ジーザス、エブリワン!キートンです。
旧約聖書に登場するイスラエル最初の王様の名前を知っていますか?
その人物の名は、サウル。
イスラエルに王制が導入されて初めての王様です。
しかし、その後に登場するダビデ王やソロモン王があまりにも有名なため、若干陰に隠れてしまっている感があります。
そこで、今回は、サウルの生涯についてなるべく分かりやすくご紹介したいと思います!
目次
サウル王とは?
サウル王は、旧約聖書の『サムエル記』に登場するイスラエル王国初代の王様です。
それまでのイスラエルには王様はいませんでしたが、士師サムエルによって王制が導入され、サウルが最初の王様に選ばれました。
サウルは最初こそ謙虚で立派な人物でしたが、次第に傲慢になり、悲劇的な最期を迎えることとなります。(後述)
ちなみに、サウルの後は、
- ダビデ
- ソロモン
という有名な王様が続いていきますね。
サウル王の生涯
さて、それでは初代王様の生涯を見ていきましょう!
イスラエル初の王様誕生
「その時サムエルは油のびんを取って、サウルの頭に注ぎ、彼に口づけして言った、「主はあなたに油を注いで、その民イスラエルの君とされたではありませんか。あなたは主の民を治め、周囲の敵の手から彼らを救わなければならない。」
(サムエル記上10章1節)
これは、イスラエルにまだ王様がおらず、士師のサムエルが国をまとめていた頃のこと。
イスラエルの民衆たちはサムエルに言いました。
どうか私たちのために王様をたててください!
最初はこれに反対したサムエルでしたが、民衆の意志が固かったため、
神様の指示に従って王にふさわしい男を探すことにしました。
そこで白羽の矢が立ったのは、ベニヤミン族のサウルという美しくて背の高い若者でした。
そして、サムエルはサウルの頭に油を注いで、言いました。
それは、神様があなたをイスラエルの王に任命されたからです。
こうして、イスラエル初代の王様、サウル王が誕生しました。
サウル、初めての戦いで勝利を収める
「明くる日、サウルは民を三つの部隊に分け、あかつきに敵の陣営に攻め入り、日の暑くなるころまで、アンモンびとを殺した。生き残った者はちりぢりになって、ふたり一緒にいるものはなかった。」
(サムエル記上11章11節)
あるとき、敵であるアンモン人がイスラエル人の町ヤベシュに迫ってきました。
そして、これに困り果てたヤベシュの人たちは、サウルに助けを求めに来たのです。
すると、この知らせを聞いたサウルは、ヤベシュに駆け付け、
アンモン人たちを、ほぼ全員けちょんけちょんにやっつけてしまいました。
実は、サウルが王様になったばかりの頃は、サウルのことを信用せず否定的な人たちもいました。
王としての実績もありませんでしたからね。
しかし、この勝利によってサウルが神に選ばれた王だということが明らかになり、
イスラエルの民たちも、サウルを王様として歓迎することとなりました。
サウルの失敗
「サムエルはサウルに言った、「あなたは愚かなことをした。あなたは、あなたの神、主の命じられた命令を守らなかった。もし守ったならば、主は今あなたの王国を長くイスラエルの上に確保されたであろう。 14しかし今は、あなたの王国は続かないであろう。主は自分の心にかなう人を求めて、その人に民の君となることを命じられた。あなたが主の命じられた事を守らなかったからである」。」
(サムエル記上13章13、14節)
さて、サウルが王様になってから1年が経った頃。
サウルの息子ヨナタンがペリシテ人の守備隊長を倒したことで彼らの恨みを買い、
サウルたちはペリシテ人たちと戦わなければいけなくなりました。
しかし、ペリシテ人たちの戦力はかなりのもので、サウル軍が3千人の兵なのに対して、ペリシテ軍は、
- 戦車3千
- 騎兵6千
- 浜辺の砂ほどいる兵士たち
という圧倒的なものでした。
そのため、これを見たイスラエル人たちはすっかり怖気づき、あちこちに隠れたり逃げたりする者が続出してしまいます。
ところで、サウルは事前にサムエルから、自分が行くまで七日間待つようにと言われていました。
しかし、焦ったサウルはなんと自分の勝手な判断で、
神様への嘆願を意味する”全焼のいけにえ”をささげてしまったのです。(あちゃー)
これは、サウルが最初にやらかした失敗でした。
サウルがいけにえをささげ終わると、サムエルが姿を現して言いました。
サウルは答えました。
それに、ペリシテ人たちは今にも攻撃をしてこようとしています。
それなのに、まだ神様に助けを求めていなかったので、あなたを待ちきれずにいけにえをささげてしまいました。
サムエルはこれを聞いて叫びました。
あなたは神様の命令に従わなかった。
神様はあなたの家系を永遠にイスラエルの王にしようとしておられたが、それもおしまいだ。
神様は、既に別の者を王様として定めておられる。
サウルは、不安や恐れにとらわれた結果、神様の命令を無視してしまったのです。
そして、ここから徐々にサウルの人生は狂い始めます。
ただし、サウルはペリシテ人を含めたあらゆる民族との戦いにおいては、勝利を収め続けました。
サウル、再び失敗をする
「しかしサウルと民はアガグをゆるし、また羊と牛の最も良いもの、肥えたものならびに小羊と、すべての良いものを残し、それらを滅ぼし尽すことを好まず、ただ値うちのない、つまらない物を滅ぼし尽した。」
(サムエル記上15章9節)
さあ、手痛い失敗をしてしまったサウルですが、サウルはまたしても大きな失敗をしてしまいます。
これは、サウルがアマレク人たちと戦ったときのこと。
その際に、神様は人間も家畜も全て完全に滅ぼすことをサウルに命令しておられました。
しかし、サウルは最上の羊や牛などを自分の欲のために残しておいてしまったのです。
そして、価値がなく、質の低い家畜だけを殺しました。
そのとき、神様はサムエルに言われました。
2度も私に逆らったのだから。
翌朝、サムエルがサウルに会うと、サウルは上機嫌で言いました。
しかし、サムエルは鋭く聞きました。
では、この聞こえてくる鳴き声はなんだ?
サウルは答えました。
他のものは全て殺しましたよ。
サムエルはこれに対して、怒って言いました。
“アマレクの全てを滅ぼし尽くせ”と言われたのだ。
なのにどうして、戦利品に飛びついて神の命令を無視したのだ。
しかし、サウルの言い訳は続きます。
最上の牛や羊を持って帰って神にささげようと言い出したのは、イスラエルの民なのですから。
サムエルは言いました。
神の言葉を無視したあなたは、王位から退けられるだろう。
すると、サウルはようやく反省して言いました。
どうかこの罪をおゆるしください!
しかし、サムエルは無情にもこう言い放ちました。
神様は今日、あなたからイスラエルの王国を取り上げて、もっと優れた人物にお渡しになった。
神様の言葉に偽りはなく、心変りもない。
こうして、サムエルはサウルと死ぬまで2度と顔を合わせることはありませんでした。
ダビデの登場
「ダビデはサウルのもとにきて、彼に仕えた。サウルはひじょうにこれを愛して、その武器を執る者とした。」
(サムエル記上16章21節)
それからというもの、サウルはいつも何かにおびえるようになってしまいました。
なぜなら、主の霊が離れ、代わりに神様が悪霊をサウルに送られたからです。
そこで、家来たちの提案で、サウルの精神を落ち着かせるために、琴(こと)の上手な人を探すこととなりました。
そして選ばれたのが、サウルの後に王様になるダビデという若者でした。
ダビデは、羊飼いで末っ子という、当時だと社会的地位の低い人物でしたが、
- 外見が美しい
- 勇気がある
- 言葉に分別がある
- 琴が上手い
という非常に才能に溢れた若者でした。
そして、ダビデが琴を弾くと、不思議なことにサウルの心は静まり、悪霊は離れていきます。
こうして、ダビデはサウルに仕えるようになりました。
そして、サウルもまたダビデのことを気に入り、愛すようになりました。
サウルの嫉妬
「しかしサウルは見て、主がダビデと共におられること、またイスラエルのすべての人がダビデを愛するのを知った時、 29サウルは、ますますダビデを恐れた。こうしてサウルは絶えずダビデに敵した。」
(サムエル記上18章28、29節)
その後、ダビデは、巨人のゴリアテを倒し(詳しくはダビデの記事参照)、
他の戦いでも勝利するなど獅子奮迅(ししふんじん)の活躍をしていきました。
しかし、あるとき、サウルは女性たちがこんな歌を歌っているのを聞いてしまいます。
これを聞いたサウルは激怒。
こうしてサウルはダビデのことを妬(ねた)み、そのうちダビデのことを殺そうとするようになりました。
しかし、それでもダビデの活躍は続き、ますます多くの人に愛されるようになっていくのでした。
神様がダビデとともにおられたからです。
ダビデ、サウルから逃げ出す
「その時ヨナタンはダビデに言った、「無事に行きなさい。われわれふたりは、『主が常にわたしとあなたの間におられ、また、わたしの子孫とあなたの子孫の間におられる』と言って、主の名をさして誓ったのです」。こうしてダビデは立ち去り、ヨナタンは町にはいった。」
(サムエル記上20章42節)
ところが、サウルのダビデへの憎悪は次第に強まり、ダビデはもっと露骨に命を狙われるようになっていきました。
そのため、身の危険を感じたダビデは、サウルの元から離れざるをえなくなってしまいます。
こうして、ダビデのサウルからの長い逃亡生活が始まるのです。
しかし、その中で何度かサウルを倒せる機会があっても、ダビデは決してサウルを殺しませんでした。
それはダビデが、神様が立てられた王様を勝手に殺せないという思いがあったからです。
そのことを知ったサウルは、泣きながらダビデに言いました。
お前こそ、イスラエルの王になるべき人物だ。
どうか、お前が王になっても、私の家族を殺さないでいて欲しい。
こうして、サウルは自分の家に帰っていくのでした。
まあ、サウルは懲りずにまたダビデを殺しに来て、同じような流れになるんですがね。。
サウルと霊媒師
「サウルは姿を変えてほかの着物をまとい、ふたりの従者を伴って行き、夜の間に、その女の所にきた。そしてサウルは言った、「わたしのために口寄せの術を行って、わたしがあなたに告げる人を呼び起してください」。」
(サムエル記上28章8節)
さて、サウルがダビデの追跡をやめた後のこと。
ペリシテ人たちがイスラエルと戦争をしようと、陣を構え始めました。
すると、ペリシテ人の大軍を見たサウルは恐ろしくなり、神様にどうすればいいのかを尋ねようとしますが、
神様は夢を通しても預言者を通しても、うんともすんともお答えになりません。
神様は、既にサウルから離れてしまっているからです。
しかし、わらにもすがる思いのサウルは、霊媒のできる女性を探し出して言いました。
そう、サウルは神様からの反応がなかったので、代わりに既に亡くなっているサムエルを呼び出そうとしたのです。
サムエルが呼び出されると、サウルはひざまづいて言いました。
ペリシテ人が攻めてくるのに、神様は私をお見捨てになり、何も答えてくれません。
サムエルは答えました。
こうなったのも、あなたが神様の命令に従わなかったからだ。
明日、イスラエル軍は総崩れになり、ペリシテ人によって滅ぼされるだろう。
これを聞いたサウルは、あまりの恐怖に倒れてしまいました。
サウルの死
「武器を執る者はサウルが死んだのを見て、自分もまたつるぎの上に伏して、彼と共に死んだ。 6こうしてサウルとその三人の子たち、およびサウルの武器を執る者、ならびにその従者たちは皆、この日共に死んだ。」
(サムエル記上31章5、6節)
さて、いよいよ、ペリシテ人とイスラエル人の戦いが始まりました。
しかし、サムエルが予告した通り、
イスラエル軍はあっけなく敗れ、ヨナタンを含む息子たちも殺されてしまいました。
また、射手たちのねらい打ちにより、サウルも致命傷を負わされてしまいます。
虫の息になったサウルは、近くにいた護衛兵に言いました。
しかし、護衛兵がためらっていると、サウルは自らの剣の上に倒れて自害してしまいました。
イスラエル初代王様の壮絶な最期です。
そして、この知らせを聞いたイスラエル軍は町を捨てて逃げ出し、その町はペリシテ人に占領されてしまいました。
ちなみに、サウルやヨナタンの遺体はペリシテ人によって城壁に釘付けにされ、さらし者にされてしまったんだとか。。
サウルとダビデの違いは?
サウルは何度か失敗を犯してしまいましたが、完璧に見えるダビデも後に大きな失敗をします。
しかも、その失敗はサウルよりも大きいと言えるほど罪深いものです。(ダビデの記事参照)
しかし、サウルが神様に見放され、悲劇の死を遂げたのに対して、ダビデは生涯神と人とに愛される偉大な王様になりました。
では、サウルとダビデは一体何が違ったのでしょうか。
違い①神様への忠実さ
2度の失敗から見ても分かる通り、サウルは神様に忠実ではありませんでした。
期限を守らず勝手に神様にいけにえをささげるわ、滅ぼすべき家畜を持って帰るわ。。
2度も神様の命令を無視したのです。
「サムエルはサウルに言った、「あなたは愚かなことをした。あなたは、あなたの神、主の命じられた命令を守らなかった。もし守ったならば、主は今あなたの王国を長くイスラエルの上に確保されたであろう。」
(サムエル記上13章13節)
そして、これはサウルが神様ではなく、周りの人の目を気にしていたのが大きな原因だと言えます。
サウルの生涯を見ていると、絶えず人の目や評判を気にして判断を下しているのが分かりますよね。
失敗の際も、
みたいな言い訳をしていますし。
つまり、サウルは神ではなく人をおそれてしまったのです。
その結果、王様の位を取り去られてしまいました。
聖書にはこうあります。
「また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」
(マタイによる福音書10章28節)
一方で、ダビデはいつも神様に忠実に仕え、信頼し続けました。
その証拠に、ダビデはサウルの命を奪う機会が2度あっても、自分の勝手な判断で殺すことはしませんでした。
これは、自分の思いではなく、神様の御心を優先したからです。
「ダビデは従者たちに言った、「主が油を注がれたわが君に、わたしがこの事をするのを主は禁じられる。彼は主が油を注がれた者であるから、彼に敵して、わたしの手をのべるのは良くない」。」
(サムエル記上24章6節)
ダビデが巨人ゴリアテに立ち向かうほどの勇敢さがあったのは、神様への絶対的な信頼があったからなんですね。
違い②ちゃんと悔い改めたかどうか
サウルとダビデはどちらも罪を犯しましたが、その後の態度が全く違います。
サウルは罪を犯しても言い訳をし、表面的な悔い改めしかしませんでした。
実際、サウルは似たような失敗を何度もしています。
そのときは反省しても、神様の命令を2回無視しているし、ダビデの命も狙い続けました。
これは、サウルが本当の意味で自分の罪を悔い改めることができていない証拠です。
「サウルはサムエルに言った、「わたしは主の命令とあなたの言葉にそむいて罪を犯しました。民を恐れて、その声に聞き従ったからです。 25どうぞ、今わたしの罪をゆるし、わたしと一緒に帰って、主を拝ませてください」。」
(サムエル記上14章24、25節)
一方で、ダビデは自分が罪を犯した際は、心から悔い改めました。
バトシェバという人妻を妊娠させ、その夫を殺してしまったときは、
罰として自分の子供が死なないように、何日間も断食をしてひれ伏しながらゆるしを願ったほどです。
「ダビデはナタンに言った、「わたしは主に罪をおかしました」。(中略)ダビデはその子のために神に嘆願した。すなわちダビデは断食して、へやにはいり終夜地に伏した。 17ダビデの家の長老たちは、彼のかたわらに立って彼を地から起そうとしたが、彼は起きようとはせず、また彼らと一緒に食事をしなかった。」
(サムエル記下12章16、17節)
確かに、犯した罪の重さで言えば、サウルよりもダビデの方が上かもしれません。
しかし、神様は犯した罪の大きさよりも、その後にきちんと悔い改めたかどうかを重視されるお方なんですね。
ここも、サウルとダビデの明暗を分けた部分です。
悔い改めについては、【聖書】悔い改めるの意味とは?使い方も含めてクリスチャンが解説をどうぞ
まとめ:サウル王の生涯は波乱万丈!
サウルは、王様になったばかりの頃は謙虚で、神様にも従う姿勢のある立派な人物でした。
しかし、やがて自分の力を過信し、傲慢になっていったのです。
その結果、絵に描いたような転落人生を送ることになってしまいました。
初代の王様でお手本がいなかったとはいえ、なんともったいない。。
ですから、
皆さんも、王様になったときはサウルを反面教師にしましょうね!(なれねえよ)
キートンでした。