ジーザス、エブリワン!キートンです。
わかりやすく教えて!
こういった疑問にお答えします。
今回はキリスト教において大切なキーワード、“アガペー”についてお話しし
この世界には、色んな愛の形がありますよね。
友人への愛、動物への愛、恋人への愛。。
ところが、キリストの世界では、それらとは全く別次元の愛が存在します。
それこそが”アガペー”なのです。
そこでこの記事では、クリスチャンの僕が、
- アガペーの意味
- アガペーと一般的な愛との違い
- アガペーについて書かれている聖書箇所
などについて解説していきます!
目次
“アガペー”とは?
“アガペー”とは、
- 無償の愛
- 無条件の愛
- 無私の愛
- 犠牲的な愛
などを意味する言葉で、特に神の人間に対する愛のことをいいます。
旧約聖書には、”不朽の愛”として登場しますね。
なぜ”無償の愛”と表現するかというと、神は私たち人間を見返りなしで無条件に愛されるからです。
私たちが神様のために何かをするからそのお返しに愛して下さる、というわけではないんですね!
そして、クリスチャンもこのアガペーの愛を持って人と接することが求められているのです。
聖書が語る愛の性質については、【真理】聖書が語る”愛”の定義とは?7つの性質をご紹介します!をどうぞ
愛には4種類ある!?
そもそも愛と言っても、
それが以下の4つです。
◎愛の種類
- エロス
- フィリア
- ストルゲー
- アガペー
これらは古代のギリシャ時代から存在していた概念で、
それぞれ見ていきましょう!
①エロス(eros)
エロスは、“性愛”のことを言います。
簡単に言えば、男女の愛のことですね。
エロスは肉体的・情欲的で、愛するに値するものしか愛しません。
ギリシア神話の神様としても有名なので、
②フィリア(philia)
フィリアは、“隣人愛”のことを言います。
つまり、友人同士の愛、友情のことです。
温かさや親密さを表しますが、親しい間柄にしか使われない愛ですね。
③ストルゲー(storge)
ストルゲーは、“家族愛”のことです。
兄弟や親子間の愛がこれにあたります。
④アガペー(agape)
キリストの愛のことで、“無償の愛”のことを言います。
これは無条件の愛と言い換えることができ、自己犠牲的です。
ただし、アガペーは一般的な言葉としてはあまり使われていなかったようです。
“アガペー”と他の愛との最大の違いは!?【条件付きかどうか】
さて皆さん、間違い探しです!
愛の種類を4つ挙げましたがキリストの愛である”アガペー”は、他の愛とは決定的に違う部分があります。
それはどこでしょうか??
ちっちっちっちっ。。。はい、タイムアップ!
まあ最初にネタバレしてしまっていますが、正解はアガペーだけは無条件の愛だということです。
他の愛は、以下のように全て条件付きの愛に過ぎません。
- エロス ➡愛するに値するものしか愛さない
- フィリア ➡親しい人しか愛さない
- ストルゲー➡家族しか愛さない
しかし、キリストの愛アガペーは、相手との関係も相手の能力も相手の人間性も一切関係ありません。
四の五の言わずに相手を無条件の愛で抱きしめる、そんな超おっとこ前な愛こそがアガペーなのです!!
いやー、かっこよすぎますよ先輩!!
まあ、その分実践するのも超難しいんですけどね。。(小声)
“アガペー”について書かれている聖書箇所
では、アガペーについて書かれている具体的な聖書箇所を見てみましょう!
イエスが弟子たちに語られたアガペー①(マタイによる福音書5章44~46節)
「しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。(中略) 46あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。」
(マタイによる福音書5章44~46節)
人は敵に対して憎しみや敵意を持つのが普通ですが、イエスは敵のために祈れと語られました。
相手の敵意に愛を持って返すということです。
これは条件付きの愛に慣れていたら、決して出てこない発想でしょう。
自分を愛してくれる人を愛することは簡単だし、誰にでもできます。
しかし、キリストの愛はそれだけではダメ。
イエスの愛はもっともっと次元が上なのです!
イエス・キリストについては、【完全版】イエス・キリストとは?その生涯を簡単にまとめてみたをどうぞ
イエスが弟子たちに語られたアガペー②(ヨハネによる福音書15章12、13節)
「わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。 」
(ヨハネによる福音書15章12、13節)
同じく、イエスが弟子たちに語られた御言葉。
イエスは私たちにアガペーの愛を与えてくださっていますが、私たちにもそれを実践することを求めておられます。
つまり、私たち人間もお互いにアガペーの愛を持って接し合う必要があるということです。
ここに書かれている、”友のために命を捨てる”というのはまさに究極のアガペー。
まあもちろんそんな場面は実際には中々ないと思いますが、アガペーというのはそれくらいの心構えが必要ということですね!
イエスの十字架刑(マタイによる福音書27章50~52節)
「イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。 51すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。また地震があり、岩が裂け、 52また墓が開け、眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返った。」
(マタイによる福音書27章50~52節)
イエスキリストが十字架に架かられて死なれるシーン。
これこそがまさに究極のアガペーを表しています。
なぜなら、イエスは私たち人間の罪のために自ら十字架に架かられたからです。
これほどの愛が他にあるでしょうか?
しかも、十字架刑というのは当時最も残酷な刑と言われ、超絶苦しみながら死んでいく処刑方法。
なんの見返りもないのに私たちのためにここまでしてくださるイエスの愛は、まさにアガペーなのです。
十字架刑のエグさについては、【閲覧注意】十字架刑がいかに残酷で苦痛な刑なのかまとめてみた【キリストの愛を知れ】で解説しています。
使徒パウロが語るアガペー(コリント人への手紙I 13:4〜8)
「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、 5不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。 6不義を喜ばないで真理を喜ぶ。 7そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。 8愛はいつまでも絶えることがない。」
(コリント人への手紙I 13:4〜8)
使徒パウロが語った、結婚式などでもおなじみの聖書箇所です。
アガペーのことが非常に分かりやすく、まとめられていますね!
特に、自分の利益を求めずという部分がポイント。
アガペーに損得勘定はないのです。
まとめ:アガペーは見返りを求めない究極の愛!
キリスト教は”愛の宗教”なんて言われることがあります。
それは、”戒律の宗教”であったユダヤ教とは全く別のものでした。
そして、イエスは戒律を守ることよりも愛の大切さを説いて、人々を驚かせたのでした。
愛にも色んな形がありますが、アガペーはその中でも究極の愛です。
そして、イエスキリストはご自身でその愛を示していかれました。
人間にはハードルが高いですが、私たちもアガペーを実践する者となりたいですね!
キートンでした。