〜これは、1人の男の骨折の記録である〜
私はキートン。
今回は少し昔話をしようかと思う。
私は、小学生、中学生の間に7度骨折している。(内小学生だけで6回)
あ、今、
とか思ったな?
周りからもしばしばそう指摘されるが、これは大きな間違いだ。
骨を折りまくっていたのは、決して私の骨が弱いからではない。
私のアグレッシブかつ無邪気な精神に骨が付いてこれなかっただけ
そう、私は幼少期とてつもない悪ガキだったのだ。
例えば、
- 理由もなく異性を二段ベッドから突き落とす
- やんちゃ過ぎて保育園を追い出される
- 突然友人宅の庭を荒らす
- ゴキブリ団子で友人を殺しかける などなど
私の悪ガキエピソードには事欠かないが、今回はそのうちの1つ、“
私がどんな奇想天外な骨折ライフを歩んできたのかを、
自戒の意味も込めて。。
◎キートンの骨折年表
時期 | 体の部位 | 症状 | 全治 | 経緯 |
小1 | 右肩 | ひび | 1ヶ月半 | 坂を急降下して自転車ごと転倒 |
小2 | 左手親指 | ひび | 1ヶ月 | ドッジボールで突き指 |
小3 | 右足首 | ひび | 1ヶ月 | 走っていたらなぜか折れてた |
小4 | 左足首 | はく離 | 2ヶ月 | 走っていたらなぜか折れてた |
小5 | 右足首 | はく離 | 3ヶ月 | 階段を上ったら足をひねった |
小5 | 左足首 | ひび | 1ヶ月半 | 右足をかばった疲労により |
中1 | 右手首 | ひび | 4ヶ月 | サッカーで転んだ |
目次
①はじめての骨折
「はじめてのおつかい」的な感じで書いているが、
あれは忘れもしない、私が小学1年生の時だった。
私の実家の近所には、かなり長く急な坂がある。
たったこの一文だけで何やら香ばしい骨折の香りがしてこないだろ
そんないかにも面白そうな坂を悪ガキだった私が見たら何をするか
そう、自転車でその坂を全速力に駆け下りたのだ。
しかも、ブレーキを使ってはいけないというルールを付けて。
最初は一緒にいた友人とゲーム感覚で坂を駆け下りていたのだが、
恐らく、彼も危険な骨折の香りを嗅ぎつけたのだろう。これが正常な人間の判断である。
しかし、当時の私は理性を失ったサルに近い生命体で、
あるのは、
つまり、私は友人の声を無視して、
最初は順調だった。しかし、途中で異変に気付いた。
ハンドルのコントロールが利かない。
スピードを出しすぎたのか、乗り手の言うことを聞かない暴れ馬のように自転車はフラフラと左
と思い、必死でブレーキをかけるが、既にスピードが出きっているためすぐには速度
私を乗せた自転車はそこそこのスピードを維持したまま平らな道へ
人は危機に陥ると全てがスローモーションに見えるというが、
それくらい、倒れるまでの光景を鮮明に覚えている。
何が起きたか分からず頭が真っ白になっている私に、
不思議と痛みは感じなかった。
しかし、体の下敷きになった右肩はマヒして全く動かず、
何とも鮮烈な骨折デビューである。
このレベルの怪我なんて、
ところがどっこい、
私は友人に肩を貸してもらいながら坂を上っている間に、
その日、私は家族で野球観戦に行く予定だったのだ。
この状態では、
ああ、これが本当の骨折り損ってやつか。。(うまくない)
こうして私は病院に行き、私の骨折ライフには欠かせない3大アイテムの1つ、“ギプス”との運命的な出会いを果たすことになる。
足の膝は縫うことになり、肩にはヒビが入っていたため腕は三角巾で吊るされた。
しかし、まさかその後も幾度となくギプスのお世話になるとは。。人生とは分からないものである。
②ドッジボールで骨折〜ギプスとの早すぎる再会〜
鮮烈な骨折デビューを果たした私だが、2回目の骨折は何とも地味
時は、前回の骨折から1年後の“小学2年生”の頃。(間隔短い)
私は、小学生の頃に流行った、”ドッジボール”で骨折したのだ。
そう、「男子は歓喜し、
と思うかもしれないが、
元々運動神経の良かった私は、投げる、取る、
だからいつも率先してドッジボールを仕切っていたのだが、
ある日、いつものようにドッジボールをしていて、
そして、私に目掛けてボールを思い切り投げてきた。
不敵な笑みを浮かべて、
ボールが微妙にカーブしたのだ。
きっと強烈なスピンがかけられていたのだろう。
私の胸に収まるはずのボールは、
長年の眠りから目覚めた魔王のような野太い声を発し、私はたまらずうずくまった。
これはそう、
ちなみにこれ、ドッジボールでやるととってもカッコ悪い。
ウサギさながらぴょんぴょん飛び跳ねて痛がっている姿は、まぬけそのものである。
しかし、突き指は確かに痛かったが、
それに、その時の私には指のことなどどうでも良かったのだ。
実際のところ指より重傷だったのは、
不甲斐なさと恥ずかし
ちなみに、その後指は大きく腫れ上がり、
③左足と④右足の骨折〜松葉杖のプロへ〜
さて、ここからはしばらく下半身の骨折が続く。
それもほぼ1年おきに右足と左足を交互に骨折するという謎の安定感だ。
もしこれらの骨折が全て治験のアルバイトだったなら、
3度目の骨折は、”小学3年生”の頃だ。運動会の時期が迫っていた。
小学生にとっての運動会。
それがどのような意味を持つのか皆さんは覚えておられるだろうか
小学生にとっての人気者はどんなやつか。それは勉強ができるやつでも性格が良いやつでもない。
足が速いやつなのだ!
そして、運動会というのは、
負けられない戦いがそこにはある。
何としてもスターへの切符を手にしたい見栄っ張りな私は、
付け焼き刃で足が速くなるほど甘くはないが、
しかし、
そう、骨折するのだ。(普通はしない)
この骨折に関しては正直あまり覚えていない。疲労骨折なのか、気づいたら折れていたという感覚だ。
ちなみに、同じ流れで私は1年後にも足を骨折している。
さて、こうして足を骨折した私だが、
簡単に言うと、足を骨折するとメチャクチャ不便なのである。
もちろん、肩や指の骨折だって充分に不便だ。
しかし、足の骨折はレベルが違う。
片足が使えないということは、普通に歩けないということで、
そこで、私がギプスに続いて新しく出会うことなったのが、3大アイテムの2つ目、“松葉杖”だ。
私の小学生時代は松葉杖無しには語れない。(
私は骨折以外にも“単純股関節炎(たんじゅんこかんせつえん)”という股関節が炎症を起こす症状に
その時にも松葉杖にお世話になった。
合計4回以上松葉杖を使うことになった私は、
方向転換もバック歩行もお手の物。
誰かにバカにされたら、松葉杖は立派な武器にもなる。(
もはや体の一部と化した松葉杖によって、
魔法使いならぬ、“松葉使い”の誕生である。(一瞬カッコイイ)
もし、あのまま骨折が治らず松葉杖を使い続けていたら、
そのせいか、
なんて考えたものである。(
⑤人生最大の骨折〜”ボーンブレイカー”の誕生〜
時は”小学5年生”。ここにきて人生で最大の骨折をすることになる。
というと、とんでもない事故に巻き込まれたのかと思うだろう。
しかし、それは全く違う。
この時骨折した理由のアホさも人生で最大だ。
なんと階段をただ上っただけで骨折したのである。
階段を転げ落ちて骨折ならまだ分かる。
しかし、普通に足を踏み出しただけで骨が折れるのだから笑うしかない。
ここまでくるともはや何らかの才能なのではないだろうか。
しかし、これにはちゃんとした理由がある。
私は、歩き方が変なのだ。
簡単に言うと、かなりの”ガニ股”なのである。
ガニ股で足が外側に出ることで、足首をひねりやすい。
その状態で思いっきり階段に踏み出し足をひねってしまったのであ
その時に、私は今までに聞いたことのない不気味な音を聞いた。
プチプチッと何かひものようなものが切れる音がしたのである。
後から聞いたらこれは足関節にある靭帯(じんたい)のうち2本が切れた音だっ
どおりでメチャクチャ痛かったわけだ。(思い出すだけで痛い)
幸いにも近くに保健室があったので貞子さながら自力で這(は)って保健
しかし、本当にきつかったのはこの後だ。
病院で私の足を見たお医者さんは、
そして、私の足の血を吸い取り始めたのだ。
しかも、麻酔もしないものだからこれが痛いのなんの。
それは、痛みに慣れっ子で滅多なことでは泣き言を言わない私が、
骨折したときよりも血を抜くときのほうがはるかに痛かったのであ
7度も骨折を経験している私が、人生で1番痛かった経験は何かと
と答えるのは何とも不思議なものだ
ちなみに、この時の骨折は靭帯のケガもあり、完治までに3ヶ月以
またまた、ギプス・松葉杖コンビと再会である。
確かこの頃だっただろうか。
骨を折りまくっている伝説の男”ボーンブレイカー”がいるという都市伝説が学校中を駆け巡るようになったのは。
⑥両足が不自由に〜車イスとの出会い〜
さて、5回目の骨折を治療している時のこと。
悲劇は起きた。(さっきからずっと悲劇だが)
片方の足だけで生活をするということは、
まだ右足が治りきらない間に今度は左足も骨折してしまったのだ。(折りすぎ)
明らかな疲労骨折である。
もはや骨折しても、ああ、
そう、
そこで登場するのが、ギプス、
骨を折りすぎて車イスにまで至った小学生が果たして全国にどれく
統計を取ってみたいところだが、
松葉杖も充分に不便だったが、
松葉杖の場合は頑張れば自分のことは何とか自分でできる。
しかし、車イスの場合は周りのサポートが不可欠だ。
階段を下りるにも誰かに持ってもらわないといけないし、
当時やりたい放題生きていた私だが、
皮肉にも、その時に初めて人は
その意味では、骨折ライフも無駄ではなかったのかもしれない。
ま、もう骨折は2度ゴメンだけども!!(台無し)
⑦ラスト骨折〜骨折との決別〜
さて、こうして健全な(?)骨折ライフを歩んできた私だが、
これは、私が無事に小学校を卒業し、
手首を骨折したのである。(バリエーションの豊富さよ)
小学校は卒業できても、
記念すべきラストの骨折は、”サッカー”で遊んでいる時に起きた。
これも相当マヌケなエピソードなのだが、
私の当時のサッカースタイルは、一言で言うと“猪突猛進(ちょとつもうしん)”である。
つまり、
体力やエネルギーが有り余っていた私にはぴったりの戦い方だった
しかし、
事故は、ボールが外に飛び出しそうになった時に起こった。
私は基本的にボールしか見ていないため、
そこまでは良かった。
しかし、ボールに追いつこうかという瞬間、
そう思った瞬間、ここで私は人生で2度目のスローモーション体験を
そんなことを考えていたところで私の記憶は途切れた。
そして、気がついたらフェンスの前に横たわっていた。
後で友人に聞いたら、
その時は寒さとマヒのせいか大した痛みは感じなかったが、
またしても、私の精神に肉体が付いてこなかったようだ。
足の骨折ほどではないが、
なぜなら、携帯をいじるのも、文字を書くのも、
結構なストレスだ。
松葉杖にはすぐに慣れた私でも、
右手を使っていいのは、腹いせにギプスで誰かの頭を殴る時くらいのものである。(※絶対ダメです)
それにしても、
全治4ヶ月くらいだろうか。
だが、
まとめ〜骨折から学んだ2つの教訓〜
◎キートンの骨折年表
時期 | 体の部位 | 症状 | 全治 | 経緯 |
小1 | 右肩 | ひび | 1ヶ月半 | 坂を急降下して自転車ごと転倒 |
小2 | 左手親指 | ひび | 1ヶ月 | ドッジボールで突き指 |
小3 | 右足首 | ひび | 1ヶ月 | 走っていたらなぜか折れてた |
小4 | 左足首 | はく離 | 2ヶ月 | 走っていたらなぜか折れてた |
小5 | 右足首 | はく離 | 3ヶ月 | 階段を上ったら足をひねった |
小5 | 左足首 | ひび | 1ヶ月半 | 右足をかばった疲労により |
中1 | 右手首 | ひび | 4ヶ月 | サッカーで転んだ |
いかがだっただろうか?
何とも痛々しくまぬけなエピソードばかりだが、
私はこれらの骨折を誇りに思っている。(どーん)
なぜなら、これだけの経験をできる人間はそう多くないからだ。
当時は大変だったが、今では私だけの貴重な体験談になっている。
最後に、私が骨折ライフを経験して学んだ”2つの大きな教訓”をご紹介してこの物語を締めるとしよう。
教訓①人間って1人じゃ生きられないよね
先程も軽く述べたし、死ぬほど手垢の付いた言葉で申し訳ないが、やはり人は1人では生きていけない。
聖書にもこう書かれている。
「また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。」
(創世記2章18節)
そう私たち人間は、お互いに助け合うように造られたのだ。
皆さんもこんな月並みなことは、色んな人に言われてうんざりしているかもしれないが、
頭で分かっているのと体験を通して理解するのでは雲泥の差がある。
頭で分かっているだけでは、本当の理解とは言えないのだ。
私は、骨折を経験するたびに周りの人間に助けられ、支えてもらった。
- 右手が使えずに左手でノートを書いている私を見て、代わりにノートを書いてくれた隣の席の女の子
- 車イスだった私のために、車で学校まで送り迎えしてくれた両親
- 階段を降りるときに、車イスを両脇から支えて降りてくれたクラスメイト
その温もりは未だに私の中に残っているし、思い出すだけで目頭が熱くなる。
当時はまだ小学生、中学生だったが未熟なりにありがたさはいつも感じていた。
骨折は確かに辛い経験だったが、
まだ幼い内に、周りに対して感謝することと人が支え合うことの大切さを学べた私はきっと恵まれていたのだろうと思う。
聖書にはこうも書いてある。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」
(テサロニケへの第一の手紙5章16~18節)
これからも、自分を支えてくれている人たちへの感謝を絶えず忘れずにいたい。
教訓②人間って理性を無くしちゃダメだよね
2つ目の教訓は、人間の理性って超大事ってこと。
恐れずに何かに挑戦するのは大事だが、リミッター無しで突っ走りすぎると痛い目を見ることになる。
聖書界のブレーン、ソロモンは聖書でこんなことを言っている。
「自分の心を制しない人は、城壁のない破れた城のようだ。」
(箴言25章28節)
私は、自分の体のキャパを考えずに暴れてしまった結果、骨折を繰り返した。
人間、ちゃんと身の程をわきまえた上で暴れるくらいがちょうどいいのだ。
だから、みんな、
理性的に骨を折ろう!!(違うだろ)
では、またどこかでお会いしよう!