ジーザス、エブリワン!キートンです。
何が由来になっているの?
こういった疑問にお答えします。
漫画や小説などでもよく使われる言葉に、迷える子羊というものがあります。
皆さんも、なんとなく聞いたことがあるのではないでしょうか。
ほら、小学生くらいの頃に、仲間はずれの子がいると、
などど、からかう人たちがいませんでしたか??
まあ、僕はいなかったんですけど。(いなかったのかよ)
その意味は字から推測できるかと思いますが、実はこの言葉、聖書が由来だって知っていますか?
聖書には、羊がたとえとして何度も出てくるのですが、迷える子羊もとあるたとえ話が由来になっています。
そこでこの記事では、クリスチャンの僕が、
- “迷える子羊”の意味とは?
- 迷える子羊は、聖書に書かれたイエスのたとえ話が由来?
- 子羊はイエスキリストのことを指す?
などについて解説します!
“迷える子羊”の意味とは?
迷える子羊とは、どうすればいいのか分からず困っている人を意味する言葉です。
読んで字のごとく、人間を迷っている子羊にたとえているんですね。
“迷える羊”ということもあり、これを英語にした”stray sheep”というワードは、
日本の楽曲のタイトルなどに使われることもあります。
羊という動物は、私たちが想像する以上に何もできない弱くて無力な存在です。
その例を挙げると、羊は以下のような性質を持っています。
- 臆病
- 身を守るために群れる
- 倒れると自力で起き上がれない
- 狼などに襲われたら終わり
- 群れからはぐれたら戻って来られない
どうですか、驚きのか弱さではありませんか??
しかし、羊の弱さを馬鹿にすると、それはブーメランのように私たち人間に返ってきます。
なぜなら、この羊にたとえられるほど、人間は迷いやすく弱い存在だということだからです!
詳しくは、【羊の性格・性質】羊の無力さを表す5つの特徴とは?【人間は羊です】をどうぞ
迷える子羊は、聖書に書かれたイエスのたとえ話が由来?
冒頭にも述べましたが、迷える子羊という言葉の由来は聖書にあります。
もっと具体的に言うと、イエスが語られた99匹の羊のたとえですね。
「そこでイエスは彼らに、この譬をお話しになった、 4「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。 5そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、 6家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。 7よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。」
(ルカによる福音書15章3~7節)
かなり短い内容ですが、ここでは、
- 羊飼い➡神様(イエスキリスト)
- 人間 ➡羊
にそれぞれたとえられています。
しかし、このお話の中では100匹の羊が出てきますが、そのうちの1匹がいなくなってしまうのです。
この1匹こそが迷える羊ですね。
この迷える子羊は、神様(キリスト)から離れてしまった人のことを示しています。
ところが、羊飼いである神様(キリスト)は、99匹の羊がいるにも関わらずこのたった1匹の羊を全力で探すのです。
なぜなら、どの羊のことも心から愛してくださっているからですね。
たとえそれが、自分から離れた悪い羊であっても、です。
だからこそ、迷える羊が見つかったら、とても喜んでくださるんですね。
このように、このたとえ話は神様(キリスト)の憐れみ深さを表しています。
(詳しくは、【聖書】99匹の羊のたとえとは?解釈も含めてわかりやすく解説をどうぞ)
私たちが日常で”迷える子羊”と言う場合は、単に困っている人というくらいのニュアンスで使われることが多いですが、
実際はこれだけ深い意味があったんですね!
ちなみに、新約聖書の”ヨハネによる福音書”でも、羊飼いがキリスト、羊が人間にたとえられています。
「盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。 11わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。」
(ヨハネによる福音書10章10、11節)
子羊はイエスキリストのことを指す?
聖書で”羊”が人間にたとえられる一方で、
“子羊”がたとえとして出てきた場合はイエスキリストを指すことが多いです。
いやー、ややこしい!
ですから、”迷える子羊”ではなく、”迷える羊”という表現のほうが聖書的には正確ですね。
迷える子羊と言うと、イエスキリストが迷っているみたいになってしまいますから!
キリストを子羊とたとえている聖書箇所としては、以下のような箇所が挙げられます。
「その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」
(ヨハネによる福音書1章29節)
「新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。」
(コリント人への第一の手紙5章7節)
「彼らは小羊に戦いをいどんでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから、彼らにうち勝つ。また、小羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちも、勝利を得る」。」
(ヨハネの黙示録17章14節)
では、なぜイエスキリストが子羊にたとえられるのでしょうか?
旧約聖書の時代、自分たちの罪を償うために神に動物などのいけにえをささげるという習慣がありました。
その動物の代表的なものが、小羊です。
「その犯した罪のために償いとして、雌の家畜、すなわち雌の小羊または雌やぎを主のもとに連れてきて、罪祭としなければならない。こうして祭司は彼のために罪のあがないをするであろう。」
(レビ記5章6節)
そして、イエスも十字架上で神にご自身をいけにえにささげることで、私たち人間の罪を償ってくださいました。
羊のいけにえによる罪のゆるしは一時的ですが、罪や汚れのないキリストのいけにえによる罪のゆるしは永遠に続くのです。
私たちはただ、イエスを救い主だと信じれば罪がゆるされて救われるのです。
聖書は、このイエスのお姿を子羊になぞられているわけですね。
「あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、 19きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。」
(ペテロの第一の手紙1章18、19節)
より詳しく知りたい方は、【完全版】イエス・キリストとはどんな人?その生涯を簡単にまとめてみたをどうぞ
まとめ:私たち人間は元々みんな迷える羊!
聖書には、上記で紹介した以外にも羊が何度も登場します。
それくらい羊というのは、聖書において象徴的な動物なんですね。
そして、迷える羊というのは、一般的には途方に暮れている人に対して使われる言葉です。
しかし、神から見ると、元々人間はみんな例外なく迷える羊なのです。
なぜなら、アダムとイブ以来、人間は罪を犯し神様から離れてしまっているからですね。
だからこそ、私たちを導いてくださる羊飼いなるキリストが必要なのです。
まだキリストを信じていない方は、今こそ信じていきましょう!
そして、自分の弱さを自覚し、羊飼いであるキリストに従っていきましょう!
そのとき、もう私たちは迷える羊ではなくなるのです。
キートンでした。