昔々あるところに、幼少期から英才教育をほどこされ、聖書のみことばを自由自在に操るバイブルマシーンと化したおじいさんと、
世界各国、津々浦々(つつうらうら)の聖書を棚に並べてはうっとりするのが趣味の、狂気じみたおばあさんが住んでいました。
おばあさんが川で洗濯をしていると、桃が、
あなたの御言葉は私の道の光(詩篇119編105節)、あなたの御言葉は私の道の光(詩篇119編105節)と流れてきました。
おばあさんが、
「言葉では言い尽くせない贈り物について神に感謝します。」(第2コリント9章15節)
と言って喜んでそれを持ち帰ると、家で桃を切ってみました。
すると中から、
「山々が生まれる前から 大地が、人の世が、生み出される前から 世々とこしえに、あなたは神。」(詩編 90:2)
と言いながら元気な桃太郎が飛び出してきました。
その後、毎日のようにおじいさんとおばあさんから、
「わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」(ヨシュア記 1:9 )
と言われ続けて育った桃太郎は、大変勇敢でちょっぴりプライドの高い子供に成長していきました。
ある日、桃太郎たちの耳に、鬼たちが鬼ヶ島で暴虐の限りを尽くしているという情報が入ってきました。
これを聞くと、桃太郎は立ち上がって言いました。
「あの男のことで、だれも気を落としてはなりません。僕が行って、あのペリシテ人と戦いましょう。」(サムエル記上 17:32 )
聖書の影響を強く受けていた桃太郎は、自分が巨人ゴリアテに戦いを挑むイスラエルの英雄ダビデになったと思い込んでいたのでした。
急にわけの分からないことを言い出した桃太郎に、おじいさんは、神妙な面持ちで答えました。
「行くがよい。主がお前と共におられるように。」(サムエル記上 17:37)
おじいさんも大概でした。
この親にして桃太郎ありです。
ダビデを送り出すサウル王さながらにそう言うおじいさんに背を向けると、桃太郎は、
「わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」(ヨハネによる福音書 16:28 )
と意味深な遺言のような言葉を残して、聖書を片手に旅立っていきました。
桃太郎が歩いていると、やけに挙動不審な犬と出くわしました。
何やら様子が尋常ではありません。
犬はガタガタと震えながら言いました。
「終わりが来る。終わりが来る。終わりの時がお前のために熟す。今や見よ、その時が来る。」(エゼキエル書 7:6 )
恐怖でした。
犬の言う終わりが何を意味しているのか、桃太郎にはさっぱり分かりません。
不吉なことをつぶやき続ける犬に、恐怖を覚えた桃太郎は、
聖餐(せいさん)式で使う、アルコール度数15%のぶどう酒をたっぷり染み込ませたきびだんごをばら撒き、
犬が注意を引きつけられているすきに、足早にその場を去りました。
すると、今度は前から、眉間にしわを寄せ難しい顔をした猿がやってきます。
桃太郎に気づくと、猿は厳かな顔つきで言いました。
「お前は馬に力を与えその首をたてがみで装うことができるか。」(ヨブ記 39:19 )
意味不明でした。
これが何かしらの謎かけなのだとしたら、難易度が桁違いです。
解けるとしたら、聖書界きってのインテリ、ソロモン王くらいのものでしょう。
桃太郎には、馬やたてがみが何を意味しているのかさっぱり分からなかったので、
とりあえず時速150キロの速さで、きびだんごを猿の脳天に叩きつけ一撃で昏倒(こんとう)させると、そそくさと逃げ出しました。
石投げの達人、ダビデもびっくりのコントロールです。
すると、今度は前から黒いローブをすっぽりと被った怪しげなキジがやってきます。
キジは、桃太郎に石を投げつけながら言いました。
「出て行け、出て行け。流血の罪を犯した男、ならず者。」(サムエル記下 16:7 )
どうやらこの町には奇人・変人しかいないようです。
桃太郎はため息をつくと、残ったきびだんごをキジの口に詰め込みやり過ごすと、1人で鬼ヶ島に向かおうとしました。
すると、港が何やら騒がしいです。
桃太郎が見てみると、鬼たちが陸に上がってくるのが見えます。
ついに鬼たちは、この町を征服しにやってきたのです。
桃太郎は、自分がさっさと鬼ヶ島に行かなかったことを悔やみました。
今考えると、あの犬、猿、キジは、鬼の手下であり、桃太郎の足止めにやって来ていたのかもしれません。
鬼たちは桃太郎を見つけると言いました。
「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイによる福音書 5:44 )
桃太郎は、最初、鬼たちが言っていることの意味がよく分かりませんでした。
しばらく桃太郎が黙っていると、鬼たちはもう一度言いました。
「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイによる福音書 5:44 )
その時、桃太郎は気付きました。
あ、命ごいだ!と。
そう、これは、聖書のみことばしか口にできない口下手な鬼たちなりの命ごいだったのです。
よく見ると、鬼たちはトレードマークの金棒を持っていません。
鬼は町を支配するためではなく、桃太郎の強さを聞きつけて、退治しないでくれとお願いするためにやって来たのでした。
しかし、口下手なのは桃太郎も同じでした。
桃太郎は答えました。
「怠け者の悪い僕(しもべ)だ。わたしが蒔(ま)かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。」(マタイによる福音書 25:26 )
鬼たちは困惑しました。
確かに今までたくさんの悪いことをしてきましたが、怠け者呼ばれされるいわれはありません。
そもそも、桃太郎の僕になった記憶だってありません。
鬼も鬼なりに精一杯自分たちの人生、もとい“鬼生”を生きていたのです。
鬼たちは桃太郎への恐怖も相まって、ついに泣き出してしまいました。
鬼たちは大声で叫びました。
「わたしは嘆き疲れました。夜ごと涙は床に溢れ、寝床は漂うほどです。」(詩編 6:7)
桃太郎は驚きました。
鬼たちは自分に退治されることをこれほどまでに恐れ、毎晩枕を濡らしながら過ごしていたのかと。
命ごいをされても、相手が鬼だけに心を鬼にしていた桃太郎でしたが、改めて考えてみました。
鬼退治鬼退治と熱くなってはいたが、本当の鬼などこの世界にいないのではないか。
鬼という名のバケモノはむしろ、全ての人の心の奥底に等しく住み着いているのではないか。
そう考えると、このセンシティブな鬼たちを退治しようとしていた自分こそが真の鬼だったのかもしれない。
そうだ!今こそ、自分の心の中の鬼を退治しよう!
そんな新たな決意に胸を震わせた桃太郎は、励ましの言葉をかけようと鬼たちの肩に手を置きました。
そして、桃太郎は鬼たちに笑顔でこう言い放ちました。
「神は無垢な者も逆らう者も同じように滅ぼし尽くされる」(ヨブ記 9:22 )
桃太郎は、言葉のチョイスを盛大に間違えてしまったのです。
こうして桃太郎と神様への恐怖に支配された鬼たちは、桃太郎の下僕としていつまでもひっそりと暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。
「ちょうど、ぶどう酒だけ、あるいは水だけを飲むのは有害であるが、ぶどう酒と水を適度に混ぜると、人を心地よく楽しくする。
それと同様、物語もよく編集されていると、それを聞く人の耳を楽しませる。これをもって本書の終わりとする。」
(マカバイ記二書簡 15:39)
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作者からの一言
まともな登場人物誰もいねえ。
ではまた!
【桃太郎】もし、鬼以外の登場人物が全員クリスチャンだったら昔々ある所に、"現代のマリア様"と呼ばれ、信仰心が強く天使のような包容力を持ったおばあさんと、
"キリストの再来"と言われ、各地で...
【桃太郎】もし、鬼以外の登場人物が全員神の奇跡を起こせたら昔々あるところに、海の上を歩くことのできるおじいさんと、老衰による死から3日後に蘇ったおばあさんが住んでいました。
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