ジーザス、エブリワン!キートンです。
プライドを捨てる方法についても知りたいなあ。。
こういった疑問にお答えします。
皆さんは、プライドという言葉をしばしば耳にすることがあるかもしれません。
特に、”プライドが高い”というフレーズで使われることが多いですよね。
例えば、
みたいな感じですね。
まあ基本的にいい意味で使われることはないでしょう。
では、“プライドが高い”と人はどうなってしまうのでしょうか?
実は、高いプライドは私たちの人生を壊しかねない危険なものなのです。
そこで、今回はクリスチャンの僕が、聖書の教えをもとに、
- プライドが高いの意味とは?
- プライドが高い人の特徴
- プライドが高いことのデメリット
- プライドを捨てる3つの方法とは?
といった内容をお届けしたいと思います!
目次
“プライドが高い”の意味とは?
まずプライドには、
- 自尊心(じそんしん)
- 誇り
といった意味があります。
こうして、意味合いだけを見るとむしろ良い言葉のようにも思えますよね。
しかし、プライドは行き過ぎると自信過剰で高慢な人間性へと繋がります。
自分をあまりにも尊び、誇りにしまっているわけですから。
だからこそ、”プライドが高い”という言葉が使われるときは、批判的なニュアンスを含んでいるんですね。
実際、あまりにもプライドが高いと、周りの人もその人の誇りを傷つけないようにと気をつかうようになります。
その結果、人間関係が上手くいかなくなることも少なくありません。
プライドが高い人の特徴
続いては、プライドが高い人がどのような特徴を持っているのか見ていきましょう!
- 周りの人を見下す
- 人の意見を聞かない
- 自分の非を認めない
周りの人を見下す
プライドが高い人は、周りの人を見下しがちです。
なぜなら、自分のことを優れた人間だと思っているから。
例えば、聖書の時代にいたユダヤ教のファリサイ派というグループの人たちは、律法をきっちり守る人たちでしたが、
そのせいかプライドが高く、身分の低い人たちや律法を守れない人たちを見下していました。
「11パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。」
(コリント人への第一の手紙4章11節)
皆さんの周りにも、いちいちマウントを取ってくる人はいませんか?
本人は無意識に行っていたとしても、見下されているほうは結構気付いているものですよね。。
人の意見を聞かない
プライドが高い人は、基本的に自分が正しいと思っています。
そのため、人の意見やアドバイスを素直に聴こうとしません。
例えば、誰かが
と言っても、
という感じにはねのけてしまうのです。
例えば、旧約聖書の時代に出てくるイスラエル最初の王様は、サウルという人物でした。
サウルは最初こそ謙虚で立派な人物でしたが、次第に傲慢になり、
ついには神様の言うことを無視するようになってしまいます。
「サムエルはサウルに言った、「あなたは愚かなことをした。あなたは、あなたの神、主の命じられた命令を守らなかった。もし守ったならば、主は今あなたの王国を長くイスラエルの上に確保されたであろう。 14しかし今は、あなたの王国は続かないであろう。主は自分の心にかなう人を求めて、その人に民の君となることを命じられた。あなたが主の命じられた事を守らなかったからである」。」
(サムエル記上13章13、14節)
その結果、神様から見放されてしまい、悲劇的な最期を遂げたのでした。
(詳しくは、“サウル王”ってどんな人?イスラエルの初代王様!?【3分で分かる】を参照)
自分の非を認めない
プライドが高い人は、自分の失敗や非を認めることができません。
なぜなら、それは自分のプライドを傷つけることだからです。
その結果、言い訳をしたり人のせいにしてしまったりするんですね。
先ほどご紹介したサウルも、神様の命令を無視した直後には自分の非を認めず、民のせいにしています。
「サウルはサムエルに言った、「わたしは主の声に聞き従い、主がつかわされた使命を帯びて行き、アマレクの王アガグを連れてきて、アマレクびとを滅ぼし尽しました。 21しかし民は滅ぼし尽すべきもののうち最も良いものを、ギルガルで、あなたの神、主にささげるため、ぶんどり物のうちから羊と牛を取りました」。」
(サムエル記上15章20、21節)
この態度では、周りの人もうんざりしてしまう可能性が高いでしょう。
プライドが高いことのデメリット
では、プライドを持ってしまうと、どのようなデメリットがあるのでしょうか。
- 破滅の道へと進む
- 恵みを受け取れなくなる
- 人に頼れない
こちらもそれぞれ見ていきまっす!
破滅の道へと進む
いきなり重いですが、人はプライドが高いまま人生を歩むと、破滅の道へと進んで行ってしまいます。
なぜなら、神様がプライドが高い人間を嫌われる方だからです。
つまり、
- 神様に嫌われる
- 神様から遠ざかる
- 破滅
という流れですね。
聖書にも、プライドが高いせいで失敗した人たちがたくさんいますが、中でも代表的なのが悪魔(サタン)でしょう。
サタンは、元々高い地位にいた天使でしたが、あるときに神の座を奪おうとして神様に反逆しました。
「13あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、 14雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。 15しかしあなたは陰府に落され、穴の奥底に入れられる。」
(イザヤ書14章13~1節)
神様のようになろうとするなど、まさに高慢の極み!
その結果、サタンは天国から追い出されて、破滅の道を歩む者となってしまいました。
プライドが高いということは、神様と敵対するということ。
その先に待っているのは、滅びだけなのです。
悪魔(サタン)については、“悪魔(サタン)”って?キリスト教における悪の大ボス!?【3分で分かる】をどうぞ
恵みを受け取れなくなる
私たちは普段、神様からたくさんの恵みを受け取って生きています。
しかし、プライドが高いとその恵みを受け取ることができなくなってしまうのです。
なぜなら、神様はプライドが高い人を退(しりぞ)けられるお方だからです。
聖書には、こうあります。
「6しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とある。」
(ヤコブの手紙4章6節)
つまり、プライドが高い人は、わざわざ自分から神様の恵みを拒否っている状態だということですね。
人に頼れない
プライドが高い人は、人に頼ることが苦手です。
なぜなら、自分の力で全て解決しようとしてしまうからです。
例えば、誰かが手を差し伸べようとしたときでも、
とその手を払いのけてしまうんですね。
その結果、1人で色んなことをしょい込み、自分の首を絞めてしまうことも少なくありません。
プライドを捨てる3つの方法とは?
というわけで、ここからは具体的にプライドを捨てる方法を3つご紹介していきます!
- 自分の弱さ・罪深さを知る
- 神様のすごさを知る
- 愛を持って生きる
①自分の弱さ・罪深さを知る
プライドを捨てるためには、まず、
自分がどれだけ弱く罪深い存在なのかを自覚する必要があります。
なぜなら、自分の未熟さを知ることで人のプライドは砕かれていくからです。
例えば、どれくらい人間が弱く、罪深いかというと、
- 1人では何もできない
- 自然の力に対抗できない
- 失敗を犯さずに生きられない
- 将来のことを予測できない
- いつも神様に背き続けている
などなど、挙げたらきりがありません。
このように、私たちは自分たちが思っている以上に弱く罪深い存在なのです。
聖書にも、人間の弱さ・罪深さに関して、これでもかというほど語られています。
「10次のように書いてある、「義人はいない、ひとりもいない。 11悟りのある人はいない、神を求める人はいない。 12すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、ひとりもいない。」
(ローマ人への手紙3章10~12節)
「23すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、」
(ローマ人への手紙3章23節)
このことを自覚することは、プライドを捨てるうえで非常に重要ですね。
聖書が語る”罪”がどのようなものかは、キリスト教のいう”罪とは何?本質は1つだけです【クリスチャンが答える】をどうぞ
②神様のすごさを知る
これは①とも関連していますが、神様のすごさを知ることでもプライドは捨てられます。
なぜなら、相対的に自分の不完全さが明らかになるからです。
例えば、私たち人間は大自然を見ると、その圧倒的な存在感や壮大さに圧倒され自分がちっぽけに思えます。
しかし、神様はその大自然をも造られたお方なのです。
そんな大きすぎる存在の神様を見上げれば、プライドなんて吹き飛びませんか??
イエスはこう語られました。
「27イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。」
(マルコによる福音書10章27節)
皆さん、知ってください。
神様には不可能なことなど何一つないのです。
これって不可能なことだらけの人間とは、まさに対極ですよね。
ですから、神様がどれくらいすごいお方なのかを知れば、私たちはもっと謙虚になれるのです。
神様がどういうお方なのかは、【Q&A】神とは誰か?何者か?聖書をもとに7つの性質を挙げてみたで詳しく書いているのでご参照あれ!
③愛を持って生きる
プライドを捨てるためには、愛を持って生きることも重要です。
と思うかもしれませんが、大ありなんですよ!
なぜなら、愛とプライドは同居できないものだからです。
聖書には、以下の有名な言葉があります。
「4愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、」
(コリント人への第一の手紙13章4節)
つまり、愛を持つことができれば、人は自然とプライドを持たなくなるということです。
いや、正確には持てなくなるというべきでしょうか。
確かに、めっちゃプライド高いのに、愛に満ち溢れた人って見たことないですもんね。。
個人的には、プライドを捨てるという考え方よりも、愛を持つという考え方のほうが前向きで好きですね!
聖書が語る愛については、【真理】聖書が語る”愛”の定義とは?7つの性質をご紹介します!をどうぞ
まとめ:余計なプライドは捨ててしまおう!
時々、
という意見を聞きますが、個人的には、
プライドを持つメリットなんてデメリットの大きさに比べたらあってないようなものだと思います。
やっぱり、プライドなんてないほうが生きやすいし、多くのチャンスに恵まれます。
僕も昔はめちゃくちゃプライドが高い子供でしたが、まあ苦しかったですよ。
いつも弱さを隠して、気を張って生きているわけですから。
ぜひ余計なプライドは捨てて、自分らしく生きていきましょう!
キートンでした。