ジーザス、エブリワン!キートンです。
復讐を決意したり、自分に復讐の権利があることを主張したりする言葉だよね??
こういった疑問にお答えします。
私たちが普段使う言葉の中には、聖書がルーツとなっている言葉はたくさんありますが、その中の1つが、
“復讐(ふくしゅう)するは我にあり”というフレーズです。
これはアニメや小説などでも使われる言葉なので、皆さんも聞いたことがあるのではないでしょうか。
実際、作家である佐木隆三さんの『復讐するは我にあり』という作品がきっかけで、このフレーズが有名になったと言われています。
しかし、皆さんはこの言葉を、
絶対に復讐してやる。。してやるのだー!!
血祭りじゃい!!!!グハハハハハハハ!!!
というような何とも血の気が多く、暴力的な意味で理解していませんか??
はい、これは大きな誤解です。
このフレーズは、人間の復讐を促したり肯定したりする言葉ではないのです。
実際に聖書を読んでみると、全く違う意味で書かれているのが分かります。
そこでこの記事では、クリスチャンの僕が、
- 【聖書】”復讐するは我にあり”の本当の意味とは?復讐はダメ絶対!
- そもそも聖書は復讐に否定的
- 自分で復讐をすると生じる2つのデメリット
- 復讐心をなくすには?【愛を持って祈りましょう】
という内容をお届けしていきます!
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目次
【聖書】”復讐するは我にあり”の意味とは?復讐するのは神の役目?
最初に結論から言うと、
“復讐するは我にあり”とは、復讐をするのは神の役割だから人間は復讐しちゃダメよという意味です。
誤解されている意味とは正反対ですね!
では、元になった聖書箇所を見てみましょう。
「あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。19愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。
なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。20むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。 21悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。」
(ローマ人への手紙12章18~20節)
この箇所を見ると分かる通り、実は”復讐するは我にあり”とは神様が語られた言葉だったのです!
これを人間が語っていると勘違いしてしまうと、本当の意味を誤解してしまうんですね。
この世には、人間に与えられている役割と神様の役割があります。
そして、復讐というのは、人間の役割ではなく神様の役割なのです。
ですから、復讐はすべて神様におゆだねしましょう!
間違っても、皆さん自身が復讐をして、その手を汚してはいけません。
それどころか、”善をもって悪に勝ちなさい。”と書かれています。
このフレーズは、暴力的どころか非常に平和的な意味で使われているんですね。
神様は真実で正しいお方ですから、私たちにひどいことをする人間にはきちんと報復してくださいますよ!
「3しかし、主は真実なかたであるから、あなたがたを強め、悪しき者から守って下さるであろう。」
(テサロニケ人への手紙3章3節)
そもそも聖書は復讐に否定的
そもそもの話、聖書は復讐に否定的です。
イエスキリストは、山上の垂訓(説教)の中でこう語られています。
「38『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。39しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。」
(マタイによる福音書5章38、39節)
これは、聖書を読んだことがない方にも知られている超有名な箇所ですね!
『目には目を、歯には歯を』というのは、復讐を促すものだと誤解されがちですが、実際は”報復公平の法”と呼ばれるもの。
相手から目をやられたら目をやり返すだけにしときなさいという、過度な復讐防止の法なのです。
しかし、イエスが語られたのは、もっと次元の高いお話でした。
つまり、そもそも復讐自体をしてはいけないと語られたのです。
『もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら』とありますが、
相手の右の頬を打つためには、手のひらではなく右の手の甲で打つことになりますよね?
そして、これは当時のユダヤ社会では最大の侮辱行為とされていました。
しかし、そんな侮辱に対しても、決してやり返してはならないとイエスは語られたのです。
こうしてみると、聖書はそもそも人間の復讐を肯定していないことが分かります。
イエスについては、【完全版】イエス・キリストとはどんな人物?その生涯をまとめてみた【5分で分かる】をどうぞ
自分で復讐をすると生じる2つのデメリット
では、もし仮に人間が自分の手で復讐をしてしまったらどうなるのでしょうか?
その恐ろしい弊害を見てみましょう。
- デメリット①心に傷が残る
- デメリット②争いが繰り返される
デメリット①心に傷が残る
相手に復讐をすると、そのときはスッキリするかもしれません。
今までため込んでいた怒りや憎しみの感情が、発散できるかもしれません。
しかし、復讐をして後に残るのは虚しさだけです。
そして、相手だけでなく、自分の心にも深い傷を残すことになります。
ほら、よく漫画やドラマなどでも、復讐に燃える登場人物に
なんて説得するセリフが出てきたりしませんか??
まさに、その通りなんです!
復讐をしたところで、誰も得をしません。
復讐は決して私たちを幸せにはしないのです!
デメリット②争いが繰り返される
復讐というのは、一回し終えたらそれで一件落着というものではありません。
なぜなら、復讐はまた次の争いを生むものだからです。
聖書にもこうあります。
「21おき火に炭をつぎ、火にたきぎをくべるように、争いを好む人は争いの火をおこす。」
(箴言26章21節)
例えば、いきなり見知らぬ人が、あなたをぶん殴って逃げて行ったらどうしますか?
苦笑いしながら、
と大人の対応ができる人は素晴らしいですが、ほとんどの人はそうではないでしょう。
恐らく、追いかけて、同じように殴ってやりたいと考えるのではないでしょうか。
そして、もし本当にやり返してしまおうものなら、さあ大変!
相手もやり返してきて、ついには泥沼の殴り合いに発展することでしょう。
このように、人間には本能的に、相手にやられたら仕返しをしたいという欲求があります。
だからこそ、復讐はまた別の復讐を生んでしまうんですね。
復讐心をなくすには?【愛を持って祈りましょう】
どうしたらいいの?
相手への復讐心を抑える方法は、1つだけです。
それは、相手を赦(ゆる)すこと。
きれいごとに聞こえるかもしれませんが、赦すことでのみ、私たちは相手への怒りや憎しみから解放されるのです。
これ以外に、根本的な解決方法はありません!
「13互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。」
(コロサイ人への手紙3章13節)
相手への復讐心を持ち続けるのは、自分を憎しみの監獄に閉じ込めるようなもの。
相手を赦して、早くその監獄から出なくてはいけません!
とは言え、簡単に相手を赦せるなら苦労はしないですよね。
怒りや憎しみというのは、中々自分の力だけでは制御できませんから。
ですから、まずはその相手のために神様にお祈りしてみましょう。
イエスは、山上の垂訓(説教)でこのように語られています。
「44しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」
(マタイによる福音書5章44節)
イエスが語られたのは、単に復讐をしてはいけないというだけではなく、もう一段階上の生き方です。
つまり、憎たらしい相手をも愛する、これこそがキリストが教える生き方なのです。
もちろん、最初から愛するのは難しいでしょう。
だから、まずは神様にお祈りするのです。
例えば、こんな感じ。
しかし、どうかその人を愛せますように。赦すことができますように。
主イエスキリストのみ名によってお祈りします。アーメン。
最初は、歯ぎしりをしながらの祈りかもしれません。
怒りをぶちまけながらの祈りかもしれません。
しかし、祈っていく内に、少しずつ自分の復讐心が和らいでいくのが分かるはずです。
これこそが祈りの力なんですね。
ですから、ぜひ騙されたと思って祈り続けてみてください!
祈り方については、【キリスト教】正しい祈り方って?クリスチャンが3ステップで伝授をどうぞ
赦しの大切さについては、【キリスト教用語】”赦(ゆる)し”の意味とは?なぜ人を赦す必要があるの?をどうぞ
まとめ:復讐は人間の役割ではなく神の役割!
少し前に、某ドラマの“やられたらやり返す。倍返しだ!!”なんてセリフが流行りましたね。
このセリフが人気になること自体が、人間の復讐への強い欲求を表しているように感じます。
確かに、スカッとしますからね。
しかし、復讐は私たち人間の仕事ではありません!
“復讐するは我(神)にあり”なのですから。
え、そんなお前は誰かに復讐したいと思ったことはないのかって?
いやいや、そりゃあありますよ。
友人に映画のネタバレを先にされたときとか。(スケールの小ささ)
キートンでした。