ジーザス、エブリワン!キートンです。
キリスト教にはどんな戦争の歴史があるの??
こういった疑問にお答えします。
キリスト教と言えば、
といった”愛やゆるし”の教えが象徴的な宗教として知られています。
ですから、もしかしたらキリスト教に清らかでエレガントで、ワンダフルなイメージをお持ちの方もいるかもしれません。(あれ、いない?)
しか~し!!
過去を振り返ると、そこには同じキリスト教同士で醜く争い合う戦争の歴史が存在します。
つまり、別の宗派同士の争いですね。
そこで今回は、クリスチャンの僕が、
過去に実際に起こったキリスト教同士の宗教戦争をまとめていきたいと思います。
キリスト教の主な宗派については、【解説】キリスト教の主な宗派は?3つをわかりやすくまとめてみたをどうぞ
目次
有名な宗教戦争6選まとめ!カトリックとプロテスタントの対立史
では、時系列順に見ていきましょう!
- フス戦争(15世紀)
- カッペル戦争(16世紀)
- シュマルカルデン戦争(16世紀)
- ユグノー戦争(16世紀)
- 八十年戦争(16~17世紀)
- 三十年戦争(17世紀)
①フス戦争(15世紀)
15世紀にキリスト教のフス派とカトリックの間に起こった戦争。
フス戦争が起こったきっかけは、当時宗教改革を指導していた”フス”が異端とされ、政府に火刑に処されたこと。
フス派というのは、このフスを支持する人たちのことで、
彼らが、当時の神聖ローマ皇帝ジギスムントに反乱を起こす形でフス戦争が起こりました。
この反乱に対してローマ皇帝は5回も十字軍を送りますが、フス派はこれらを次々と撃破していきます。
しかし、戦争中にフス派内で
- 戦いを望む”急進派(タボル派)”
- 講和を望む”穏健派”
に分かれてしまい、内部争いに発展することに。
そして、戦争が長期化する中で、皇帝が交渉を持ちかけると、穏健派は皇帝と妥協することを決意。
1434年のプラハ東方のリパニの戦いにて、皇帝軍と穏健派は手を組み急進派を倒すこととなりました。(もうめちゃくちゃ)
つまり、
皇帝軍VSフス派
だったのが、いつの間にか、
皇帝軍、フス派(穏健)VSフス派(急進)
という構図になってしまったわけですね。
こうして最終的に、ローマ皇帝側がフス派の穏健派と和約を結ぶことで戦争は終了したのです。
②カッペル戦争(16世紀)
16世紀に、スイスの宗教改革者である
ツヴィングリ率いる”プロテスタント派”と、“カトリック派”によって起こった戦争。
これは、プロテスタント派がカトリックに宣戦布告することで始まりましたが、第一次では戦闘には至らずに和解しました。
ちなみに、この和解の際にお互いの軍の兵がミルクスープを食したことから、“ミルクスープの和解”とも呼ばれています。
ところがどっこい、この和解ではお互いの緊張関係は完全にはなくならず、第二次カッペル戦争が勃発することとなります。
その結果、プロテスタント派が倒され、指導者のツヴィングリも戦死してしまいました。
そして、1531年に”カッペル協定”が結ばれ、カトリックとプロテスタントは共存していく体制をとることで合意。
カッペル戦争は終わりを告げたのでした。
③シュマルカルデン戦争(16世紀)
16世紀に、神聖ローマ皇帝のカール5世率いるカトリック勢力とプロテスタント勢力との間に起こった戦争。
プロテスタントは、1530年の議会において”アウクスブルク信条”というルター派の信条を拒否されてしまいます。
すると、翌年にプロテスタント勢は反カトリックや反ローマを掲げたシュマルカルデン同盟を結成。
シュマルカルデン戦争が勃発してしまいました。
しかし、プロテスタント側は内部分裂が起きたこともあり、皇帝軍に敗北。
シュマルカルデン同盟も崩壊してしまいました。
④ユグノー戦争(16世紀)
16世紀に起こった、フランスのカトリックとプロテスタント(カルヴァン派)間で起きた戦争。
カルヴァンは、当時の宗教改革者の1人で、彼の教えを信じる人々(カルヴァン派)がフランス内でも増加していました。
その勢いは、ヴァロワ朝のアンリ2世が弾圧を加えても収まらず、次第にカトリックとプロテスタントは対立を深めていきます。
そして、1562年にカトリック側の軍隊が、日曜礼拝をしていたプロテスタントを74名虐殺したことをきっかけにユグノー戦争が勃発。
以降、合計40年近く、第8次まで戦争が続くこととなります。
ちなみに、”ユグノー”というのはカトリックがプロテスタントを馬鹿にする意味で付けた呼び名です。
その後も、カトリックがプロテスタントを数千人虐殺する”サン・バルテルミの虐殺”が行われるなど、血みどろの戦いが続きます。
最終的には、1598年のナントの勅令によって、
カトリック側がプロテスタント側のある程度の信仰の自由を認めることで終結しました。
⑤八十年戦争(16~17世紀)
16世紀から17世紀に、カトリック国スペインに対するプロテスタント(カルヴァン派)の反乱によって起こった戦争。
この戦争がきっかけでオランダが独立したため、”オランダ独立戦争”とも呼ばれます。
かつてのオランダ(当時は”北部ネーデルラント7州”)はスペイン領の一部で、オランダ内にはカルヴァン派の信徒が多くいました。
ところが、スペインの王様フェリペ2世がカトリックを強要したことから、カルヴァン派の信徒たちは反発。
独立に向けた戦いが始まり、1581年に北部ネーデルラント7州は、
“ネーデルラント連邦共和国”という名前で独立を宣言します。
その後、1609年にスペインとの12年間の休戦条約を結んで、ネーデルラント連邦共和国は実質の独立を果たしますが、
この戦いは、続いての三十年戦争へと繋がっていきます。
ちなみに、三十年戦争も含めて合計八十年かかったので、八十年戦争という名前が付いているんですね。
⑥三十年戦争(17世紀)
休戦が終わると、独立戦争はヨーロッパ全体を巻き込んだ”三十年戦争”に突入していきます。
この三十年戦争は合計800万人以上の死者を出し、最後にして最大の宗教戦争だと言われています。
この戦いでは、ヨーロッパの各国がそれぞれの思惑を理由に、
カトリック側かプロテスタント側に介入したことで大規模になっていったのです。
それぞれの介入国をざっとまとめると、以下のような感じ。
- カトリック側
➡スペイン、神聖ローマ帝国、王領ハンガリー、クロアチア王国など
- プロテスタント側
➡ネーデルラント連邦共和国、フランス王国、イングランド王国、オスマン帝国など
こうして、カオスな争いが繰り広げられていきますが、1648年の”ウェストファリア条約”によって講和が成立。
一応は、プロテスタント側の勝利となり、カトリックは勢力と影響力を落とす結果となりました。
しかし、この戦争による代償は大きく、死者はもちろん、参加国の多くを破産にまで追い込むこととなったのです。。
まとめ:宗教戦争の歴史は闇が深い
- フス戦争(15世紀)
- カッペル戦争(16世紀)
- シュマルカルデン戦争(16世紀)
- ユグノー戦争(16世紀)
- 八十年戦争(16~17世紀)
- 三十年戦争(17世紀)
いかかでしたか?
いやー、同じキリスト教内でも、これだけの争いが行われていたことにビックリですよね。。
しかし、上記を見ても分かる通り、実は純粋に宗派的な目的で行われた戦争はほとんどありません。
お互いの様々な政治的・経済的な思惑などが複雑に絡まり合っているのです。
そういう意味で、キリスト教は戦争に上手く利用されてきた側面もあると言えますね。
うーん、宗教戦争の歴史は闇が深い。。
キートンでした。