ジーザス、エブリワン!キートンです。
分かりそうで分からない。。
こういった疑問にお答えします。
聖書にはイエスの名言がたくさん書かれていますが、そのうちの1つが
というものです。
カエサルの部分が”皇帝”になっていることもありますが、このセリフ、めちゃくちゃカッコよくないですか??
個人的に、人生で1度はドヤ顔で言ってみたいセリフですね!(言うタイミングがない)
このセリフは、新約聖書の
- マタイによる福音書
- マルコによる福音書
- ルカによる福音書
に書かれているのですが、実際このセリフがどのような意味で発せられたのかご存知でしょうか?
もしかして、ただ雰囲気でかっけー!!とか思ってないですよね??
実はこのセリフの意味を知るためには、当時の時代背景や前後の文脈をきちんと理解する必要があります。
そこでこの記事では、クリスチャンの僕が、
- “カエサルのものはカエサルに”の内容
- 【聖書】”カエサルのものはカエサルに”の意味とは?
などについてわかりやすく解説していきますね!
目次
“カエサルのものはカエサルに”の内容
それでは、意味を説明する前に、内容をざっくりと見ていきましょう!
ファリサイ派とへロデ党の企(たくら)み
「そのときパリサイ人たちがきて、どうかしてイエスを言葉のわなにかけようと、相談をした。 16そして、彼らの弟子を、ヘロデ党の者たちと共に、イエスのもとにつかわして言わせた、「先生、わたしたちはあなたが真実なかたであって、真理に基いて神の道を教え、また、人に分け隔てをしないで、だれをもはばかられないことを知っています。 17それで、あなたはどう思われますか、答えてください。カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか」。
(マタイによる福音書22章15~17節)
当時、ユダヤ人の中にはいくつかのグループがあり、ファリサイ派とへロデ党もそのうちの1つでした。
ファリサイ派は律法を厳格に守ろうとする人たち、ヘロデ党はローマ帝国によって立てられた王様ヘロデを支持する人たちです。
ファリサイ派は宗教的なグループでしたが、ヘロデ党は政治的なグループになりますね。
本来、彼らはローマ帝国の支配への考え方などの違いから対立関係にありましたが、イエスを敵対視しているという点では一致していました。
当時、ユダヤ人たちはローマ帝国の支配下にあり、ユダヤ人の中でもローマ帝国へのスタンスが異なっていました。
実際、ファリサイ派は反ローマでしたが、へロデ党は親ローマであり、真逆の考え方でした。
彼らがイエスを敵対視していた主な理由は、それぞれ以下のとおりです。
- ファリサイ派
➡イエスが自分たちが作った規則を守らず、批判もしてくるから。
- へロデ党
➡イエスが自分は王などど言い出し、ローマ帝国に反逆するのを恐れていたから。
実は、このお話の前にも、ファリサイ派の人たちがイエスを直接捕らえようとしたことがありました。
しかし、既にイエスは民衆の人気を集めていたため、民衆の目を恐れてそれができなかったのです。
そこで彼らはこう考えました。
そうすれば、堂々とイエスを捕まえることができる。
あるいは、ローマ軍に逮捕させてしまうのもいいな。
こうして、ファリサイ派とへロデ党はイエスをとっ捕まえるためにタッグを組み、
ファリサイ派は弟子を遣(つか)わせて、ヘロデ党の人たちと共にイエスのもとに行かせたのです。
そして、イエスに言いました。
そんなあなたにお聞きしたいことがあります。
カエサルに税金を納めて良いでしょうか、それともダメでしょうか?
カエサルというのは、当時のローマ皇帝ティベリウス・ユリウス・カエサルのことです。(有名なほうのカエサルではない)
当時、ユダヤ人を支配していたローマ帝国は、ユダヤ人たちに宗教の自由は認めながらも厳しく税を取り立てていました。
その中には、一人ずつが毎年収める”人頭税”やローマ街道の”通行税”などがあり、
多くのユダヤ人は、異邦人の国であるローマ帝国に納税することを嫌がっていたのです。
また、当時は”ローマ皇帝は神である”という考え方があり、ローマ貨幣にも”神の子ティヴェリウス”という文字が刻まれていました。
👇実際の貨幣
このコインは当時使われていた本物の「デナリオン銀貨」だそうです。
イエス様も手にとってイエス様の手垢がついてるかもしれない、銀貨だそうです!!!(興奮←失笑)
本日は分かち合い投稿の最終日です。
初めての方も大歓迎です、ぜひどうぞ😀https://t.co/QVAa8ZwJPc pic.twitter.com/CFcU64qMud— ★☆ KINOKOlogy ☆★ (@kinoko_logy) October 26, 2017
そのような人物に納税するのは、唯一の神を信じるユダヤ人にとっては宗教的にも問題があったのです。
ところで、これは非常に意地悪な質問でした。
もしイエスが、
と答えたなら、ローマ帝国の支配や納税を嫌がっているユダヤ人たちからの人気はガタ落ちですし、
一方で、イエスが、
と答えたなら、ローマへの反逆者としてローマに訴えられてしまうでしょう。
つまり、どちらの回答を選んでも、イエスにとっては都合の悪い結果をもたらすことになります。
イエスを没落させるために実に巧妙に考えられた質問です。
イエスの名回答
「イエスは彼らの悪意を知って言われた、「偽善者たちよ、なぜわたしをためそうとするのか。 19税に納める貨幣を見せなさい」。彼らはデナリ一つを持ってきた。 20そこでイエスは言われた、「これは、だれの肖像、だれの記号か」。 21彼らは「カイザルのです」と答えた。するとイエスは言われた、「それでは、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。 22彼らはこれを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った。」
(マタイによる福音書22章18~22節)
すると、彼らの悪意を見抜いたイエスは、このように答えられました。
税金として納める貨幣を見せなさい。
そこで彼らは、デナリオン銀貨を一枚イエスのもとに持って来ました。
デナリオン銀貨とはローマの貨幣のことで、1デナリオンは1日の給料に相当します。
現在でいうと、5千円~1万円くらいでしょうか。
イエスは彼らに聞かれました。
彼らは、
と答えました。
ローマのデナリオン銀貨は、表面にその銀貨が造られたときの皇帝の肖像と名前が刻まれることになっていたのです。
すると、イエスは言われました。
そして、神のものは神に返しなさい。
なんとイエスは、ファリサイ派とへロデ党の悪巧みをすり抜ける第三の回答をされたのです。
これは、ファリサイ派とへロデ党の人たちも全く予想していないものでした。
この見事な回答を聞いたファリサイ派とへロデ党の人たちは、すごすごとその場を去っていきました。
【聖書】”カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい”の意味とは?
さて、内容をざっくりと見てきましたが、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」
というイエスの発言はどのような意味なのでしょうか?
まず最初に理解しておくべきことは、自覚があるにせよ無いにせよ、私たちには、
- この世
- 神様
という2つの世界があるということです。
私たちが生きているのはこの世ですが、この世の全てを造られた神様がその背後におられます。
今回登場するユダヤ人で言うなら、ローマ帝国がこの世、自分たちが信仰しているのが神様ということになります。
そして、当時のファリサイ派やへロデ党はそれぞれ、
- ファリサイ派
➡この世は悪や罪で汚れているから、この世的なものからは全て離れたほうがいい。
- へロデ党
➡この世に適応し、国の命じることには全て従うべきだ。
というように非常に偏った考え方を持っていました。
つまり、
もう1つは切り捨てい!!
という極端な考え方ですね。
しかし、イエスはどちらでもない第3の答えを語られました。
つまり、
しかし、同時に、あなたたちは神によって造られた”神のもの”であるということを忘れず、神に従いなさい。
と語られたんですね。
まとめると、どちらかだけでなく、この世での責任・神様への責任をどちらも果たせということです。
イエスの発言を前半と後半に分けて、それぞれさらに詳しく見ていきましょう!
カエサルのものはカエサルに返す
まず、”カエサルのものはカエサルに返す”というのは、どういう意味でしょうか?
お話の中に登場したデナリオン銀貨には、カエサルの肖像と名前が刻まれていました。
ですから、デナリオン銀貨はカエサルのものであり、納税してカエサルに返す必要があります。
つまり、イエスは納税を否定せず、この世での義務と責任を果たしなさいと語られたのです。
この世での義務というのは、例えば、
- 税金を払う
- 法律を守る
などですね。
聖書にもこう書かれています。
「すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。 2したがって、権威に逆らう者は、神の定めにそむく者である。そむく者は、自分の身にさばきを招くことになる。(中略)7あなたがたは、彼らすべてに対して、義務を果しなさい。すなわち、貢を納むべき者には貢を納め、税を納むべき者には税を納め、恐るべき者は恐れ、敬うべき者は敬いなさい。 」
(ローマ人への手紙13章1~7節)
国や皇帝といった権威も神様の支配の中にあり、神様によって立てられているものです。
ですから、それらに従うことは神様の意に反するものではありません。
というわけではないのです!
例えば、クリスチャンである僕が、
法律も破りまくる!!
と言って暴れ回ったらどうでしょうか。(やばい奴)
周りの人から白い目で見られるのはもちろん、僕が信じている神様のイメージもダウンするでしょう。
それは、神様が望んでおられることではありません。
むしろ神を信じる者は、この世での責任をきちんと果たし、正しい行いをすることで神の素晴らしさを現す必要があるのです。
「あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。 15また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。 16そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」
(マタイによる福音書5章14~16節)
神のものは神に返す
“カエサルのものはカエサルに”というフレーズの方が印象には残りやすいですが、
実はイエスが本当に強調したかったのは、その後の”神のものは神に返しなさい”の部分です。
では、”神のもの”とは何でしょうか?
これは私たち人間のことを指しています。
カエサルの肖像に似せて造られ、カエサルの肖像と名が刻まれているのがデナリオン銀貨ならば、
神に似せて造られ、神の肖像と名が刻まれているのが人間なのです。
「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」
(創世記1章27節)
「のろわるべきものは、もはや何ひとつない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、 4御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。」
(ヨハネの黙示録22章3、4節)
ですから、この世での責任を果たしつつも、自分は神のものであるという意識を失ってはいけません。
この世に染まって神様から離れているならば、また神様のもとへ帰ってくる必要があります。
「わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。」
(ローマ人への手紙14章8節)
そして、いつも神様と共に歩み、自分自身を神様にささげていく必要があるんですね。
自分自身を神様にささげるとは、例えば、
などですね。
これこそが、”神のものを神に返す”ということではないでしょうか。
聖書には、こう書かれています。
「兄弟たちよ。そういうわけで、
(ローマ人への手紙12章1節)
私たち人間が神のものであるならば、その自分を神様におささげするのは当然なことなのです!
詳しくは、【用語】礼拝の意味とは?神様を礼拝する3つの理由についてもご紹介もご参照ください
まとめ:この世で立派に生きながら神に従おう!
この世の中で、法律を守り税も納め、立派に生きることは大切なことです。
しかし、この世に染まりきって自分を見失ってしまってはいけません。
なぜなら、いくらこの世の中で生きようと、私たち人間は全員神様から造られた”神のもの”だからです。
この世で立派に生きつつ、神に従って生きていきましょう!
もし今回のお話を知らないお友達がいたら、こう言ってあげてくださいね。
お前のものは神のもの、神のものも神のものだ。(漂うジャイアン感)
キートンでした。