ジーザス、エブリワン!キートンです。
やっぱり品行方正で清い人ばかりなの??
こういった疑問にお答えします。
日本にはほとんどいないクリスチャンという存在。
そのため、
もしかしたら、
まさに聖人のような人たちばかりなんだろうなあ。。!
というイメージをお持ちの方もいるかもしれません。(あれ、いない?)
逆に、教会のイメージから、
まあ、
しかし、クリスチャンの僕からしたら、こうしたイメージはかなり偏っていると言わざるを得ません。
実態はだいぶ違いますから!!
ということで、
クリスチャンについては、【Q&A】クリスチャンの意味とは?信仰歴28年の僕が教えます!をどうぞ
クリスチャンの人の性格って?聖人の集まりではないという話
結論を言うと、クリスチャンは聖人の集まりではありません。
まあ、そもそもそんなプラスな印象を持っていない方もいるとは思いますが。(戦争やら十字軍の歴史もありますし)
もちろん、品行方正を絵に描いたような人もいますが、
クリスチャンといっても色んな人がおり、
真面目な人もいればそうでない人もいるし、
右の頬を打たれたら、
また、厳格な人もいれば、お酒やタバコを飲む人だっています。
つまりは、クリスチャンも一般の方と同じく色んな人がおり、
少なくとも、
さあ、皆さんの中のクリスチャンのイメージが、
しかし、これがクリスチャンの現実なのです!
誤解させたままでいるわけにはいきませんからね。。
そもそも本当に正しい人などいない
そもそもの話ですが、クリスチャンもそうでない人も含めて、
なぜなら、神様の前では全ての人が罪人だからです。
聖書にはこうあります。
「次のように書いてある、「義人はいない、ひとりもいない。 11悟りのある人はいない、神を求める人はいない。 12すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、ひとりもいない。」
(ローマ人への手紙 3章10~12節)
これは、最初の人類アダムとエバが罪を犯したことで、
(詳しくは、【聖書物語】人間の始まり!?”アダムとエバ(イヴ)”の内容を解説を参照)
実際、
カトリックや正教会では”聖人”と呼ばれて尊敬されている人たちがいますが、彼らだってそうです。
マザーテレサだって、イエスの12使徒だって例外ではありません。
例えば、
- 嘘をついてしまったり
- 人の悪口を言ってしまったり
- 傲慢になってしまったり
などなど。
そして、罪を犯すたびに神様に悔い改め、
どうですか、急に親近感が湧いたのではありませんか??
ですから、もし
などと思っている方は、考えを改めてください!
クリスチャンもまた、罪を犯してしまう弱い存在なのです。
また、同じ理由で、教会にも行ってみたいけど行きづらいと思っている方もいるかもしれません。
しかし、むしろ教会はそのような罪深い人のための場所です。
実際、教会に来られるのは何かしらの問題や弱さを抱えた方が多いように思います。
イエスもこう語られました。
「イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。」
(マルコによる福音書2章17節)
(教会がどんな場所かは、【キリスト教】”教会”とは何をする場所?あらゆる疑問に答えますをどうぞ)
クリスチャンは清められている途中
ここまで、クリスチャンは清い人ばかりではないというお話をしてきました。
ただし、クリスチャンは今現在清められている途中だということは言えます。
なぜなら、クリスチャンとはキリストを信じる人のことであり、それによって聖霊が内側に住まわれているから。
聖霊とは私たち人間に力を与えたり導いたりしてくださる存在で、キリストを信じる者全てに与えられるものです。
「すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。 39この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。」
(使徒行伝2章38、39節)
聖霊には様々な働きがあるのですが、その1つが私たちをキリストに似た姿へと変えることです。
(詳しくは、【神の位格】聖霊とは?10の働きを簡単にクリスチャンが解説を参照)
キリストに似た姿になるということはつまり、罪のない清い者になっていくということですね。
この過程のことを“聖化”と言ったりしますが、クリスチャンはまさにこの聖化が行われている途中なのです。
「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」
(コリント人への第二の手紙3章18節)
(詳しくは、【義認・聖化・栄化】救いの3段階とは?それぞれを詳しく解説しますをどうぞ)
つまり、まとめるとこういう流れです。
- イエスキリストを信じる
- 聖霊が内側に宿る
- 聖霊によって罪が清められて少しずつキリストの姿へ(聖化)☜今ここ
ちなみに、クリスチャンが完全にキリストに似た姿に変えられるのは、キリストが再び来られるときです。
「愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、
(ヨハネの第一の手紙3章2節)
これを”栄化”といいますが、このときにキリストによる救いは完成します。
ただ逆に言えばキリストが再臨されるまでは、クリスチャンも完全に清くなることはないということ。
それまでは、クリスチャンも自分の中の罪の性質と戦い続けるのです。
その意味で、クリスチャンは清い人たちというよりも、
まとめ:クリスチャンは聖人の集まりではない!
◎まとめ
- クリスチャンは聖人の集まりではなく、色んなタイプの人がいる
- クリスチャンも含めて本当に正しい人はいない
- クリスチャンはキリストを信じて清められている途中
いかがでしたか?
クリスチャンのイメージが大きく崩れてしまったかもしれませんが、これがクリスチャンの実態です。
クリスチャンは必ずしも、清く正しく美しい集団ではありません。
まあ逆にクリスチャンや教会に対して、より親しみを持ってくれた方もいるかもしれませんが!
え、そんなことやっぱり信じられないって??
なるほど、そんな方にはこう言っておきましょう。
教会に来てみればすぐに分かります。(意味深)
キートンでした。
キートンさん!!
お久しぶりです!!
Twitterでお世話になっていたゆみです。
まさにその通り、と記事を読んで自分自身の内面を見つめていました。
何故か心がジーンとして、少しホッとしました
しばらく神様と離れ気味だったので、祈り向き合いたいと思います。
おお、ゆみさん、お久しぶりです!!
お元気でしたか??そうでしたか、お役に立てて嬉しいです。
信仰生活にも浮き沈みはありますよね。。ゆみさんが再び神様と近づき、より豊かなクリスチャン生活を送ることができるようにお祈りしております!