生活の悩み

【25項目】後悔しかない人生を避けるには?人は死の際に何を後悔する?

まとめ:悔いのない人生を送ろう!

ジーザス、エブリワン!キートンです。

どうせ生きるなら人生で後悔したくないなあ。。

人って死ぬときにどんなことで後悔するの?

こういった疑問にお答えします。

 

人間には、いつか死というものが訪れます。

しかし、それが分かっていても、人は死ぬときになると、

ああ、もっと○○な生き方をすればよかった。。

と後悔するものです。

 

いやー、そりゃあそうですよね。

僕なんてまだ30年くらいしか生きていませんが、それでも後悔することだらけですもの。人間だもの。(みつを風に)

 

人間は皆未熟であり、完璧な人生なんて存在しませんから!

では、一体後悔しない人生を送るためにはどうすれば良いのでしょうか?

 

その解決策の1つは、多くの人がどんなことで後悔するのかを知ることです。

もちろん、人生で後悔することは人それぞれですが、人間が後悔することはある程度共通する内容も多いものです。

 

先日、僕はとある本を読みました。

それが、『死ぬときに後悔すること25』という本です。

本書には、著者であるお医者さんの経験から、人は死ぬときにどんなことを後悔するのかがまとめられています。

 

具体的には、以下の通りです。

いかがですか?

どれも、割と納得のいくものではないでしょうか!

 

そこで今回は、クリスチャンの僕が自分の意見も交えつつ、

“人が死ぬときに後悔すること”リストからいくつかピックアップしていきたいと思います!

 

ぜひこれらのことを参考にしつつ、悔いのない人生を送っていきましょう!

キートン
キートン
文字数の関係で全てはご紹介できませんが、ご了承ください。。!

【25項目】後悔しかない人生を避けるには?人は死の際に何を後悔する?

今回ピックアップしたのは、以下の6つです。

  1. 悪事に手を染めたこと
  2. 他人に優しくしなかったこと
  3. 自分が一番と信じて疑わなかったこと
  4. 美味しいものを食べておかなかったこと
  5. 生と死の問題を乗り越えられなかったこと
  6. 神仏の教えを知らなかったこと

それぞれ見てみましょう!

①悪事に手を染めたこと

①悪事に手を染めたこと

この項目は、クリスチャンの僕としては取り上げないわけにはいきません。

なぜなら、“罪”についての話だからです。

 

キリスト教の罪というのは、必ずしも犯罪のことを指すわけではなく、

  • 不倫
  • 傲慢
  • 悪口

など神様の法に背く行為は全て罪にあたります。

ここでいう”悪事”というのも、決して犯罪だけの話ではないでしょう。

 

ただ正直、僕はこの後悔が意外に感じました。

なぜなら、日本人にキリスト教徒はほとんどおらず、罪の意識というものにはもっと鈍感だと思っていたからです。

日本は”恥の文化”のイメージだにゃ~。

 

きっと、死ぬ間際になると、今まで自分がしてきた悪いことが一気に思い起こされるんでしょうね。

さて、本書には、死を迎えようとしていたとある犯罪者のお話が書かれています。

 

その犯罪者は、死を前に今までの自分が犯した罪を猛烈に後悔し、恐怖のあまりもだえ苦しんでいました。

彼は言いました。

犯罪者
犯罪者
私は今まで取り返しのつかないことをした!

ゆるしが欲しい。

と。

そして、なんとキリスト教の洗礼を受けることとなったのです。

 

洗礼の日、彼は泣き崩れて自分の罪を悔い改めました。

数日後、彼は亡くなりましたが、その表情はそれまでの苦しみから解放された穏やかなものであったそうです。

キートン
キートン
罪の意識がいかに人を苦しめるかが分かりますね。。!

 

もちろん、これは極端な例であり、多くの人は人生で大きな犯罪を犯すことはないでしょう。

しかし、先ほども言ったように、神様から見ればどんなに良い人でも罪人です。

 

なぜなら、アダムとエバが罪を犯して以降、人間は神様から断絶され、罪の性質を持つようになってしまったからです。

聖書にもこうあります。

「次のように書いてある、「義人はいない、ひとりもいない。 11悟りのある人はいない、神を求める人はいない。 12すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、ひとりもいない。」

(ローマ人への手紙3章10~12節)

では、こうした罪悪感から解放されるにはどうしたらいいでしょうか?

 

それは、この犯罪者のように、自分の罪を悔い改めてイエスキリストの救いを受け入れることです。

わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。 7それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。

(ローマ人への手紙6章6、7節)

罪からの解放は、キリストの十字架なしにはあり得ません!

 

罪を抱えた先に待っているのは、永遠の滅びです。

若い内は自分の好き放題に罪を犯していても、死の直前になると自分の罪を悔やみ、死後を恐れるときが来るかもしれません。

 

ぜひ死ぬ間際ではなく、今すぐキリストを信じて罪から解放されましょう!

イエス・キリストって誰やねん!という方は、【完全版】イエス・キリストとはどんな人物?その生涯をまとめてみた【5分で分かる】をどうぞ

②他人に優しくしなかったこと

②他人に優しくしなかったこと

他の人に優しくするというのは、当たり前のようで実は結構難しいものです。

なぜなら、人間というのは“人に厳しく自分に甘い”生き物だから。

 

しかし、聖書には、こう書かれています。

互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。」

(エペソ人への手紙4章32節)

聖書の訳によっては、”あわれみ深い者”は”心の優しい人”となっていますね。

 

皆さんは、他の人への優しさや思いやりを持っていますか?

愛のない人生というのは虚しいものです。

 

聖書にもこうあります。

「たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。

(コリント人への第一の手紙13章2節)

いくら、

  • 地位があろうと
  • お金持ちだろうと
  • 健康だろうと
  • 有名になろうと

愛がなければ、人生はぽっかりと大きな穴が空いているようなもの。

そんな人生は、牛肉のない牛丼やイチゴのないショートケーキと変わりません!!

いや、ショートケーキのイチゴは別にいい気が。。!

 

キリスト教は“愛の宗教”と呼ばれることもあり、聖書にも愛の重要性はいやというほど書かれています。

「13このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

(コリント人への第一の手紙13章13節)

もちろん、必ずしも相手に優しくする=愛ではありませんが、相手に下心なく優しく接するには愛が必要です。

 

人の人生というのは、死に際に表れるもの。

愛のない人生を送った人の周りには、恐らく人は集まらないでしょう。

 

しかし、愛のある人生をおくった人の周りにはたくさんの人が集まります。

人々に愛を与え、大勢の人に惜しまれながら亡くなる人生を送りたいですね!

 

聖書が語る愛については、【真理】聖書が語る”愛”の定義とは?7つの性質をご紹介します!をどうぞ

③自分が一番と信じて疑わなかったこと

③自分が一番と信じて疑わなかったこと

正直、この項目を読んだときは、

いや、皆そんなに自信満々に生きているの!?嘘だろ!!

と慎み深い(?)僕は脳みそがぶっ飛びそうになりましたが、実際、人間というのはとても傲慢なものです。

 

自分は正しいと疑わず、プライドという看板を誇らしげに掲げる。

神などいないと、声高々と宣言をする。

 

特に、能力が高かったり、社会的に成功したりしている人ほどこうした高慢に陥りがちです。

しかし、神様は人間の高慢さをとっても嫌われます。

 

聖書にも、何度も高慢についての警告が書かれていますね。

「しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とある。」

(ヤコブの手紙4章6節)

生きている間は、我が物顔でいてもゆるされるかもしれません。

 

しかし、そういう人はいざ神様の御前に立つときに、同じような態度でいられるでしょうか??

キートン
キートン
いられるなら、ある意味相当な大物ですが。。!

どんな人でもやがては神の御前に立つときが来るのです!

「そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、」

(‭‭ヘブル人への手紙‬9章27節‬)

 

本書には、こんな記述がありました。

「ゆえに人間は、自分を超える力を持つものなど世の中にたくさんあることを知り、ひいては己の力の限界を知り、己の考えに対しても時に批判的に見る必要もあるだろう。」

(p86より引用)

著者の方はクリスチャンではないと思いますが、良いことを言うなあと思いました。

 

ここでいう”自分を超える力を持つもの”の頂点におられるのが、神様です。

神様という圧倒的な存在を知ることで、人は謙虚になれます。

 

いや、ならざるを得ないのです。

なぜなら、相対的に自分の無力さに気付くから。

 

私たちは、大自然に圧倒されて自分たちの無力さを感じますが、その大自然さえも神様は超越しておられます。

「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。」

(詩編19編1節)

そりゃあそうですよね、自然をお造りになったのも神様なんですから。

 

ですから、人間は神様から見ればあまりにも弱いちっぽけな存在に過ぎません。

自分ではなく、神様こそ1番だと信じつつ謙虚な姿勢で生きていきましょう!

☝このときのベジータみたく、神様に「あなたがナンバーワンです!」と言えるようになりたいですね。(分からない方すみません。。)

プライドを捨てる方法は、【真理】プライドは今すぐ捨てるべし!その3つの方法をご紹介しますをどうぞ

④美味しいものを食べておかなかったこと

④美味しいものを食べておかなかったこと

はい、今この項目を見て、

美味しいもの?

そんなの死ぬ前でも食べられるやん!!

と思った方!僕も最初は同じことを思いました!

しかし、著者曰く、死ぬ間際になると、食欲がなくなったり味覚が変わったりしてしまう人が多いそうです。

 

その結果、ご飯を美味しく食べることができなくなってしまうんだとか。

若い頃には想像もできませんが、実際にそうなったら相当辛いでしょうね。

 

美味しい食事というのは大きな楽しみであり、人生を潤してくれますから。

しかし、体の食事も大切ですが、心の食事も大切です。

 

なぜなら、人間は肉体だけで構成されているわけではないから。

心の食事とはつまり、神様の言葉、聖書の言葉を受け取るということです。

 

人間は神様によって造られた霊的な存在であり、そのために霊的な神様の言葉が必要なのです。

イエスは、このように語られています。

「イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。」

(マタイによる福音書4章4節)

また、預言者のエレミヤも、このように語っています。

「わたしはみ言葉を与えられて、それを食べました。み言葉は、わたしに喜びとなり、心の楽しみとなりました。

(エレミヤ書15章16節)

人は体の食事だけでは、心がやせ細っていってしまいます。

 

しかし、体とは違って、心の飢えには気づきづらいんですね。

心は目に見えない。。

現代は”飽食の時代”なんて言われていますが、心の中は皆がっりがりで骨が見えてる状態ですよ!完全な飢え状態です!!

 

ですから、普段から聖書を通して心の食事をとることが重要です。

聖書の言葉が、私たちの心を満たし豊かにしてくれます。

 

くれぐれも、心の栄養失調にならないようにしましょう!!

聖書の名言については、【完全版】聖書の名言をクリスチャンが13個まとめてみた【ジャンル別】をどうぞ

⑤生と死の問題を乗り越えられなかったこと

⑤生と死の問題を乗り越えられなかったこと

誰しも一度は、

自分は何のために生まれてきたのか?

死んだらどうなるのだろうか?

というように、生と死について考えたことがあるでしょう。

しかし、多くの人が結局、その答えを見いだせずに亡くなっていきます。

 

日本人は宗教観が薄いですから、特にその傾向が強いのかもしれません。

でも、実はその答えは、ある1冊の書物に全て書かれているのです。

 

その書物とはもちろん、聖書です。

聖書には、

  • どのようにして人間が誕生したのか
  • 人は何のために生まれてきて、何のために生きるのか
  • 人は死んだらどうなるのか

といった疑問の答えが全て書かれています。

 

なぜなら、聖書は私たちをお造りになった神様が人間を通して書かれた書物だからです。

聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。」

(テモテへの第二の手紙3章16節)

皆さんは、ある絵画を見て、その作品に込められた意図や目的などを知りたかったらどうしますか?

 

その絵画を描いた作者に聞くのが一番ですよね??

その絵画のファンたちも詳しいかもしれませんが、確実な答えが得られるとは限りません。

 

同じように、私たち人間について知りたいならその作者の神様に聞くのがベストなのです。

同じく被造物である人間に聞くよりも、確実な答えが返ってくるはずじゃあありませんか!

 

つまり、まとめるとこういうことです。

  1. 人間の生と死について知りたい
  2. 人間について一番詳しいのは作者である神様
  3. その神様が人間を通して書かれたのが聖書
  4. つまり、聖書を読めば答えが分かる!!

ですから、聖書があれば他の哲学書や自己啓発本などを読む必要はありません!

 

なぜなら、それらは全て人間による書物でしかないからです。

全ての真理は聖書にしか書かれていないのです。

 

実際、僕もかつては自己啓発本や偉人伝などにハマったことがありましたが、

何の答えも見い出せず、人生も変わりませんでした。

 

死に際に後悔する前に、聖書を読んで生と死の問題を乗り越えましょう!

キートン
キートン
もはや、各病院に聖書を置いといたらいいんじゃないかしら。。(提案)

 

聖書については、【最強の書物】キリスト教の”聖書”とは?永遠のベストセラー!?をどうぞ

聖書と自己啓発本の比較については、【比較】自己啓発本は意味ない!?人生を変えたいなら”聖書”を読め!をどうぞ

⑥神仏の教えを知らなかったこと

⑥神仏の教えを知らなかったこと

これも、何とも宗教観の薄い日本人らしい後悔だなあと思います。

お寺や神社でお参りをする日本人は多いですが、本当に熱心に信仰している人は多くないということでしょう。

 

では、なぜ多くの人は、神仏の教えを知らなかったことを死に際で後悔するのでしょうか。

それは、死が怖いからです。

 

多くの宗教には死後の救いがありますから、死を前にするとその教えにすがりたくなるのだと思います。

死は人間にとって最大の恐怖だにゃ~。

 

しかし、大切なことを言わなければなりません。

それは、真の神様は1人しかおられないということです。

 

聖書にもこうあります。

神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。」

(テモテへの第一の手紙2章5節)

日本では多神教的な信仰が根強く残っているので、この考え方には抵抗があるかもしれません。

 

しかし、他の神様も教えも全て偽物であり、そこに救いはありません。

死後の救いは、キリストの福音を信じる他にはないのです!!

 

それに、唯一なる神様は、ご自分の存在を様々な方法で示しておられます。

(詳しくは、【疑問】なぜ神が存在すると言える?3つの理由をクリスチャンが力説でまとめています。

 

ですから、神様の存在に気付かなかったという言い訳は通用しません!

神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。」

(ローマ人への手紙1章20節)

ましてや、あなたはもうこのブログ記事にたどり着いてしまいましたしね。。ふっふっふ。。

いや、言い方が恐いぞ。。!

 

さあ今こそ、唯一の神の存在を認めて福音を受け取りましょう!

福音については、【キリスト教用語】”福音(ふくいん)”の意味とは?キリストの良い知らせ!?をどうぞ

まとめ:悔いの残らない人生を送ろう!

まとめ:悔いのない人生を送ろう!

人が死ぬときにどんなことで後悔するのかを知っておくことは、とても大切です。

なぜなら、人はいつ死ぬか分からないからです。

 

明日急に雷に打たれて死ぬかもしれないし、交通事故にあうかもしれない。

若いからといって、来年絶対に生きているという保証はありません。

 

ですから、今のうちに、多くの人が死ぬときに後悔することをやっておくことが重要ですね。

そうすれば、きっと安らかな気持ちで最期を迎えることができるでしょう。

 

というわけで、

僕は今のうちにたらふく雪見だいふくを食べておきますね。(もっと他にあるだろ)

 

キートンでした。

まとめ:神様は確かに存在している!
【疑問】神がいる証拠はあるの?3つの根拠をクリスチャンが力説神様がいるのかを知りたい方は必見!この記事では、神様がいると断言できる理由をクリスチャンの僕が力説しています。実は、神様がいるという証拠は私たちの身の回りにも溢れているんです。この記事を読めば、神様が本当にいるのかが分かりますよ。...
【嫌われる覚悟】人から嫌われるのを恐れてはいけない1つの理由人から嫌われるのが恐い人は必見!この記事では、クリスチャンの僕が、人から嫌われるのを恐れてはいけない理由やその解決法などを解説しています。実は、人から嫌われるのを恐れるのは自己中で愛のない生き方なんです。この記事を読めば、嫌われるのを恐れなくなりますよ。...

 

☟参考文献


ABOUT ME
キートン
月間12万PVを達成! 信仰生活28年のプロテスタントクリスチャンで、愛称は"キートン"(本名:辻 勇輝)。 キリスト教の面白さを伝えるために、分かりやす~く情報を発信中。 所属教会は”ひばりが丘バイブルチャーチ”です。 趣味は、曲作り、映画鑑賞、読書、筋トレ、散歩など。

POSTED COMMENT

  1. ゆう より:

    ごめんなさい思いのほか長文になってしまっていました!

    それと、クリスチャンの職業の事で質問なのですが…(私は昔から死後の世界に興味があり、調べる→聖書に出会う→地獄が怖くて信じるという経緯のため、幼稚園はキリスト教でしたが周りにクリスチャンは居ないんです。
    ちなみに、今はその卒園した幼稚園に付属されてる教会に通っています!)

    なので身近なクリスチャンと言うと、牧師先生と協会員で、教会員が私以外全員高齢者というおまけ付きです(笑)

    おそらくは専業主婦か年金生活だとは思いますが…職業なんて、ちょっと聞きづらくて……

    私は教師になりたいと思っているのですが、クリスチャンの人がなりたい夢と別の道を示されるっていう体験談も多くてびっくりしています。

    クリスチャンになると、自分のこの世での将来の夢を捨てないといけない事もあるのでしょうか?

    それと、余程の公序良俗に反する職業や巫女など他宗教に関わる職業、教師の場合でしたら流石に他宗教の学校への赴任はクリスチャンは制限されると思いますが、それ以外に、クリスチャンは職業選択に自由ってあるのでしょうか?

    • キートン より:

      ゆうさん、長文でのコメントありがとうございます!

      全ての文章を拝見しましたが、ゆうさんがとても真摯に今の状況やこれからのことについて考えておられるのをひしひしと感じました。

      まず受験についてですが、神様は憐れみ深く心の広いお方ですから、苦しい時の神頼みであろうとお祈りを聞いてくださるかと思います。ただ、このままゆうさんが大学受験を何となく乗り越えることを神様が望んでおられるとは限りません。なぜなら、この大学受験のタイミングで、挫折経験のないゆうさんに、努力することや忍耐すること、困難を乗り越えることを教えようとしておられる可能性があるからです。

      ですから、勉強は続けつつ、ぜひ神様にベストな進路に導いていただけるように祈ってみてください。たとえ不本意な結果に終わったとしてもその経験すらも神様は用いてくださいますし、結果的に神様は必ずゆうさんを最高の道へと導いてくださるはずです。僕自身も大学受験を通ったことで、忍耐力や継続力など今の自分を支えているたくさんの大切なものを得ることができました。もちろん、僕も陰ながらお祈りさせていただきます!

      続いて、職業に関してですが、僕自身も大学時代から10年以上、歌手になるという夢を持ち努力をし続けた経験があります。結果的に、夢は叶わず目標だったメジャーデビューもできませんでした。ただ、そのときは悔しかったですが、そのときの経験は全て現在の活動や奉仕などに大きく生かされています。

      そして、新卒で入った会社を適応障害で退社するなど様々な挫折も経験しつつ、現在は、このブログの運営やカウンセラーの仕事(まだなる途中ですが)へと神様に導かれました。正直、最初は特に自分がやりたい!と思う仕事ではありませんでしたが、今ではこれらが僕の天職だと思えるほどやりがいや情熱があり喜びがあります。もちろん、クリスチャンでも自分で職業選択はできます。ただ、遅かれ早かれ結果的には、神様によってもっとベストな職業へと導かれるのではないかなと僕は思っています。

      ですから、神様に導きを祈りつつも、変に制限を設けずに自分がやりたいと思うことに色々と挑戦してみてください。その中で、自然と続けられること、喜びが溢れてくること、誰かの役に立てることが必ず見つかるはずです。人間には神様によって1人1人ご計画が用意されており、そのための才能や能力が既に与えられているのですから。僕も今まで自分の適性ややりたいことを見つけるために様々な仕事をしてきましたが、結果的に現在の仕事へと導かれました。ただ、どの仕事をするにしても、神様のお導きを求めることだけはやめずに継続してください。

      あくまでもいちクリスチャンの意見ですが、参考にしていただければ幸いです。

      • ゆう より:

        ありがとうございます!

        ごめんなさい、もう1つ質問なのですが…

        クリスチャンって、救われるの、聖化など信仰に関わることは人間側は聖霊様を求める以外は全て神様の力、って言うことに疑いの余地はないですが…

        この世で生きていく以上はクリスチャンでもスポーツ選手ならスポーツの練習、資格が必要なものなら資格の勉強、、などの努力が必要な事がありますが

        これ、クリスチャンによって意見がすごくバラバラで、100%神様の力(本当に英検なんかで神様に聞きながら問題文すら読まずに解いて満点だった話を聞きました)、この世の事に関しては精一杯自分が努力→神様がバックアップしてくれるって考える人など色々居ますが、これって人によるのでしょうか?

        救いとは全く無関係なので、教会内でさえ意見が別れてる気がします。神様がその人に合わせてくださっているのでしょうか?

        • キートン より:

          なるほど、努力と信仰のバランスのお話ですね。

          これに関して僕は、”人間の努力と神様への信仰はどちらも必要”だと考えます。確かに信仰は大切ですし神様の力無しで人間は生きていけませんが、人間が努力すべき役割や領域があるというのもまた事実です。

          例えば、人間が与えられた賜物を磨いたり活かしたりすることを神様が求めておられることは、”タラントのたとえ”を見ても分かりますし、勉強やスポーツなどに関してもそうでしょう。実際、とある教会のクリスチャンたちが「信仰さえあれば勉強なんかしなくても合格できる!!」と考えて、全く勉強せずにお祈りだけ熱心にして受験に挑んだ結果、全員が不合格になったという話を聞いたことがあります。ゆうさんがお聞きになった英検のエピソードは、かなり特殊な例かもしれませんね。聖書にはこう書かれています。「私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。」(コリント人への手紙第一 3:9)

          神の協力者である以上は、私たち人間も働く必要があるでしょう。自分の努力に頼りすぎると高慢になり、神様に全てを丸投げすると与えられた役割に関して無責任になる。結局のところ、「神様におゆだねしつつも、自分のできる限りの努力をする」というバランスが重要であり、どちらも必要だと思います。

  2. ゆう より:

    時間って、本当に足りなくなって初めて大切さに気づきます。
    (時間だけでは無いと思いますが…)

    才能の方の記事にコメントさせて頂こうか迷ったのですが…

    私は自分で言うのもなんですが、記憶力は平均より良い程度なのですが物事の要点を掴むのが中途半端に上手くて中学、高校の定期テストまでは全く挫折せずに、流石に授業は真面目に聞いていましたが、逆に言うと授業だけで1日に8時間勉強するような子と張り合うことも出来ました。(さすがに、高校受験の時は勉強しましたがそれでもかなり少ない方かなと思います)

    だから中学、高校の定期テストまでは一度も勉強で挫折した事が無くて…

    初めて今、大学受験で本気で挫折しています。
    中学時代や高校の定期テストよりも広くて深い大学受験を舐めていました…

    高校は中の上から上の下位の高校でしたが、周りの子は中学で勉強か何かで挫折した子ばかりでした。

    今までで一度も挫折したことが無いのを自慢に思っていましたが、今本気で後悔しているというか、むしろもっと早く挫折を経験したかったとさえ思っています…
    大学受験って、時間が無限にでもないといくらあっても足りない、って受験直前になってやっと気づきました。
    (あと多分今年携挙が来ると思うからいいや〜って気持ちもありました)

    困った時の神頼みになってしまいますが、今から神様が助けてくれたりもするのでしょうか?
    もし良ければ、第一志望は流石に無理だとしても、進路が示されるように祈っていただくことって出来ますでしょうか?

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