ジーザス、エブリワン!キートンです。
その特徴についても知りたいなあ。。
こういった疑問にお答えします。
“韓国にはキリスト教徒が多い。”
皆さんは、そんな話を聞いたことがないでしょうか?
と思うかもしれませんが、韓国のキリスト教人口はなんと全体の3割ほど。
宗教別に見ても、キリスト教人口がトップなのです。
これは日本にキリスト教徒が全体の1%ほどしかいないことを考えると、驚異的な割合だということが分かります。
まあ、日本が少なすぎるというのもありますが。。
実際、僕が通っている教会にも韓国人の方が何人かいらっしゃいます!
そして、キリスト教は韓国社会に多大な影響を与えているのです。
というわけで今回はクリスチャンの僕が、韓国のキリスト教についてざっくりとまとめていきたいと思います!
具体的に言うと、
- 韓国のキリスト教人口
- 韓国の教会(主にプロテスタント)の特徴
- 韓国のキリスト教の歴史
などについて解説していきますね!
目次
韓国のキリスト教人口
韓国統計庁によると、2005年時点で韓国の総人口は4728万人であり、その中でキリスト教徒は1380万人です。
つまり、キリスト教が全人口に占める割合は29.2%(約3割)ということになります。
これは、全人口の2割を占める仏教徒よりも多く、韓国の宗教人口全体の中でキリスト教徒が最大ということです。
さらに宗派別で見ていくと、プロテスタント信徒が最も多く、
- プロテスタント➡18.3%
- カトリック ➡10.9%
という感じになりますね。(正教会は記載なし)
特に、首都ソウルを含む韓国の西側はキリスト教が盛んで、ソウル人口の36.9%がキリスト教徒です。
さらに、2005年の韓国基督教総連合会によると、プロテスタントの宗派ごとに見ると、
- 長老派 ➡70.7%
- メソジスト ➡9.8%
- 純福音派 ➡8.2%
- ホーリネス派➡6.2%
- バプテスト派➡4.7%
という割合になっており、長老派が圧倒的多数を占めていることが分かります。
これは別に、プロテスタント教会が老人だらけというわけではないですからね!!そういう宗派の名前なのです!
純福音派というのは、韓国にある世界最大の教会”ヨイド純福音教会”が所属する宗派のことです。(後述)
(プロテスタントの宗派については、【まとめ】プロテスタントの宗派って?主なものを信徒がまとめてみたをどうぞ)
ちなみに、日本ではキリスト教というとカトリックとプロテスタントの両方が含まれますが、韓国では、
- カトリック
➡天主教(チョンジュギョ)、カトリック
- プロテスタント
➡基督教(キドッキョ)、改新教(ケシンギョ)
と呼ばれ、それぞれがきっちりと区別されます。
また、韓国で”教会(キョフェ)”というとプロテスタント教会を指し、カトリックのことは”聖堂(ソンダン)”と呼ぶそうです。
ちなみに、韓国の有名人の中にも、
- 李承晩(イ・スンマン、初代大統領)
➡プロテスタント
- 金泳三(キム・ヨンサム、元大統領)
➡プロテスタント
- ペ・ヨンジュン(俳優)
➡カトリック
- チェ・ジウ(女優)
➡プロテスタント
など多くのキリスト教信徒が存在しています。
クリスチャンの芸能人は、【日本・海外】クリスチャン(キリスト教徒)の芸能人をまとめてみたでまとめています
韓国の教会(主にプロテスタント)の特徴
ではまず、韓国の教会にはどのような特徴があるのかいくつか見てみましょう!
ただし、ここで挙げる特徴は主にプロテスタント教会のものなのでご了承ください。
- 海外宣教に積極的
- 大規模な伝道集会が開催される
- 各教会の独立性が強い
- 教会が巨大化しやすい
海外宣教に積極的
韓国の教会は、海外宣教(海外にキリスト教を広めること)に積極的です。
特にプロテスタントでは、牧師に限らず一般信徒も宣教師として海外に派遣されます。
実際、現在では韓国の教会において、年間で2万人以上の宣教師が海外に派遣されていると言われており、
これはアメリカに次ぐほどの人数です。
一方で、この海外宣教によって、世界各地で様々な問題が生じることも少なくありません。
例えば、2007年にアフガニスタンで起きたタリバン韓国人拉致事件はまさにそうですね。
この事件は、韓国から宣教のためにアフガニスタンを訪れた男女23名が、南部移動中に
イスラム原理主義者の集団”タリバン”に拘束されたというものです。
彼らは全員プロテスタント(長老派)の信者であり、韓国政府から”アフガニスタンは危険地域だ”と
アフガニスタン行きを延期するように要請があったにも関わらず、それを無視して来たのでした。
結果的に、リーダーの牧師と一般男性信徒が1名ずつ殺され、韓国政府がタリバンと交渉をした後に残り全員が釈放されました。
何とも痛ましい事件ですね。。!
この事件によって、
- 現地状況
- 文化
- 慣習
などを無視して行われる韓国の海外宣教は他国からも批判され、問題視されました。
大規模な伝道集会が開催される
韓国の教会は、大規模な伝道集会を好んでしばしば開催しています。
伝道集会というのは、信徒ではない人たちをキリスト教に導くための集会のことです。
日本ではあまりなじみがないですが、韓国では伝統的な方法なんですね!
伝道集会の多くは数日間に渡って行われ、有名な講師が招かれたりもします。
例えば、朝鮮戦争以降は、世界的に有名な牧師であるアメリカのビリー・グラハムなども韓国に招かれました。
そして、1973年にビリーグラハムによって行われた全国伝道集会では、ソウルでの最終日に約110万人もの人が参加したといいます。
って感じですよね、はい。
スケールが違い過ぎて、ちょっと引いてます。
※ビリー・グラハム
➡現代のアメリカで最も有名な牧師であり伝道師。
アメリカだけでなく、今まで180か国以上で伝道集会を行ってきた。2018年に死去。
大規模な伝道集会は元々はアメリカの教会の影響であり、1970年代以降、伝道集会の働きが拡大し、信徒が増大しました。
現在でも、ソウルといった都市を中心に何度も伝道集会が開かれています。
各教会の独立性が強い
また、各教会の独立性が強いというのも韓国の教会の特徴です。
例えば、1人の牧師が新しい教会を建てることも珍しくなく、
その結果、新たなプロテスタント教会が次々と枝分かれして生まれていくんですね。
ただし、これには問題点もあり、信仰や人格的に問題のある人物が教会を立ち上げると、
カルト的な教会が生まれる可能性があります。
そういったカルト的な教会は、社会的に大きな問題や犯罪などを巻き起こすことも。
実際、そういうニュースを時々目にしますよね。。
教会が巨大化しやすい
韓国の教会は、信徒数が増えるに従って教会が巨大化していく傾向があります。
特に、プロテスタント教会では数万人の信徒を抱えている教会もいくつかありますね。
例えば、韓国には、世界最大のプロテスタント教会であるヨイド純福音教会があります。
何かとウワサのヨイド純福音教会。チョーヨンギというカリスマ牧師がやってる巨大教会。カルテスタントだという人も多いが、ここで救われてる人も多いのだろうからまずは敬意を表しておく。 pic.twitter.com/rp5jHDka
— 植田真理子 (@marikobabel) January 14, 2013
この教会に所属する信者の数は、なんと約75万人(!)
7500人じゃないですよ??(それでも凄いけど)
75万人です!!
まさに桁違いですね!
一般的に、信者数が1万人を越えれば“大型教会(メガ・チャーチ)”と呼ばれますから、
この数字がいかに化物じみているかが分かりますね。
これはもはや、”スーパーウルトラチャーチ”ですね!!(小学生並みのネーミングセンス)
そのため、教会の大きさも半端ではなく、ヨイド純福音教会では1度の礼拝で約2万5千人が収容できるんだとか。
えーと、スタジアムか何かですかね。。?(困惑)
まあ、ヨイド純福音教会は別格として、他の大型教会でも1度に5、6千人は収容できるそうです。
また、大型教会には、
- 出版社
- 新聞社
- 放送局
などが併設されていることもあるみたいですよ!
えーと、教会とは一体。。?(白目)
韓国のキリスト教の歴史
それでは、ここからは韓国のキリスト教の歴史をざっくりと見ていきましょう!
主な流れは以下の通りです。
- 韓国のキリスト教の起源
- キリスト教の迫害
- プロテスタントの登場
- 聖書がハングルに訳される
- 戦争による教会の急成長
- 日本による植民地化と独立
それぞれ深堀りしていきまっす!
韓国のキリスト教の起源
まず、韓国のキリスト教はプロテスタントではなく、カトリックから始まります。
これは日本のキリスト教の始まりと同じですね。
そして、朝鮮半島に初めてやって来たキリスト教の宣教師は、ザビエル。。ではなく、
スペイン人イエズス会士グレゴリオ・デ・セスペデスです。
ただし、彼は聖職者として活動する軍人(従軍聖職者)として派遣されたにすぎず、
布教のために来たわけではありませんでした。
では最初にキリスト教が朝鮮に伝わったのはどこからかというと、中国の北京からです。
イエズス会のイタリア人宣教師であるマテオ・リッチは、1604年に『天主実義』という書物を刊行します。
本著は元々、キリスト教を中国人に理解させるために漢文で書かれた本ですが、
この本が中国を経由して朝鮮にも輸入されてきたのです。
こうして、天主実義は知識人たちの間で広く読まれるようになり、
キリスト教(カトリック)の教えは1世紀以上かけて徐々に朝鮮半島に広がっていきました。
つまり、外国人宣教師による布教ではなく、朝鮮人の中で自主的にキリスト教は広まっていったということです。
そして、1784年には朝鮮使節である李承薫(イ・スンフン)が北京で洗礼を受けます。
韓国では、彼が朝鮮人では最初の受洗者であると言われていますね!
また、彼によって平壌(ピョンヤン)で朝鮮史上初の”キリスト教礼拝所”が設立されました。
日本のキリスト教史については、【まとめ】日本の”隠れキリシタン弾圧”の歴史とは?ざっくり解説をどうぞ
キリスト教の迫害
ところが、18世紀末以降になると、朝鮮王朝によってキリスト教の迫害が度々起こるようになります。
なぜなら、当時の朝鮮では儒教(じゅきょう)が社会の根本思想であり、キリスト教の教えは危険だと見なされたからです。
※儒教
➡古代の中国で生まれた、孔子の思想に基づいた教え。
2500年以上も東アジア各国に大きな影響を与えている。
王朝による最初の迫害は、1791年に起こった辛亥(しんへ)救難です。
これは、
- ユン・ジチュン
- クォン・サンヨン
の2名が位牌(故人や先祖をまつるための木製の板)を燃やしたことがきっかけで起きたキリスト教迫害のこと。
この事件によって2名は処刑され、ここから1882年に米朝修交通商条約が締結されるまで
100年にも及ぶキリスト教への迫害が始まっていきます。
その最もひどいものが、1866年に朝鮮で起きた“丙寅教獄(へいいんきょうごく)”でしょう。
この事件は、最大規模のキリスト教徒弾圧事件として知られており、8000人以上が犠牲になったと言われています。
【メモリー】Japan
214年前のきょう、
寛政12年(1801) 1/10
朝鮮でキリスト教が禁止される。
photo:1866年、丙寅教獄(へいいんきょうごく)
大院君による仏人宣教師とキリスト教への大弾圧 pic.twitter.com/htiFPc4SFj— 菊田邦洋✳️ (@palaiso9) January 9, 2015
当時、朝鮮を実質的に収めていたのは、興宣大院君(こうせんだいいんくん)と呼ばれる王父でした。
彼は最初は妻がクリスチャンであることもあり、キリスト教に好意的でした。
しかし、後に人々からキリスト教徒を擁護しているという批判を受け始めると、手のひらをくるり。
その批判を収めるために、フランス人司祭9名を含むカトリック信徒約8,000名を捕縛・処刑したのです。
いやー、悲惨すぎますね。。
しかし、それでもカトリック信者たちは信仰を捨てず、その信仰は現代へと受け継がれていきます。
プロテスタントの登場
近代に入ると、ようやくプロテスタントが登場してきます。
最初にプロテスタント宣教師として朝鮮にやって来たのは、ドイツ人のカール・フリードリッヒ・ギュツラフでした。
しかし、結局朝鮮が強く拒否したために、ほとんど布教をできずに帰ることになってしまいます。
また、その後にイギリス人宣教師のロバート・J・トーマスも布教に挑戦しますが、捕らえられて処刑されてしまいました。
何しろ、トーマスが朝鮮を訪れたのは、朝鮮が鎖国体制に入っている真っ最中。
そんな中で布教に来るというのは、まさに自殺行為だったわけです。
それでも、トーマスは死ぬ直前まで聖書を朝鮮の人々に渡しており、
彼の死は後の平壌(ピョンヤン)におけるクリスチャンのリバイバル(信仰復興)に繋がったと言われています。
このように、宣教師にとっては厳しい状況でしたが、1882年にアメリカと朝鮮の間で米朝修好通商条約が結ばれると、
アメリカから宣教師が続々と朝鮮にやって来るようになります。
中でも、教育宣教師としてやって来たアメリカ人の
- ヘンリー・アペンぜラー
- ホレイス・グラント・アンダーウッド
の2人は韓国プロテスタント教会の基礎を築いた人物として知られています。
こうして、様々な教団から多数の宣教師が朝鮮にやって来るようになるのです。
聖書がハングルに訳される
さて、同じ頃、スコットランド出身の宣教師である
- ジョン・ロス
- ジョン・マッキンタイアー
らの主導で、聖書がハングルに翻訳されていきました。
そして、1887年にはハングルで最初の『新約聖書』が5000部印刷され、人々に配布されていったのです。
こうして、ハングルの聖書はキリスト教の布教に大きな貢献を果たしました。
しかも、この教会の働きによってハングル語の評価向上にも貢献したんだとか!
当時のハングル語は、漢文を重視する知識人たちに見下されていたみたいですからね。
ちなみに、1910年には『旧約聖書』のハングル翻訳も完成しています。
聖書については、【最強の書物】キリスト教の”聖書”とは?永遠のベストセラー!?をどうぞ
戦争による教会の急成長
皆さんは、1894年、1904年と聞いて何があった年だかピンときますか??
ひらめいた方は、かなり歴史を勉強されていますね!
そうです、日清戦争(1894年)と日露戦争(1904年)という2つの大きな戦争が起こった年です。
それぞれを簡単に説明すると、
- 日清戦争
➡朝鮮の支配をめぐっての日本と清国(中国)の戦争。
- 日露戦争
➡朝鮮と南満州(中国東北)の支配をめぐっての日本とロシアの戦争。
という感じになります。
つまり、どちらも朝鮮が大きく絡んでおり、しかも朝鮮半島が戦場として使われたのです。
そのため、当然この2つの戦争は朝鮮半島に大きな被害をもたらしました。
ところが、皮肉なことにこれらの戦争によって教会は急成長を遂げるのです。
その要因の1つは、戦争の中で精神的に追い詰められた人たちがキリストへの信仰にすがったからだと言われています。
実際、1905~1907年というわずかな期間で、
- 教会の数:321棟 ➡642棟
- 受洗者数:9800人➡1万9000人
へとそれぞれ激増したのです。
こうして爆増した教会は、海外への宣教を目指すようになります。
日本による植民地化と独立
1910年になると、朝鮮半島は日本の植民地となります。
しかも、初代の朝鮮総督である寺内正毅(まさたけ)は反キリスト教政策をとったのです。
その政策は例えば、
- 学校で天皇の写真への敬礼を強制する(偶像崇拝にあたる)
- 学校における礼拝と聖書教育の撤廃
などが挙げられます。
この日本の過酷な支配に対して朝鮮が独立を目指そうと起こしたのが、1919年の三・一独立運動です。
3月1日は、「三・一独立運動」の日である。この日、日本の過酷な支配に多くの韓国人が声をあげ、反植民地の世界史的な潮流を巻き起こした。
日本人は、この日を「3・1ビキニデー」とともに厳しく認識すべきだ。
写真は、2年前に撮った同運動100年のソウルの様子。#三・一独立運動#3月1日 pic.twitter.com/CfCVDsDET7
— 左川左之助 (@sagawa20180501) February 28, 2021
この運動には多くのキリスト教徒が積極的に関わり、教会が持つ全国的な組織が大きな役割を果たしました。
ところが、キリスト教会が独立運動の中心だと気づいた日本は、教会を破壊したり、キリスト教徒を処分したりといった行動に出ます。
1919年には、日本軍は堤岩里(ゼアムリ)教会にキリスト教徒を集めて放火・虐殺したのです。
しかし、結果的にこの危機的状況の中で大きな役割を果たしたことで、教会は勢いを増していくのでした。
その後、1945年になると終戦を迎え、韓国は日本から独立。
アメリカの軍政下ではあるものの、ようやく信仰の自由を手にすることができたのです!
ところが、1950年に朝鮮戦争が勃発し、韓国教会は大きな打撃を受けます。
教会内での分裂も起き、様々な新宗教が生まれてくる事態となりました。
その一方で、1960年代に入ると一部の教会は拡大、
1970年代に入ると、ヨイド純福音教会をはじめとするいくつかの”大型教会(メガ・チャーチ)”が現れていきます。
その要因の1つとしては、1965年から開かれた全国的な伝道集会が挙げられるでしょう。(前述)
1980年に開かれた集会では、当日になんと250万人の人が参加したんだとか!
まとめ:韓国にはキリスト教徒が多い!
かなりざっくりでしたが、韓国におけるキリスト教について全体像はお分かりいただけたでしょうか?
こうして見ると、韓国のキリスト教も決してスムーズに広がったわけではないのが分かりますね。
日本と同じく弾圧や迫害の道を通って来ています。
まあ、キリスト教徒の数は全く違うんですけどね。。
韓国のように日本にもキリスト教を広めるためには、あれしかないかあ。
。。。アメリカの宣教師の人、来てください!!(人任せか)
キートンでした。
☟参考文献