ジーザス、エブリワン!キートンです。
毎月払わないといけないものなの?
こういった疑問にお答えします。
キリスト教には、献金というものがあります。
しかし、献金に関するネガティブなニュースの影響もあり、何やら怪しいものみたいなイメージがあるかもしれません。
教会に行ったら無理やり献金を搾り取られるんじゃないか。。?みたいな感じですね。
しかし、これは大きな誤解です。
では、実際のところ、キリスト教における献金とはどのようなものなのでしょうか?
毎月払わないといけないものなのでしょうか?
そこでこの記事では、クリスチャンの僕が、
- キリスト教の献金とは?【いくつかの種類あり】
- 献金って払わないとダメなの?【強制ではありません】
- 献金はいくら払えばいいの?相場は?【大切なのは気持ちです】
- 【体験談】献金をささげると、人生が豊かになる話
について詳しく解説します!
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目次
キリスト教の献金とは?【いくつかの種類あり】
献金とは、神への感謝を込めて教会の維持や伝道などのためにささげられるお金のことです。
そして、献金と一言に言っても、実はいくつか種類があります。
- 月定献金(10分の1献金)
- 集会献金
- 特別献金
それぞれ詳しく見ていきましょう!
①月定献金(10分の1献金)
月定献金(10分の1献金)とは、その名の通り毎月収入の10分の1をささげる献金のことです。
献金の中でも基本的なものであり、教会運営の基礎となるものですね。
なぜ10分の1なのかというと、旧約聖書に10分の1をささげることに関する神の律法がいくつかあり、1つの目安とされているからです。
「地の十分の一は地の産物であれ、木の実であれ、すべて主のものであって、主に聖なる物である。」
(レビ記27章30節)
「あなたは毎年、畑に種をまいて獲るすべての産物の十分の一を必ず取り分けなければならない。」
(申命記14章22節)
多くの教会では、月定献金袋(封筒)に入れてささげます。
月定献金袋には、献金の種類や額を書く欄があり、領収の印が押されますね。
②集会献金
集会献金は、礼拝や集会などでささげる献金のことです。
細かく分けると、
- 礼拝献金
- 伝道会献金
- 祈祷会献金
- 特別集会献金
といったものがあり、多くの場合、毎週の礼拝の中にこの献金の時間が組み込まれています。
1度でも教会で礼拝に参加したことがある方は、イメージしやすいのではないでしょうか。
こちらの献金も、教会運営のために使われます。
✅僕の教会生活については、【完全公開】クリスチャンの僕が教会生活を全て暴露しますをどうぞ
③特別献金
上記以外の献金のことを全部ひっくるめて、特別献金といいます。
例えば、
- 感謝献金
➡結婚や就職、バプテスマ、誕生などに対する感謝をささげる献金
- 祝節(しゅくせつ)献金
➡イースター、クリスマス、ペンテコステなどのお祝いの際にささげる献金
- 指定献金
➡国外宣教のため・海外の困っている人々のためなど目的が指定されている献金
- 特別用途献金
➡特別伝道、会堂建築、災害救済、神学校援助などのための献金
などがこれにあたります。
献金って払わないとダメなの?【強制ではありません】
献金という話をすると、
やっぱり宗教は怖い。。!
と拒絶反応を起こすかもしれませんが、これは誤解です。
なぜなら、献金は決して強制ではないからです。
献金は、月謝や入場料、牧師や神父の説教に対するお金などとは違います。
あくまでも、神の愛と恵みに対する感謝として自発的にささげるものなのです。
感謝なんて、誰かに強要されるものではないですからね!
また、イエスキリストは私たち人間の救いのために、十字架で自らの命を犠牲にしてくださいました。
献金はそのイエスの犠牲に対して、自分も犠牲を持ってこたえたいという献身の表明でもあります。
だから、仮に献金をしなかったからとしても、
- 十字架にはりつけにされたり
- 教会の地下室に監禁されたり
- 牧師や神父から引っぱたかれたり
- 神からの天罰が下ったり
といったことは一切ありません!!
ただ、これは裏を返せば、献金を強制してくる教会は危険な可能性が高いということでもあります。
実際、色んなもっともらしい理由を付けて、お金を請求してくるカルト的な教会もあります。
そういう教会に捕まってしまうと、お金を搾り取られてしまうかもしれませんので、教会に行って献金を強制されたらすぐに逃げましょう!
✅やばい宗教については、【警告】絶対に関わるな!やばい宗教の特徴5選【クリスチャンがご紹介します】で詳しく書いています。
献金はいくら払えばいいの?相場は?【大切なのは気持ちです】
では、献金にいくら払えばいいという基準はあるのでしょうか?
結論から言うと、献金にいくらという決まりはありません。
10分の1献金もあくまで1つの目安であり、毎月きっかり10分の1ささげないとダメというわけではないのです。
学生や社会人、主婦など信徒によってそれぞれ立場も違えば、経済的な状況も違いますからね。
使徒パウロも、各自収入に応じて献金を蓄えておけと語っています。
「聖徒たちへの献金については、わたしはガラテヤの諸教会に命じておいたが、あなたがたもそのとおりにしなさい。 2一週の初めの日ごとに、あなたがたはそれぞれ、いくらでも収入に応じて手もとにたくわえておき、わたしが着いた時になって初めて集めることのないようにしなさい。」
(コリント人への第一の手紙16章1、2節)
ですから、献金は自分たちの収入や経済的状況を考慮する必要があり、一概にいくら払えばいいとは言えないのです。
むしろ、金額よりも大切なことがあります。
それは、感謝と喜びをもって心から献金をささげられているかです。
聖書にも、こうあります。
「各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。」
(第2コリント9章7節)
例えば、他の人から高価な誕生日プレゼントをもらったとしても、それがすっごい渋々だったら全然嬉しくないですよね??
ってなるはずです。
そして、これは神様も同じです。
金額の大きさよりも、私たちが自分から進んで献金をささげることを願っておられるんですね!
このことを裏付ける“レプタ銅貨”のエピソードが、聖書には書かれています。
イエスは、多くの金持ちが献金箱にたくさんの献金を投げ入れている一方で、貧しいやもめ(未亡人)がレプタ銅貨2枚をささげたのを見て
と語られました。
「イエスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。 42ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントに当る。 43そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。 44みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」。」
(マルコによる福音書12章41~44節)
レプタ銅貨というのは、新約聖書に出てくる貨幣の内で最小単位の銅貨であり、お世辞にも大きい額とは言えません。
しかし、お金持ちがあり余る中からささげたのに対して、やもめはなけなしのお金の中からささげました。
このやもめの姿勢をイエスは高く評価されたのです。
このエピソードからも、献金は金額ではなく心が大切だということが分かります。
✅詳しくは、教会の献金の相場とは?大事なのは金額ではないという話【プロテスタント】をどうぞ
【体験談】献金をささげると、人生が豊かになる話
献金というと、多くの人は抵抗を感じます。
自分が稼いだ大切なお金をささげるということですから、それも無理はないことでしょう。
しかし、献金をささげると私たちの人生はより豊かにされます。
なぜなら、感謝と喜びを持って自分のものをささげるとき、神はそれを喜び祝福してくださるというのが聖書に書かれた約束だからです。
「わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。 7各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。 8神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである。」
(コリント人への第二の手紙9章6~8節)
実際、僕も含めて多くのクリスチャンが、献金によって神の豊かな祝福を受けた経験をしています。
例えば、以下のようなものですね。
- 献金をささげた後、それ以上のお金が返ってきた
- 経済的にギリギリでも献金をささげていたら、臨時収入が突然入ってきた
- 献金をささげていたら、自分に必要なものがふっと与えられた
これらはほんの一部で、他のクリスチャンの方に聞いたら恐らくもっと様々な献金エピソードが出てくるでしょう。
うさんくせー!と思うかもしれませんが、これらは全て実話です。
しかも、お金がなくなるギリギリのときにこうした出来事が起こることが多く、それによって
と実感することができます。(これは割とクリスチャンあるあるだと思います。)
もちろん、キリスト教はご利益宗教ではないので、
祝福されるために献金をするわけではありませんし、献金をしなければ祝福が与えられないというわけでもありません。
しかし、喜んでささげたとき、結果的に神は私たちをより豊かに祝福してくださるんですね!
これは僕のクリスチャン生活を振り返っても間違いのないことだと思います。
まとめ:献金はささげたいという気持ちが大事!
献金は、絶対に払わなくてはいけない会費のようなものではなく、ご利益を求めてささげるお賽銭とも違います。
献金は、神の愛と恵みに対して自発的に感謝をもってささげるものです。
献金の根底には、
だから、少しでも献金という形でお返ししよう。
という考えがあります。
ですから、献金は強制ではなく、教会に来ても無理やりお金を払わせられるということはないのでご安心ください!
とはいえ、献金をささげると間違いなく神の祝福によって人生は豊かになるので、おすすめはしますけどね!
キートンでした。
👇参考文献
クリスチャンの意見聞けて嬉しいです。
私は、信仰持ってから32年かな。途中教会離れました。15年間離れて、シャブ中でシャブの売人を10年やり刑務所、また捕まりの繰り返し、2016年1月31日、悔い改めました。9日間、禁断症状でもうダメだ、その時心に語る神の声を聞きました。祈り疲れて眠り、起きると別人になってました。翌年49歳で全寮制の神学校に入学、ガキばかり。足かけ5年この春卒業、今は伝道師です。
献金はたまに10分の10やります。神にかけてます。毎日死ぬ覚悟を確かめてます。何も怖くない?いざとなりゃ怖くないよね。
バッタ(むし)が怖い。
シドさん、コメントありがとうございます!
素晴らしいお証も感謝いたします。確かな神様のお導きが、シドさんの人生にあることを感じます。
献金、10分の10はすごいですね!それだけ神様にご自分の全てをささげていらっしゃること、尊敬いたします。これからのシドさんの信仰生活に、ますますの主の豊かな恵みと祝福が注がれますように。
わたしは、Christianになると決めて家から近い、ある教会へ通い始めたばかりのヒヨコクリスチャンです。
通って、2回目の時に洗礼の聖書勉強を勧められ、断られず勉強をしていくうちに、献金のところまで来て、献金をしないと、とにかく損が生じる、家電が壊れるとかなどどんな形でも献金しない分より損失とかみたいな話で、
私は少し怯えてしまいました。まさに、脅迫のように聞こえました、私には。献金したら献金より大きい益があって、献金しないと例えなにかが壊れたりまでして損になるよ、と。私は少額ですが毎回礼拝の時に1000円ずつ献金していました。でも、この日献金にたいしてのいろんな話を聞いてからは教会へ行く意欲というか…薄くなったきがします。私を自由にほっておいて欲しいです。神様と真正面で静かに信仰して生きたいです。まだ洗礼を受けてもないのにも、いろんな献金の名がズラリと書いてある献金封筒を見せて来る牧師がもうしつこくて嫌いになりました。どうか、アドバイスをおねがいいたします。
エメラルドさん、コメントありがとうございます!
なるほど、それは辛い経験をされましたね。。本記事でも書いていますが、献金というのは本来強制されるものでもなければ、払わないと天罰が下るようなものでもありません。あくまでも本人の裁量に委ねられています。
カルト的な宗教はしばしば「〇〇しなければ地獄に落ちるぞ!」「〇〇しなければ悪いことが起こるぞ!」などと恐怖を煽ることで信徒をコントロールしようとしますが、エメラルドさんが通われている教会にもその要素を感じます。当然、このような教えは聖書的とは言えません。
ですから、もし今のような状態が続くのであれば、神様にお祈りをしつつ、別の教会を探してみてはいかがでしょうか。幸い教会は他にもたくさんありますし、色々と教会をまわってみて自分が通いたいと思える良心的な教会を見つけることも大切かと思います。
たった1つの教会によって、エメラルドさんの新しく喜びに満ちたクリスチャン生活が壊されてしまうのは非常に悲しいことです。ぜひ良い教会に導かれるように、神様に祈り求めてみてください。
エメラルドさんの信仰生活が祝福され、素敵な教会と巡り会えますように。。!
献金の件で検索してこのサイトに来ました。
教会の視点でまとまっていて参考にさせていただきます。
私としては旧約の律法と十字架以後のものとは大きな違いができているようにおもっています。
イエス様は寡婦を誉めた後で、宮の中で暴れて商人たちを蹴散らされました。その商人たちとは市場のような商いをしていたのでしょうか?ましてや宮の中で、、またその宮も崩されると預言され、それは実現されました。そこに2レプタの意味を考えてみたいと思います。
ありがとうございました。
HIKO 1954さん、コメントありがとうございます!
献金についても様々な意見があるかとおもいますが、私の記事が何かの参考になれば幸いです。今度も拙ブログをよろしくお願いいたします。