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【聖書】マナとは?どんな食べ物なのか正体を暴いてみた

まとめ:マナは神様からの不思議な食べもの!

ジーザス、エブリワン!キートンです。

聖書に登場する”マナ”ってどんな食べ物なの?

その特徴などについて知りたいなあ。。

こういった疑問にお答えします。

 

聖書には、パンや魚、豆の煮物など様々な食べ物が登場します。

しかし、その中でも特に印象に残る食べ物があります。

 

その代表格がマナです。

マナは聖書でも少ししか出てきませんが、その美味しそうな描写と謎めいた存在感で大きなインパクトを残しています。

 

個人的には、聖書に登場する食べ物で”一度は食べてみたい食べ物ランキング”堂々の一位です!(知らんがな)

皆さんも、マナがどういう食べ物なのか気になりませんか?

 

なにしろ現在は存在しない食べ物ですからね!

そこで今回は、クリスチャンの僕が、

  • マナがどんな食べ物なのか
  • マナに関する聖書のストーリー
  • マナのお話に込められた教訓とは?

などについて解説したいと思います!

マナとは?どんな食べ物?


マナとは、旧約聖書の“出エジプト記”に登場する食べ物のことです。

イスラエル人たちは預言者モーセに連れられてエジプトを出た後、荒野で食べるものに困っていました。

 

そして、

イスラエル人たち
イスラエル人たち
エジプトの奴隷の頃のほうがいいもん食えて良かった!

と文句を言い始めたのです。

その文句に答えて神様が与えてくださったのが、このマナという食べ物です。

 

では、マナがどのような食べ物だったかというと、聖書にはこのように書かれています。

「また、朝になると、宿営の周囲に露が降りた。 14その降りた露がかわくと、荒野の面には、薄いうろこのようなものがあり、ちょうど地に結ぶ薄い霜のようであった。

(出エジプト記16章13、14節)

「モーセは彼らに言った、「これは主があなたがたの食物として賜わるパンである。

(出エジプト記16章15節)

「しかし、オメルでそれを計ってみると、多く集めた者にも余らず、少なく集めた者にも不足しなかった。

(出エジプト記16章18節)

「しかし彼らはモーセに聞き従わないで、ある者は朝までそれを残しておいたが、虫がついて臭くなった。

(出エジプト記16章20節)

「彼らは、おのおのその食べるところに従って、朝ごとにそれを集めたが、日が熱くなるとそれは溶けた。

(出エジプト記16章21節)

見よ、主はあなたがたに安息日を与えられた。ゆえに六日目には、ふつか分のパンをあなたがたに賜わるのである。おのおのその所にとどまり、七日目にはその所から出てはならない」。」

(出エジプト記16章29節)

「イスラエルの家はその物の名をマナと呼んだ。それはコエンドロの実のようで白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった。

‭‭(出エジプト記‬ ‭16:31‬)

「しかし、いま、われわれの精根は尽きた。われわれの目の前には、このマナのほか何もない」。 マナは、こえんどろの実のようで、色はブドラクの色のようであった。 は歩きまわって、これを集め、ひきうすでひき、または、うすでつき、かまで煮て、これをもちとした。その味は油菓子の味のようであった。 夜、宿営の露がおりるとき、マナはそれと共に降った。」

‭‭(民数記‬ ‭11:6-9‬)

ざっとマナに関する聖書箇所を集めてみましたが、これらをまとめるとマナの特徴は以下のようになります。

◎マナの特徴

  • 露が乾いた後に残る薄いうろこや霜(しも)のようなもの
  • 神様がイスラエル人たちに毎日与えられた食べ物
  • 多く集めても余らず、少なく集めても不足しなかった
  • 次の日の朝まで残すと腐り、気温が上がると溶けた
  • 安息日には降らず、その前日には2日分集める必要があった
  • 安息日の前のマナだけは腐らず、安息日にも食べられた
  • コエンドロ(セリ科の一年草で、夏に白い小さな花をつける)の実のように白く、ブドラク(樹脂)の色のようだった
  • 蜜を入れたせんべいのような味。油菓子のような味。
  • 臼で引いて粉にした後、なべで煮て、パン菓子にして食べた。
イマイチつかみどころがない。。!

 

なんでしょう、こうして見ると、知れば知るほど謎の多い食べ物ですよね。

それはやはり、マナはこのときだけ神様が与えられた奇跡の食べ物だということでしょう。

 

聖書の奇跡を信じない人は、

  • シナイ半島にも生息するギョリュウの樹液を固めたもの
  • カイガラムシなどの排泄物である甘露が乾燥したもの
  • 露が下りた後に発生したキノコ

などマナについて様々な説を唱えていますが、現在マナにあたる食べ物は存在しません。

 

なぜなら、マナは神様がイスラエル人たちのために与えられた超自然的な食べ物だからです。

実際、自然の食べ物は取れないときもあるはずで、40年間も毎日イスラエル人を養い続けるのは無理ですからね。

イスラエルの人々は人の住む地に着くまで四十年の間マナを食べた。すなわち、彼らはカナンの地の境に至るまでマナを食べた。」

(出エジプト記16章35節)

まあ、ハチミツで作ったウエハースのようなものだったのではないか、と言われることはありますが。(めちゃうまそう)

 

ちなみに、マナという名前は、イスラエル人たちがマナを見たときに言った

「これは何だろう」というヘブライ語が語源になりました。

 

イスラエル人から見ても、マナは不思議な食べ物だったんでしょうね!

聖書のストーリーから見るマナ

それでは、マナが出てくる聖書のストーリーをざっくりと見ていきましょう!

文句を言うイスラエル人たち

「イスラエルの人々は彼らに言った、「われわれはエジプトの地で、肉のなべのかたわらに座し、飽きるほどパンを食べていた時に、主の手にかかって死んでいたら良かった。あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出して、全会衆を餓死させようとしている」。」

(出エジプト記16章3節)

これは、エジプトの奴隷だったイスラエル人たちが、預言者モーセによってエジプトを脱出できた後のお話。

このお話は、無事にエジプトから出ることができてハッピーエンド!という単純なものではありませんでした。

 

そこから目的の地に着くまでに、イスラエル人たちは荒野での生活を余儀なくされたのです。

そこで問題となってきたのは、飲食でした。

 

荒野ですから食べるものも飲むものもなく、イスラエル人たちはエジプトを出られた感謝も忘れて文句を言い始めたのです。

イスラエル人たち
イスラエル人たち
こんなことなら、エジプトで死んだ方がましだったぜ!!

エジプトにいた頃は、肉もパンもお腹いっぱい食べられたのに。

あんたたちは我々を飢え死にさせる気かい!?

と。

神からの奇跡の食べ物”マナ”

「そのとき主はモーセに言われた、「見よ、わたしはあなたがたのために、天からパンを降らせよう。民は出て日々の分を日ごとに集めなければならない。こうして彼らがわたしの律法に従うかどうかを試みよう。 六日目には、彼らが取り入れたものを調理すると、それは日ごとに集めるものの二倍あるであろう」。」

‭‭(出エジプト記‬ ‭16:4-5‬)

しかし、イスラエル人たちがこのような文句を言うことも、神様には全てお見通しでした。

神様はモーセに言われました。

神様
神様
私はあなたたちのために、天からパンを降らせよう。

みんな毎日外に出て、その日に必要な分だけ集めなさい。

これはイスラエル人たちが私の言うことに従うかのテストになる。

ただし、6日目だけは安息日に備えて普段の2倍集めさせなさい。

こうして、朝になると宿営の周りには露が降り、それが乾くと薄いうろこのようなものになりました。

 

イスラエル人たちは、このパンのようなものをある人は多く、ある人は少なく集めましたが、

不思議なことに誰も過不足しませんでした。

 

つまり、その日に必要な分だけきっちり与えられたのです。

まさに神様による奇跡ですね。

イスラエル人たち、マナを食べ続ける

イスラエル人たち、マナを食べ続ける

イスラエルの家はその物の名をマナと呼んだ。それはコエンドロの実のようで白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった。」

(出エジプト記16章31節)

その後、モーセはイスラエル人たちに言いました。

モーセ
モーセ
誰も朝までその食べ物を残しておいてはならならんぜよ!

と。

なぜなら、神様は毎日その日に必要なマナだけを与えてくださっていたからです。

 

しかし、その言いつけに背いて朝までパンを残しておく者もおり、するとパンに虫がついて臭くなりました。

6日目になると、神様の言いつけ通り、彼らはいつもの2倍のパンを集めました。

 

なぜなら、7日目は安息日であり、神様によって休むように定められた日だったからです。

そのため、7日目にはパンは降らず、7日目の分も6日目にまとめて集めてしまう必要がありました。

 

すると、このとき集めたパンは朝まで保存しても臭くならず、虫もつきませんでした。

やがてイスラエル人たちは、このパンを“マナ”と名付けました。

 

そして、目的の地に着くまでの40年間イスラエル人たちはこのマナを食べ続けたのです。(長い)

マナが降らなくなったときのことを、聖書にはこう書かれています。

その地の穀物を食べた翌日から、マナの降ることはやみ、イスラエルの人々は、もはやマナを獲なかった。その年はカナンの地の産物を食べた。」

‭‭(ヨシュア記‬ ‭5:12‬)

マナのお話に込められた教訓とは?

マナのお話はただ単に、

神様がイスラエル人たちにパンを与えてくれたよ!

神様最高!まじ感謝!!まじハッピー!!

というものではありません。

そこには大切な教訓がいくつかあります。

 

それは、以下の3つです。

  1. 神様が毎日の必要を満たしてくださる
  2. 人はパンだけでなく、神の言葉によって生きる
  3. 救いは”命のパン”であるイエスにしかない

それぞれ深堀りしていきましょう!

①神様が毎日の必要を満たしてくださる

①神様が毎日の必要を満たしてくださる

マナは非常に不思議な食べ物で、イスラエル人たちに毎日過不足なく与えられました。

多く集めても余らず、少なく集めても不足しなかったのです。

 

つまり、イスラエル人たちに毎日必要な分だけ神様がマナという食べ物を与えて、養ってくださっていたということですね。

このように、神様は私たち人間の必要を毎日満たしてくださるお方です。

 

これは食べ物だけでなく、衣服や住む場所なども当てはまります。

だからこそ、私たちも神様が毎日養ってくださると心から信頼する必要があるのです。

 

イエスはこう語られました。

「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。 32これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。 33まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 34だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

(マタイによる福音書6章31~34節)

生きていれば、お金のことや食事のことなどで心配をすることがあるかもしれません。

 

明日は暮らしていけるのか、生きていけるのか不安になることもあるでしょう。

しかし、神様を信頼すれば全ての必要は満たされます。

 

ですから、感謝しつつ、毎日神様からのマナを受け取っていけばいいのです。

キートン
キートン
明日の心配はせず、今日に集中して生きたいですね!

②人はパンだけでなく、神の言葉によって生きる

②人はパンだけでなく、神の言葉によって生きる

パンというのは、確かに大切なものです。

パンは私たちのお腹を満たし、肉体的に生きるエネルギーとなってくれます。

 

しかし、パンが私たちの全てを満たし、幸せにしてくれるかといったらそうではありません。

私たちにはパンだけでなく、神の言葉が必要なのです。

 

なぜなら、人間は肉体だけの存在ではなく、神様によって造られた霊的な存在だからですね。

聖書には、このように書かれています。

「それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。

‭‭(申命記‬ ‭8:3‬)

イエスもこの箇所を引用して、このように語られました。

「すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。 4イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。」

(マタイによる福音書4章3、4節)

永遠のベストセラー”聖書”には、神様の言葉が書かれています。

 

ですから、私たちは普段から肉体的な食事だけでなく、聖書を読むことで霊的な食事をする必要があるのです。

そのときに私たちは真の意味で満たされ、生きる意味や生きる喜びを味わうことができます。

 

パンだけでは、人の心までは満たすことはできないのです!

詳しくは、【聖書】人はパンのみにて生きるにあらずとは?その意味を解説をどうぞ

③救いは”命のパン”であるイエスにしかない

③お祈りをして気持ちをぶつける

マナというのは、後に地上に来られたイエスを予兆しているといえます。

なぜなら、イエスはこのように語られたからです。

「 48わたしは命のパンである。 49あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。 50しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。 51わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。」

(ヨハネによる福音書6章48~51節)

イエスはマナのように天からくだり、人間の姿で地上に来てくださいました。

それは、人間が罪から解放されて永遠の命を得るようになるためです。

 

そのため、イエスはご自分を“命のパン”と表現されました。

命のパンであるイエスを信じて受け入れたとき、私たちは罪がゆるされ永遠に生きられるようになるのです。

 

これこそがキリスト教のいう救いであり、これはイエスを信じること以外には得られません。

聖書にもこうあります。

「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。

(ローマ人への手紙10章9節)

(キリスト教の救いの詳細は、【キリスト教用語】”福音”の意味とは?キリストの良い知らせ?をどうぞ)

 

一方で、パンは私たちのお腹を満たしてはくれますが、それは一時的な満たしです。

すぐにまたお腹が空いてきてしまいますし、パンを食べ続けていてもいずれ人は死にます。

 

だってほら、食べたら不老不死になれるパンなんてないでしょう??

そんなのあったら怖い。。

しかし、イエスという命のパンを食べたとき、

私たちはやがて復活し永遠に天国で生きられるようになるのです。

 

今こそ命のパンを食べて、救いを受け取りましょう!

イエスについては、【完全版】イエス・キリストとはどんな人?その生涯を簡単にまとめてみたをどうぞ

まとめ:マナは神様からの不思議な食べもの!

まとめ:マナは神様からの不思議な食べもの!

◎マナの特徴

  • 露が乾いた後に残る薄いうろこや霜(しも)のようなもの
  • 神様がイスラエル人たちに毎日与えられた食べ物
  • 多く集めても余らず、少なく集めても不足しなかった
  • 次の日の朝まで残すと腐り、気温が上がると溶けた
  • 安息日には降らず、その前日には2日分集める必要があった
  • 安息日の前のマナだけは腐らず、安息日にも食べられた
  • コエンドロ(セリ科の一年草で、夏に白い小さな花をつける)の実のように白く、ブドラク(樹脂)の色のようだった
  • 蜜を入れたせんべいのような味。油菓子のような味。
  • 臼で引いて粉にした後、なべで煮て、パン菓子にして食べた。

マナがどういう食べ物かお分かりいただけましたか?

まあ、かえって謎が深まった気もしなくはないですが。。

 

マナは、まさに神様からの奇跡の食べ物なんですね。

それにしても、マナって本当においしそうですよね!

 

でも、ぶっちゃけ言うと、

40年間マナはきついっす。(本音)

 

キートンでした。

まとめ:出エジプト記は、モーセがイスラエル人たちをエジプトから連れ出すお話!
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