ジーザス、エブリワン!キートンです。
わかりやすく知りたいなあ。。
こういった疑問にお答えします。
世界史などでも登場する、バビロン捕囚(ほしゅう)という出来事。
皆さんも、1度は聞いたことがあるのではないでしょうか?
何やらかなり不吉そうなネーミングでインパクトがあるので、耳に残りますよね。
だって”バビロン”だけでも強そうなのに、そこに”捕囚”というなんだかおぞましいワードまで付いてますからね!!
少なくとも、バルタン星人くらいのパワーワードレベルはあるでしょう。(知らんがな)
しかし、その内容をきちんと説明できる方が果たしてどれくらいいるでしょうか??
まさか、
くらいの知識で終わってないですよね。。?
いや、それくらいの内容だったらネーミングから大体想像つくわ!!大体、大昔って大雑把過ぎるだろ!!
と思わずツッコんでしまいたくなりますね。
そこでこの記事ではクリスチャンの僕が、そんなあなたのために、
聖書をもとにバビロン捕囚をわかりやすく解説したいと思います!
なぜ聖書かというと、バビロン捕囚について書かれている資料は聖書くらいしか残されていないからです。
それでは、
- バビロン捕囚とは?
- 聖書から見るバビロン捕囚の歴史
という内容でお届けしますね!
目次
バビロン捕囚(ほしゅう)とは?
バビロン捕囚とは、
前6世紀頃に南ユダ王国のイスラエル人(ユダヤ人)たちがバビロンなどの都市へ捕虜として連行された事件のことです。
捕囚という言葉は聞き慣れないかもしれませんが、戦争に負けて捕虜として敵国に連れて行かれることを指しますね。
- バビロン幽囚(ゆうしゅう)
- バビロンの幽囚
- バビロニア捕囚
とも呼ばれます。
南ユダ王国とは古代イスラエル民族の王国のことで、
当時中東で最強の国であった新バビロニア王国のネブカドネザル2世によって征服され、移住させられました。
バビロン捕囚によって南ユダ王国は滅ぼされることとなり、
首都エルサレムにあった大切な神殿(エルサレム神殿)も破壊されてしまうのです。
しかし、前538年になると、新バビロニア王国を滅ぼしたアケメネス朝ペルシャのキュロス2世によって、
イスラエル人はバビロン捕囚から解放されることになります。
ちなみに、バビロン捕囚が起こることは、ずっと前から旧約聖書にも預言されていました。
例えば、エレミヤ書には、
「この地はみな滅ぼされて荒れ地となる。そしてその国々は七十年の間バビロンの王に仕える。 12主は言われる、七十年の終った後に、わたしはバビロンの王と、その民と、カルデヤびとの地を、その罪のために罰し、永遠の荒れ地とする。」
(エレミヤ書25章11、12節)
と書かれていますし、イザヤ書には、
「わたしは義をもってクロスを起した。わたしは彼のすべての道をまっすぐにしよう。彼はわが町を建て、わが捕囚を価のためでなく、また報いのためでもなく解き放つ」と万軍の主は言われる。」
(イザヤ書45章13節)
と書かれています。(クロスというのはキュロス2世のこと)
つまり、聖書には、
- バビロン捕囚が起きること
- バビロン捕囚がどれくらいの期間続くのか
- 誰によってバビロン捕囚から解放されるのか
までが全て預言されていたということになります。
いやー、恐るべき書物ですね。。!
聖書から見るバビロン捕囚の歴史
それでは、聖書を参考にしながら、バビロン捕囚の歴史をざっくりとまとめていきたいと思います。
- バビロン捕囚以前のイスラエル王国
- 第一次捕囚(紀元前605年)
- 第二次捕囚(紀元前597年)
- 第三次捕囚(紀元前586年)
- 第四次捕囚(紀元前583年)
- バビロン捕囚からの解放(前538年)
バビロン捕囚以前のイスラエル王国
「それゆえ、主はソロモンに言われた、「これがあなたの本心であり、わたしが命じた契約と定めとを守らなかったので、わたしは必ずあなたから国を裂き離して、それをあなたの家来に与える。 12しかしあなたの父ダビデのために、あなたの世にはそれをしないが、あなたの子の手からそれを裂き離す。」
(列王記上11章11、12節)
バビロン捕囚を説明する前に、イスラエル人の国について軽く振り返っておきましょう。
イスラエル人は長い間王制をとっていませんでしたが、紀元前11世紀にサウル王が初代の王様に選ばれます。
こうして、イスラエル人にとって初めての王国であるイスラエル王国が誕生しました。
サウルの後も、
と有名な王様が続き、イスラエル王国は大いに繁栄します。
特に3代目のソロモン王のときにイスラエル王国は全盛期を迎え、エルサレムに神殿(エルサレム神殿)も建てられました。
しかし、ソロモン王の死後、彼自身の罪のためにイスラエル王国は
- 北のイスラエル王国
- 南のユダ王国
の2つに分裂してしまいます。
そして、北のイスラエル王国は前722年にアッシリアという国によって滅ぼされてしまいました。
こうして、イスラエル人の国家は、南ユダ王国だけになってしまったのです。
第一次捕囚(紀元前605年)
「ユダの王エホヤキムの治世の第三年にバビロンの王ネブカデネザルはエルサレムにきて、これを攻め囲んだ。」
(ダニエル書1章1節)
「エホヤキムは王となった時二十五歳で、十一年の間エルサレムで世を治めた。彼はその神、主の前に悪を行った。 6時に、バビロンの王ネブカデネザルが彼の所に攻め上り、彼をバビロンに引いて行こうとして、かせにつないだ。」
(歴代志下36章5、6節)
さて、そんな状況の中、南ユダ王国にも危機が訪れます。
南ユダ王国の首都であるエルサレムが、バビロンの王子ネブカドネザルによって占領されかけたのです。
このまま南ユダ王国も滅ぼされてしまうのか。。?と思いきや、予想外の出来事が起こります。
なんと、ネブカドネザルの父である王様が死去し、ネブカドネザルは急遽バビロンに戻ることになったのです。
その後、父の王位を継ぎネブカドネザルは新バビロニアの王となるのですが、おかげで南ユダ王国は命拾いすることになりました。
しかし、ネブカドネザルはただでは帰りませんでした。
ネブカドネザルは、有能な人間を南ユダ王国から少数選んで人質として連れ帰ってしまったのです。
これこそが最初の捕囚ですね。
ちなみに、その中の1人が、旧約聖書に出てくるハイスペック預言者でおなじみのダニエルです。
そう、イケメンで頭がよくて信仰も強くて高度な夢分析までできてしまう、あのダニエルです。
天は二物を与えずって嘘じゃない?でおなじみのあのダニエルです。(しつこい)
後にダニエルが、宮廷に仕える能力のある人物として選ばれる描写が聖書にも書かれています。
「時に王は宦官の長アシペナズに、イスラエルの人々の中から、王の血統の者と、貴族たる者数人とを、連れて来るように命じた。 4すなわち身に傷がなく、容姿が美しく、すべての知恵にさとく、知識があって、思慮深く、王の宮に仕えるに足る若者を連れてこさせ、これにカルデヤびとの文学と言語とを学ばせようとした。 5そして王は王の食べる食物と、王の飲む酒の中から、日々の分を彼らに与えて、三年のあいだ彼らを養い育て、その後、彼らをして王の前に、はべらせようとした。 6彼らのうちに、ユダの部族のダニエル、ハナニヤ、ミシャエル、アザリヤがあった。」
(ダニエル書1章3~6節)
この経緯が分かると、なぜダニエルがあれほど有能だったのかが理解できますね!
(詳しくは、【聖書】ダニエルってどんな人?スペックが高すぎる預言者?を参照)
第二次捕囚(紀元前597年)
「その家来たちが町を囲んでいたとき、バビロンの王ネブカデネザルもまた町に攻めてきた。 12ユダの王エホヤキンはその母、その家来、そのつかさたち、および侍従たちと共に出て、バビロンの王に降服したので、バビロンの王は彼を捕虜とした。これはネブカデネザルの治世の第八年であった。 13彼はまた主の宮のもろもろの宝物および王の家の宝物をことごとく持ち出し、イスラエルの王ソロモンが造って主の神殿に置いたもろもろの金の器を切りこわした。主が言われたとおりである。 14彼はまたエルサレムのすべての市民、およびすべてのつかさとすべての勇士、ならびにすべての木工と鍛冶一万人を捕えて行った。残った者は国の民の貧しい者のみであった。 15さらに彼はエホヤキンをバビロンに捕えて行き、また王の母、王の妻たち、および侍従と国のうちのおもな人々をも、エルサレムからバビロンへ捕えて行った。 16またバビロンの王はすべて勇敢な者七千人、木工と鍛冶一千人ならびに強くて良く戦う者をみな捕えてバビロンへ連れて行った。 17そしてバビロンの王はエホヤキンの父の兄弟マッタニヤを王としてエホヤキンに代え、名をゼデキヤと改めた。」
(列王記下24章11~17節)
さて、何とか窮地を脱したように見えた南ユダ王国でしたが、それは一時的なものに過ぎませんでした。
南ユダ王国で新しくエホヤキンが王位につくと、
バビロンのネブカドネザル2世の軍が再びエルサレムへ攻めてきたのです。
すると、エルサレムは包囲され、エホヤキン王はあっけなく降伏。
そして、エホヤキン王はもちろん、
- 王族
- 貴族
- 軍事的指導者
- 長老
- 職人
- 祭司
- 預言者
といった南ユダ王国の1万人もの人々が、バビロンの地に連れ去られてしまいました。
人数的にはそこまで多くありませんでしたが、見ての通り連れ去られたのは指導的階層の主要人物ばかり。
この捕囚は、南ユダ王国に大きな打撃を与えました。
ただし、この時点では、まだ南ユダ王国は滅ぼされてはいません。
南ユダ王国は新バビロニア王国の属国となり、
ネブカデネザル王は、エホヤキンに代わってその叔父のゼデキヤをユダの王として立てたのです。
第三次捕囚(紀元前586年)
「ゼデキヤの子たちをゼデキヤの目の前で殺し、ゼデキヤの目をえぐり、足かせをかけてバビロンへ連れて行った。 8バビロンの王ネブカデネザルの第十九年の五月七日に、バビロンの王の臣、侍衛の長ネブザラダンがエルサレムにきて、 9主の宮と王の家とエルサレムのすべての家を焼いた。すなわち火をもってすべての大きな家を焼いた。 10また侍衛の長と共にいたカルデヤびとのすべての軍勢はエルサレムの周囲の城壁を破壊した。 11そして侍衛の長ネブザラダンは、町に残された民およびバビロン王に降服した者と残りの群衆を捕え移した。」
(列王記下25章7~11節)
第二次捕囚の後、南ユダ王国はゼデキヤ王のもとで10年ほど存続します。
しかし、ゼデキヤ王が突如としてバビロンの王に反抗。
結果的に、ゼデキヤの子どもたちは目の前で殺され、自分自身も両目をえぐられたあげく、
バビロンへ連れて行かれることになりました。
また、このことがきっかけで、ネブカドネザルは首都エルサレムを攻めて包囲し、陥落させてしまいます。
大切なエルサレム神殿も火で焼かれ破壊され、多くの人が虐殺され捕囚にされました。
こうして、ついに紀元前586年、南ユダ王国も滅亡してしまったのです。
ただし、ユダヤ人の国家が完全に消滅したわけではありません。
バビロン捕囚中も、ユダヤ人のコミュニティは存在し続け、彼らのアイデンティティは保持されました。
ちなみに、一般的にバビロン捕囚というと、この”第三次捕囚”のことを指します。
第四次捕囚(紀元前583年)
「ネブカデレザルの二十三年に侍衛の長ネブザラダンは、ユダヤ人七百四十五人を捕え移した。」
(エレミヤ書52章30節)
聖書によると、第四次捕囚も紀元前583年に行われています。
ただし、人数は745人と少なめですね。
これ以上の詳細は、書かれていません。
バビロン捕囚からの解放(前538年)
「「ペルシャの王クロスはこう言う、『天の神、主は地上の国々をことごとくわたしに賜わって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。あなたがたのうち、その民である者は皆、その神、主の助けを得て上って行きなさい』」。」
(歴代志下36章23節)
捕囚という悲劇に見舞われたイスラエル人でしたが、ついに解放のときが訪れます。
それは、前538年、新バビロニア王国を滅ぼしたアケメネス朝ペルシャのキュロス2世のときでした。
キュロス2世はイスラエル人たちにエルサレムへの帰還を許し、神殿を再建することも許可したのです。
こうして、およそ70年にもおよぶバビロン捕囚は終わりを告げ、帰還民が続々とエルサレムを目指して出発しました。
とはいえ、イスラエル人の中にはバビロン周辺に残る者も少なくなく、
やがて、イスラエル人たちは世界中に離散(ディアスポラ)していくことになります。
さて、バビロン捕囚によって、イスラエル人たちは神の保護にあったはずの自分たちの国を失い、神殿も壊されてしまいました。
それはつまり、彼らが持っていた神様への信仰も揺らぎかねないということを意味します。
しかし、イスラエル人たちは捕囚生活の中で、民族の宗教のあり方を見つめ直し、
壊された神殿の代わりに律法を心の拠り所とするようになります。
その結果、イスラエル民族のアイデンティティは確立され、ユダヤ教が成立していくこととなるのです。
ユダヤ教については、【徹底比較】ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の違い10選まとめをどうぞ
まとめ:バビロン捕囚はイスラエル人(ユダヤ人)たちが強制移住させられた事件!
バビロン捕囚がどのような事件か、お分かりいただけたでしょうか?
バビロン捕囚によって、イスラエル人たちは自分たちの国からバビロンの方に連行されてしまいました。
ただ、バビロン捕囚という名前のいかつさとは異なり、結構バビロンでの状況は寛容だったようですね。
かなりの自由もあったうえに、結婚や職業選択も認められ、お金を貯めることもできたようです。
捕囚と聞くと、どうしても監禁されて奴隷のように扱われるというイメージがありますから意外ですよね!
だからこそ、捕囚から解放されてもバビロンに残ったイスラエル人が多くいたのでしょう。
ですから、バビロン捕囚とかじゃなく、もっと誤解を与えないソフトな名前にすればいいのになあと思いますね。
そうだなあ、例えば。。
“バビロンへの大冒険”とか。(RPGか)
キートンでした。