ジーザス、エブリワン!キートンです。
聖書が由来の言葉だって聞いたんだけど本当?
こういった疑問にお答えします。
聖書の有名な言葉の1つに、“人はパンのみにて生きるにあらず”というものがあります。
思わず座右の銘にしてしまいたくなるような、カッコいいフレーズですよね。
それに僕、パン食べられませんし。(←小麦アレルギー)
もちろん、そういうことが言いたいフレーズではないですけどね!
では、皆さんはこの言葉の本当の意味をご存知でしょうか?
実は、一般的に使われているこの言葉の意味は本来の聖書の意味とは違うんです。
そこでこの記事では、クリスチャンの僕が、
- 【聖書】”人はパンのみにて生きるにあらず”とは?その意味を解説
- どういう状況でイエスはこの言葉を使った?【荒野の誘惑にて】
について解説します!
【聖書】”人はパンのみにて生きるにあらず”とは?その意味を解説
“人はパンのみにて生きるにあらず”とは、
に書かれている言葉のことで、特にマタイ・マルコによる福音書でイエスキリストが語られた言葉が有名ですね。
ただし、これはイエスオリジナルの言葉ではなく、前者の”申命記”の聖句をイエスが引用したものになります。
一般的には、人間にとってパンのような物質的満足だけではなく精神的な満足も大切だという意味で使われます。
しかし、聖書的に見ると、これは正確な意味とは言えません。
なぜなら、由来となった聖書箇所にはこう書かれているからです。
「すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。 4イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。」
(マタイによる福音書4章3、4節)
どうしても、前半の”人はパンだけで生きるものではなく”という部分ばかりにフォーカスが当たりがちですが、
本当に重要なのはその後の、”神の口から出る一つ一つの言で生きるものである”という部分です。
つまり、人はパンだけでなく神(聖書)の言葉によって生きるのだと語られているのです。
ただ、これは別に、
と極端なことを言っているわけではありません。
パンのような食べ物がなければ、人間は肉体的に生きていけませんからね。
しかし、パンだけで人は完全に満たされることはできません。
なぜなら、人は神様に命の息を吹き込まれて造られた霊的な生き物でもあるからです。
「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。」
(創世記2章7節)
だからこそ、肉体的な食べ物であるパンと同じく、霊的な食べ物である神の言葉も必要なんですね。
聖書は”神の霊感を受けて書かれたもの”だと、聖書にも記されています。
「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。 17それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。」
(テモテへの第二の手紙3章16、17節)
人は、神(聖書)の言葉によって本当の意味で満たされることができるのです。
実際、聖書には、
- 人間がどのように生まれたのか
- 生きる目的
- 死んだらどうなるのか
- どうすれば救われるのか
- この世界がどうなっていくのか
など大切な真理がすべて書かれています。
中でも最も大切なのは、イエスが私たち人間の罪を背負って死なれた救い主であるという点です。
このことを信じるとき、私たちの人生はただ死を待つだけのものではなく、天国へと続く永遠のものへと変わるのです。
真の救いは、食べ物からではなく聖書を通して得られるんですね!
救いについての詳細は、【キリスト教用語】福音の意味とは?キリストの良い知らせ?をどうぞ
どういう状況でイエスはこの言葉を使った?【荒野の誘惑にて】
では、イエスはどのような状況でこの名言を発したのでしょうか?
それは、荒野で悪魔(サタン)の誘惑を受けているときです。
「さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。 2そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。 3すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。 4イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。」
(マタイによる福音書4章2~4節)
これは”荒野の誘惑”と言われる有名な場面で、様々な芸術作品のモチーフにもなっています。
時系列的には、イエスが洗礼を受けた後、宣教活動を始める前ですね。
このとき、イエスは荒野で40日40夜断食をしており(えぐい)、お腹がペコペコの状態でした。
そんなとき、サタンが現れてイエスにこのような誘惑をしたのです。
それくらい簡単だろう?神の子ならさ。
極限の空腹状態でこんな甘い言葉をささやかれたら、皆さんならどうするでしょうか?
少なくとも僕なら、辺り一面をパンで埋め尽くしますね。(ちょろい)
実際、神の子であるイエスにとって、石をパンに変えるなど容易なことでした。
そうでなければ、サタンもこんなことを言わないし、誘惑にならないですからね。
しかし、この誘惑に乗ってしまったら、イエスは人々のためではなく、自分の肉体的欲望のために神の力を使うことになります。
それは神の子として、ふさわしい行いではありません。
そこで、イエスは聖書の言葉を引用することでこの誘惑をはねのけたのです。
その引用の1つが、今回ご紹介した”人はパンのみにて生きるにあらず”の箇所だったんですね。
ちなみに、イエスが引用したのは、旧約聖書の”申命記”で預言者モーセが語った以下の箇所です。
「それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。」
(申命記8章3節)
その後も、サタンは2度イエスを誘惑しますが、イエスは同じく聖書の引用によってそれらを撃退。
サタンはイエスから去っていったのでした。
普通に誘惑を拒絶すればよかったんじゃ。。
と思うかもしれませんが、サタンの誘惑に打ち勝つには聖書の言葉が必要なのです。
サタンは、様々な誘惑をすることで私たち人間を神様から引き離し、悪の道へと引きずり込もうとしてきます。
人間は弱いので、自分の力だけでそれに打ち勝つのは簡単なことではありません。
だからこそ、真理が書かれている神(聖書)の言葉によって、私たちはその誘惑に勝利することができるんですね。
イエスはそのお手本を示してくださった形になります。
その意味でもやはり、人はパンのみにて生きるにあらず、なのです!
イエスについては、【完全版】イエス・キリストとはどんな人?その生涯を簡単にまとめてみたをどうぞ
サタンについては、【聖書】悪魔(サタン)とは?その正体をクリスチャンが解説しますをどうぞ
まとめ:人間にはパンだけでなく、神(聖書)の言葉が必要!
“人はパンのみにて生きるにあらず”の本当の意味、ご理解いただけましたか??
本記事を読んで、”イメージしてた意味と違う!”と思われた方もいるかもしれませんね。
パンのような食べ物は、人間にとってなくてはならないものです。
しかし、それ以上に神(聖書)の言葉が必要不可欠です。
ですので、食事を欠かさないのと同じように、聖書の言葉も定期的に食べていきましょう!
そのとき、本当の意味で私たちは満たされ、人生が豊かになっていくのです。
キートンでした。
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