ジーザス、エブリワン!クリスチャンブロガーのキートンです。
簡単に知りたいなあ。。
こういった疑問にお答えします。
1947年頃、アラブ系の遊牧民ベドウィンの羊飼いたちが、ヨルダン川西岸の”クムラン”と呼ばれる地域で群れからはぐれたヤギを探していました。
ヤギの足取りを追う内に、彼らはとある洞窟にたどり着きます。
様子を見ようと誰かが洞窟内に石を投げ入れたところ、中で何かが割れる音が響きました。
中に入って見てみると、そこには金銀財宝。。ではなくいくつかの壺があり、その中には随分と古い巻物が入っているではありませんか。
彼らはこの時点では、知る由もありませんでした。
これらの巻物こそが、後に”二十世紀最大の考古学的発見”と言われることになる死海文書の一部だということに。
死海文書は今や、エルサレムや世界各地の博物館や文化施設で展示され、観光の目玉になっています。
数え切れない人たちが、何が書いてあるか読めない紙の断片を一目見るために行列を作ってやって来るのです。
2011年10月に、イスラエル博物館が5つの重要な死海文書の写真を載せたウェブサイトを立ち上げたときは、
最初の1週間で100万回を超えるアクセスを記録したこともありました。
死海文書は、ユダヤ教やキリスト教の歴史家だけでなく、宗教社会学者や哲学者など世界中の学者が注目する存在です。
また、死海文書はその謎めいた存在感から、小説や映画、ドラマ、ゲームなどでもしばしば取り上げられます。(新世紀エヴァンゲリオンとか)
このように、発見されて以来世界中の人々の注目を集め続ける死海文書ですが、一体どのような文書なのでしょうか?
なぜこれほど多くの人々の関心を引き続けるのでしょうか?
そこでこの記事では、クリスチャンの僕が
- 死海文書とは?
- 死海文書の内容を簡単に解説【3つのカテゴリー】
- 死海文書の何がすごいの?
- 【終末預言】死海文書に書かれた光の子と闇の子との戦いとは?
- 死海文書の現在
について解説します。
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目次
死海文書とは?
そもそも死海文書とはどのような書物なのでしょうか?
まずは死海文書という書物の概要をざっくりと解説します。
- 最古の旧約聖書写本の一部
- 誰によって書かれた?
最古の旧約聖書写本の一部
死海文書とは死海写本ともいい、紀元前3世紀~紀元1世紀に書かれた古代のユダヤ教に関する様々な文書のことです。
死海文書が発見された経緯についてはいくつかの説がありますが、最も一般的なのは、
1947年にベドウィン(アラブ系の遊牧民)の羊飼いたちがヨルダン川西岸のクムラン地域の洞窟で偶然発見したというもの。
その後、彼らが死海文書をエルサレムの市場に持ち込んだことをきっかけに学者たちの調査が始まり、
結果的に11の洞窟からさらに多くの巻物や断片が発掘されました。
これらの文書には、
などが含まれており、ユダヤ教と初期キリスト教の理解において非常に重要な資料です。
そのため、現在死海文書は宗教的・歴史的遺産として高く評価されています。
写本:印刷技術が登場する前の時代に、書物や文書を手書きで書き写したもの。
古代や中世の人々は、聖書や法律、文学作品など重要な文書を残すために、一文字ずつ手で書き写して複製していました。
死海文書は、現時点で11の洞窟から900巻前後の写本が発見されており、断片の総数は10万枚にもなります。
しかも、2021年にユダヤ砂漠で死海文書に関連する新たな断片が見つかるなど、未だに新しい死海文書が発見され続けているのです。
✅️聖書が書かれた言語については、【言語】旧約・新約聖書は何語で書かれた?3つの言語をご紹介をどうぞ
誰によって書かれた?
死海文書が誰によって書かれたかは諸説ありますが、最も有力なのは、エッセネ派のクムラン宗団によって書かれたという説です。
エッセネ派とは、紀元前2世紀~1世紀頃にかけて存在したユダヤ教の一派であり、クムラン宗団はその中の一つのグループだとされています。
当時のユダヤ教社会には、
- ファリサイ派
- サドカイ派
- 熱心党
などいくつかの主要なグループがありましたが、エッセネ派はその内の一つでした。
(✅️主なユダヤ教グループについては、ファリサイ派?サドカイ派?聖書時代の主なユダヤ教宗派4選【まとめ】を参照)
クムラン宗団は、禁欲的なエッセネ派の中でも特に厳格なグループで、紀元前2世紀頃から死海の近くのクムラン地域に住んでいた宗教的共同体です。
彼らは律法という神の法を正しく厳格に守ることを重視しており、都会を離れて荒野で神に仕える生活を送りました。
また、個人ではなく共同体として生活していて、財産も共有していたとされます。
そして、彼らが作成・保管した文書が死海文書だと考えられているのです。
クムラン宗団は、紀元66年から始まった第一次ユダヤ戦争においてローマ軍の侵攻によって壊滅。
しかし、彼らはこの戦いの際に貴重な死海文書を洞窟に隠し、敵の侵攻から守ろうとしました。
その結果、死海文書は現代まで保存され、後に発見されることになったんですね。
死海文書の内容を簡単に解説【3つのカテゴリー】
では、死海文書には一体どんな内容が書かれているのでしょうか?
何となく謎めいた印象がありますよね。
死海文書は大きく3つのカテゴリーに分類できます。
以下でカテゴリーごとにざっくりと死海文書の内容について解説していきます!
- 旧約聖書正典(約40%)
- 旧約聖書外典・偽典(約30%)
- 聖書以外の宗団文書(約30%)
旧約聖書正典(約40%)
まず、死海文書の中でも特に重要な部分を占めるのが、旧約聖書の正典です。
死海文書には、エステル記以外の旧約聖書の全ての書の写本が含まれており、多くの箇所が、現在の旧約聖書とほぼ完全に一致しています。
中でも特に多く発見されているのは以下の書です。
- イザヤ書
➡死海文書で最も保存状態が良い写本の一つで、「イザヤ写本」として有名。当時のイスラエルの人々への警告と慰め、そして将来の希望などの預言が書かれており、特に”メシア預言”という救い主の到来に関する預言が有名。
- 詩篇
➡神への賛美や祈り、感謝などを表現した詩の集まり。死海文書の中でも最も多くの写本が見つかっており、詩篇がクムラン宗団の日常生活や礼拝で非常に重要な役割を果たしていたことが分かる。
➡”トーラー”あるいは”モーセ五書”と呼ばれる旧約聖書の最初の5書。神の法である律法が書かれており、律法を徹底的に守ることが神との正しい関係を保つ鍵だと考えていたクムラン宗団にとって非常に重要な部分。
✅️旧約聖書の全ての書については、旧約聖書とは?その内容をわかりやすく簡単にまとめてみた【全書物解説】を参照
旧約聖書外典・偽典(約30%)
死海文書には現在の旧約聖書の正典に含まれていない、外典や偽典も多く含まれています。
外典・偽典はユダヤ教や初期キリスト教の時代に書かれ、多くの人に読まれていましたが、正式な聖書としては認められませんでした。
ちなみに、キリスト教のカトリックは外典を”第二正典”として旧約聖書の一部としていますが、プロテスタントは正典から除外しています。
(✅️キリスト教の宗派については、【解説】キリスト教の3つの宗派とは?わかりやすくまとめてみたをどうぞ)
死海文書に含まれる、主な旧約聖書外典・偽典は以下の通りです。
- トビト記
➡神を信じる善良なユダヤ人トビトが主人公の物語。トビトとその息子トビアの冒険を通して、神の導きと信仰の力が描かれており、”信仰を持つ者には神が必ず報いてくれる”というメッセージが込められています。
- シラ書
➡知恵と道徳に関する教えをまとめた箴言集。仕事や家族、友情、お金の管理など人生の様々な場面で役立つ教訓が書かれている。
- ヨベル書
➡天地創造から出エジプトまでの歴史を再構成した書。律法を厳格に守ることを強調した書物で、クムラン宗団にとって信仰と生活の指針となった。
- 第一エノク書
➡天使の堕落や終末の裁きなどを描く黙示文学。天使や終末に関する描写は、新約聖書の「ヨハネの黙示録」や「ユダの手紙」に影響を与えたとされている。
聖書以外の宗団文書(約30%)
ここまで旧約聖書関連の文書をご紹介しましたが、残りの文書は聖書文献ではありません。
死海文書には、クムラン宗団の内部で使われていた宗団文書も多く含まれています。
宗団文書には生活規則や神学、活動内容などが書かれており、彼らの信仰や共同体の実態を理解するために非常に重要です。
主な宗団文書には、以下のようなものがあります。
- 共同体の規則
➡クムラン宗団の人々が守るべき規則(宗教儀式の順序、共同生活の方法など)をまとめたもの。全部で12写本が見つかっており、この文書が重要視されていたことが分かる。
- 戦いの書
➡神に属する「光の子」と神に背く「闇の子」の終末戦争について書かれている。詳しくは後述。
- 聖書の注釈書(ペシャル)
➡旧約聖書の特定の書(預言書など)を解釈する注釈で、聖書の言葉がクムラン宗団の時代にどのように実現しているかを説明している。良い保存状態で見つかった”ハバクク書注解”などが有名。
- 感謝の詩篇
➡神への感謝と賛美の詩を集めた文書で、礼拝や祈りの際に使われたと考えられる。旧約聖書の詩篇の影響が強い。
- 神殿の巻物
➡理想的な神殿のデザインと新しい神殿の儀式について書かれた文書。エルサレム神殿の祭司制度を批判し、新たな神殿の構想を示している。
- ダマスコ文書
➡ユダヤ教の食事規定や安息日の規定、非ユダヤ教徒との付き合い方など、日常生活のルールなどが書かれている。クムラン宗団の起源や使命についても記述あり。
死海文書の何が凄いの?
死海文書は、”二十世紀最大の考古学的発見”とされ、聖書学にも革命をもたらしたと言われますが、実際のところ何がそんなに凄いのでしょうか?
専門家でもない私たち一般人からすれば、イマイチその凄さが伝わりにくいですよね。
そこでここからは、死海文書の凄さを分かりやすくお伝えしていきます。
- 凄さ①旧約聖書最古の写本
- 凄さ②古代ユダヤ教と初期キリスト教の重要な情報源
- 凄さ③様々な学問分野への貢献
凄さ①旧約聖書最古の写本
死海文書の凄さ1つ目は、旧約聖書の最古の写本を含んでいることです。
死海文書が発見されるまでは、現存する最古のヘブライ語聖書は10世紀頃に書かれた”マソラテクスト”と呼ばれる写本群でした。
しかし、死海文書には、何とそれよりも1000年以上も古い紀元前3世紀~紀元1世紀にかけて書かれた写本が多く含まれていたのです。
ギリシャ語で書かれた最古の旧約・新約聖書であるシナイ写本ですら、4世紀頃に書かれたと言われていますから、死海文書がいかに古いか分かります。
しかも、現在の旧約聖書に収められている、エステル記以外の全ての書物が含まれているのも驚きです。
さらに、その内容は現在の聖書とほぼ一致しており、聖書が約2000年に渡っていかに正確に伝承されてきたかが証明されました。
凄さ②古代ユダヤ教と初期キリスト教の重要な情報源
死海文書の凄さ2つ目は、古代ユダヤ教と初期キリスト教の重要な情報源であることです。
なぜなら、死海文書はイエスキリストの時代に書かれた古代ユダヤの文献だから。
死海文書が発見されるまでは、この時代のユダヤ教や地域の宗教生活を直接伝えるヘブライ語やアラム語のテキストはほぼありませんでした。
しかし、死海文書の発見により、ユダヤ教の様々な宗派や初期キリスト教の背景が分かるようになったのです。
関係なくない??
と思うかもしれませんが、関係大ありなのです。
なぜなら、元々キリスト教はユダヤ教から派生して生まれたものだから。
イエス自身もユダヤ教徒であり、彼の教えの多くは当時のユダヤ教の教えがベースになっています。
そのため、死海文書にイエスやキリスト教について直接書かれていなくても、
そこに書かれたユダヤ教の思想や儀式などを理解することで、キリスト教の背景も知ることができるんですね。
実際、死海文書を見ると、古代ユダヤ教と初期キリスト教の間にいくつかの共通点があることが分かります。
例えば、
- 終末の戦いで神が悪に勝利して神の国が完成すると信じていたこと
- メシア(救い主)が現れると信じていたこと
- 水を使った浄化の儀式が行われていたこと
- 終末に備えて信仰生活を送っていたこと
などですね。
また、クムラン宗団の生活規則や信仰を見ると、清い心の重要性や貧しい者の救いなどイエスの教えと共通するテーマも見られます。
凄さ③様々な学問分野への貢献
死海文書の凄さ3つ目は、様々な学問分野への貢献です。
死海文書が与えた影響は、宗教や聖書の研究だけに留まりません。
考古学や言語学、歴史学、法学など多くの分野に大きな影響を与えました。
分野ごとに影響をまとめると、以下の通りです。
- 考古学
➡クムラン遺跡の発見で、古代ユダヤ人の生活スタイルや宗教的な習慣が明らかに。また、文書の保存状態から、当時の文書保存技術や書物の管理方法が分かった。
- 言語学
➡死海文書は古代ヘブライ語、アラム語、ギリシャ語で書かれており、これらの言語の歴史的な移り変わりを知る上で重要な資料に。
- 歴史学
➡ファリサイ派、サドカイ派、エッセネ派などユダヤ教の宗派の多様性が判明。また、第一次ユダヤ戦争(紀元66年から起こったローマ帝国の支配に対するユダヤ人の反乱)の背景が分かった。
- 法学・倫理学
➡クムラン宗団が律法をどのように解釈し、生活に適用していたかが分かり、宗教と法の関係が明らかになった。
【終末預言】死海文書に書かれた光の子と闇の子との戦いとは?
先ほどご紹介したように、死海文書の宗団文書には戦いの書という書物があります。
戦いの書には、クムラン宗団が信じていた善と悪の終末的な戦いについて書かれており、彼らはこの終末戦争に備えて日々の生活を送っていました。
終末とかって言われると、何だか内容が気になりますよね??
以下で、この書物について詳しく見ていきましょう!
- 光の子と闇の子とは?
- この戦いの象徴的意味
光の子と闇の子とは?
戦いの書の中心的なテーマは、光の子と闇の子の戦いです。
では、光の子と闇の子というのは、それぞれ何を意味しているのでしょうか?
まず、「光の子」は神に属する正義の勢力であり、神に従って正しい生活を送る人たちのことです。
クムラン宗団は、自分たちこそ神に選ばれた「光の子」だと信じており、神の軍団としての使命感を持っていました。
一方で「闇の子」は悪の勢力であり、神に逆らい、悪を行う者たちを指します。
クムラン共同体は、堕落したエルサレムの宗教指導者たちや、当時ユダヤを支配していたローマ帝国の支配者たちを「闇の子」と見なしていました。
ちなみに、戦いの書には、軍の編成や武器、戦術なども詳しく書かれています。
この戦いの象徴的意味
光の子と闇の子の戦いは、ただの物理的な戦争ではなく、善と悪の霊的な戦いを象徴しています。
戦いの書によると、この世界には常に、神に従う正しい者(光の子)と神に背く悪の勢力(闇の子)が常に存在するというのです。
しかし、最終的には、神が光の子を勝利に導き、闇の子たちは神の裁きによって滅ぼされると信じられていました。
そして、平和と正義に満ちた神の国が確立され、光の子たちは神の王国に迎え入れられます。
つまり、戦いの書は、どんな試練の中でも最終的には神が善を勝利に導くという希望を伝えているんですね。
ここまでをまとめると、以下の通りです。
- 光の子
➡神に従う正しい者たち。最終的に神に救われ、神の王国に迎え入れられる。
- 闇の子
➡神に背く悪い者たち。最終的に神の裁きによって滅ぼされる。
また、クムラン宗団にとって、彼らの生活そのものがこの終末の戦いに備えるための訓練でした。
彼らが厳しい規律を守ったり清い生活を送ったりしていたのも、終末の戦いに参加するための準備だったんですね。
ちなみに、このような戦いの書の終末思想は、新約聖書の“ヨハネの黙示録”や他の黙示的宗教文学にも影響を与えた可能性があります。
死海文書の現在
死海文書が発見されてから既に80年ほどが経っていますが、現在はどのような状況にあるのでしょうか?
最後に死海文書の現在について見ていきましょう!
- イスラエルなどに保存
- 研究の継続
イスラエルなどに保存
死海文書は現在、主にイスラエルなどで保存・管理されています。
主な保存場所をまとめると、以下の通りです。
- イスラエル博物館
➡”死海文書の館”という特別な展示館があり、外観は死海文書が入っていた陶製の壺の形になっている。イザヤ書の完全な巻物など重要な巻物がある。
- イスラエル国立図書館
➡一部の巻物や断片をデジタル化し、世界中の学者や一般の人々がオンラインでアクセスできるよう公開している。
- ヨルダン博物館
➡死海文書が発見されたクムラン地域が当時ヨルダン領だったため、一部の巻物はヨルダンの施設に保管されている。
- アメリカやヨーロッパの博物館
➡死海文書は、特別展示のために世界各地の博物館に貸し出されている。例えば、アメリカのメトロポリタン美術館やイギリスの大英博物館で展示されたことも。
例えば、死海文書の巻物は非常にもろく劣化しやすいため、専用のガラスケース内で湿度・温度が厳重に管理されています。
また、専門家チームが、劣化を防ぐための修復を定期的に行っていたりもしますね。
世紀の大発見である死海文書はまさに観光の目玉であり、これらの巻物を一目見ようと、毎年多くの観光客や研究者が訪れます。
ちなみに、上記でも書いたように、死海文書はデジタル化されてオンラインでも公開されているので、気になる方は見てみてください。(http://dss.collections.imj.org.il/)
研究の継続
死海文書は1947年に発見されましたが、その研究は現在も続いています。
なぜなら、死海文書の内容や断片の数が非常に多く、全ての文書を解読するには時間がかかるからです。
小さな断片をパズルのようにつなぎ合わせる作業も大変ですし、一部の断片は劣化が進んでいて解読が難しかったりもしますからね。
死海文書の解読や分析には、高い専門知識と忍耐力が求められるわけです。
ただ、最近ではAI技術や3Dスキャンといった最新技術の導入によって、研究が大きく進展しています。
例えば、AIを使って今まで読みにくかった断片の文字を読み込んだり、3Dスキャンによって断片を正確に繋ぎ合わせたりといったことも行われているのです。
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まとめ:死海文書は世紀の大発見!
発見から80年ほどが経った現在でも、新聞の見出しになったり、展示会でたくさんのお客さんを集めたりする死海文書。
また、世界中の人が今も死海文書について議論をし、研究を重ね、注目し続けています。
20世紀を代表する大発見である死海文書は、
古代ユダヤ教や初期キリスト教を理解する上で欠かせない超重要な資料です。
今後も新たな死海文書が発見されるかもしれないと考えると、ワクワクしますね!
研究や科学技術の進歩によって、ますます死海文書の全貌が明らかになることを期待しましょう!
キートンでした。
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