ジーザス、エブリワン!キートンです。
その生涯や人柄などについて知りたいなあ。。
こういった疑問にお答えします。
今回は、イエスの12弟子の1人、“熱心党のシモン”をご紹介したいと思います。
彼は弟子の中でも、非常に謎の多い人物。
名前だけ聞くと、何だかめっちゃ情熱的な松岡修造さんみたいな人物をイメージするのですが、実際はどうなんでしょう。
そこで今回は、クリスチャンの僕が、
- 熱心党のシモンとは
- 熱心党のシモンの生涯
- 熱心党のシモンの人物像
などをまとめてみました!
僕頑張ったよ。
では、いざ行かん!
目次
熱心党のシモンとは?
熱心党のシモンは、イエスキリスト12弟子の1人です。
聖書に登場する他のシモンと区別するために、このような名前がついています。
熱心党というのは、ローマからの解放を目指す過激な宗教的政治集団のこと。
当時、ユダヤ人はローマの支配下にありましたからね。
しかし、その活動中にイエスと出会い、彼に従うことに決めました。
他の12弟子については、【完全版】イエスの12使徒(弟子)って誰がいるの?超個性派集団!?をどうぞ
熱心党のシモンの生涯
さあ、熱心党のシモンの生涯を元気よく紹介していきます!
まあ、聖書には彼の名前くらいしか書かれておらず、あまりにも謎が多いですが。。
熱心党のシモン、イエスの弟子になる
熱心党のシモンがどのような経緯で、イエスの弟子になったのかは聖書に記述がありません。
初登場するのは、既に弟子になった後の以下の記述からです。
「十二使徒の名は、次のとおりである。まずペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、それからゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、熱心党のシモンとイスカリオテのユダ。」
(マタイによる福音書10章2~4節)
ただし、熱心党のシモンは、ローマからの独立を先導してくれる指導者の存在を求めていました。
ですから、そんなときに現れたイエスを見て、熱心党のシモンが
と考えたとしても無理はありません。
そんな期待を込めて最初はイエスに付いていったようです。
なので、この時点では、熱心党のシモンはイエスを政治的に利用しようと考えていたみたいですね。
イエスの昇天後
しかし、イエスが十字架の死から復活された後、熱心党のシモンは考えを改めます。
と。
そして、抵抗組織のメンバーから穏やかな使徒へと変えられていき、キリストの教えを人々に伝えるようになりました。
ただし、聖書の記述がないため、彼のその後の行動についてはいくつかの説があります。
最も有力なのは、エジプトで伝道を行い、同じく弟子のタダイと共に
- ペルシア
- アルメニア
辺りで活動し※殉教(じゅんきょう)したというもの。
ちなみに、最期はノコギリで切断されるという残酷な方法で処刑されたんだとか。。
※殉教➡神様への信仰によって死ぬこと。
シモンが所属していた”熱心党”ってどんなグループ!?
シモンが所属していたとされる”熱心党”は、1世紀に活動したユダヤ教の一派で反ローマを掲げる過激派集団のことです。
当時、ユダヤ人たちはローマ帝国によって支配されていました。
そこで熱心党は、ユダヤ人たちでローマに対する反乱を起こし、ローマをイスラエルから追い出すことを目標としていたのです。
しかも、ローマに協力したとみなされたローマ人も、暗殺の対象になったんだとか。
同じく弟子のマタイと熱心党のシモンの仲が悪かったのも、このためです。
マタイは元々、ローマのために人々から税を集める徴税人であり、親ローマ的だったんですね。
ただし、イエスの昇天後は和解したようです。
熱心党については、【まとめ】聖書時代のユダヤ教の主な宗派4つをざっとまとめてみたをどうぞ
熱心党のシモンは、情熱的な性格だった!?
上記のような過激派組織に所属していたから、熱心党のシモンという呼び名がついたと言われている一方で、
実は彼が熱心党のシモンと呼ばれる理由にもう1つの説があります。
それは、彼がとても情熱的な性格をしていたという説です。
熱心党というのが、文字通り彼の熱心な人柄を表しているのではないかということですね。
実際、熱心党のシモンはユダヤの律法を熱心に守るなど、信心深い面があったようです。
まとめ:熱心党のシモンは熱い12弟子!
熱心党のシモンは、その名の通り色んな意味で熱い男だということが分かりましたね!
まあ、熱心党はちょっと過激すぎますが。。
そんな男さえも弟子にしてしまうイエスの懐の広さたるや凄いですよね。
普通は怖くてこんな男をそばに置けないですわ!
キートンでした。
☟参考文献