ジーザス、エブリワン!クリスチャンブロガーのキートンです。
おかしくない??
こういった疑問にお答えします。
あなたは神の存在を信じていますか?
僕は信じています。
しかし、神の存在を信じる中で、必ずと言っていいほど出てくる疑問があります。
それは、神がいるなら、なぜこの世には悪や苦しみがあるのかというものです。
確かに、この世には理不尽な悪や苦しみが存在します。
例えば、
- 歴史上に起こった凄惨な事件や戦争
- 飢えに苦しむ子どもたち
- 病気や障害に悩まされる人々
- 残虐なことをする悪い人間たち
などなど。
しかも、純粋で良い人々にも、苦難はやって来ます。
こうした現状を見ると、
なぜ救いの手を差し伸べてやらないんだ!!
という怒りや疑問が湧いてくるのは、自然なことでしょう。
このように、神がいながら悪や苦しみが存在するというのは、一見すると矛盾のように思えます。
しかし、聖書を読むと、その理由についてのヒントが書かれています。
そこでこの記事では、クリスチャンの僕が
- 神がいるならなぜ悪や苦しみがある?主な4つの理由
- 悪や苦しみを乗り越える3つの方法
について解説します。
目次
神がいるならなぜ悪や苦しみがある?主な4つの理由
では、神がいるのになぜ悪や苦しみがあるのか、主な4つの理由をご紹介します。
- 人間が罪を犯したため
- 自由意志を尊重するため
- 訓練するため
- 神に立ち返らせるため
①人間が罪を犯したため
神がいるのに悪や苦しみがある理由の一つ目は、人間が罪を犯したためです。
神は元々、この世界を悪も苦しみもない素晴らしい世界として造られました。
つまり、悪や苦しみは最初から存在したわけではなかったということですね。
実際、天地創造の後、神はこの世界を見て「非常に良い」と語られました。
「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。」
(創世記 1:31)
特に人間は神が造られたものの中でもとびきり素晴らしい存在で、神との交わりと祝福の中で生きていました。
しかし、最初の人間アダムとイブは禁じられていたにも関わらず、神の命令に背いて「善悪の知識の木」の実を取って食べてしまいます。
こうして、人間は神に背く罪の性質を持つようになり、愛や命の源である神から離れてしまいました。
その結果、悪や死、苦しみがこの世界に入ってきてしまったのです。
「このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。」
(ローマ人への手紙 5:12)
②自由意志を尊重するため
神がいるのに悪や苦しみがある理由の二つ目は、自由意志を尊重するためです。
神は人間を造られた際に、“自由意志”を与えられました。
自由意志というのは、善か悪か、神を愛するか背くかを自分で選択できる能力のことです。
神は私たちのこの自由意志を尊重しておられるんですね。
そう聞くと、
と思うかもしれません。
しかし、そうすると人間は善を選ぶようにプログラムされたロボットのような存在になってしまい、
もはや自由意志とは呼べないでしょう。
善も悪も選べる可能性があるからこそ、そこに自由意志があるのです。
完全な自由意志がありながらも、悪の可能性がない世界というのは明らかに矛盾しているんですね。
それに、もし善しか選べない状態で人間が神を愛したとしても、それは本当の愛ではありません。
なぜなら、強制的にではなく、いくつかの選択肢がある中で自分の意志で神を愛するとき、初めてそこに真の愛があるからです。
だからこそ、神は人間に選択の自由を与えられ、善だけでなく悪という選択肢も存在するようにされました。
神は私たちが自発的に善を選び、神を愛することを望んでおられるのです。
「わたしは、きょう、天と地を呼んであなたがたに対する証人とする。わたしは命と死および祝福とのろいをあなたの前に置いた。あなたは命を選ばなければならない。そうすればあなたとあなたの子孫は生きながらえることができるであろう。」
(申命記 30:19)
③訓練するため
神がいるのに悪や苦しみがある理由の三つ目は、訓練するためです。
神は私たちの信仰や人格を成長させるために、あえて苦しみを許されることがあります。
「主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである。」
(ヘブル人への手紙 12:6)
例えば、親が子を甘やかしてばかりだと、子どもは成長できません。
同じように、神は私たちを愛しているからこそ、苦しみを通らせることがあるのです。
苦しみを通して私たちは、忍耐や神への信頼などを学びます。
訓練は辛いですが、それを通して得られるものは大きいのです。
「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 4忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。」
(ローマ人への手紙5:3,4)
④神に立ち返らせるため
神がいるのに悪や苦しみがある理由の四つ目は、神に立ち返らせるためです。
私たちにとっての最大の不幸は、神から離れて生きることです。
なぜなら、私たちは神によって造られ、本来は神とともに生きることに真の喜びを感じる存在だから。
しかし、人は何も問題がないとき、自分の力で生きているように感じて神を忘れがちです。
一方で、苦しみや困難に直面すると、自分ではどうにもできないことに気づき、初めて神に助けを求めるようになります。
だからこそ、神は私たちを神に立ち返らせるために、あえて苦しみを許されることがあるんですね。
「あなたがたの神、主に帰れ。主は恵みあり、あわれみあり、怒ることがおそく、いつくしみが豊かで、災を思いかえされるからである。」
(ヨエル書 2:13)
僕自身も順調に働いていたときに、新型コロナウィルスの流行で突然仕事をほとんど失ってしまったことがあります。
当時は絶望しましたが、この出来事を通して神に助けを強く求めるようになりました。
自分自身の力ではどうすることもできない状況でしたからね。
結果的に神は僕の祈りに応え、新しい進路を示してくださいました。
神に背を向けたままでは、どんなに成功しても心は満たされません。
しかし、神に立ち返ると、たとえ状況が変わらなくても、心に平安が生まれます。
悪や苦しみを乗り越える3つの方法
この世界に悪や苦しみがある理由が頭では分かっても、実際に経験するとなるとやはり辛いですよね。
そこでここからは、悪や苦しみを乗り越える3つの方法について解説します。
- 祈り求める
- 苦しみの中に“意味”を見つける
- 神の言葉(聖書)を受け取る
①祈り求める
悪や苦しみを乗り越える方法の一つ目は、祈り求めることです。
なぜなら、神は私たちの痛みを理解し、真剣に聞いてくださるお方だからですね。
どんな苦しみの中でも神を信頼して祈るなら、心に人の力を超えた大きな平安が与えられます。
「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。 7そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」
(ピリピ人への手紙4:6,7)
また、神は苦しみの中で心砕かれて祈る人の近くにおられると聖書は教えています。
「正しい者が助けを叫び求めるとき、主は聞いて、彼らをそのすべての悩みから助け出される。 18主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。」
(詩篇34:17,18)
イエスキリストも十字架にかかられる前日、ゲッセマネの園で神にご自身の苦しみを正直に祈られました。
祈りは単に願いを伝える行為ではなく、神との交わりの時間です。
祈ることで神への信頼が深まり、心に平安が生まれます。
✅️正しい祈り方については、【キリスト教】お祈りの仕方5ステップ!すぐに使える例文もご紹介をどうぞ
②苦しみの中に“意味”を見つける
悪や苦しみを乗り越える方法の二つ目は、苦しみの中に“意味”を見つけることです。
なぜなら、その悪や苦しみの中に神のご計画が隠されているかもしれないから。
「あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。」
(創世記 50:20)
例えば、神はその苦しみを通して、私たちを成長させようと思っているのかもしれない。
神に目を向けさせようとしているのかもしれない。
あるいは、もっと大きな祝福やプラスを生み出そうとしているのかもしれません。
これはイエスキリストの十字架にも当てはまります。
人々が悪意をもってイエスを十字架につけた出来事も、神はそれを通して人類の救いという最大の善を成し遂げられました。
ですから、苦しみにあったときにただ絶望するのではなく、
と考えてみることは大切ですね。
実際、僕も後になって「あの苦難にはこんな意味があったのか!」と気付かされることが多いです。
もちろん、神のご計画を私たちがすべて理解することはできません。
③神の言葉(聖書)を受け取る
悪や苦しみを乗り越える方法の三つ目は、神の言葉(聖書)を受け取ることです。
なぜなら、悪や苦しみの中で暗闇に包まれたように感じるときも、神の言葉は”光”として心を照らしてくれるから。
「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。」
(詩篇 119:105)
聖書は単なる本ではありません。
そこには生ける神の言葉が記されており、読むときに神ご自身が私たちに語ってくださるのです。
実際、聖書の中には、数えきれないほどの希望と約束が書かれています。
例えば、神を愛する人にはどんな苦しみも無駄にはならず、すべてが益になること。
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」
(ローマ人への手紙 8:28)
また、神を信じて待つ者には、新しい力が与えられること。
「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」
(イザヤ書 40:31)
そして、何よりも希望に満ちた約束は、イエスキリストが私たちのために十字架にかかられ、死を打ち破られたということです。
キリストを信じる者は、この世の終わりに悪も苦しみもない素晴らしい世界(新天新地)に迎え入れられます。
新天新地とは簡単に言うと、神と人が永遠に共に住む最終的な天国のような場所ですね。
「わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。 2また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。 3また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、 4人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」
(ヨハネの黙示録21:1-4)
今の世界では、悪が一時的に勝っているように見えることがあります。
しかし、神の支配は決して失われておらず、最終的にはすべての悪が裁かれ、正義と平和が永遠に打ち立てられるのです。
この世の苦しみは後に経験する喜びと比べればはるかに軽く、一時的なものに過ぎません。
「わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。」
(ローマ人への手紙 8:18)
神は真実な方であり、約束したことを必ず果たされるお方です。
まとめ:悪や苦しみの中でも神は存在する!
確かにこの世界には、悪や苦しみがあります。
それは否定できない事実です。
しかし、そんな悪や苦しみの中でも、神は確かに存在しておられます。
「神がいるのになぜ悪や苦しみがあるのか」というのはよくある疑問ですが、一度逆に考えてみてください。
「なぜ神がいないのに善や愛があるのか?」と。
それに、神がいないのなら、その善という基準はどこから来たのでしょうか?
悪や苦しみは、神がいないからではなく、人間が神から離れた結果として生まれたものです。
しかし、神は人を見捨てず、苦しみの中でも救いの道を備えておられます。
今は悪が栄えていて、それが放置されているように見えるかもしれません。
けれども、やがて神がこの世の悪や苦しみに正義の裁きを下し、新しい世界を造られるときが来ます。
そのとき、神はすべての涙をぬぐい、死も悲しみも叫びもない完全な世界を実現されるのです。
神は人間を愛しているからこそ、今は人間が神に立ち返るのを忍耐強く待っておられます。
「ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。」
(ペテロの第二の手紙 3:9)
ですから、イエスキリストを信じて、悪や苦しみを乗り越えていきましょう。
キリストを信じるなら、やがて悪も苦しみもない世界に入り、永遠に神とともに生きることができるのですから!
キートンでした。
👇️参考文献


