ジーザス、エブリワン!キートンです。
わかりやすく知りたいなあ。。
こういった疑問にお答えします。
イエスキリストによって語られた、史上最も有名な説教の1つである山上の垂訓(説教)。
その内容はまさにイエスの名言の宝庫ですが、中でも有名なフレーズに地の塩・世の光というものがあります。
このフレーズは、新約聖書の
- マタイによる福音書
- マルコによる福音書
- ルカによる福音書
全てに書かれており、どちらも弟子たちに向かって語られた言葉です。
ちなみに、僕が卒業したミッションスクールである青山学院大学では地の塩・世の光がスクールモットーとされていました。
とはいえ、このフレーズは比喩的な表現であり、パッと見ただけでは意味が分からない方もいるでしょう。
そこでこの記事では、クリスチャンの僕が地の塩・世の光の意味を分かりやすく解説していきたいと思います!
地の塩・世の光とは?わかりやすくクリスチャンが解説【聖書】
それでは、地の塩と世の光をそれぞれ分けて解説していきますね!
地の塩
「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。 」
(マタイによる福音書5章13節)
まずは、地の塩のほうからいきましょう。
地の塩というのは比喩的な表現であり、地はこの世のことを表しています。
では、塩はどのような意味で使われているのでしょうか?
いきなり、
と言われても、褒められているのかけなされているのかイマイチピンときませんよね。
友達に同じことを言われたら、めちゃくちゃ反応に困ると思います。はい。
塩の主な役割には、以下のようなものがあります。
- 食べものの腐敗を防ぎ清める(防腐)
- 毒を抜く(解毒)
- 料理などの味付け(調味料)
このように、塩は昔も今もとても役に立つ優れたものです。
料理一つとっても、塩がなくなったらかなり困りますよね。
また、よく考えれば、人体にとっても塩は必要不可欠なものです。
塩には、
- 血圧を調節したり
- 体内の水分バランスを整えたり
- 血液など体液の材料になったり
といった働きがあり、それによって人間の身体の様々なシステムの働きは守られ、維持されています。
ですから、塩分が不足すると、けん怠感や疲労感、頭痛やめまいなどが起こるのです。
以前僕は、汗を大量にかいた後に塩分不足になり、体が物凄くだるくなったのを覚えています。
これは水を飲んでも治らず、塩をとることで回復し、塩の大切さを知りました。
ここから、地の塩がポジティブな意味で使われているのが分かりますね。
つまり、イエスは、
と宣言しておられるのです。
実際、世の中の腐敗は終末になるに連れてひどくなっています。
ですから、この世の中に良い影響を与え、その腐敗を防ぎ清める塩のような存在が必要なんですね。
ただ、ここで気を付けなくてはいけないのは、人間が元々塩味を持っているわけではないということ。
つまり、塩味は自分たちの力によるものではなく、弟子たちのようにイエスに従うことで得られるものなのです。
なぜなら、人間は罪で汚れた存在であり、本当の意味できよいのは罪のないイエスだけだからですね。
聖書にもこうあります。
「あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされたのである。」
(コリント人への第一の手紙6章11節)
ここを勘違いすると、人は簡単にイエスから離れて塩気を失ってしまうでしょう。
塩味を失った塩なんて、ただの白い粒ですからね!何の役にも立ちません!
羽がなくなった扇風機くらい役に立ちません!!
ちなみに、聖書時代当時の塩は、現代のように精製された白いものではなく、不純物の入った岩塩だったそうです。
そのため、塩味は簡単に失われ、その場合は肥料にもならないので道に捨てられることもあったんだとか。
イエスに従わず、そのような”塩気を失った役に立たない塩”にならないように気を付けないといけません!
世の光
「あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。 15また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。 16そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」
(マタイによる福音書5章14~16節)
世の光は、地の塩よりもずっと分かりやすい表現ですね。
光の主な役割は、
- 闇を照らす
- 進む方向を教える
などが挙げられます。
この世に光がなかったら、と考えると光の重要性はよく分かります。
突然夜に全ての光がなくなったら、多くの人は身動きが取れずパニック状態になるでしょう。
それくらい人間にとって、暗闇というのは恐怖なのです。
僕の場合、特に光の重要性を実感するのは、時々旅行で山奥に行ったときですね。
街灯もほとんどなかったりするので、夜ってこんなに暗いのか!と恐ろしくなります。
このように、光もこの世になくてはならないものです。
つまり、イエスは、
と語っておられるんですね。
実際、この世の中は罪の闇で覆われており、生きる希望の光を失っている人がたくさんいます。
心を病んでいる人や自ら命を絶つ人の多さが、それを物語っていますよね。
だからこそ、この世の闇を照らす光のような存在が必要なのです!
ただし、こちらも、人間が自らの力で光を持つことはできません。
世の光であるイエスに従うことで、私たちも光を持つことができるのです。
たとえるなら、太陽の光があって初めて光ることができる月のような関係でしょうか。
イエスご自身もこのように語られました。
「イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。」
(ヨハネによる福音書8章12節)
そして、私たちが光を持つのは、決して
みんな見てくれー!!すげえだろー!!
と自慢して見せびらかすためではありません。
世の光となった私たちの立派な行いを通して、人々がイエスの父なる神様をあがめるためです。
ほら、とんでもなく接客の良い店員がいたら、その店員が所属しているお店の評価も上がりますよね??
同じように、イエスから光を頂いた私たちが立派な生き方をすれば、イエスの父なる神様も人々からたたえられるようになるのです。
つまり、
ってことは、この人が信じている神様も素晴らしい存在なのかも??
となるんですね。
うろ覚えなのですが、以前ヨーロッパである感染症が流行した際に、
一部のクリスチャンたちが自分たちも感染する危険があるにも関わらず、病人たちを必死で看病したことがあったそうです。
すると、感染症の人々に近づけず、放置状態にしていた他の人々はその姿に感動。
様子を見ていた多くの人がクリスチャンになりました。
これはまさに、世の光となって神様の栄光を表した素晴らしい例ですね!
まとめ:イエスに従う者は地の塩・世の光になれる!
地の塩・世の光の意味を知ると、
と思ってしまいそうになります。
確かに、人間の力では無理かもしれません。
しかし、イエスに従っていくとき、私たちは地の塩・世の光になることができるのです。
なぜなら、イエスからきよさや光を頂くことができるからですね。
そのときから、この世に流されて影響される生き方ではなく、この世に良い影響を与えられる存在になれます。
この記事を一言でまとめると、つまりこういうことです。
目指せ!良きインフルエンサー!!(雑か)
キートンでした。
☟参考文献