ジーザス、エブリワン!クリスチャンブロガーのキートンです。
ゆるす方法についても知りたいなあ。。
こういった疑問にお答えします。
あなたは誰かを「ゆるせない!」と思ったことはありませんか?
いや、もしかしたら会社の上司や友人など、現在進行系で憎たらしくて顔を思い浮かべるだけでムカムカしてくる相手がいるかもしれません。
その原因は、
- 深く傷つけられた
- ひどい目にあわされた
- 裏切られた
など人によって様々でしょう。
「絶対ゆるせない!」という思いに駆られると、怒りにとらわれ、その人との関係は壊れてしまいます。
また、心の中が負の感情でいっぱいになってしまうでしょう。
「ゆるせない」という感情は私たちにとって身近な感情ですが、人のことをゆるす心を持つのは、人生において非常に重要なことです。
ゆるしの心があると、私たちの人生は喜びや平安に満ちたものになります。
キリスト教や聖書においても、ゆるしの重要性が語られているのですが、これを知らない方も多いです。
そこでこの記事では、クリスチャンの僕が
- そもそも「ゆるし」とは?
- なぜゆるす心が大切なのか?主な3つの理由
- 人をゆるせるようになる2つの方法
などについて解説します。
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目次
そもそも「ゆるし」とは?
そもそもの話、ゆるしとはどういう意味なのでしょうか?
私たちも日常的に使うなじみのある言葉ですが、改めて確認してみましょう!
- 罪やミスを免除すること
- キリスト教で特に重要な教え
罪やミスを免除すること
ゆるしという言葉には、”相手の希望や要求などを受け入れて、許可する”という意味もありますが、
キリスト教においては主に、“相手の罪やミスを免除する、責めない“という意味で使われることが多いです。
今回の記事で扱う”ゆるし”もこちらの意味ですね。
キリスト教での罪とは、犯罪のことではなく、神の教えや意志に反する行為全般(嘘を付く、不倫をするなど)を指します。
(✅️詳しくは、キリスト教の罪とは何?本質は1つだけです【クリスチャンが回答】も参照)
例えば、牧師や神父が
と言っているのを聞いたことはないでしょうか?
これも後者の意味で使われており、罪を悔い改めた者に対する神の赦しを宣言しているのです。
漢字に関しても、一般的には”許す”という漢字でまとめられることが多いですが、キリスト教では以下のように区別します。
- 許す
➡相手の希望や要求などを受け入れて、許可する。
- 赦す
➡相手のミスや罪などを責めずに、なかったことにする。
キリスト教で特に重要な概念
ゆるしというのは、キリスト教において特に重要な概念です。
なぜなら、“神がイエスキリストを通して私たちの罪をゆるされた”というのがキリスト教の中心的な教えだから。
そのため、キリスト教は”ゆるしの宗教”と言われることがありますね。
聖書にもこうあります。
「わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。」
(エペソ人への手紙 1:7)
人間はアダムとイブが神に背いて罪を犯して以来、神との関係が壊れ、神に背き続けてきました。
しかし、神はご自分の独り子であるイエスキリストを地上に送り、十字架に架けることで、私たち人間の罪を代わりに背負わせてくださったのです。
そして、イエスの十字架での死と復活を信じることで、私たちの罪はゆるされ、永遠の命が与えられるんですね。
これがキリスト教における”救い”です。
また、イエスご自身もゆるしに関する教えをいくつか語っておられます。
「そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。」
(マタイによる福音書18章21、22節)
✅️イエスキリストについては、【完全版】イエス・キリストとはどんな人?その生涯を簡単にまとめてみたをどうぞ
なぜゆるす心が大切なのか?主な3つの理由
では、ゆるす心を持つことはなぜそれほど大切なのでしょうか?
以下で3つの理由を見ていきましょう!
- 神が私たちをゆるされたから
- 人間関係が改善されるから
- 心が解放されるから
①神が私たちをゆるされたから
1つ目の理由は、神が私たちをゆるされたからです。
先ほども言ったように、神はイエスキリストを通して私たちの罪をゆるしてくださいました。
だからこそ、同じように私たちもゆるしの心を持って、他の人をゆるすことが大切なのです。
「互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。」
(エペソ人への手紙4:32)
自分の罪がゆるされているのに、他人の罪をゆるさないというのがどれくらい酷いことか分かりますか?
それは、人の弁当のおかずだけもらって自分のおかずはあげないくらい酷いことなのです!!
。。。はい、これに関してはイエスがもっと分かりやすいたとえを語られているので、そちらを見てみましょう。(最初からそうしろ)
それは、仲間をゆるさない悪い家来のたとえです。
「そこでこの主人は彼を呼びつけて言った、『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。 33わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。」
(マタイによる福音書18:32、33)
あるとき、1万タラント(約6000億円)もの借金を背負った家来がいました。
もちろん、こんな大金を返せるはずもなく、家来は主人にひれ伏してお願いしました。
すると、そんな家来をかわいそうに思った主人は、彼の借金を帳消しにしてあげました。
ところが、その家来は外に出るなり、自分が100デナリ(約100万円)を貸している仲間を見つけると、首を絞めてこう言いました。
それに対して、仲間は答えました。
しかし、家来はこれを聞き入れず、その仲間を借金を返せるまで牢屋にぶち込んでしまいました。
このことを知った主人は、家来を呼びつけると言いました。
私がお前をゆるしたように、お前も仲間をゆるすべきではなかったか!!
こうして、ぶち切れた主人は、借金が返せるまで家来を牢屋にぶち込んでしまいました。
さて、このお話を聞いてどう思いましたか?
たった100万円の仲間の借金を大目に見てあげないなんて、この家来ありえない!!
と思いますよね。
でも、私たちが他人の罪をゆるさないというのは、この家来と同じことをしているということなんです。
私たちが人から受ける罪は、神がゆるしてくださった罪に比べたら微々たるもの。
だから、私たちが人をゆるすのは当然のことなのです!
このたとえ話の後に、イエスキリストはこう語られています。
「あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」。」
(マタイによる福音書18章35節)
✅️仲間をゆるさない家来のたとえについては、【一覧】聖書のイエスの例え話7選!なぜこんなに例えを用いた?をどうぞ
②人間関係が改善されるから
2つ目の理由は、人間関係が改善されるからです。
なぜなら、人をゆるすことは、愛を示す行為でもあるから。
この愛とゆるしの力により、怒りや憎しみが取り去られ、相手と良い関係を築くことができるんですね。
自分も相手もハッピー。まさにWin-Winです。
ゆるしのパワーは凄まじく、それはときに周りにも感動を与えるほどです。
例えば、僕がとても好きな聖書のお話にヨセフ物語があります。
ヨセフは父のヤコブに特別可愛がられており、それに嫉妬したお兄さんたちに奴隷としてエジプトに売られてしまいます。
しかし、エジプトで成功をしたヨセフは、王様の次に偉い宰相(さいしょう)の位にまで上りつめることができました。
そして、あるとき、お兄さんたちと再会する場面がやって来るのですが、あなたならどうしますか?
とばかり、自分の地位を使って復讐を果たしますか?
確かに、ヨセフはそれくらいの酷い仕打ちをお兄さんたちから受けています。
しかし、なんとヨセフはお兄さんたちのことをゆるしたのです。
「ヨセフは兄弟たちに言った、「わたしに近寄ってください」。彼らが近寄ったので彼は言った、「わたしはあなたがたの弟ヨセフです。あなたがたがエジプトに売った者です。しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。」
(創世記45章4、5節)
すごく感動的なシーンだと思いませんか??
僕はこの箇所を読むたびに、思わずうるっと涙ぐんでしまいます。
このように、ゆるしは人間関係を改善するだけでなく、ときに大きな感動すら与えてくれるものなのです。
✅️ヨセフ物語の詳細は、【聖書】ヨセフ物語のあらすじとは?わかりやすく簡単にまとめてみたをどうぞ
③心が解放されるから
3つ目の理由は、心が解放されるからです。
ゆるすというと、どうしても相手のためにしてあげることというイメージがあります。
しかし、人をゆるすことは自分のためでもあるのです。
なぜなら、人をゆるすことは怒りや憎しみから解放されることだからです。
だって、考えてもみてください。
ずっと相手に対して怒りや憎しみを抱き続けるって、めちゃくちゃ苦しくないですか?
それで相手も苦しむならまだしも、相手には何のダメージもありません。
つまり、相手をゆるさないのは、ただただ自分を苦しめるだけの自傷行為なんです!
人をゆるさないことは、自分を怒りや憎しみという檻の中に閉じ込めているのと同じです。
ゆるすことで檻の扉を開けて、心を自由にしてあげませんか?
そうすれば、心には大きな平安と喜びがやって来るはずですよ!
「すべての無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、また、いっさいの悪意を捨て去りなさい。 32互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。」
(エペソ人への手紙4:31,32)
人をゆるせるようになる2つの方法
とは言っても、人をゆるすというのは言葉で言うほど簡単ではありません。
相手にひどい目にあわされた度合いが強ければ、なおさらです。
では、一体どうすれば人をゆるすことができるようになるのでしょうか?
以下で2つの方法をご紹介しましょう。
- 神に祈る
- 神のゆるしを思い出す
①神に祈る
1つ目の方法は、神に祈ることです。
なぜなら、祈ることで神から愛とゆるしのパワーをいただけるから。
イエスキリストは、こう語られました。
「『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 44しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」
(マタイによる福音書5章43、44節)
そして、イエスは口だけでなく、行動を持ってこの教えを示されました。
具体的には、十字架に架けられた際に、自分を十字架に架けた人々のために祈られたのです。
「されこうべと呼ばれている所に着くと、人々はそこでイエスを十字架につけ、犯罪人たちも、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。 34そのとき、イエスは言われた、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。」
(ルカによる福音書23:34)
自分を無実の罪で処刑しようとしている人たちのために、ゆるしの祈りをする。
まさに究極のゆるしの心ですよね。
ですから、私たちも同じようなゆるしの心が与えられるように、神に祈っていきましょう。
相手のために愛を持って祈っていきましょう。
例えば、以下のような感じですね。
ですから、どうかあなたの愛と恵みを通して、私が〇〇さんを赦すことができるように導いてください。
〇〇さんにあなたの豊かな祝福と平安がありますように。
主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン。
最初は抵抗があるかもしれませんが、段々と心がほぐれ、相手のことをゆるせるようになるはずですよ!
✅️祈り方については、【キリスト教】正しい祈り方って?クリスチャンが3ステップで伝授をどうぞ
②神のゆるしを思い出す
2つ目の方法は、神のゆるしを思い出すことです。
なぜなら、神が自分の罪をゆるしてくださったことを考えれば、自然と他の人の罪もゆるせるようになるから。
「互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。」
(コロサイ人への手紙 3:13)
先ほど”仲間を赦さない家来のたとえ”をご紹介しましたが、私たちが神に対して積み上げてきた罪は本来、巨額の借金のように償い切れないほどのものです。
しかし、神は私たちへの愛ゆえにその大きな罪を無条件でゆるし、帳消しにしてくださいました。
その事実を考えれば、他の人の罪などちっぽけなものです。
ですから、神に罪をゆるされた喜びを忘れて、仲間を責め立てる者になってはいけません。
まずは自分の罪がゆるされたという事実を受け止めること、そしてそれに感謝することが大切です。
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まとめ:ゆるしには大きな力がある!
思い出すだけでイライラするような、どうしてもゆるせない相手がいるかもしれません。
しかし、その相手をゆるしたとき、あなたは大きな自由と喜びを手にします。
と思うかもしれませんが、逆です。
ゆるすことこそ、人生における勝利への道なのです。
ゆるせないという気持ちは、自分を鎖でがんじがらめにしてしまいます。
神がイエスキリストを通して私たちの罪をゆるしてくださったように、私たちも他の人のことをゆるし、自由になりましょう!
ゆるしには大きな力があるのですから。
キートンでした。
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