ジーザス、エブリワン!キートンです。
人間なら誰にでも、長所や短所が存在します。
全く良いところがない人間や、欠点のない人間などいません。
では、皆さんは自分の長所と短所どちらを伸ばそうとするタイプですか?

という人もいれば、

という人もいると思います。
どちらかが正解というわけではないですが、僕は完全に後者、つまり長所を伸ばしたほうがいいと考える派です。
その理由をクリスチャンの立場から、述べていきたいと思います!

Contents
【前提】長所のない人間などいない!!

本題に入る前に、大切な前提をお話しておきたいと思います。
それは先ほども言った通り、長所のない人間などこの世に存在しないということです。
実際、僕は今まで30年近く生きてきて、良いところが1つもない人間に出会ったことがありません。
どんなに憎たらしく見える人でも、ダメ人間に見える人でも必ず他の人よりも優れた長所が1つや2つあるはずです。
なぜなら、神様が人間1人1人に賜物をお与えになっているからです。
賜物というのは一般的にいう才能のことで、神様からの贈り物のこと。
聖書にはこう書かれています。
「良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません。」
(ヤコブの手紙1章17節)
ですから皆さん、

なんてことは口が爆発しても言わないでください。(どんな状況だ)
たとえ謙遜だとしてもです。
賜物を与えてくださった神様が悲しみます!
もし本当に自分には長所がないと思っている人は、自分の良い部分に気づいていないだけです。
その場合は、周りの人に自分の良いところを聞いてみて下さい。
必ず誇るべき長所がみつかるはずです!!

自分の短所よりも長所を伸ばしたほうがいい理由【賜物(才能)は神様からの贈り物】
さて、少し前置きが長くなりましたが、ここから短所よりも長所を伸ばしたほうがいい理由を述べていきたいと思います。
効率がいいから

長所を伸ばすのは、短所を伸ばすよりも効率がいいです。
なぜなら、少しの努力で頭一つ抜けることができるから。
考えてみてください。
長所というのは既に他の人よりも優れている部分の可能性が高いですよね?
では、その長所にさらに磨きをかけたらどうなるでしょうか。
そう、他の人では到底追いつけない領域にいくことができるのです!

一方で、短所というのは普通の人よりも劣っている部分である可能性が高いですよね。
となると、たとえ努力してもようやく人並み程度。
明らかに効率が悪いし、短所を補っただけではその人の個性も光りません!
亀が必死に走る練習をしたところで、チーター並みの俊足は手に入らないのです。
自分の短所は誰かの長所だから

長所がない人間がいないように、短所がない人間もまたいません。
ですから、自分の短所が気になりそれを補うことに必死になってしまう気持ちはよく分かります。
しかし、よく考えてみてください。
自分の短所となっている部分というのは、他の誰かの長所でもあります。
勉強、スポーツ、ビジネス、芸術。。どの分野にもそれが得意な人は存在します。
ですから、自分が苦手な部分はそれが得意な人に任せておけばいいのです。
元々自分の苦手分野が得意な人がいるのに、自分がわざわざその分野を伸ばす必要があるでしょうか?
しかも、短所を補ったところでその分野が得意な人には到底敵いません。
それに逆に言えば、誰かの短所は自分の長所でもあります。
自分の短所の部分は他の人に任せる代わりに、自分の長所の部分は引き受けましょう!

神様が喜ばれるから

神様は私たち1人1人に、賜物という素敵なプレゼントをお与えになりました。
そして、その賜物はダイヤのように美しく光り輝いています。
しかし、神様はその賜物を私たちがもっと磨いて輝かせることを願っておられるのです。
聖書には、“タラントのたとえ”というお話が出てきます。
これはイエスキリストが語られた有名なたとえ話で、ある日、
家の主人がしもべ3人にそれぞれタラントというお金を預けて旅に出てしまいます。
2人のしもべは預かったお金を商売でさらに増やして主人に褒められました。
しかし、もう1人のしもべはお金を土に埋めてしまい主人に怒られてしまいました。

ここでは、
- 主人 ➡神様
- しもべ➡人間
がそれぞれたとえており、神様から与えられたものをいかに忠実に使うかが描かれています。
同じように、賜物も神様から与えられているもの。
自分の長所、つまり賜物を伸ばしていけばこの主人のように神様は喜んでくださいます。
聖書にはこうあります。
「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、 奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。」
(ローマ信徒への手紙12章6、7節)
ぜひ、神様からの賜物を徹底的に磨いて輝かせていきましょう!

神様や他の人の役に立てるから

長所、つまり賜物というのは、自分に使うために神様が与えてくださったわけではありません。
賜物は神様や他の人のために使うものなのです。

神様も、私たちが賜物を独り占めすることを望んではおられません。
聖書にはこうあります。
「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。」
(ペトロの手紙1 4章10節)
ですから、私たちは短所を補っている場合ではありません。
より神様や他の人の役に立てるために、もっと長所である賜物を伸ばしていくべきなのです!
長所は伸ばせば伸ばすほど、誰かの役に立てますからね。

まとめ:自分の長所を伸ばし続けよう!

短所よりも長所を伸ばしたほうがいい理由が分かりましたでしょうか?
とは言え短所を補ったほうがいいという方もいると思うので、正解はありません。
ただ、大切なことなので最後にもう一度言わせてください。
自分の長所は他の人のため、神様のために使いましょう。
もし自分の長所を他の人のために使えば、その人も応えてくれます。
もし自分の長所を神様のために使えば、神様もそれに応えてくださいます。
長所、賜物は分かち合うものなのです!!
よし、きれいにしめられたぞ。。
ではまた!
