ジーザス、エブリワン!キートンです。
皆さんは、人から嫌われたくないと思ったことはありませんか?
恐らく、1度もそう考えたことがない人はほとんどいないでしょう。
特に日本人はその傾向が強く、”嫌われる勇気”という本がバカ売れしたことからも明らかですね。
しかし、あえて言わせてください。
人から嫌われることを恐れてはいけません。
嫌われないように生きるのって、実は愛のない行為だよね👼
なぜなら、その中心にあるのは、あくまでも自分だから。だからこそ、かえって人から愛されないという皮肉な結果になる。
嫌われないことを意識するのではなく、愛を持って生きることを意識した方がより愛される人間になれるよ!
— キートン@クリスチャンブロガー (@keaton1992) February 14, 2021
嫌われることを恐れていると、人は幸せにはなれないのです!
それは一体なぜでしょうか??
そこで今回は、クリスチャンの僕が、
- 人から嫌われることを恐れてはいけない理由
- 人から嫌われることを恐れるとどうなるのか?
- どうすれば嫌われることを恐れずに生きられるか
などについて語りたいと思います!

Contents
人から嫌われるのを恐れてはいけないたった1つの理由【愛がないから】

人から嫌われることを恐れてはいけない理由、それはずばり愛のない生き方だからです。

と思うかもしれません。
確かに、嫌われることを恐れる人は周りの人の顔色を伺い、時には自分を犠牲にすらします。
これは一見すると、愛のある人のように見えますね。
しかし、
嫌われたくないという気持ちの中心にあるのは、他の人への愛ではなく自己中心的な思いです。

嫌われないように生きるというのは、つまり、常に自分に意識が集中している状態。
そこにあるのは自分!自分!であり、本当の意味での相手への思いやりはありません。
例えば、皆さんの周りに、事あるごとに、

ねえねえ、なってないよね??
と聞いてくる人がいたらどう思うでしょうか。
最初は可愛い奴だなくらいに思うかもしれませんが、それが何度も続くと段々うっとおしくなってくるでしょう。
なぜなら、それは私のこと嫌いにならないでね?というある種のワガママ表明だからです。
また、試しに何かの行動の前に、”嫌われたくないから”というワードを入れてみてください。
例えば、
- 嫌われたくないから、一緒にご飯を食べる
- 嫌われたくないから、相手の悩みを聞いてあげる
- 嫌われたくないから、相手の意見を聞き入れる
- 嫌われたくないから、お金を貸してあげる
という具合に。
どうですか?
本来なら愛のある行動も、”嫌われたくないから”というワードを入れるだけで何やら表面的でよそよそしい印象を受けないでしょうか。
まさに魔法のワードですね!(悪い意味で)
このように、嫌われたくないというのは、自己中心的で愛のない思い・欲なのです。
ですから、それは決して称賛されるべき生き方ではありません!
嫌われることを恐れる人は結果的に好かれない

では、嫌われることを恐れて生きた人は、最終的にどうなるでしょうか。
もちろん、それだけ頑張っているのだから、皆から好かれて人気者になるはずですよね??
ところがどっこい、なんと嫌われないように生きている人ほど、
結果的に誰からも好かれないという大変皮肉なことになります。

皆さんの周りにもいませんか?
八方美人で周囲に愛想を振りまいているけど、好感度がやたらと低い人は。
なぜこんなことになるかというと、先ほども言った通り愛がないのと、
その人自身に軸がなく、いつも相手に合わせてしまうからです。
すると、段々本当の自分を見失い、相手にとって都合がいいだけの存在になってしまうんですね。
それは好かれているのではなく、見くびられているに過ぎません。
つまり、嫌われないように生きるのは、労力の割には報われない非常に虚しい生き方なのです。
聖書にもこう書かれています。
「25人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する者は安らかである。」
(箴言29章25節)
ですから、一刻も早く、そのわなから抜け出さなくてはいけません!
どうすれば嫌われるのを恐れずに済む?【愛を持って生きましょう】


嫌われるのを恐れるというのは、非常に受け身で消極的な生き方です。
ですから、もっと前向きで積極的な生き方に転換してあげましょう。
つまり、他の人への愛を持って生きるのです。
聖書には、こうあります。
「18愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。」
(ヨハネの第一の手紙4章18節)
嫌われるのを恐れるのは、愛のない生き方だというお話をしました。
しかし、逆に言えば、愛を持てば私たちは嫌われたくないという恐怖から解放されるのです。
しかも、それだけではありません。
愛を持っている人の周りには、たくさんの人が集まってきます。
つまり、嫌われることを恐れなくなることで、かえって人から好かれるようになるんですね!

ですから、“嫌われたくないから”ではなく、”愛”という動機を持って行動してみましょう。
先ほどの例でいうと、
- 相手と良い関係を築くために、一緒にご飯を食べる
- 相手が助けを求めているから、相手の悩みを聞いてあげる
- 相手を尊重したいから、相手の意見を聞き入れる
- 相手が困っているから、お金を貸してあげる
という感じになります。
どうですか?
結果的にしている行動は同じなのに、動機によってかなり印象が違って見えますよね??
聖書には、こうも書かれています。
「 39第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。」
(マタイによる福音書22章39節)
これは、愛の人であるイエスキリストが語られた御言葉です。
自分に対するのと同じように他の人を愛する。
これこそが嫌われる恐怖から解放され、人生を豊かにする鉄則なのです!
【体験談】僕も嫌われるのを強く恐れていた

ここまで偉そうに語ってきましたが、僕自身が元々人から嫌われることを強く恐れる人間でした。
嫌われないように、いつも愛想笑いでごまかして、適当に相手の話に合わせる。
そんな感じでフラフラと生きていたんです。
しかし、その結果残ったのは、すぐに疎遠になってしまうような表面的な関係の友人ばかりでした。

そして、僕はあるときから気付いたのです。
嫌われることを恐れている間は、人は相手と本当に深い関係を築くことはできないと。
なぜなら、そこに愛がないからです。
「14これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。」
(コロサイ人への手紙3章14節)
それ以来、僕は以前ほど人から嫌われることを恐れなくなりました。
その結果、随分と自分を出せるようになり、生きやすくなったなあと思います。
今回皆さんにもう1つ伝えたいのは、そもそも全員から好かれることなど不可能だということです。
相手の感情はコントロールできませんから、自分がどんな言動をしようと好きになってくれる人はいるし、嫌う人は嫌います。

それなら、嫌われることを恐れず、愛のある生き方をしたほうがよっぽど充実した人生が送れるとは思いませんか??
皆さん、知ってください。
嫌われることを恐れる生き方に、本当の喜びはありません。
ただ自分を殺し、ストレスをため、他の人からも見くびられるだけです。
しかし、皆さん、知ってください。
愛のある生き方には、喜びがあります。
「4愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、 5不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。 6不義を喜ばないで真理を喜ぶ。 7そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。 8愛はいつまでも絶えることがない。」
(コリント人への第一の手紙13章4~8節)
今こそ嫌われることを恐れない、愛のある生き方をしていきましょう!
まとめ:嫌われることを恐れてはいけない!

嫌われることを恐れて生きるのは、非常にしんどいことです。
いつも人の顔色を伺っていなくてはいけないし、自分らしさも出せない。
しかし、人間の評価というものは非常に不安定で、いい加減なものです。
あなたの大切な人生をそんなものに縛られるのは、あまりにももったいない!!
ですから、愛を持って自分らしく生きていきたいですね!
キートンでした。

