ジーザス、エブリワン!クリスチャンブロガーのキートンです。
もう生きる価値ないのかな。。?
こういった疑問にお答えします。
足が速い、ビジネスセンスがある、話すのが得意、絵が上手い。。
こういった人間が持っている能力を指して、私たちは“才能”と呼ぶことがあります。
与えられている才能は人それぞれであり、その才能の大きさもジャンルも人によって様々です。
しかし、中には「自分には何の才能もない」と落ち込んでいる方もいるかもしれません。
才能がないことが分かると、自分の存在価値すら見失ってしまいそうになりますよね。
ただ、そもそもの話ですが、あなたには本当に何の才能もないのでしょうか?
自分でそう思い込んで、決めつけてしまってはいませんか?
実は永遠のベストセラー“聖書”は、「あなたには才能がある!」と語っているのです。
とは言え、自分の才能が何なのか分からないという方もいるでしょう。
そこでこの記事では、
- 「なんの才能もない」と嘆くあなたへ伝えたいこと
- 「なんの才能もない」と思っている人の3つの特徴
- クリスチャンが教える才能の5つの見つけ方
- 才能が見つかった後にやるべき2つのこと
について解説します。
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目次
「なんの才能もない」と嘆くあなたへ伝えたいこと
最初に、「自分にはなんの才能もない!」と嘆いているあなたに伝えたいことを、以下でまとめておきます。
- 才能のない人間などいない
- 才能がなくても神の愛は変わらない
才能のない人間などいない
まず大切な前提として言っておきたいことは、才能のない人間など一人もいないということです。
なぜなら、神が全ての人々に異なる才能を与えてくださっているからですね。
一人の例外もありません!
聖書にはこう書かれています。
「あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。」
(ペテロの第一の手紙 4:10)
神は私たち一人一人に特別な才能や役割を与えてくださっており、それぞれがなくてはならない存在なのです。
聖書には、私たち一人一人を体の部位にたとえた聖句があります。
私たちには、目や耳、心臓や大腸など様々な部位によって成り立っていますが、どれ一つ必要のない部位はありません。
いや、むしろ弱く見える部分がかえって必要なんだと語られているのです。
「目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。 22そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、」
(コリント人への第一の手紙12章21,22)
例えば、背骨の一番下には”尾てい骨”という骨があります。
普段存在を意識することはほとんどない地味な部位ですが、私たちが座ったり、体を支えたりするのを助けてくれる重要な部位です。
実際、尾てい骨が上手く働かないと、日常生活に大きな支障をきたすと言われています。
同じように、私たちにも必ず才能や役割が与えられており、全員が不可欠な存在なのです。
才能がなくても神の愛は変わらない
何をやっても上手くできないし、これといった取り柄もないし。。
分かりました、もし仮に百歩譲ってあなたに全く才能がなかったとしましょう。
しかし、それでもあなたに価値がないということにはなりませんし、人生の終わりでもありません。
なぜなら、才能があろうがなかろうが、神にとってあなたは愛すべき価値のある存在だからです。
「わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 39高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。」
(ローマ人への手紙8:38,39)
神は私たちをとびきりの愛情を持って、最高傑作として造ってくださいました。
神は私たちの能力や才能を愛しているのではなく、私たちの存在そのものをありのまま愛してくださっているのです。
ですから、才能のありなしで、自分の価値を決めつけるのはやめましょう!
才能がないと感じていたとしても、神の愛や祝福は絶え間なくあなたの上に注がれているのですから。
✅️神の愛の大きさについては、【聖書】人間への神の愛が半端じゃないことが分かる3つの真実をどうぞ
「なんの才能もない」と思っている人の3つの特徴
では、そもそもなぜ人は「自分には才能がない」と思い込んでしまうのでしょうか?
才能がないと思ってしまう人の特徴を3つご紹介します。
- 才能の定義を間違えている
- 他人と比較している
- 自己評価が低い
①才能の定義を間違えている
1つ目の特徴は、才能の定義を間違えているということです。
例えば、自分に才能がないと思いこんでいる人は、以下のような勘違いをしているかもしれません。
- 才能は、勉強や音楽、スポーツなど特定の分野にしか存在しない
- 目立つものや特別優れたものでなければ、才能とは言えない
- 才能は、お金になるものでなければならない
しかし、これらは全て間違った思い込みであり、勝手に才能のハードルを上げてしまっています。
本来、才能というのはもっと広いものです。
正しく修正すると、以下のようになります。
- 特定の分野に限らず、コミュニケーション能力が高い、継続力がある、優しいなども全て才能
- 目立つもの、ずば抜けているものだけが才能ではない
- 才能の価値はお金では測れない
こうした本来の広い意味で才能をとらえると、才能のない人間など誰もいません。
②他人と比較している
2つ目の特徴は、他人と比較しているということです。
自分の才能の無さを嘆いている人は、無意識に他の人と比べてしまっていないでしょうか?
例えば、優れた才能を持っている人を見て、
と落ち込むみたいな感じですね。
今はSNSなどもあり、以前よりもさらに他人と比べやすい時代になっているので、このワナに陥りやすいです。
しかし、大切なのは他人と比較することではなく、自分が与えられた才能に目を向けることです。
なぜなら、神は私たち一人一人に異なる才能を与えてくださっているから。
神は私たち一人一人を、誰とも被らないユニークな存在として造られました。
そんな私たちが他の人と才能を比べて嘆いていたら、神も悲しまれます。
「わたしたちは、自己推薦をするような人々と自分を同列においたり比較したりはしない。彼らは仲間同志で互にはかり合ったり、互に比べ合ったりしているが、知恵のないしわざである。」
(コリント人への第二の手紙 10:12)
③自己評価が低い
3つ目の特徴は、自己評価が低いということです。
なぜなら、自己評価が低くなると、自分の悪い部分にばかり目が行くようになり、自分の才能のことも過小評価してしまうから。
周りから見たら、素晴らしいものを持っているにも関わらず。
これは非常にもったいないですし、神も悲しまれますよね。
特に、
- 今まで周りから認められてこなかった
- 過去に成功体験がない
- 大きな失敗したトラウマを持っている
といった人に多い気がしますね。
もちろん、急に自己評価を上げるのは難しいかもしれませんが、自分の才能を過小評価しているかもしれないと気づくことは大切ですね。
クリスチャンが教える才能の5つの見つけ方
とは言え、いくら才能が与えられていても、自分に何の才能があるのかに気づいていなければ宝の持ち腐れです。
そこでここからは、クリスチャンの僕が教える才能の見つけ方を5つご紹介します。
- 神に祈る
- 色んなことに挑戦してみる
- 身近な人に聞いてみる
- 自分の長所・短所を書き出してみる
- 夢中になった経験がないか考える
①神に祈る
1つ目の方法は、神に祈ることです。
なぜなら、私たち人間に才能を与えてくださったのは、他ならぬ神だからです。
それなら自分でうんうん悩むよりも、神に祈り、神に聞くのが自分の才能を知る最も確実な方法なんですね。
「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」
(ヤコブの手紙 1:5)
例えば、神にこのようにお祈りしてみましょう。
でも、私にはどのような才能があるのかがまだ分かりません。
どうか私の才能を教えてください。
もしすぐに才能が分からなかったとしても、諦めずに祈り続けましょう。
すると、神は何らかの方法を通してあなたを導き、答えを与えてくださいますよ。
✅️お祈りの仕方については、【祈り方】お祈りの方法って?クリスチャンが具体的な3ステップで教えます!をどうぞ
②色んなことに挑戦してみる
2つ目の方法は、色んなことに挑戦してみることです。
なぜなら、自分に才能があるかどうかは、やってみなければ分からないからです。
例えば、あなたは自分にアーチェリーの才能があるか聞かれたら、即答できますか?
恐らく、多くの人は分からないと答えるでしょう。
なぜなら、ほとんどの人がアーチェリーをしたことがないから。
経験したことがないものは、才能があるかなんて分かりようがないのです!!
ですから、恐れずに色んなことに挑戦してみましょう。
もしかしたら、あなたは自分が気づいていないだけで、
- ロッククライミングの天才かもしれないし
- 彫刻がミケランジェロ並みに得意かもしれないし
- 100年に1人のトイレ掃除の達人かもしれない
のですから!!
挑戦とはつまり、才能を発掘するということなのです。
③身近な人に聞いてみる
3つ目の方法は、身近な人に聞いてみることです。
なぜなら、自分の才能は、案外自分では気づきにくいものだから。
自分にとっては当たり前にできることが、実は他の人から見たら当たり前ではなく、すごい才能だったということもよくあります。
例えば、僕も周りから、
ついついしゃべりすぎちゃうよ!
と言われる事が多く、そのとき初めて、自分に人の話を聞く才能があるということに気が付きました。
自分では得意という意識はなかったですし、ただ自分の話をするのが苦手だったので聞き役に回っていただけなのですが、
周りから見れば立派な才能だったわけです。
ですから、
- 家族
- 友人
- 教師
など、身近な人に自分の才能や強みなどについて聞いてみましょう。
④自分の長所・短所を書き出してみる
4つ目の方法は、自分の長所・短所を書き出してみることです。
なぜなら、人間は自分のことを分かっているようで、分かっていないことが多いから。
例えば、以下のような感じですね。
★長所
- 行動力がある
- ポジティブ
- 歌が上手い
- 歴史に詳しい
★短所
- 人見知り
- 心配性
- 頑固
- 飽きっぽい
長所に関しては、「こんなの長所とは言えないでしょ」と思うようなものでも全て書きましょう。
その思い込みが、自分の才能に蓋をしている可能性がありますからね。
そんなことしたら、才能を見つけるどころか落ち込むだけなんじゃ。。
と思うかもしれませんが、短所の中に自分の才能が隠れていることもあります。
なぜなら、人の長所と短所は表裏一体だから。
長所は短所でもあり、短所は長所でもあるんですね。
例えば、上記で挙げた短所も、以下のように長所に言い換えることができます。
- 人見知り ➡観察力が高い
- 心配性 ➡慎重に行動できる
- 頑固 ➡周りに流されない
- 飽きっぽい➡好奇心が強い
このように、自分のコンプレックスの中に才能が隠れている場合もあるので、短所も含めて自分を見つめ直してみましょう!
⑤夢中になった経験がないか考える
5つ目の方法は、夢中になった経験がないか考えることです。
なぜなら、夢中になれているということは、その活動に強い情熱と集中力を持っているということだから。
夢中になれている時点で、何かしらの才能を発揮している可能性もあるんですね。
例えば、あなたは以下のような分野はないでしょうか?
- 頑張ろうとしなくても、無理なく継続できる
- 気がついたら一瞬で時間が経っている
- その分野のことを語りだすと止まらない
もしあるなら、その分野にあなたの才能が隠れている可能性があります。
実際、僕もこのブログを約5年、YouTubeも1年以上続けていますが、多くの人は1年も経たずにこうした発信を止めてしまいます。
なぜなら、発信し続けるというのは時間も労力もかかり、かなりの根気が必要だからです。
それでも僕がここまで発信活動を続けてこられたのは、神が発信を継続するのに必要な強い情熱や才能を与えてくださり、夢中になれたからです。
夢中になれること自体が1つの才能なんですね。
才能が見つかった後にやるべき2つのこと
「才能も見つかったし、これで一件落着!」と思うかもしれませんが、才能が見つかった後にもやるべきことがあります。
以下で2つご紹介しましょう!
- 才能を磨き続ける
- 才能を神や人のために使う
①才能を磨き続ける
才能は、見つかったら終わりというわけではなく、その才能を磨き続ける必要があります。
なぜなら、以下のような理由があるからです。
- 神の栄光を表すため
- 与えられた才能を忠実に活かすことが神の望みだから
- 才能が磨かれ、より大きな働きができるようになるため
聖書には、“タラントンのたとえ”という有名なたとえ話があります。
このお話では、主人が旅に出る前に、しもべたちにそれぞれ5タラント、2タラント、1タラントを預けます。
「また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。 15すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。」
(マタイによる福音書25:14,15)
主人は旅から戻ってきた後、しもべたちがどのようにお金を用いたかを尋ねました。
その結果は、以下の通りです。
- 5タラントのしもべ
➡5タラントを使ってさらに5タラントを稼いだ
- 2タラントのしもべ
➡2タラントを使ってさらに2タラントを稼いだ
- 1タラントのしもべ
➡主人を恐れてそのタラントを地中に隠し、何も増やさなかった
すると主人は、5タラントと2タラントを稼いだしもべたちを褒め、1タラントを隠しておいたしもべを叱ります。
そして、1タラントを奪い取って、5タラント稼いだしもべに与えてしまいました。
このたとえ話のように、神は私たち一人一人に才能などの賜物を与えてくださっていますが、大切なのは与えられた才能の大きさではありません。
その才能をどれくらい忠実に活用して増やすかが重要なのです。
✅️タラントのたとえについては、【聖書】タラントンのたとえの意味とは?わかりやすくまとめてみたをどうぞ
②才能を神や人のために使う
自分の才能が分かった途端、
と思う方がいるかもしれませんが、神は自分勝手に使うために私たちに才能をお与えになったわけではありません。
私たちの才能は、神と人のために使う必要があります。
「何をきれいごとを!」と思うかもしれませんが、それこそ神が望んでおられることなんですね。
聖書にも、こう書かれています。
「あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。」
(ペテロの第一の手紙4章10節)
自分のためだけに才能を使おうとする人は、神の祝福を受けることはできません。
それどころか、才能に溺れて、自分の身を滅ぼす可能性もあるでしょう。
しかし、神や人のために才能を使おうとする人のことを神は大きく祝福し、用いてくださいます。
才能はあくまでも神からの借り物で、私たちの所有物ではありません。
間違っても、自分の欲のためだけに才能を使わないように注意しましょう。
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まとめ:どんな人にも神は才能を与えてくださっている!
神はどんな人にも例外なく、才能という贈り物を与えてくださっています。
ですから、自分には才能がないと決めつけるのはやめましょう。
そして、自分に与えられている才能は何かを知り、その才能をフルに発揮していきましょう。
あなたにしかできないことが、必ずあるのですから!
キートンでした。