Q&A

教会の献金の相場とは?大事なのは金額より〇〇【プロテスタント】

まとめ:献金は心を込めてささげよう!

ジーザス、エブリワン!キートンです。

教会でささげられる献金って、金額の相場はどれくらいなの?

1000円?10000円??

こういった疑問にお答えします。

 

教会では、定期的に献金というものが信徒からささげられます。

献金とは、神様に対して日頃の感謝を込めてささげるお金のことで、教会の経済を支える重要なものです。

 

しかし、実際のところ献金はいくらくらいをささげるものなのでしょうか?

人によっては、献金に対する悪いイメージからか、

なん10万、なん100万と信徒からしぼり取っているんじゃないのか!

と誤解している方もいるかもしれません。

 

まあ、教会に来たことがない方にとっては、そう見えるかもしれないですが。。

そこでこの記事では、プロテスタントクリスチャンの僕が、

  • 教会の献金の相場とは?【プロテスタント】
  • 献金で金額よりも大切なことは?【心です】

について解説します!

キートン
キートン
この記事を読めば、教会における献金の相場が分かりますよ!

✅献金の詳細は、キリスト教の献金とは?毎月払うの?しないとどうなる?【信徒が回答】をどうぞ

教会の献金の相場とは?【プロテスタント】

教会の献金の相場とは?【プロテスタント】

結論から言うと、教会の献金に厳密な相場というものはありません。

なぜなら、献金は自発的な行為であり、献金をいくら払うかは個人の判断にゆだねられているからです。

 

それぞれの社会的地位や収入、経済的状況なども人によって様々ですからね。

ですから、

献金は必ず○○円払いましょう!!

と断言することはできないのです。

キートン
キートン
むしろ、決まった金額を払わせようとする教会は危ない香りがしますね。。!

 

ただ、それでも献金の目安を知りたい方のために、僕個人の基準をお伝えしておきましょう。

僕は献金の際、少しきついなあと思うくらいの金額をささげるようにしています。

 

なぜなら、そのほうが神様への信頼を表すことができるし、本当に気持ちのこもった献金ができるからです。

具体的には、余裕をもって払える100円などで済ませることはなく、毎週の礼拝でややきつめの1000円以上はささげるようにしています。

 

ただ、これはあくまでも僕の場合で、

  • 学生なのか社会人なのか
  • 収入は多いのか少ないのか

といった個人の状況によっても、出せる金額は変わってくるでしょう。

同じ1000円でも、人によって重みは違いますからね。

 

ですので、献金の固定金額にこだわらず、経済的状況を考慮しながら、

自分がそのときに最も心を込めてささげられる金額をささげるのがいいでしょう。

 

そうすれば、神様は喜ばれ、私たちに大きな祝福を与えてくださいますよ!

「わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。

(マラキ書3章10節)

献金で金額よりも大切なことは?【心です】

献金で金額よりも大切なことは?【自発的に心からささげる】

ここまでの流れからも分かるかと思いますが、献金において金額よりも大切なことがあります。

それは、感謝と喜びを持って自発的に心からささげることです。

 

なぜなら、神様は金額のように外から見える形よりも、私たち人間の内側を見ておられるからです。

聖書にもこうあります。

各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。

(第2コリント9章7節)

これは、私たち人間にとっても同じでしょう。

 

例えば、

  • お金はかけているけど、気持ちがこもっておらず渋々渡されたプレゼント
  • お金はかかってないけど、愛を込めて積極的に渡されたプレゼント

のどちらがより大きな喜びを感じるでしょうか?

多くの方が後者を選ぶでしょう。(というかそうであってくれ!)

 

同じように、神様も高い金額よりも、自発的で心のこもった献金を喜ばれるんですね!

ちなみに、このことがよく分かるエピソードが、実は聖書には書かれています。

 

それが、“レプトン銅貨二枚”のお話です。

「イエスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。 42ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントに当る。 43そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。 44みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」

(マルコによる福音書12章41~44節)

このエピソードに登場するやもめ(未亡人のこと)は貧乏で、お金をほとんど持っていませんでした。

 

ですから、他のお金持ちがささげる献金よりも、その額ははるかに少なかったのです。

しかし、イエスこのやもめこそが最もたくさんのお金を入れたと語られました。

 

なぜなら、イエスは彼女の献金に対する姿勢をご覧になっていたからです。

自分の生活費の全てさえささげる彼女の心は、他の誰よりも神様に対して敬虔(けいけん)だったに違いありません。

 

このように、献金に大切なのは、値段ではなく心なのです!!

まとめ:献金は心を込めてささげよう!

まとめ:献金は心を込めてささげよう!

献金に、いくらささげなければならないという厳密な決まりはありません。

しかし、献金額以上に大切なのは、私たちが献金をささげる際の姿勢です。

 

神様はいつも、たくさんの恵みや祝福を私たちに与えてくださっています。

ですから、そのことに感謝を込めて自発的に心から献金をおささげしましょう!

 

あ、最後に1つだけ言っておきますが、献金の目安が知りたいからって、

他の人の献金額をガン見するのはやめましょう。(誘惑)

 

キートンでした。

まとめ:献金はささげたいという気持ちが大事!
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ABOUT ME
キートン
月間15万PVを達成! プロテスタントクリスチャンで、愛称は"キートン"(本名:辻 勇輝)。 キリスト教の面白さを伝えるために、分かりやす~く情報を発信中。 所属教会は”ひばりが丘バイブルチャーチ”です。 趣味は、曲作り、映画鑑賞、読書、筋トレ、散歩など。

POSTED COMMENT

  1. 子羊 より:

    はじめまして。キリストーク楽しみに見てました!
    日本のキリスト教=真面目、堅すぎるてイメージがあるので、ああいう自然体で楽しい感じの番組があった方が伝道にも良いなと思いますね。

    献金は私の通ってる教会は、牧師さんの方針でかなり緩くて、本当に僅かでも良い雰囲気を作ってくれてますね。
    年金生活や生活苦の方等にも気楽に通いやすくしてくれてるんだなあと感じてます。
    人によっては毎週1000円も大金でしょうしね。

    牧師の世界では、台湾の教会は神様を賛美する所、韓国の教会は神様に祈る所、日本の教会は議論する所と言われていて、日本は本来の教会の目的である神様を喜ばせたり祈る主旨から外れてしまってる傾向があると危惧されてるようです。

    日本は宗教=お金、組織内のコミュニティ、信者達のお悩み相談てイメージがつきすぎてそれがキリスト教にも適応されてしまってる感じがしますね。

    本来は、周りの目を気にせずに裸踊りをしたダビデの如く純粋に神様を喜ばせる事だけを考えれば全て上手くいくんじゃないかと思います。
    伝道活動、陰ながら応援してます!

    • キートン より:

      子羊さん、はじめまして!コメントありがとうございます。

      キリストークも見てくださり感謝いたします。そうですか、それはとても素敵な牧師さんですね!献金に対する圧迫感を作らないというのは、とても大切なことだと思います。僕が通う教会もそのような雰囲気がありますね。

      “日本の教会は議論する所”というのは初めて聞きましたが、確かにその傾向はあるかもしれません。実際、教派間の言い争いも、何度も見かけたことがあります。子羊さんがおっしゃるように、教会の本来の目的に立ち帰り、神様を喜ばせるような生き方をクリスチャン1人1人がしていくことが日本のリバイバルのためには必要なんだと思います。

      応援ありがとうございます!今後も当ブログおよびYouTubeをよろしくお願いいたします。子羊さんに、主の豊かな祝福がありますように。

  2. Kenzel より:

    キートンさんはじめまして!
    面白くてためになるブログ、ありがとうございます!
    少しきついなあと思う金額、良いですね!アーメン!

    昔、アニメの「トラップ一家物語」で主人公のマリアが教会へ行く時に子供に、
    「献金は余ったお金(いらないお金)を捧げるんじゃない」
    とかなんとか言ってたのを思い出しました。
    (彼女はカトリックですが!)

    そう思うと、世の中にある「寄付」は結構、余ったお金を入れてる感があるかな〜、献金とはちょっと違うよな〜、とか思いました。

    まあ考えてみたら、私のいのち、体、健康、財産、家族、友人、仕事、能力・・・
    って全て神様が下さったものですもんね。
    献金も、神様がお金を私達に預けて下さったから出来る訳ですしね。
    元々は全部神様のお金。

    捧げ物の事を思うと、いつも民数記28、29章を思い出します。
    捧げ物の規定が出てきますが、何度となく
    「常供の全焼のささげ物とそれに添える注ぎのささげ物に加えられる。」(新改訳2017)
    って出てきます。
    常に捧げる捧げ物と、安息日とか罪のきよめの為の捧げ物は別で、特別な捧げ物はプラスアルファで捧げるように書いてるんですよね。
    特別な捧げ物、祭りの捧げ物をしてるから、常供の方は良いじゃん、って省略してしまいそうですが、と言うかケチってしまいそうですが、なんと!いちいち毎回、常供のとは別に捧げろよ〜って書いてるんですよね。

    私ももっと捧げられるようになりたいです!

    • キートン より:

      Kenzelさん、はじめまして!いつも当ブログをお読みくださりありがとうございます!

      本当にそうですね。神様が私たちに与えてくださっているものの多さ、素晴らしさを考えると献金を惜しむという気持ちには決してなりません。むしろ、いくらささげてもささげ足りないような気さえして、申し訳ないような気持ちになることも(笑)

      ただ、神様ご自身はお金が必要なわけではないですから、Kenzelさんが持っておられるような”ささげたい”という気持ちそのものがとても尊く、大切なんだと思います。献金は神様におささげできるものの1つに過ぎませんから、自分が持てるものを全て神様におささげできるような人生を送りたいものですね!

      Kenzelさんに主の豊かな祝福がありますように。

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