始 記者発表会に大和田伸也さん、井上芳雄さんら)


⑨長谷川町子(作家)

長谷川町子(はせがわ まちこ)は日本の漫画家であり、国民的作品『サザエさん』の作者として有名です。
1935年に天才少女として漫画家デビューを果たすと、1939年に初連載作品となった『ヒィフゥみよチャン』で漫画家としての地位を確立。
1946年からは磯野家の日常を描いた『サザエさん』の連載がスタートし、大ヒット。
漫画だけでなく、アニメとしても長寿番組となり、日本の家庭文化を象徴する存在となっています。
長谷川町子は日本初の女性プロ漫画家とされ、戦後の日本社会に大きな影響を与えました。

長谷川町子は両親がクリスチャンであり、父の病気を機に自身もクリスチャンになりました。
彼女自身はそれほど熱心なクリスチャンではなかったものの、週末に里帰りするための口実として教会に通い出したんだそうです。
一方で、「サザエさん」を休載していた時期には、2度もイスラエル旅行に行き、聖書も毎日欠かさず読んでいたんだとか。
朝日新聞での対談では、
「私、だんだんと聖書が面白くなってきましてねえ、特に、旧約を面白く読みました。あそこに出てくる神様は原始的で面白いんです。」
(引用:CHRISTIAN PRESS 長谷川町子生誕100年 記念館7月にオープン 苦難の時代にこそ「日常」を 母譲りの信仰と意外な関係)
と語っています。
ただ、戦後になると、母親の影響で無教会主義の集会に参加するようになり、無教会派へと転向しました。
※無教会主義
➠内村鑑三によって提唱された、日本独自のキリスト教の信仰形態。
教会の制度や儀式に依存せず、聖書のみを信仰の基盤とする。

まとめ:日本の有名人にもクリスチャンは結構いる!

- アグネス・チャン(歌手)
- 井深大(ソニー株式会社の創業者)
- 加藤一二三(元プロ棋士)
- 飯島延浩(元山崎製パン社長)
- ディーン・フジオカ(俳優)
- 村田諒太(元プロボクサー)
- 森永太一郎(森永製菓の創業者)
- つるの剛士(タレント)
- 長谷川町子(作家)
確かに日本のクリスチャン人口は少ないです。
しかし、こうして見ると、業界をまたいで様々なクリスチャンの有名人がいることが分かりますね。
「え、この人も!?」と思うような、意外な人物もいたのではないでしょうか?
特に有名な経営者にクリスチャンの方が多い印象がありますね。
彼らは信仰を支えにしながら困難を乗り越え、才能を発揮し、社会に大きな影響を与えてきました。
イエスキリストとの出会いは、あなたの人生を変えます。
聖書にもこう書かれています。
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」
(コリント人への第二の手紙5:17)
今回ご紹介した以外にも、日本のクリスチャン有名人はまだまだいるので、気になる方は調べてみてくださいね!
キートンでした。


👇️参考文献